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今までの「アイ love 授業」……バックナンバー編


最新の「アイ love 授業」へもどる。

2018・1学期

August


8・27
あと一週間で学校が始まります。
まだまだ暑い夏。
綿花は発芽こそ悪かったけれど、
猛暑のためか、6月に蒔いたのに、
出遅れを取り返すかのように。
大きな葉でまだ花も咲かず、成長を続けています。
ただし、学校が風の通り道なため、
台風が来ると、昇降口に入れないとだめなのが、
ちょっと大変です。

二学期からは
第一次大戦を始めます。
週に2時間ずつなので、
遅々として進まない。
だから、先に戦後まで
超スピードで仕上げてしまい、
それに肉付けするのは10月以降にしようかと考え中。
週に残り2時間は他の先生が公民を
やってくれているので、大丈夫。
でも、進みすぎていて、子どもたちに大丈夫かが
心配です。
大事な憲法を2時間で2か月で終えてしまって、・・・。
もう少し応用も、考えてフォローしようかと思ってます。





8・24
台風が毎週と言ってもいいくらいやってくる
今回の夏休み・・・。
この暑さに、被災した方々のご苦労を思います。

二学期のプランを考え始めています。
今年は、海外での命の洗濯は無し。
その代わり、八幡平の2000mの露天風呂で、
雲海と日の出を見ながら、お風呂に浸かりました。
20代、30代と来て、三回目。
八幡平の湿原とそこを渡る秋風に赤とんぼ。
沼が点在し、秋空とイワシ雲を映す澄んだ水。
何度行っても静かで美しい風景です。

東北の冬の雪のすごさを
旅館の建築の傷み具合から推し量ります。
でも、豊かな山の恵みも実感します。
清水のおいしさ、イワナ、フキノトウのお味噌
ヤマゴボウの漬物、どれも、あきたこまちにピッタリの
ご飯の友。それにユーモアのある旅館のおじさん。
東北弁のユーモア・・・。

さてさて、二学期はどう進めましょうか。
受験用にスピードアップして内容を、・・・
でも、一方で、映像はしっかり見せたいし、
被爆者のお話はうかがいたいし・・・。

受験用のプリントノートは一冊作り、
役に立っていると言ってくれてる子もいますが、
はてさて、使ってくれているでしょうか・・・?、

心配な女の子の最近の様子も気になるし・・・
あと一週間で、あっという間に始まってしまいますね。



8・23
台風のあとの猛暑、
また、戻ってきましたね。
今年の夏は、暑い暑い夏。
脳みそが溶けてしまいそう・・・。
合宿研も終わりました。
石塚さんに来ていただいて、
農業の話をじっくりしました。
石橋さんが聞いた石塚さんのお話が、印象的。

石橋さん「いろいろ農政が変わって大変だったんですね」
石塚さん「え???大変? 好きなことやってるから
大変じゃないですよ。 あなたも広島から来ているんでしょ。
来たいから来てるんじゃないの?」

そうそう、日本人の口ぐせ、
「大変ですね」
同情しているようでいて、そう言われると、
答えは「そうなんです。大変です」
大変とあまり思っていなくてもそう答えてしまう慣習。
苦労の方を先に話題にして、
楽しい話は後回し。仕事でも・・・。
そう話していると、自己憐憫に陥りそうです。

楽しいから、そうやって生きている、
そう考えた方が、アイディアが生まれてくる気がします。



8・7
ほぼ、一か月ぶりくらいになる30度以下の気温。
それに雨が降っています。
こんなに疲れないのかと思うほど、体が楽です。
今年は、豪雨、猛暑と災害続きで、この夏を
過ごしている方は、体調を崩されている方も
たくさんいるだろうと、胸痛みます。

6月と7月は、10年ぶりくらいに、
新潟の石塚美津夫さんのところにうかがいました。
子どもたちが小さな時に、種まき、田植え、草取り、稲刈り・・・と
一年間通って、中学校の社会科でも、
来ていただいて授業しました。

若い先生たちが、今年5年生を受け持ち、
バケツ稲を栽培するというので、田植えから
うかがったのです。
そのあと、ハプニングがごろごろ。
若い先生たちにしてみると、
稲の栽培はプロではないから、とても難しい。
そのアドバイスを受けに行って、いろいろ教わりました。

バケツに、いくつぐらい苗を植えたらいいかどうか
肥料を与えすぎてメタンガスが発生したり、・・・。
そのために、見に来ていただいたり、
つれあいさんとともに、先生たちが土を入れ替えたり・・・。
さて、お米はうまく実るでしょうか?
鳥や虫たちとの戦いにも、勝てるでしょうか?

ハラハラドキドキ。
そんな心配をよそに、石塚さんに
東京にも来ていただいて、楽しいお話を7月にしていただきましたし、
8月には合宿研究会でうかがいます。
ぜひ、おいでください。
農家と先生たちの、橋をかけられたらと思っています。





8・6
ギラギラを通り越すような猛暑。
玄関を出ると、サウナのような熱風に襲われ、
死にそうだ~~~と本気で思ってしまいます。

食欲が落ち、眠れず・・・一日中冷房の中でないと暮らせない
こんな暑さは、本当に耐えられない。
地球温暖化は、さらに進むのでしょうか?

オウム真理教の話は、1週間もすれば音沙汰無くなり、
平成という時代で終わるのだと、どこのニュースでも告げています。
人々の暮らしも、人生も、年号で区切られるわけでは無いのに・・・。

8月になってしまいました。
今年は、どこも出かけず、家の整理整頓と
教材のまとめやレポート、授業の準備・・・、
マイペースでやっています。
学校にもほぼ、1日おきに登校。

整理整頓は、仕事を効率よく進めるための
どうしても避けられない仕事です。
若い時から、資料を集めるだけ集め、新聞も切り抜き、
ビデオを集め、・・・・
ガラクタのように思えるすべてが、財産でした。

さて、それ以外にもいろいろと小さな仕事が
毎日たくさん・・・
子どもたちへの暑中見舞い、作成、印刷、投函。
金閣寺の職人、柳生健智さんへのお礼状、
子どもたちのお礼状や新聞記事のコピーの整理を同封して・・・発送。
合宿研に来ていただく石塚さんへの依頼の文書作成、発送。
10月のサークルにお呼びする被爆者の方へのお手紙作成、発送。

これ以外にも9月の研究授業・指導案作成、
9月、市内の研究授業(他の市内の先生がする)のビラ作成、発送。
これは、60通にもなるので、これも封筒のあて名書きが大変。

それ以外にも、若い先生たちに、合宿研へのお誘いのメール
返事へのまたメール・・・・。

メールのやり取りで若い人たちはやりますが、
それ以外の世代のかただったり、正式だったりすると、
手紙を書きますが、これが、なかなか時間がかかります。

いろいろなかたとご縁があるのが、とてもうれしい。
こうしてお手紙を書くのも、ご縁のせいです。
人とつながることで、授業=私の仕事が充実します。





July



7・30
オウム真理教の死刑執行。
ずっと心に重くのしかかっています。
そのニュースを聞いた時、
一回目は恐ろしいと思い、
二回目は震える思いがしました。
心底です。
それだけの大量の処刑をできるのが、
日本なのだと、日本の変化に震えます。

法治国家ではありますが、
法がすべてではなくて、
判例なりに基づいて裁判されてきたはず。
判例をもとにしないのはなぜなのか?
日本という国家をつぶそうという罪だからなのか?
被害者の感情ならば、殺人事件でもオウムでも
それは、苦しみは同じくらい深いはず。

判例を基準にせず、殺人までに至っていないのに、
処刑された死刑囚も一人いました。

今までの、「数人を殺し、殺意があったら死刑」
「少年には基本的に死刑を言い渡さない」
「再審請求をしていたら死刑を執行しない」・・・・
そういう慣習や判例が次々とためらいなく
理屈をつけて、乗り越えられて行っています。
袴田さんはどうなるのでしょう?

加害者側がかわいそうだという感情ではなく、
遺族の感情を無視しているのではなく、
報復感情としての死刑が議論されることに、
ウソが透けて見えるように思えてしまいます。

それより、死刑が是認されているのは、死刑の実態が
隠されているから・・・。
私はいくつかの情報を得て、
その恐ろしさに震えます。
そのようすの描写に、数か月間うつ病のようになりました。
そのようすが頭を離れずに、怖ろしくて
怖ろしくて、暗闇の中で過ごしているようでした。
それを、国家だけが正当な理由を上げて、日本で
許されているのが、怖ろしいのです。

国家権力というのは、個人の力ではどうにも制御できないくらい
巨大な物。
そう、戦中派の先輩から聞いています。
「どうあらがっても、戦争に行かされ、戦争に巻き込まれ、
人を殺し、自分も殺されるんだと、あきらめ覚悟させられた」
「それもお国のため、でも、母や姉妹を守るためと、
みんな思っていたよ」
例外なく権力でしたがわされていた戦前の時代。

どんなに個人が訴えても、犯罪を犯していなくても
40年も刑務所に閉じ込め、死刑を執行するという恐怖に毎日
おびえさせたことができるのが、
免田さんをそういう人生に追い込むことができたのが、
日本の国家権力なのです。

アムネスティ・インターナショナルの機関誌を見てください。
いつでも、そういう権力を使う人々、国々が
世界にはあり、日本が絶対そうならない、
今も健全である保証はないと思うのです。

オウム真理教は、私にとっても怖ろしい宗教でした。
大学生時代に、渋谷の駅頭で、張りぼてをかぶって
選挙運動で踊っていた様子は、
本当に異様で、だからこそ、怖ろしい感じがしました。
その解明と死刑とは異なる次元の話だと思っています。

13人も死刑執行して、それに震え上がらない日本が怖ろしい。

7・24
今日は、そう言いながら、日直です。
学期末の忙しい時に、
「仁」を見て、その名作ぶりにため息が出ました。
特に、南方仁先生が、
タイムスリップして江戸時代に行って悩むところ。
その設定が深いです。
その悩みが、子どもたちにも通じると思って、解説します。

「僕なんか、この時代に来なければよかったんじゃないか」
「何の役にも立っていないんじゃないか」
「いつ死んでもいいと思っていたが、それは傲慢だったのじゃないか」
「人間は、精いっぱい生きていくことしかできないのだから」

若い時は、運命なんていう言葉を全く信じていませんでした。
自分の人生は自分で作ることができると
心から信じていました。
時が戻せて、あの時こうしていれば…なんていう後悔は
するはずがないと思っていました。

でも、数十年と生きてくれば、
自分の意思とは全く関係なく、事態や状況が変わっていくことに
めぐり合います。

私の場合は、二番目の子ども、息子を早産で亡くしたことでした。
自分がどうすればよかったのか、後悔と後ろめたさと、
申し訳なさと、やりきれなさが募りました。
そういう体験をすると、
オウム真理教の事件や、様々な災害や・・・・、
その中での被害者の方々の痛みやご家族の言葉にできない苦しみを
想像します。

それでも、「仁」のように、江戸時代であろうが、今であろうが、
未来であろうが、必ず制約のある中で、思い通りに行かない社会の中で
ご先祖様たちも、私たちも、未来の子孫たちも、
できるのは、精いっぱい生きていくことしかできない・・・
そう、仁はフィクションですが、考えさせてくれます。

そうやって、コレラから立ち直った江戸の人々、
個人の喜一ちゃん、咲さん、緒方先生・・・みんなそうやって
生きてきたんだ…そう感じると
私たちが面々とつながっていると感じるのです。

子どもたちも同じように感じるようで、
学期末の感想にも、「私たちとつながっている」という言葉が、
とても多く使われていました。
見えないけれど、人間しか想像できない時間のつながり・・・
それを考えると、「私もがんばって生きなくちゃ」と思います。





7・23
炎天下の毎日、こたえます。
夏休みの2日目、
部活の子たちは、真っ黒。
黒い壁の前に立っても目立たないほど。
私のような体育苦手少女は、
今の時代だったら、とてもついていけませんね。

今年の夏休みは、
事務のかたの年休計算が
大幅に間違っていたため、
時機を逸し、
海外への旅行は、あきらめました。
数年ぶりの日本です。
でも、日本にいると、
とても気分が滅入ってしまう。
ニュースが、聞いてられないものばかりなので。

純粋に避暑に行って、
のんびり本でも読んで、2~3日過ごそうか・・・
と、贅沢な夢を考えています。




7・13
集中豪雨から、広島、愛媛の方々、
この猛暑の中、大変なごくろうだと
お見舞い申し上げます。

学期末のいわば暑い「師走」
毎日走りまわっています。

何が忙しいって、
通知表を、市内のパソコンのシステムでやるのはいいけれど、
家で持ち帰ってできないので、毎日7時ごろまで
やるしかありません。

成績を、修学旅行から帰って3日後まで、
そうしたら、三年の三者面談が、
毎日5時間授業のあとやります。

その間に所見を書かなくちゃいけなくて、
若い先生たちは毎日夜10時。
私だって、家につくのが毎日10時。
通勤が長いのです。
暑くて、疲れ果ててきてしまいました。

それなのに、所見欄に
35年間勤めてきて、初めて管理職三人が
全部細かくダメ出し・・・。
クラスメートを「クラスメイト」と直しなさい?・・・
辞書で調べてもどちらでもよくなってますけど~~~、

ノー残業デーで帰れと言って
こんなに真っ赤に直されたのでは、
直すのにも、3時間はかかるし、
直す内容に納得いかないから、直したくないし、
それでも時間がかかるし・・・。
私の言いたいことが全く伝わらない。
こんな仕事のやり方ってありか~~~~と、
愚痴と疲れとで、みんな荒れ気味です。

だいたい、機関誌編集の時に
針生大先生に「勝手に校正で言い換えたり書き換えたりするな」
と怒られましたけど・・・・。

珍しく怒りのため息でした。


7・6
修学旅行から帰ってきました。
最後の日は豪雨。
プロジェクトXの金箔職人:柳生健智さんのお話を聞き、
次の日は旅館で箔押しの実習をやりました
1日目の奈良は猛暑でしたが、
2日目は降ったりやんだりの繰り返し、
3日目は琵琶湖ツアー
割と平和な修学旅行、
楽しい思い出も作れたし、・・・。
疲れました。
また書きますね。




7・6
ご無沙汰してしまいました。
実は6月は、生徒指導の月????
結果的に、家で夕飯を食べた日は数えるほど。
ここ掘れワンワンと言うくらい、
いろんな事実・・・・ただし、悪質さは
それほどではないので、心配は大丈夫です。
でも、それでも、指導しなければいけないことが
いくつか、たえまなく起きて、
家に疲れて帰り寝る、次の日元気に学校へ
家に疲れて帰る寝る、次の日元気に学校へ
…の毎日繰り返しでした。
唯一の癒しは、授業での「仁」でした。
あ~~~疲れた。
そして、いよいよ修学旅行へ突入・・・。


June



6・4
幸せだと思うことが二つあった。
一つは、体育祭での子どもたちの感想を読んで。
もう一つは産業革命以後を予想した授業を終えて。
二つとも、とても感想が胸うたれました。

団結って、大切で、とてもいいものだなということを学んだ。

全力でやれば勝っても負けても楽しい。

みなで息を合わせてやる競技は、普段はやらないことなので、
とても楽しいと思いました。…ムカデ競争

クラスの人、一人ひとりがいろいろな種目・委員会で輝いていた。
運動が苦手な子をみんなが励ましていた。
クラスの絆があれば体育祭が最高に楽しくなることを学んだ。

練習で各種目の並ぶ順番とかがあやふやになった時もありましたが、
(学級対抗リレーとか)
本番は成功して、最高で最後の体育祭を
クラスのみんなで行うことができて
本当にうれしかったです。

誰か一人が頑張るのではなく、クラスのみんな一人ひとりが頑張る
ことで、クラスは団結することができるということを学んだ。

グラウンドを見るたびに用具係のクラスメートが走り回っていた
がんばっていてすごく驚いた。

友達と運動、応援、学級旗製作を一緒にする楽しさを学んだ。

ムカデリレーで転んだところなどを最後まで大きな声で
応援していたことに心が温まった。

体育祭を三年間やった中で、今年の体育祭が一番楽しかったです。
なので、終わってしまった時に、少しさみしいような感じがしました。
まだまだいろいろな行事が残っているので、
そこでクラスの人と協力したいです。

みんな、勝ちたいと思っている中、応援の声を聞くだけで、
その気持ちが倍増するんだなと思った。

応援することは相手の力になると改めて思いました。
そして、その応援は、いつか自分に帰ってくると思います。

リレーのバトンパスなどの時みたいに、
相手を信じてスタートを切って、手を出すように、
仲間を信じて仲間に信頼されるようにする。

クラスのチームワーク、一人ひとりの気持ちが変わったかなと思いました。

良い感想でしょう?
特に、体育委員長の男の子が、授業そっちのけで、
体育祭練習の指示の言葉を、朝からぶつぶつつぶやいて、
練習していました。
そして、予行での体育委員長の言葉、
本番のあとの言葉、どちらにも、彼らしいユーモアが隠されていて、
学校全体が、その彼の言葉を期待して、
ほんわかした雰囲気で終わりました。
教師が中心だと、全てが命令口調になって、
みんなは、やらされている感が満載ですが、
体育委員たちが指示して、「ハイ、並んでください」と言えば、
喜んで並んでしまう…この雰囲気がとても楽しかったし、
とても楽な体育祭でした。

こんな体育祭もできるんだと試してくれた体育主任に、
私はお礼を言いましたよ。
体育委員長は、転勤した先生が大好きで、
居なくなった喪失感でダメになりそうだったのに、
やりがいがあって、体育祭で、巨大な自信を身に着けてくれたから。
クラスの雰囲気もすごく変わって、
今は、昼休みの度に、男女で遊んでいます。
今日は、おとなしい女の子に、
活発な男子が、「一緒に遊ぼうよ、○○さん・・・」と声をかけていた。
ちょっと驚きでしたよ。





March



5・26
体育祭も終わり、今度は修学旅行の準備。
今日は新潟に来てます。
若い先生たちが、農業のことを知りたい!
それなら、笹神の石塚さんのところに
行かなきゃ・・・。
このブログを始める前、
約10年前によくうかがっていた新潟の笹神へ。
今日は、田植えをお手伝いしました。
みんなでやるので、そんなに重労働ではなく、
私には、とても楽しかった。
山あいの有機の田んぼ。
オタマジャクシ、カエル、とんぼ・・・
たくさんの虫やら動物がいます。
石塚さんはヤギも飼って・・・。
有機に命と頭をかけている!!
お元気ですねえ。とても楽しくとてもあったかくて最高です!!

若者は小学校5年生用に、
有機の苗を60杯のバケツ分と、
有機の肥料をたくさんもらって帰りました。
丈夫に育ててほしい。
この二年間は病気で不作の稲ばかりだったそうです。
そんなのおかしいでしょ?
他の新潟の方が面倒を見てくれているのに、
ほとんど病気にかかり、ほとんど採れないなんて・・・。
全ては、栄養過多に農薬のせいだそうです。

体育祭も最高の終わり方でした。
また、そのことを次回に書きます。
そうそう、授業も佳境を超え、
産業革命の体験・教具のオンパレードを終えて、
今度は、世界に何が起きたかの推理。
そして、今回は、また、新しいチャレンジをしています。
子どもたちもおもしろがっていて・・・うまくつながるかな?
とてもとても楽しみです。


5・14
一か月もたってしまいました。
大忙し、大忙し。
合宿研究会に向けて4本のレポートを仕上げ、
先週の土曜日が体育祭。

目の回るような忙しさでした。
特に、合宿研へのレポートは
今までの30年間、授業をしてきた
積み重ねを形に残したいと数年前から始めた物。
一つ一つを、若い先生たちの
好奇心と知識欲と、授業欲に訴えようと
書いています。

家事もほったらかし、
ひたすら時間があれば、パソコンに向かって・・・。
そして、一番時間を使うのが、
文章を書く時の裏付け。
資料はどこにあったっけ?
もっと正確な意味は、数値は・・・。
それを調べながら書くと
ものすごく時間がかかります。
学者ではないので、学問的な厳密さは
少し見逃してもらっても、
子どもたちに間違いは教えられないし・・・。
本当に時間がかかって・・・。

四本は
鉄の授業、
フランス革命の授業、
冤罪と死刑制度の授業、
そして、歩いて行こう(不登校の子どもたちに向き合って・・・)
鉄の授業は好評でした。
これも、35年間のまとめです。



April



4・12
モンゴルからお母さんの留学に伴い、
1年間、一緒に過ごした男の子が、
モンゴルに戻って行きました。
受験勉強をするそうです。

韓国から小4の時に来た少年も受け持ちましたが、
その男の子は、ユーモアがあって、
社交的で、おもしろくて、
私が受け持った中学二年生の時には
社会も理科も、他の子たちより
成績もいいくらいでした。
日本語がほとんどわかって
授業を受けていましたが、
モンゴルの男の子は、ロシア語に似た言語なので
とても苦労していました。
とてもシャイで、何かしゃべってと言っても
ニコニコ笑って、ダメと言うだけでしたが、
この1年間は、どうだったのだろうと、
とても気になっていました。
寂しくなります。

今年は校舎の一番端から二番目の教室、
1階です。
さて、5月に体育祭、7月に修学旅行が控えていますが、
楽しくできるかな?
教室に入れないでいる彼女も参加できるだろうか?
ちょっと不安です。
それは、子どもたちも同じですね。
その割に、持ちあがったクラスの子どもたちは
のびのびと楽しそうに雑談しています。





4・11
春休みに
会員のIさんと会いました。
いつも彼女は
「先生のような授業ができない」
「すごいと思う」
「自分は全然ダメだと思う」
・・・・・そう言うので、
いつも私は不思議に思っていました。
私は、会のベテランである久津見宣子さんと
自分を比べたことはありません。
当たり前ですよね。
なぜかというと、あまりにベテランと
若輩者の私では、経験が違いすぎるし、
同じになろうとは思わなかったから。
でも、だからと言って、自分のことを
ダメだと卑下したりはしなかった。

これは、私の思考の癖と言うか
習慣というものがあるのです。
父から勉強方法を教わった私は、
常に、まちがったのはなぜか、
その原因を追究して、
二度と間違えないようにする・・・
そういう勉強方法を
小学校から教わりました。
だから、いつも原因を考え、次のアイディアを考える。
そういう習慣があります。
言ってしまえば、理屈っぽい。

人間の歴史の授業を創る会とのつながりで言えば、
なぜ、会が自分に合っていると思ったかは、
経験年数で評価せず、
とても、実践研究方法が、実証的だったから。
ねらいを明らかにして、授業の記録を出し、
その成果を討論してもらう・・・。
失敗だった授業は、その原因を考える。
とても分かりやすい研究会でした。
久津見さんさえ、失敗した…
そう白井さんは口癖のようにエピソードを語っていました。
でも、そこから、わかるようにしたいという
授業への情熱がすごかった!!と。
そして、機織りは女子美の柳先生を訪ね、
鉄は刀匠の天田さんを訪ねた!!と。

ほんとうに久津見先生の授業もわかりやすかった。
実物大の模型、全紙版の写真、実物のオンパレード・・・。
そして、歴史をわかってもらおうとする情熱。

私も教具を準備して、情熱があれば
授業ができる可能性がある、
そう学生の私も思わせられました。
仮説実験授業も、授業書を使えば、授業できます。
水道方式もタイルを使えば授業できます。

経験が豊富で、知識があって、
そういう教師だけが授業できる・・・
そういう研究会にはしなかったのです。
白井さんは・・・。とても平等でした。

さて、だから、Iさんには宿題を出しました。
ウジウジと、自己反省だけしても
聞いているこっちは、気分が憂鬱になるだけ、
ほめられている気がしない。
やめてちょうだい!

5月の合宿研究会までに
今まで会の授業をマネしてやったことを、
年表ふうに書いてきて、そのたびに結果がどうだったか、
思い出して表にして○△×を付けて、
わきに簡単に理由を書いてくること。
もう一つは50個の質問を考えてくること。
小さなことでもいいから。

せっかく遠方から来て、授業の話ができるのに、
「私にはできない」「私はまだまだだ」
その比べる発想が理解できない。
そんなこと言っている暇に、
目の前の子どもたちに、具体的にもっとどうしたら
わかってもらえるか、楽しんでもらえるか
ただひたすら楽しんで努力することしかないでしょう?
というわけです。

Iさんには東京で大サービスをしたから
このぐらい書いてもいいでしょう。
グレイテストショーマンの映画を見て、
小籠包を食べ、学校の資料室を見せ、
マッサージに行き、
大村幸弘先生の研究会報告会に参加しました。
だからいいんです。



4・10
昨日が始業式、ゆっくりです。
始業式のあと、担任発表。
私の地区では、中学2年から3年は
クラス替え無し、担任も持ち上がる人が
大部分ですが、
担任発表の時、やっぱり、「ええ~!」
っていう、声が一人でも有ったら
悪いし、嫌だなって、どうしても思ってしまいますが、
反応は「うふふ・・・」でした。
まずは、よし!かな?

明日は入学式なので、
その準備でいっぱいいっぱい。
ステージにお花を飾ったり、
演台をビロードの布で覆ったり・・・。
子どもたちもよく働いてくれました。
ご苦労様。

今年の抱負は、
子どもたちの名前を覚えることです。
すぐに忘れてしまう。
何百人の子どもたちの名前は
ホントに覚えるのが苦手。
でも、白井さんはよく、
自分の話の途中で、
観客の名前を出して、個人に問いかけていることを
とても明確にして、観客を
いい気持にさせてくれました。
名前も間違えなかった。
そのうれしさを、40年ぶりに思い出しました。
よーし!! がんばるぞ。
中国語を覚えるより、まずは子どもたちの名前ですね。
ごめんね、みんな。


4・5
新学期が始まりました。
まだ、子どもたちは来ませんが、会議と
教室準備です。
今年は継続して、3年生を受け持つのでクラス替えもなく
のんびりしています。
花粉症も症状が薄らぎ、頭の方もぼんやりではなくなってきました。
来週から、子どもたちとの顔合わせが始まります。






人間の歴史の授業を創る会

連絡先・事務局
〒340-0802
埼玉県八潮市
    鶴ヶ曽根824-7
       川上泉 方

TEL(FAX): 048-945-0651



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