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今までの「アイ love 授業」…バックナンバー編

最新の「アイ love 授業」へもどる。


2021 ・1学期

August


8・3
これから第一次大戦、第二次大戦の
勉強に入るので、ハードディスクに入れてある、
NHKの番組を録画したのを見ている。
2010年ぐらいからのブルーレイのディスクに入れてある番組。
戦争に関する物だけでも、60本近くある。
ナチスドイツに関する物、原爆に関する物、
東京大空襲に関する物、
日本のいろいろな局面での戦闘の分析、
沖縄戦に関する物、満州・朝鮮半島に関する物、
ドキュメンタリー、ドラマ化したもの、アニメにしたもの・・・
それを見るだけで、いくらでも、
私の知らない戦争の真実は山ほどあると痛感する。
生き残っている証言者たちが、90や80を超えていても、
証言したいと考え、それを訪ね歩いて記録する番組はすごい。
そして、それを体験した人々の
体験談は、堂々としているが、つらく、胸に迫る。

夏の特集はとても見ごたえがある。
でも、2015年ぐらいから以降、
戦争や近現代史に関わる番組が、
ものすごく減っている。
特に、朝鮮や中国に関わる物。

ほんとうに、NHKの取材力は計り知れない位すごい。
アメリカの公文書館や、発掘された録音テープなどを、
片っ端から聞いたり調べたりして、
分析をして何年もかけて、番組を作っている。
戦後70年以上たっても、明らかになることがあるのだ。
そうした取材した番組が明らかに減っている。

国民の、皆さまの、NHKなのに、
ということは、他の放送局が扱わない、
弱者のための番組を作っていると、
いつも信頼してきたのに・・・。

従軍慰安婦の番組の問題と、
台湾を扱った朝鮮・中国を扱った番組に対して
自民党や右派マスコミの攻撃が激しくなってから、
本当に減った。
情けないことに、今までの看板番組、
NHKスペシャルで扱うのは、
今では災害とスポーツのみ。
気骨が感じられるのは、
BS1スぺシャルとか、BSドキュメンタリーとか、
ETV特集だけだ。
地上波では踏み込まず、民放と同じバラエティとお笑いのみ。
何のために、受信料を払っているのか?と嘆きたくなる。

数年に1回は中国古代史の番組が出てきて、
とても楽しかった。
シルクロードの番組以来、
ロマンをかき立てられるし、
数年ごとに中国古代史を扱うので、
番組に出てきて解説してくれる
中国の若手の考古学者が、
どんどん偉くなって実績を上げているのも
なんだか楽しみなのに、最近は一切ない。
これもコロナのせいか、取材ができない?

さて、久しぶりに、すごい番組を見ました。
ETV特集で、精神病院とコロナを取材した番組。
とても、弱者によりそう取材姿勢が好ましい。

そこで、語られたのは、今の日本で、
とてつもなくどん底におかれている精神病医療だった。
口があんぐり開いたまま、絶句させられたほど。

多少のニュースで、
老人介護のホームなどでクラスターが発生すると、
入院ではなく、そのまま、現状留め置かれて、
ものすごい患者が増えていき、悲鳴が上がっていると
何回か報道されていた。
精神病院でも、そういう報道があったような気がする。

ETV特集で、取材に応じた患者が応えていたのは、
すさまじい残酷さだった。
日本に、また、正当な人権があるのかと思うような、
実態だった。

老人介護のホームと同じで、精神病院で感染者が出た場合、
入院はさせてもらえない。
一つの病院は、大部屋で一人感染者が出ても、
そのまま、放置するしかない・・・ということで、
(そして、それが保健所の指導・・・行政の限界)
結局、部屋全員がコロナにかかる。
クラスターが病院の全部にわたって発生し、
看護者も濃厚接触者、陽性者も出て、
補充の人員もされずに、ほとんど看護もされずに重症化して、
亡くなった患者さんも出たという話。
入院していた患者さんの一人は、
自分もうつる、自分もうつると、その恐怖感たるや
震えるような声で話されていた。

もう一つの病院は、感染者・陽性者が出始めたら、
患者さんを集めて大部屋に入れ、
南京錠を取り付けたという話。
若い女性の患者さんが語った話は、恐ろしい真に迫るものだった。
なぜカギを付けるのかと聞いても答えてもらえない。
部屋の扉から患者さんたちが
「水を下さい、水を持ってきて・・・」と悲鳴を上げている様子。
トイレはポータブルトイレが、大部屋の真ん中に置かれていて、
みんながいる中で、大小それぞれの用を足し、
匂いと音がするから、とても気まずい・・・・と。

陽性者から他の患者さんを守るためとはいえ、
また、濃厚接触者が看護士から出て、
人手が足りなくなったせいだと言っても、
つい、この間ドキュメンタリーで見ていた強制収容所と、
どこが違うのかと、一瞬考えてしまう。

さらに、保健所はカギを付けたという通報を受けて
訪問するが、訪問した時には、違う状況になっていると、
その女性の証言者は言っていた。
保健所がスル―すれば、東京都は回答拒否、
厚生省は都が指導すること・・・とNHKの問い合わせにも放置。

若い女性の患者さんが言う、
「閉じ込められて、私もかかっちゃうんじゃないか、
 重症化しても、診てもらえないんじゃないか、
 死んじゃうんじゃないかと毎日思っていた。
 実際に同じ部屋で亡くなった人も出たし・・・」
という、看護もしてもらえずに、隣の人が亡くなっていく
実態や恐怖が、私にも伝わってくるようだった。

一人、感染者が出た同室の男性患者さんの
「僕は社会に殺されるんだと思った」と言うのも、
その感覚がよくわかりました。

松沢病院の院長先生が、
「今でも、行くところが無いのが、精神病患者。
 日本の社会は、決して受け入れようとしない。
 それでも、患者さんが、平等に医療を受けられるのが、
 権利だと思ってそれを私たちは保障しようと考えている」

精神病と言うと、自分から遠いと私も思っていたが、
この学校では、親子ともども鬱病で薬を飲んでいるという
家庭も多いし、違う学年ではあるが、
統合失調症を発病した子も、40年の勤務の中では数名いた。
認知症は、私自身にも近いと感じるし、
以前よりも、心の病は、
とても身近に感じている。
精神病だと言うと、しょうがない、誰も面倒を見切れない、
コロナにかかったらしょうがない・・・
それじゃあ、済まないだろうと強く思った。

私の子どもの頃も、原爆症の人、
水俣病の人、カネミ油症の人、しょうがないでは、
すまないから、多くの人が声を上げ続けてきた。
生きるために必死で。

今回のETVも、女性のディレクターが
がんばって、取材し、インタビューをしている。
がんばって!声を取り上げて!取材し続けて!

再放送があります。ぜひご覧ください。
「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」
8月5日0:00つまり8月4日の夜中です。


8・2
オリンピックのニュースが続いていても
どうしても見る気になれない。

コロナは人類の試練だと思うけれど、
悲劇にしているのは政治だと思うし、
アメリカで50万人も亡くなったこと。
世界一の先進国でこそ、一番死亡者が出ているのは、
人類の知恵と文明、富の矛盾を象徴的に表している。
悲しいこと・理不尽なことが1年以上も続いて、
その気が無くなってしまった。
鎌倉校外学習も・合唱祭も、修学旅行さえ
無くなってしまったことは悲劇だし、
子どもたちの不登校の数の激増がそれを表わしている。

スポーツの美談は、個人の努力で、
一つ一つはすばらしいと思うけれど、
弱者への目が曇らされているのが、単に悲しい。
その陰で社会のひずみが噴出する。

私が大学で勉強しようとしたのは、
社会学のうちの社会福祉だった。
でも、あまり専門の先生はいなくて、
東京女子大の副田義也氏の講座まで、潜りで聞きに行った。
そこでは、1960年代の東京オリンピックの影が
常識として語られていた。
ホームレスの人々は追いやられ、無理やり収容され、
東京下町のバラックは取り壊され、再開発が行われていた。

それは、いつのオリンピックも同じだった。
北京の下町、胡同地区も取り壊され、
ブラジルのリオのスラムも隠され、
国の威信をかけて、首都が再開発され、
それで、巨大企業が潤い、その国の経済が上向きになる。
そのしくみは、戦前からだって、同じだったろう。
ヒトラーも利用したのだから。

この再開発がしたいから、
オリンピックなら、国民の税金を使うのが許されるから
立候補したがる国が多いのだろう。

このことは、とても重要。
コロナで選手村をホテル代わりに使えば良いのに・・・と
どの番組でも言っていたのに、
結局、使わなかった。
オリンピック後のマンションなどとして
すでに販売を終えていて、価値が下がるから。
巨大開発企業の利潤を保証できないから、
オリンピックをさらに1年先延ばしにすると、
その分の入居できない分の家賃収入も保証できないから。

おもてなしなどと浮かれていた時から、
何かがというより、すべてが犠牲になるのはわかっていた。
巨大企業のおこぼれをもらっているのが、
国民なのだから、我慢しなさい・・・
これって、資本主義の基本的矛盾でしかない。

やっぱりおかしい、いつもおかしいと思う。
納得できない。


July


7・27
1学期が終わり、今回書いてもらった私への通知表は、
特別なものだった。
それは、どんなことがわかったか、それを中心に
書いてくれていたからだと思う。

今までも、学期ごとの感想には、
○○がおもしろかった、○○は楽しかった、
そういう感想が40代までは多かった。
でも、その後、○○ということがわかったと、
変わっていった。
これは、子どもたちの中に、断片の楽しさではなくて、
一連の流れがつながっていったことだったと思う。

これが、今回は、自分の頭の中で説明できるぐらいかどうか
という、子どもたちの物差しが、自分で作れたのだろう。

子どもたちの感想の中に、
いつもだったら、卒業の時にもらうような感想があった。
「今回の授業も、見て、触って、匂いをかいで・・・五感を
 使う授業だった」
「卒業したくない。まだ、まだ授業を受けていたい」

今回の期末テストは、思い切って記述式問題を12点分も入れた。
それも、本当は超難問だと思う。
「知らない人がわかるように、
 市民革命、産業革命、帝国主義、この三つについて
 それぞれ、具体例、その後の影響も必ず入れて、くわしく説明しなさい」
4点×三問。
中学生に、こんな問題を出すなんて、限界を超えていると、
ちょっと思った。でも、試してみたかったんです。
それに、歴史上、この3つは、
どうしても理解しておかなきゃいけないことだから。
近代社会・現代社会を作っている基盤だから。

そうしたら、すごく面白い反応だった。
どんな問題を出すかも、予告も一切していなかった。
だから問題用紙の一番最初のこの記述式問題を見て、
子どもたちは、唖然、呆然、戦意喪失で、どうするだろうかと思っていました。

テストの最中、教室を巡回していたら、
たぶん、唖然とした後、猛然と、文章を書き連ねていた。
確かに、問題用紙の中には、チャールズ1世のことや名誉革命、
インドとイギリスの状態など、細かい知識は問題として出ている。
でも、それをまとめて、どう定義し、具体例をどう出すのかは、
わかっていないと書けないから、難しいと思ったら、
私が教室に入っても、質問は無いかと聞いても、
誰一人、私の方を見ない…時間がもったいなかったらしい。
時間が足りなくなるのを恐れて、猛然と書いていた。

さらに、テスト後、答え合わせの時間に、
まず、記述式問題が書けた人と、聞いて見ると、
ほとんどの子たちが手を挙げた。3分の2以上いる。
大した自信だと思うし、予告もしてないのに、書けたと確信するのは、
なかなかすごいなとそのことにも驚いた。

今まで、記述式も多少出したが、時事問題で、たいてい意見を書く問題。
まちがっていなければ、○を付けてきた。
今回は、いい加減に○を付けず、
採点基準を最低書けていないとまずいことをそれぞれ4つ選んで
どちらかと言うと、きびしく採点した。

そうしたら、テストの感想も大したものだった。
「今まで、言葉を覚えていれば点が取れると思っていたけれど、
 時代の流れや結びつき、理由がわかっていないとだめだと思った。
 覚えたら、今度は、その時代のつながりをわかるようにさらに理解したい・・・」
そう書いた子たちが、ほとんどだったからです。

今回、市民革命から幕末明治までが試験範囲で、
覚えることも多く、漢字も多く、まるで四字熟語だらけだったので、
試験について、「漢字は今回練習しなくていい、ひらがなでもOK、
基本的な言葉しか出さない、覚えるために、暗記カードを使いなさい」と指示した。
その言いつけをみんなが守って、暗記して書く部分については、
満点を取った子たちが、クラスで10人近くいただろうか?

記述式問題で、例えば、帝国主義ならば、
・本国と植民地との関係を説明する。
・例として、インドとイギリスの状態について説明する。
・その後の影響として、インド大反乱のことや中国への進出、アヘン戦争
 幕末の日本などについて触れる。
こういう採点基準をあとから作ったので、
後だしジャンケンのようだったが、こちらは満点になる子はいなかった。
でも、子どもたちは不満を言わず、自分の足りないところ、
もっと全体をわかっていないとだめだと判断してくれた・・・
そこが、私の予想を超えて、子どもたちのすごさだと痛感した所だった。

授業でやったことが、血となり肉となりかけていたから、
子どもたちが、「書けた」と言えたのだと思う。
体験したから覚えていた・・・というのと違う。
限定公開していた、パワーポイントの短縮版も
子どもたちのほとんどが何回も見てくれていたらしい。
頭の中に、よく入ってきたと言っていた。
事象の意味だけではなく、つながりとして、理解できる一助となったらしい。

糸を紡ぎ、布を織り、蒸気自動車の模型を見て、鉄のくぎからナイフを作り、
日本製鉄の動画を見て、トレビシックの蒸気機関車を見て、・・・
そして、イギリスの豊かさを見て、さらにガンジーでインドの苦境を知り、
アヘンの種を触り、アヘン中毒の文章を読み、ホームズのアヘン屈を見て、
そうしてから、幕末の情勢を見て、
大河ドラマのペリー、桜田門外の変、薩英戦争を見ると、
全てがつながっていくのが、わかったから、
少なくとも、「記述式問題が3問もあって茫然としたのに、
そこから、大丈夫、書けると自信をもって、立ち直って、書き始めることができた」
んだと思います。

1年生より、歴史の進度が遅れているのはどういうことだと、
2年3学期に大きな声で「つぶやいていた」N君も、
(逆に、1年生でそんなに進んだら、理解できなくて、
3年になったら、何を勉強するのだろうと私の方が唖然としていた)
この4か月間の間に、そんなことは言わなくなったし、
ノリノリで授業参加している。
クンタキンテと叫んでいる。

三者面談では、教室で開いている「博物館」に、
私も行ってみたいですと、お母さんからも言われてしまった。
絶好調! でも、あと1年で終えるつもり。


7・25
秋には、合唱祭を予定しています。
さて、だいたい、ピアノが弾ける子を各クラスに
均等になるようにクラス分けしてあるので、
心配ないのですが、・・・・。
困った困った。

夏休み前に、指揮者を決めようと思ったら、
誰も立候補者がいません。
体育祭の時の練習で、
体育委員が音頭を取るのに、
なかなかクラスがついてきてくれないのを見ていて、
みんな、何を言われるかわからないと、
また、疑心暗鬼のようでした。

でも、吹奏楽の男の子が、
指揮と伴奏をやってくれるよう、
私の方が、数週間前から根回ししておいて、
もうひとり・・・
打診してみると、一応全員一人ひとりに聞いて、
誰もいなかったらやってもいいよ!と。

そう言われて、全員に聞いたら、
「誰もやる人いなかったら、やってもいいよ」が、6人もいました。
まず、そう答えてくれた子たちがいたので、私はご機嫌でした。

果たして、じゃあ、夏休み前に話し合うから残ってね・・・と頼んだら、
一人しか残らなかった・・・・。
でも、まあ、協力してくれるだろうし、ちょっと心配ちょっと安心。

「お祭り女子」や「調子にのりお君」たちがいないので、
とってもやりにくいけれど、また、二学期がんばりましょう。

7・24
修学旅行が中止になり、
子どもたちもある程度予想していました。

そこで、妄想修学旅行のほんの一部を計画。
一応、延期の計画も立ててありますが、・・・。

何をやったかというと、
金閣寺の写真の前で、
一応班行動をする班で記念写真を取ることにしました。

同じ学年の先生が、段ボールで新幹線の車両を作り、
それを持って写真を撮ることに・・・。

でも、一人或いは二人、持つものが何もない・・・
それなら、八つ橋のお土産袋まで持てるように・・・と
私が、東京駅で買ってくることになりました。

しかし、よく考えてみればわかるのですが、
京都のお土産袋は東京駅にはありません。
東京駅の地下に各地のお土産を売ってるお店で
しばし考えました。
う~~~ん、どうしようか。
八つ橋のお土産の箱でどうだろうか?
そう考えてみたら、お土産の箱だけ持たせて、
中身は先生たちが食べましたなんて、薄情だなあと。
そうなってくると、コロナ下だから、
乾燥した八つ橋を一人一枚ご馳走しようか?
でも、食べるなら、生八つ橋の方がいいなあ?
でも、あんこが入ってるのは高いし、数百人分は無理、
どうしようかなあ~~~~

生八つ橋で、あんこが入ってない方がおいしいし好きだと
学年の先生が言っていたのを思い出し、それを、
買って帰ることにしました。
雨の中、なかなか重いし大変な買い物でしたよ。

それを、爪楊枝を付けて、子ども達に、
一枚ずつ食べて、そして写真。
それなりに、子どもたちは笑顔で、満足していました。

写真の方は、私の力作。
コツがわかっていないとできないので、
社会科の授業で、例えばボッチチェリのビーナス誕生を
拡大して見せていたのがとても役に立ちました。
金閣の写真、一番いい写真はウィキペディア。
これを拡大して68枚のポスター印刷にし、
それを貼り合わせました。
印刷に30分、貼り合わせるのに2時間。
今も、廊下に貼ってあります。
ここで撮ると、まるで京都! みんなびっくりしてました。


7・18
私が教師の仕事が好きなのは、
全部、実験だからだと、改めて思う。
毎日、仮説を立てている。無意識のうちに・・・。

誰さんが、難しい顔をしているから、
きっと、あのことを気にしているのだろうから、
こう言って、朝のうちに励ましておけば、
少し顔が晴れやかになるかな?とか・・・。

あの子とあの子が不自然だから、
二人の間に、何かがあったに違いないから
周りのあの子にちょっと聞いてみようとか・・・。

予想して、考えて、対処法を考えて、
それを実行してみる。
それがうまく行った時は、
思わず、しめしめと思ってしまう。

でも、一番楽しいのは、授業についての様々な
毎日の改善です。

先週で、今学期最後の授業が終わった。
子どもたちの感想を読んでいて、
史上最高の授業方法が、また作れたことを
発見して、最高に最高にうれしさをじわじわと感じている。

先学期、とてもうれしい感想をくれた男の子。
3か月前に「ステキな時間をありがとうございました」と書いてくれた。
それ以上は無いと思っていたのに、
彼は詩人なのか、参ってしまう!
「魔法のような時間だった」と書いていた。
サイコーでしょ?
感心してしまいます。

それは、人間の歴史の授業を創る会の、
教具、DVD、資料、実習を総動員して、
さらに今回はカラーのプリント40ページ、
パワーポイントを加えたことが、
子どもたちの中に、ずっと長い長い自分たちとつながる
ストーリーを作れたからだと思います。

今学期は、会の中心の実践の全開パートだったから・・・。
2年3学期に、綿の紡績・機織りの実習を終えていて、
最初は「ラ・ミゼラブル」から始まり、
力織機・蒸気自動車・蒸気機関工場模型の模型オンパレード、
産業革命の動画に、ガンジーの映画。
アヘンの勉強に、幕末の日本の未来をみんなが予想。
その上で「仁」
そして蚕の繭から生糸取りの実習、そして最後に「ルーツ」。

私も40年前、学生だった時は、
近代から現代の動きを通して理解できた時は、
魔法のように感じていた・・・だったかな?

ちなみに、今の職場に、30代のおっちょこちょいの
同じ社会科の男性の先生がいます。
その人が、5月から、ほぼ皆勤で、
私の授業を受けています。一受講者として。

受けたいというから、どうぞ・・・。
勉強になると言うよりも、
何より、面白いから続けて授業を受けたいのだそう。
私の授業を全部体験した教師はいないから、
貴重な体験でしょうね。
おっちょこちょいというのは、
慎重な人なら、授業を受けた後、その後のことを
考えるから、とてもそんな申し出はしないということ。
私から、見てどうするの?と聞かれるかもしれないし、
まねしたいと言ったら、できないよと言われるかもしれないし・・・
その男性より、長く付き合っている同僚もいますが、
決してまねをしないし、すごいという言葉だけで終わっている。
だから、つくづく、やりたいかどうかだなと思います。

至福の時間を、他の先生たちにも分けてあげたいけど、
自分で努力や勇気を持たずして、果実は得られないんだよね。


7・17
今度はルーツを見ました。
もう、三年生は画面にくぎ付け。
奴隷船の様子だけではなく、
アフリカでの成人式の場面から見始めます。

いづれも、幸せの時があってこその暗転。
映画では、ていねいに日常生活を写して、
その後の事件や戦争を描き始めます。

ディアハンターの映画を40年前に見た時にも、
アメリカのロシア系の人たちの
結婚式が延々と続いていました。
そしてベトナム戦争の戦場。

日本のドラマ。「さとうきび畑の唄」は、
さんまの家族が、幸せそうに結婚式の記念写真から
戦争が始まって行く。
映画「ライフイズビューティフル」も
ひとめぼれの恋が成就するところまでのステキさから暗転。

だからこそ、奴隷貿易を教え、
奴隷として人生が変わってしまうアフリカ人の人々の
何百万?それ以上の人々の人生に思いをはせるからこそ、
アフリカでの生活を、まず見せるところから始まります。

以前は、白井さんが録画しておいてくれた映像を見せていました。
VHSの劣化がひどくて、とても奴隷船の中は
人々の顔が判別できないくらい真っ暗。
DVDを購入して、編集して使いました。
そうしたら、新しい感想が生まれました。
とても大事なことがわかりました。
奴隷船の中のようす、
棚に寝ているアフリカ人の人々の顔が
一人ずつ、鮮明に見分けられました。

男子たちにとっては、クンタキンテよりも
成人式で対戦相手をしてくれた
筋肉マッチョのアフリカ人の大人だった「レスラー」が、
大人気だったのです。
クンタキンテを、奴隷船の中でずっと励まし続け、
吐いてしまうのは恥ずかしくない、
あきらめてはいけない、
言葉や民族は違っても、この船の中の
アフリカ人たちは一つの村の仲間なのだ。
ちゃんと食事をとって、生き残り、
白人を殺せ!と、反乱を呼びかけるレスラーが
カッコよかったのです。

私は見るたび、クンタキンテが
「黒人に鎖は要らない」と言い切る場面。
同じ奴隷仲間フィドラーが、「自由ってなんだ」「いいものなんだろうな」
とつぶやくところ。
クンタキンテが逃げだしてムチを受けながらも、
「お前の名前は何だ」と聞かれて
アメリカの奴隷としてつけられた名前ではなく
「俺の名前はクンタキンテ」と言い続けるところ。

クンタにとって、自分は何者かが、ものすごく大事。
マンディンカ族として生まれたアフリカでの生活を
絶対忘れまいとするプライドを感じます。
名前がアイデンティティーを表わしているのだと、
この三つの場面で、胸が痛むほど、
そのことを強く感じました。

300年の奴隷貿易で誘拐され、売買されたアフリカの人々は、
例外なく、クンタキンテのように奴隷船に乗せられて
連れて来られたことを思うと、
この本当の真実の重さに、
言葉が出てこないほど、圧倒されてしまいます。

「仁」はフィクションでしたが、
「ルーツ」は300年間の事実なのですから・・・。

やっぱり名作です。
子どもたちの心にずし~~んと響いて、
絶対忘れない歴史的事実として残りました。


7・10
またまた、忙しさに紛れてしまったら、
1カ月も開いてしまいました。
失礼しました。

ドラマ「仁」を授業で見ました。
クラスの回数だけ見るので、
いろいろ考えます。

何しろ、個人的な趣味ならば、
家で「仁」を2回見ることさえ苦痛です。
でも、中学三年生たちに見せるとなると、
最低編集したものを2回は繰り返し見ます。
前回と同じ編集でいいのか、
映像の間に、どんなことを同時解説したらいいのか・・・
そう考えていると、3回見直しても少ない位。
その上でさらに、クラスの回数まで見るので、
ドラマの設定から、シナリオの組み立てとか、
セリフ、俳優の表情、気がつくことは無限大です。
当時の幕末の設定とかも、いくつも考えます。

中学生と一緒に見るからこその緊張感。
場面が緊迫した状況になると、瞬きやつばを飲み込むのさえ
忘れているのかと思うくらい、
凝視した雰囲気が教室に漂います。
そうした時にも、絶対「見せてあげてる私」とか
「すごいでしょこのドラマ」という感覚は
消し去って、一弁士に徹します。

それにしても、改めて何度見ても「仁」のいいところは、
幕末の人々が、私たちと同じように、
懸命に生死をかけて、生きて、日常生活を送っていること。
喜怒哀楽、病気への怖れ、でも、つながりの中で
励ましあって生きていること。

それは、セリフがいいのでしょう。
そして、南方仁先生のかっこよさ、
橘咲さんのひたむきさ、
喜市ちゃんのかわいらしさ、
橘家のお母さんの厳しくも叱咤激励する愛情・・・
それぞれの表情・目の輝き、それも素晴らしいのですが、
今回は、さらに、仁先生の苦悩の言葉が
胸に響きました。

コロナ下、1年の時は学年で3人くらいの
不登校の子どもたちの人数でしたが、
今はなんと、30人に近づくほどに
不登校の子どもたちが増えています。
熱があったり下痢をしたり、腹痛だったり、すると
感染症予防のため、欠席扱いにならないので、
休みやすくなっているのです。
でも、それだけではありません。

私のクラスでも、この1年間の間に、
3人くらいの子どもから、友達と合わない、
私はクラスになじめていない、
私なんかいなくてもいいんじゃないか、
いなくなった方がいいんじゃないか・・・と
泣かれました。

例年であれば、2年生なら、校外学習も、
職場体験も、体育祭も、合唱コンクールも
球技大会も・・・いくつもの行事があるので、
もめて、仲直りして、初めて話してみた相手とか・・・
そうやって、コミュニケーションを取りながら、
中学生は、初めて社会的な自信を深めていくのでしょう。
それができないから、どこかで、不安が募るのかもしれません。
自分の考えや自分の意見、自分の性格、自分の言葉・行動が
どうやって人に受け入れられているのか、
それが自信が無いのかもしれません。

「仁」の南方先生は、第一話で恋人の脳腫瘍を手術し、
成功したものの、意識が戻らず、仕事への情熱を
すっかり無くした世捨て人のような医師でした。
その南方先生が、幕末にタイムスリップして、
歴史を変えたらいけないと、現代医術を幕末の人々に、
伝えるのをためらって、知らないとウソをつきます。
それでも、目の前に患者が現れると、どうしても、
限界ある器具を使いながらも、現代医術で患者を救おうとする、
それでも、うまくいかない時・・・
「タイムスリップして来た自分はいない方がいいのではないか」
「自分のやっていることは、何の役にも立たないのではないか」
そういう無力感と、孤独感に襲われて苦悩しているのですが、
それを、励ますのは、幕末の人々の笑顔とつながり。

南方先生と同じ悩みを、
中学生の中で感じている子たちがいるのです。
孤独感と、自己肯定できない自分の感情。
「南方先生の気持ちがよくわかる」そう書いた子がいました。
多くの子が、人々のつながりでコレラを幕末の人々が
乗り越えていった・・・と書いています。
コロナとコレラ、当時と同じ状況。
開国と同時に入ってきた熱帯性の伝染病。
今、流行がさらに広がるかもしれないオリンピックとコロナ。
この時代だからこそ、中学生も深く考え、
激動の時代が思い描けるのではないかと思いました。

私は、タイトルバックの江戸時代の人々の写真が
胸にしみます。
100年前の時代に本当に生きていた人々の証しとして残る写真。
お茶の水の水路、船の上の人々。
子どもたちの遊んでいる写真・・・。
「仁」のドラマが、幕末の人々に向けるまなざしは、
やわらかく優しくて
子どもたちが言うように、
「当時の人々が、今と同じように一生懸命に生きていたんだとわかった」
それが想像できるとしたら、
これが、歴史教育の一つの大きな目標ではないでしょうか?

June



6・6
昨年の休校中、時間がもったいないと、
黒板に書かずに、板書をする内容を、
カラーのプリントを作成して、
授業を聞いてもらうことに集中してもらうようにした。
パワーポイントも時代ごとに作って、
説明をするようにした。

ノートに書くのを待つ時間が惜しかったから。
でも、確かに、話を聞くだけでは、眠くなるらしく、
眠ってしまう子も数人いる。

ノートをとるというのは、眠気覚ましの役目もある。
朝、5時ごろ起きて、
朝シャン(ねぐせ直しの役目)をして
7時には学校について、朝の部活練習。
汗だくになって、教室に入ってくる子どもたちは、
どうしたって、2時間目くらい、
そうでなければ、食後の5・6時間目は眠くなる。

でも、ノートに書いているのと、授業の説明を聞くのと、
両方は追いつかないと、何年も言われ続けてきたから、
私としては、すっきりしている。

その分、伝えたいことをパワーポイントに詰め込むので、
クイズを入れたり、作業の指示を入れたり、
中身がぎゅうぎゅうで、パワーポイントのスライドが
30枚も超えてしまう。
私にとっては、大発見。
パソコン上で、…ということは、テレビ大画面上で、
紙芝居ができるということである。
だから、張り切って作っているのだが、
大単元をひとまとまりにして、
完成するのに、三週間の土日、かかってしまう。
でも、これを、ネットに上げて、
限定公開にして、子どもたちも
復習に役立てられたら、いいなと思う。

パワーポイントの内容も、プリントにしてと、
前回言われてしまったから・・・。

私も最先端を行っているのです。
楽しい苦労です。


May



5・29
ちょっとした小さいことだけれど、
先生にありがちなことで、気になることがあります。

中学校では、意欲関心を評価するために、
提出物を期限内に出すことを、
とても重要視しているように思います。

私自身は自分で言うのもなんですが、
優等生でしたし、小心者なので、
期限を守らないことはありませんでした。
だからこそ、夏休みの宿題を、
30、31日に親に怒られながら泣きながらやる
・・・そんな習慣でした。

だからこそ、ちびまる子ちゃんのマンガが大好きで、
夏休み最終日、友三爺さんが書いてあげる絵日記とか、
家族総出で、でっち上げる宿題の様子に
大爆笑できましたが・・・

先生たちの中には、期限内に提出させることを、
至上命題にしている人たちも、たくさんいます。
すごく抵抗があります。

私は、大人になってから、期限を守れないことも、
よく忘れることも増えました。
授業の準備に血眼で、いつもそのことだけを考えているせいで、
学校の教員の事務仕事・・・全然興味が無いので、
すっぽ抜けます。
そんな私にしてみると、忘れることは大有りだから、
子どもたちを責められません。

誰それが、期限内に出さない・・・と
職員室で愚痴を聞くことは毎日あります。
誰それが、勉強がわからなくてどうしたらいいか
という愚痴は無いけれど、・・・です。

私にすれば、そのやいばが、保護者に向かうこともある。
保護者としての私は、ホントに最低でした。
よく娘たちが育ったと思います。
娘が給食袋を出し忘れた月曜の朝、
どうしようと父親に尋ねたら、
「アイロンをかければわかんないよ」
と言って持たせたと聞いて
共犯関係の父と娘に仰天した私。
でも、手紙も、給食袋も
何も気にしていないで、早朝出勤した私は、
ぐうの音も出ませんでした。

保護者を責めてはダメと思っています。
だから、子どもたちも責められない。

しつこく咎めている先生たちが、
とても気になります。
叱ると言うより、とがめている・・・
そんなふうです。
提出物って、毎日中学校では、
何かしらあるものなので、
結果的に、毎日怒られることになってしまいます。
とがめるって、人格否定ではないかと思いますが、
どうでしょうか?

今の学校は、きちんとしつけられているので、
休み時間に、「先生、今日、教科書忘れてしまいました」
「先生、今日、ノート持ってくるの忘れました」
まじめな子ほど、そう報告しに来ます。
なぜなら、大胆な子は、置き勉(勉強道具置きっぱなし)
しているから、忘れない。
勉強しようと持ち帰った子が忘れる・・・。逆の矛盾。
私は、授業準備に、パソコンを開き、
ビデオを接続して、教具を準備して・・・なので、
聞いている暇などない。
だから、わかった、はいはい・・・と空返事。
しかたない・・・と言って終わり。

髪形に細かかったり、くつ下の丈に細かかったり、
スカートの丈に細かかったり、ルール・校則に厳格だったり、
泣きはらした顔を見て化粧をしてると疑ったり、・・・
とにかく、疑念と厳格なルールを守らせるのが、
日本社会に適応した社会人への一歩だと考える善意の
・・・・う~~ん、いい先生でもあるのですが、

何度か話をして見るのですが、なかなかハードルは高く
厳しい道のりですね。
不登校が増えたり、保護者が反発したり、
そうしたら、気づいてほしいですが・・・。
何より、一面的な評価では、子どもたちがかわいそうです。
娘にも言われましたが、「ほめて育てる」ですね。
少なくとも、追及したりとがめたりして
育てるものではないと知ってほしい。

先生たちの間でも、そうしたあとの、
フォローも、いろいろな先生たちがやっています。
子どもたちを慰めたり、苦情を聞いたり・・・。
でも、大の大人になってしまうと、なかなか変われない、難しいです。
若いうちに、知っておいてほしい。
提出物、ルール、それが、その子の人格を測る
物差しではないんだよ・・・ということをです。

5・28
まだまだ、体育祭の余波が続いています。
泣きながら話してくれた子のことも、
教室でみんなに話しました。
その時、その男の子の話を
私といっしょに聞いていた校長先生も、
ちょっとウルウルしていたよ・・・とも。

体育祭の感想にも、それぞれカッコいいこと書いてあって、
例えば、「私が体育祭の当日、
緊張して具合悪くなっていた時、
声かけしてくれたり、代わりの人をさがしてくれて、
○○さんありがとう、心が広いなって思った」
「用具係や、委員会で役員として、
係の仕事をサポートしてくれたみんな、
すごくがんばっていて、私は誇りに思うよ」とか、・・・
それを、読み上げました。
さらに、数学お宅の男の子が、
「リレーのアンカー、二人抜いたのがかっこよかった」
それだけじゃなく、笑いも必要なので、彼が書いた
「僕ががんばったこと:リレーの着順を予想すること、
 うれしかったこと:1年のリレーの着順が予想通りだったこと」
というのを読み上げました。
私はそっけなく、「意味不明の感想なんだけど」と紹介しても、
みんなは、その男の子の独特のおもしろさと反抗期をわかっているので、
こちらも爆笑でした。

読み上げられた子どもたちや
エピソードを取り上げられた子どもたちは
たぶん、くすぐったい思いをしているのでしょう。
必ず、事前にことわれば、「みんなの前で話さないで」と
警戒されて、臆病さを見せるのですが、
どんどん、紹介してしまうのが、私の哲学です。
例えば、悪口をSNSで書かれていたということも、
誰ともわかりませんから、
具体的な内容は置いておいて、
「クラスの子で、悪口を書かれていた子がいて、
 誰かはわからないんだけど、とても嫌だったし、傷ついたらしい・・・
 まさか、このクラスの中で、そんな傷つけることをしていないよね」と
牽制球を投げたり、しておきます。
傷ついたということを知って、共感するのが大事!

この時も、ありがとうと思っている人たちが、
ちゃんとお互いにいるよと知るのが目的。
それ以来、ちょっと、さらに子どもたちは変わった気がします。
みんなに、自信がついたのでしょう。
あけっぴろげになってきたこと。
掃除が今日は無いとわかっても、
やったーとは言わなかったクラスの雰囲気が、
やったーと歓声を上げるようになった。
・・・・これは、大事なんです。感情の自然な発露なので。

帰りの時、男子も多くが「先生、さよなら」と言うようになったこと。
3年前の3年生もそうだったなあと思いだします。
安心してるし、なごんでる・・・そういう感じ。
男子はグループを大事にしているから、
おばさんの私に、わざわざ声をかけて、教室を出ていくことは
最初はほとんどない・・・
それが、「さよなら」と言うようになってきた。
ホントの私の心の中は、しめしめ・・・です。

教室のクラスメートたちは、家族のようになるのが目標。
良いことも悪いことも知って、それでいて一緒に暮らす仲間。
そうでないと、教室の中が、安心できない。

1カ月前のように、教室のメンバーの中に、
強い弱いの関係があって、上下の見えない関係もあると、
みんなが思い込んでいて、疑心暗鬼で、クラスメートを信用できない、
そんな雰囲気を打破しないと、幸せになれないのです。

体育祭がみんなの笑顔で終え、楽しかったねと顔を見合わせる・・・
そういう目標が、ちゃんと達成できたし、
上下関係も、弱肉強食でもない、階級も無い・・・
そのはずだよという言葉も、実感できて、
クラスの最初のころの明るい雰囲気に戻った感じ。
それぞれが苦手なことでも、誰かが助けてくれる、
サポートをやってくれる、ちゃんと手を差し伸べてくれる・・・
そう、それぞれが、実感できるようになったので、
う~~ん、大成功かな?
男子はちょっと甘えん坊に、また戻った感じだけど。


5・26
実は、体育祭の前日、悩んでいました。
クラスカラーは水色。
Tシャツを水色を着ていってはっぱをかけたものの、
当日どうしようかと迷っていました。
私自身が下のズボンも水色を着ていくかどうか・・・
そこまでやるか?
と思いつつ、鏡を前に、着てみていると
娘が「中国のおばさんみたいだからやめたら」
と言われてしまいました。
(中国のおばさんには悪いけれど、)
ちょっとショックで、センス無いかと思ったのですが・・・・

よくよく考えると、
今後、修学旅行もできるかどうかわからない、
合唱祭だって、無理かもしれない。
中三の彼らにとって、体育祭が唯一の行事になるかもしれない・・・
と考えると、やっぱりできることは全部やって、
盛り上げることを私自身もやらないと・・・と決断しました。

当日の朝、ポロシャツ水色、パーカー水色、
ズボン水色、靴下水色、マスク水色、そしてピアスも水色・・・。
水色お化けになって、教室に入ると、
さすが、子どもたちはどよめきました。
これが大事ですね。
あっ、くつ下も水色だ! そういう男子の声も聞こえて、
でも何気ないふりして朝の会を始めて、
その後、みんなで校庭に出て、体育祭が始まりました。

でも、私の登場で、笑いが出て、楽しい気分になって、
みんながやるぞと思ったのは確かでした。
でも、男子はとってもうまいんですよ。
どこからともなく聞こえてくるんです。
「男子トイレのカーテンの色だ!」
そう、目隠しにトイレにカーテンがかかっていて、
それが水色なんですね。
思わず「うまいこと言うなあ・・・」と感心して、
笑いをとりました。

教室に入れないでいる男の子と、先週話して、
とてもびっくりしたこと。
体育祭の話をしていたら、突然鼻をすすりだし、
ぼろぼろ涙をこぼし始めた・・・。
私はあわてて、どうしたの、何か悪いこと私言っちゃったかな?
と聞いたら、ビックリ仰天。
「リレーで走った後、アンカーの子に背中をたたかれて、
よくがんばったよとほめられたのがうれしかった。」
「教室に戻る途中で他の男子から、いつ教室に戻っても、
大丈夫だよと声をかけられて、それもすごくうれしかった」と
泣きながら教えてくれました。

まったく、まったくドラマみたいな、
そんな体育祭にやっぱりなりましたね。
子どもたちに、「娘から中国のおばさんと言われた」
と話すと、大爆笑していました。

体育祭の感想を読むと、
私が円陣を組んだのを見たのは1度でしたが、
3度も円陣を組んだそうです。
とってもとっても子どもたちだけで盛り上がっていたんですね。

本部テントで写真係をしていた私は、
知りませんでしたよ。


5・24
1週間前のよく晴れた平日に体育祭は終わりました。
クラスの結果は、敢闘賞というところかな?

1位を取るつもりだった学級対抗リレーは、
やっぱりハプニングが起きて途中ビリに・・・
でも、アンカーが最後に抜き放って、
学年5位。
でも、誰も責めなかったし、
アンカーがどんどんスピードを上げて行くので、
女子は応援席で黄色い声を上げてキャーキャー!!!
カッコいい!!
男子が応援席に戻ってくると、大拍手でした。

団体競技も、それなりにがんばって、
入賞を果たしたから、みんな、
それなりの成績に満足。
満ち足りた顔をしていた。

帰りの階段で、クラスのおとなしい女子に、
どうだった?と聞くと「楽しかった!」
と即答した。
みんな、とても明るい顔をしていたから、
クラスとしても、大満足だったらしい。

私が感激したのは、男子のリレーが終わって
教室に入れない男の子もがんばって
陸上部だから走って・・・
その後アンカーの男子が、
彼の背中を、よくやったよって叩いていたこと。
そして、団体競技の前に、
クラス全員で、私の知らないうちに円陣を組んでいたこと。

すごく意外で、すごく報われた思いがした。
だから、教師はやめられない・・・というわけですね。


5・12
今から4年前からか?
「生徒主体の体育祭」と形を変えました。
この影響はとても大きい。
最初の年、私も疑心暗鬼でした。
どこまで、できるのか、やるつもりなのかと
思っていたら、すごいものになっています。

まず、先生のやる仕事が、ほとんどない。
練習の最中も、本番も、全く怒鳴らなくて、注意しなくていい。
競技中、朝礼台に立つこともないし、
入場隊形を教員が作らせる必要もない。
並び方がおかしいと声をかける必要もない。
そう書くと「洗脳?」「全体主義?」と思う人も
いるかもしれないが、全く違う。
「やらされている」感覚が無いのでしょう。
特に3年生にとっては、そう見えます。

学年練習、全体練習も、仕切るのは体育委員3年生。
それまでは、打ち合わせがものすごく大変。
体育祭の準備は、体育委員会と、体育科の先生たちの
打ち合わせから始まりますが、約1か月前くらいから始まります。
実際の練習は、1週間前です。とても少ない。
学年練習は、5時間。全体練習は3時間のみ。

それでもうまくいくのは、
事前の競技種目担当の体育委員と種目担当の先生たちの打ち合わせ、
練習メニューをどうするか、体育科の先生と体育委員との打ち合わせ
それを、何度も何回もやるせいです。
例えば、借り人競争なら、
ルール、入退場の隊形、どんな札を用意しておくか、
用具、どう説明するか・・・
これを全部体育委員と担当教員が相談して、
実際に、体育委員が朝礼台で説明できるまで確認する。
昨年は2年生だったから大変でしたが、
3年ともなると、二人の担当体育委員が、
自分たちで考えてきて、足りないところをこちらが指摘するだけで十分。
それについても、後で、考えたらすぐに報告に来て、
先回りして、すぐに確認しています。

全体練習の時には、その日の朝に、担当の3年体育委員が
説明やら動きの確認を、何度も体育科の先生たちと
朝礼台前でしています。

練習の講評も、ほとんど、子どもたちがやります。
全体練習の評価も、体育委員長の言葉が
本当に見事。決まり切った言葉ではなく、
「1,2年生は3年生を見て、動きを覚えてください。
 3年生は、1、2年生にわかるように、てきぱきと動きましょう。
 私語が多いと、こちらの説明が聞こえません。
 お互いに注意しあって、練習がスムーズに時間内に終えるよう
 協力し合いましょう」
そう言われて、反発する子も、嫌がる子もいません。
言われてることは、当然だと思うし、協力しなくちゃと
思うようです。

私でさえ、長年やっていると、体育祭練習の時には、
「だらだら歩くな~」とか「立ってないで座るんだよ」とか、
言ってしまいます。それが習慣。
でも、朝礼台に立つ体育委員の指示が、とても分かりやすいので、
子どもたちは、先を読めます。
こうしてこうしてこうする・・・だから座るんだな・・・
だから、全く怒鳴る必要も声かけする必要もないのです。

予行も、本当にスムーズに動きました。
コロナになってから、入場は入場門に集まらず、競技する隊形に直接走って集まる、
退場は、そのまま直接応援席に走って退場する、
成績発表は、次の競技の入場が終わって隊形に座った状態で、発表する、
こうすると、ホントにあっという間に入場し、あっという間に退場し、
成績発表は、みんなが静かになっている時に聞く、これもすごくいいです。

こうした予行の体育委員の熱意が感じられた状況が、
クラスにもとてもプラスになっています。
予行の反省で体育委員長が言ったように、
本番は、ルール違反に気をつけ、盛り上がって、
クラスで団結して楽しもう・・・そして、1、2年生に
すばらしい見本を見せよう・・・
暗黙のうちに、そういう雰囲気が生まれていました。

体育委員だけでなく、3年なら、放送にも、用具の準備にも、
召集にも、応援団にも、クラスの中の十何人ものメンバーが、
全力で取り組んでいます。、
それをやりたくて、3年生は委員会に立候補しているのです。
だから、忙しくても、仕事の分担がいろいろあっても、
その委員会のメンバーは生き生きしている。
一切不満などなくて、責任感が生まれています。
だから、クラスにもなかなかいい影響をもたらしている。

本番、とにかく勝負も大事だけれど、
クラスの団結力、和気あいあいとした雰囲気が作れるかどうかが、
私の目標です。


5・11
なぜ、2年の最後頃から雰囲気が悪くなったのか、
放課後、女子が集まってきて、口々に不平を言う。
授業中、男子同士の発表の時は、
イエ~~イと言って盛り上がるのに、
女子の発表にはこそこそと内緒話、
それも、名前が聞こえるらしい。

急いでアンケートを取ると、
クラスの男女の仲は悪いと感じている子がほとんど。
SNSの問題もあるらしいので、男子に聞いて見ると、
悪口を誰かに書かれたらしい・・・これは、クラスか学年かそれとも
外部からなのか、わからないとのこと。

どちらにしても、それらが牽制球となって、
「ともかく怖い」と言う子たちがいる。
私には、「怖い」という感覚がなかなか思い出せない。
「怖いはずないじゃん、みんな一人になったらチキンだよ。
 強がってるだけじゃん」と言っても、
そんなに同意を得られない。
誰かが、どこかで私の悪口を言っているかもしれないという
疑心暗鬼が、お互いの不信につながっているらしい。
この年代、他人の目が異様に気になって、
自尊感情が持てなくなっている。
だからこそ、お互いを探るような、関わらないような
そんな臆病な関係しかできていないのか・・・・

ここは、叱っても自信が無いのでしょうがない。
ひたすら体験談や励ましやらを口にする。
私の目標は・・・と学年始めに言ってある。
「みんなが、『楽しかったね』と心から笑顔で、
 最後に言いあえる一年間にすることだよ!」って。

今日の予行は、盛り上がった。
まず、団体競技のチームワークの無さに、みんな
最下位を予想していた。それなのに、最下位じゃなかった!
次元が低いと言わないでください。
それでも、みんなホッとしているのです。
男子学級対抗リレー、こちらは最初から優勝ねらいだったが、
2位。優勝の可能性が出てきたことで、
クラスの男子の雰囲気は、とても良くなった。

男子のリレーの練習中には、こんなハプニングもいくつかあった。
とってもふてくされやすい男子一人、
最近仲のいい男子とちょっかいの出し過ぎでケンカ気味。
練習を待っている間にももめて、一人教室に戻ってしまう。
緊急SOSが、男子から私の所へ。
教室に様子を見に行くと、本を読んでいる。
私が早く戻りな、そして、迎えに行った男子二人が、
「来てほしいんだよね、出てくれなくちゃ!お願い」と言ったら、
小さくうなずいた。
彼も幸せ者、そう言ってもらえるんだから・・・。

もう一つは、
教室にはなかなか入れないけれど、運動が得意な男の子。
彼にも「どうしても出てほしいから先生、説得して!」と頼まれる。
彼にも「みんなが期待してるよ」と話しておいたら、
やる気満々になってくれた。
全員でやりたいという気持ちはもちろん、2回代走をすると、
やっぱり疲れて、タイムが落ちるから作戦上もあるらしい。

少しずつ、体育祭の雰囲気になってきた。
さて、本番はどうだろうか?


5・10
やっぱり、今の子どもたちは、
本番にがんばればいいんだ・・・と思っている。
それはそうだけれど、やらされている感を見せられ、
今日はとにかく落ち込んだ。

問題の、クラス対抗の団体競技。
男女のグループわけで紛糾した競技です。例の・・・。
体育委員に泣きつかれて、
強引に、背の順に分けて私がグループを決めた。

それでいいという子が多数なのに、
不満を椅子を蹴飛ばしたりして、表現する子が
最初に出たから・・・。
いまだに引きずっている。
そんな雰囲気を、まわりも感じ取って、
遠慮してしまうのです。

大人ぶるのが好きなのに、
なぜ、そこは幼いのかと、情けなくなる。
説教でもした日には、逆効果になるので、
一生懸命そのほかのグループが楽しそうになるように、
私が焚きつけている。

叱ってしまうと、クラスが盛り上がるどころか、
サーっとどんどん引いてしまうから、
体育祭近くになって、そんな手は使えない。

ちょうどいいチャンスをもらえた。
学年練習の時に、最後に講評をして・・・との注文。
かこつけて、情熱の話をした。
「この、今着ているTシャツは、なぜ着ているのでしょう?
 そう、クラスカラーだね。
 クラスの子に、去年、なぜクラスカラーを着ないのかと言われたので、
 昨日、ユニクロに行って1500円で買ってきました。
 100歳の私が燃えているのに、みんなは、まだ、
 燃えたりないよ。
 体育委員は毎日準備に大忙し。
 全校の前で説明するのに、眠れなかったり、
 ドキドキして、夢を見たのもあったかもしれない。
 その結果、見事に説明や司会をやりとげているよね。
 他のみんなは、お客さんでいいの?
 違うでしょ、主人公でしょ!
 廊下で会ったら、『ああ、燃えてるね』って
 わかるぐらい、炎を燃やしてください」って、
クラスの子どもたちに暗に、挑発をしてみた。
さて、その成果はどう出るだろうか?

女子を「帰りの会のあと、説教があるから、女子だけ残り」
と言って残し、「男子を誘いなさい、優しく一緒にやろうと言って
イヤに思う男子は一人もいないから大丈夫」と知恵を授けたり、
色々裏工作をしているが、
なかなか、「さあ、早く練習しよう・・・」とはならない。
明日は予行。
ああ、不安だけが、毎日積み重なっていく。
でも、あまりに落ち込んだので、
授業を削って作戦会議をした。
大体のグループは、和気あいあいと話していたかな?
さあ、明日はどうだろう?


5・6
今日も道徳の時間に熱弁をふるう。
なぜか?
昨年の体育祭は、コロナ下で例外的でした。
大声を出すのも論外と、応援団は無し。
でも、今年は応援団をやることに・・・。

そこで気が付きました。
応援団を見たり体験しているのは、
今の受け持っている三年生だけ。

応援団は、私は苦手だけれど、
若い先生が、一生懸命、
盛り上げるようにと、毎日一緒に練習していた。
三年生の有志が立候補しなければ、
体育祭は盛り上がらないし、成立しない。
そして、その時点で立候補は3年は紅白をいっしょにしても、
三人だけだった。

コロナ下でも体育祭ができたことが、
幸せな思い出になるはず。
みんなで心を一つにしたことが、
自信に必ずつながり、社会人になった時にも
まわりの人たちを信頼できるようになる・・・と。
30分も話した。
もう一つやむに已まれぬ事情。
他のクラスからはクラスで5~6人、男女の別なく立候補してくれたと
情報が次々入ってくる。
隣のクラスからも、友達を誘いに来てくれていた。
それなのに、クラスでまだ0人。

見栄だけの問題ではなく、ここで一人も
クラスから応援団が出ないと、
熱量の違いが、歴然と出てきて、
団体競技、クラス対抗の熱量が上がらなくなる・・・。
それでなくても、まだ冷めた雰囲気なのに・・・どうしよう。

それで、30分も応援団のことをしゃべり、
放課後も、朝も、めぼしい男子女子に声かけしたが、
「絶対やらない」「だって、忙しいし・・・」
の返事だった。

そして、次の日、ようやく3人。
応援団に立候補者・・・・良かった。
理由は、他のクラスの友達もやるから・・・。
私の熱弁より、そっちが絶対その気になるよね・・・当然!!
まあ、よかった。太鼓を打つのをやりたかったらしいです。


5・3
今日は、体育祭前の、
クラスの激闘を書きましょう。
激闘しているのは、私です。
戦ってます。
何が戦っているかと言うと、
乗り気になれないこどもたち。

以前、ドロケイで、鬼ごっこと言うのに
男子と女子がまるでストーカーのように、
タッチできずに後ろを歩くどろけいの話をしました。

クラスで単純に明るい子が少ないのです。
みんな、ちょっと人見知りで、
感情をあらわにしない子たちが多い。
それは、クラスの暴れん坊がいるので、
落ち着いている子を増やしたクラス編成のためでした。

それが、足かせになっている。
男女が、文句なく話したり、ふざけ合ったり、が
できない。
さらに、男子が陰で女子のあだ名をつけたり、
女子は女子で、強固なグループが二つくらいある。
水と油。・・・。
腹の探り合いみたいに最近なってきて、
体育祭だというのに、盛り上がらないし、
他のクラスの無邪気な盛り上がりを、冷めて見ている。

三年生にもなって、担任がしゃしゃり出るのはどうかと思うけれど、
私が出て行かないと、たぶんダメ。
そこで、今年行事として体育祭ができる意義、
もしかしたら、修学旅行もできなくなったり、合唱祭も
中止になったら、どんなにもったいないか。
私自身の、マラソン大会での、友達との昼休みの毎日の
練習の話など熱弁をして30分も・・・
チームワークを体験するのが、中学生にとって、
どんなに自信になるか・・・長々と話したのに、
まだまだ冷めている・・・。

団体競技の時のグループ決めでは
男子が男女で組むのがどうしてもいやだと言い張って、
わがクラスだけ、練習できなかったと、
体育科の先生に聞きました。
さらに、女子が寄ってきて、何とかしてくれ、
体育委員も先生、どうにかしてくれと泣きついてくる。

う~~ん、これでは、史上2番目の仲の悪さか?
担任としての悩みは多し。
1日中、クラスの子どもたちの人間関係を考えて、
どうすれば、糸がほぐれていくか・・・ひたすらそれを考えています。
さて、この後どうなるかしら?
不安しかない・・・人間は、生き物だから、予定通りにはいかないし、
個性もあって、思い通りになるとはいかないのです。



5・2
レミゼラブルを見て、こんなことも考えました。
レミゼラブルは6月暴動を描いたもの。
ビクトルユゴーは、パリでその暴動を真直に見たらしい。
そして、その様子をイギリスに逃げて、書き上げ、
出版して、ベストセラーになったようです。

今で言えば、ミャンマーの作家が亡命して書き上げた
小説、ルポルタージュのようなもの。

ボスニアの時には少女の日記。
アンネの日記も有名ですが、ビクトルユゴーが書いてくれていたから
その当時の様子が手に取るようにわかり、
また、それを劇化、ミュージカル化してくれて
エンターテインメント化してくれたから、理解できる。
中学生にも見せられる。

レミゼラブルは歴史の証言とも言えます。

6月暴動は1832年。
ドラクロワの描いた「民衆を導く自由の女神」の
7月革命の起きた年、1830年から2年後。
さらに、フランス革命から40年しかたっていない。

フランス革命が忘れ去られるには、全然足りない年月。
ビクトルユゴーはその数年後に生まれていますが、
ドラクロワは幼児の時に、フランス革命が起きています。
祖父やその世代の人々に、聞いて育った年代でしょう。

そのテロや血も聞いたでしょうけれど、
なぜ起こしたか、人々は、どう行動したか・・・も
聞いているはずです。

そう想像すると、人々が立ち上がらざるを得ない状況と、
それを受け継ぐ伝統と・・・両方を誇りとして、
パリ市民は生きたのだろうと考えます。

みなしごのガブローシュ、
パンを盗んで獄中生活をし、心がすさむジャンバルジャン。
働いても働いても借金が返せないフォンテーヌ、
貧民から成り上がって自分の分身のような
ジャンバルジャンを追いつめるジャベール警部。
みなしごでジャンバルジャンに育てられた孤独だったコゼット。
そのどの人物に、同時代の人々は
共感し、感情移入したのでしょうか。

道徳の時間に利用される「牧師とジャンバルジャン」の話。
「燭台は盗まれたのではなく、差し上げたのだ」という牧師。
そこに、当時は一番切実だった
「神の前の平等」と「癒しと許し」があって、
貧しい人々にとっては、心を安らげてくれるものがあったのかな?と
思います。
やっぱり、主人公は、学生たちではなく、ジャンバルジャンなのだと
痛感します。
でも、そこには、ビクトルユゴーが投影されています。
学生たちを何としても救いたかった、助けたかった彼自身の姿が。

それを思うと、ビクトルユゴーの書いた小説の
深い時代性を感じるのです。

小学生の時に名作全集では、全く暗くて理解できませんでした。
ようやく、この年になり、ユゴーの年齢に近づいて、
ミュージカルになって、作家の気持ちや考えが想像できます。


5・1
授業をしながら、こんなことを思います。
フランス革命の勉強をしたあと、
フランス革命の年月日、人権宣言を作った、その後ナポレオンが出てきた、
そう覚えている子どもと、
フランス革命の時の人々を想像して、彼らが自由平等を始めて作ってくれたと
そう言える子どもと、
どちらが、学力があると言えるのか?どちらが価値が子どもにとってあるのか?と。

私自身が、もう十分、何十年も授業をしてくると、
彼らの人生にとって、どんなことがとても大事なのか。
たぶん、フランス革命の年や人権宣言の言葉は忘れてしまうでしょう。
でも、貧しい人々が、自由と平等を得ようと、立ち上がったことは、
レミゼラブルを見ると忘れないでしょう。
もしかすると、彼らを思うことで、子どもたちの未来に
困難な壁が立ちふさがった時にも、歌を思い出し、力を得るかもしれない・・・
それが大事ではないかと思うのです。

貧しさ、惨めさ、悲しさを過剰に毎日見せつける必要は
思春期の子どもたちにないけれど、
共感する感性を育てておくこと、想像力を育てておくことは、
それこそ、日本人社会、世界の貧富の差を知ることと共に
とてもとても重要なことだと思うのです。
そうでなければ、共に生きる社会という言葉が死語になる。
共感と想像ができなければ、人の痛みも感じられなければ、
学力に意味はありません。
いくら有名大学に入っても社会人としての価値は無い。
社会の前進、よりよい社会はつくることができない。

そういう大切な仕事を今、私はしているのだと思っています。


April


4・21
今、フランス革命のレミゼラブルを見ています。
何クラスもあるので、何回も見ていると、
改めて気づくことがたくさんあります。

家で見ている時には思わない感想がいくつも浮かんできます。
よくよくなぜかと考えると、
たぶん、中学生に見せているという
緊張感が、私を襲うからでしょう。
それに、どのクラスも、中学生たちは、
息をのんで、呼吸もせずに、
見入っている場面があります。

みんなで見ている時には、その呼吸もせずにいる
子どもたちの空気感が、私を緊張させるのでしょう。
気づくこと、深く揺り動かされること、
何度見ても、たくさんあります。

レミゼラブルのミュージカル映画ですが、
フォンテーヌ役のアンハサウェイの
「夢破れて」の歌が、魂の声だと、見るたびに思います。

映画館で見た時には、号泣してしまいました。

それは、何千年も前から、
春を売って、生きていかなければならなかった
数えきれない女性たちの悲しみ、
その女性たちの人生を思い、
アンハサウェイの歌が、
その人々たちの声に聞こえたからです。

私と同じ性の人々が、何億人という人々が、
どれだけ傷つき、生きてきたかと思うと、
その声を聞いて、魂の演技だと思いました。
圧倒されます。
その歌には、いつの時代の女性も感じてきただろう、
大昔からの悲しみ、痛み、理不尽さ、怒り、苦しみ、大きな傷・・・
そういうたくさんのものが、彼女の歌と表情にあったからです。
ほんとうに、そういう女性そのものの姿のようでした。

なぜ、そういう職業についたのか、結局は自分で選んだんじゃないか
そう思われる人もいるかもしれない。
でも、男性には、そういう職業はありません。
自分の意思では決してない、性の関係を結び
それによってお金を得る。
さらに、相手をしている男性の側から、或いは同性からも
侮辱され、貶められる職業。
もっと複雑にしているのが、本来その性の関係は
自分の愛する人の子どもを産むという
喜びにつながる行為のはず・・・という自己矛盾。

つまり、普通の職業ではなく、
お金を得るために春を売る仕事をすることが、
毎日、女性の人格を破壊していると思うのです。
決して、同情ではなく、同じ女性であればこそ、
その傷の痛みを想像できるのは、本能的なものだと思います。

曲を歌うフォンテーヌの表情の中に
恋人を思う時は憧れ、喜び、
去った時を思い出す時は、悲しみ、
そして、どうして一人なのか、境遇に対しての怒り・・・・
一瞬で歌詞とメロディで変わる表情と声の強さ高さ・・・
くるくると変わり、最後はあきらめの表情で、
歌い終わると周りをきょろきょろとうかがう心細さ・・・

痛ましい傷ついた、美しい女性の汚れた姿に、
中学生の中には、胸をえぐられるように感じる男子もいるようです。

子どもたちは、息をのみ、
歌のあいだ中、息継ぎをしないほど、静まり返ってしまいます。

でも、少しでもわかってもらえるだろうか、
そして、忘れないほどの衝撃になっただろうと想像しています。
なぜ、見せるのか、・・・それを次に書きます。



4・18
修学旅行の班決めが難航しています。
どのクラスもそうらしい。
娘によれば、彼女の時はくじ引きだったらしい。
私自身の時は、好きなもの同士と、はっきり言っていた。

今は、それはむずかしい。
不登校になったり、
それで参加しないとなったり、細心の注意を払わなくちゃ。
でも、子どもたちの=班長に推薦された人物たち、と
協議していても、クラス中のみんなの欲が
あふれだす感じがして、・・・・もういいじゃんと言いたくなる。
だって、修学旅行行けたとしたら、
それだけでもう、幸せじゃない????

私はもっぱら、伝統工芸の体験のプログラム作りに忙しい。
交渉と、連絡と、子どもたちの希望を取り、
班を分けて・・・
でも、そのプリントを作るのが楽しい。
子どもたちがたくさん楽しんでくれるとわかっているからです。
本当に本当に行けたらいいな?
祈るような気持ちです。

体育祭の準備も始まり、
学級旗の旗作りも始まります。大忙しです。

4・11
新学期が始まりました。
今年は3年生。
でも、学校の事情で教室が全く変わりません。
大丈夫かな?ちゃんと気分も三年生になってくれるでしょうか?

先週は、入学式の準備といろいろな書類を配り、
委員会決めの一歩手前まで。
まだ、授業も、クラス活動もまだ始まりません。
でも、明日からは、給食、掃除、当番活動も始まります。
まだ授業はまだですが、・・・。

今年、修学旅行に行けるかどうか?
行けなくても、妄想修学旅行でも行くぞ!!!と、
この土曜日も、しおりのページ作りに1日かけました。
1日どころか、この春休みも、しおりのページ作りに
何度も何度も手を入れて・・・。

ベストしおりを作るつもりなのです。
以前作ったものに少しずつ手を入れて、
まず、京都の地形が頭に入るようにカラーページ。4ページ。
次に、京都観光名所の真実をDVD3本で。
それも、いくつもの番組を編集して・・・。

あっ忘れてました。奈良はやめにして、京都一本絞りの修学旅行です。
だから、プロジェクトXの金閣は定番ですが、
銀閣寺が建築当初何色だったかわかるNHK番組。
そして清水寺は、英語でシャベラナイトから、ダジャレ、
ユーモアの紹介。
そして、もう一本は伝統工芸がわかる和風総本家から・・・。
これを、50分の授業でクイズをやって、感想を書けるように、
何度も編集して、それを8クラス分ダビングするのです。
時間がかかるわけがわかるでしょう?

明日、その1時間目が始まります。
いよいよ修学旅行に向けての具体的な第一歩が始まります。
楽しみです。



人間の歴史の授業を創る会

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