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今週の「アイ love 授業」……中学生の愉快な日常です

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(2012・5月~2013・3月
       2013年度1年生(2013・4月~2014・3月)
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      2018年度3年生・1学期2学期3学期
      

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*今までは一年ごとに分けていましたが、ページ編集上、学期ごとに
 分けることにしました。現在以前は、バックナンバーでご覧ください。


2018・2学期

October


10・15
書きたいことが山ほどあるので、
月曜日分まで書いてしまう、
未来日記です。

最近でうれしかったこと
たくさんのうちの一つ。
ノーベル平和賞
ムラドさんとともに、ムクウェゲ医師の受賞です。
コンゴの武装勢力が、
レイプや性暴力を、武器として使っているという
彼の主張には、以前、驚愕しました。
一番安上がりな大量破壊兵器であり、
その村、地域ごとを破壊し、恐れさせるには最も有効だとして、
レアメタルなどの資源を得るために、
軍隊が作戦として実行している。
悪魔の考えることだと思いました。

それを、彼は男性でありながら告発し、
救済し、癒し続けて仕事をしているのです。
性器の再建手術、性器を引き裂かれた幼児の
局部を縫合して、痛みを思う・・・。
そんな男性がこの地球上にいるのかと思うと
それだけで私自身も救われる思いがします。

Me too  は、私も感じることができる。
性暴力にあった女性、女児、乳幼児の悲しみ痛み
それを見た、毎日手術を続ける
ムクウェゲ医師の心の痛みと怒り
女性なら無条件で理解できます。

世界では、こうした弱者への傷みと怒りを
わかろうとする人々が
今の時代にはたくさんいる。
でも、日本では、呆れるほど遅れている。
それなのに、
わかっていないことに気付かない男性も多い。
ああ、ため息が出る。
いつもは、だいたいあきらめているのに・・・
確かに優しい日本人男性もいるけれど、
日本の女性の現状をほとんど理解していない。
どんな思いでいるか。
みんな日本人女性は黙っているから。

勉強をしたいと言ったマララちゃん(当時)
回復した彼女は「みなさん、ペンと本と教師で
世界は変わるのです」と訴えました。
その彼女を「広告塔」と言った人がいました。
許せない。絶対に。理解できないのでしょう。

女性だから学校に通ってはいけない
勉強をしてはいけない、・・・
そう言われていた地域で、通学を続け、
殺される思いをして、
その後、世界中の女性たちからメッセージを受け取って
勇気を持って訴えることをし始めた。
彼女が銃撃された時、
私もメッセージを送ろうと思った一人です。
イギリスの病院に向けて。
死なないで。どうか、命を失わないでと、
祈った一人です。

彼女はなぜ殺されかけたか、それは、女性だったからです。
女性であることが罪とされる、
そういう地域が地球上にまだ残っている。
それにペンとノートで立ち向かう女性がいる。
そして生き延びてくれた。
それを知って、どうして、広告塔などという
心無い言葉が吐けるのか。
知ったかぶりを止めてほしい。
どこかに何とかと書いてあった、
それを知っているから、それを披露する。
そのことに、何の意味があるのでしょう。
それは、世界中の弱者の共感からは
ほど遠いのです。

彼女の勇気や恐怖や痛みや
世界の女性たちから送られたメッセージを
理解しないのだろうか?

そうした世界の女性たちの共感を
世界政治の陰謀説で汚してほしくない。
エセ、味方の顔をしないで。
あなたは、自分が一番大切でしょう?
自分の話を優位に進めるために
彼女の話を材料として提示しただけ。
そこに、共感は無い。だからエセなのだと思います。

そこには深い崖のような超えられない溝がある。
女性差別を感じない女性は要るでしょうか。
私は20代の時に、とても不公平感を持っていました。
それを言わなくなったのは、それを飲み込むだけの
知恵を持ったから、
日本では、その方が生きやすいから、それだけの話です。
納得しているわけでは決してない。
私の20代の時に、アメリカの過激なフェミニストで、
驚愕の芸術を見ました。
女性性器は隠すものではなく誇るものだと
女性性器をあらゆる花で飾った美しい絵画でした。
ブラックイズビューティフルで登場した
黒人女性の美しいモデルのスタイルとともに、
私が驚き、過激さにとても憧れた
そこにアメリカがありました。

女性の上で、
無神経にあぐらをかいているのに、
それを気付いていず
理解者のつもりの男性もいます。

でも、ムクウェゲ医師は軽々と超えて
こちらに来てくれている。
弱者の人々は誰が味方かすぐにわかる
・・・涙が出ます。


10・14
さて、最近は、石塚美津夫さんのところに通い詰めています。
5月田植え
6月蛍見学
8月合宿研で話をしていただき、
9月稲刈り
10月今日は脱穀
田植えの時は、楽しかったけれど、
稲刈りの時は、本当に大変でした。
一番働いたのは、一緒に行った20人近くの
メンバーの中で二番目に高齢だった私でしょう。
なにしろ、一番長く滞在したので。
1日半フルに田んぼの中で稲刈り。

石塚さんの夢の谷ファームは
機械の入らない小さな棚田。
そして深い泥田。
だから人力なのですが、
これが、太ももまで入ってしまい、
全力で抜かないと抜けないほど深い田。
たぶん、スクワットを百回どころか・・・
だって、二日合わせて8時間ですから、
その日のうちに筋肉痛で、
一日目の夜中に筋肉痛で目を覚ましたくらいです。

それなのに、石塚さんと奥様は
倍以上のスピードで、ずっと働き通し、
私よりは5歳は年上なのに・・・。

そして、10日は市の研究会に
石塚さんに来ていただき、お米と
日本の農業の話をしていただきました。
その前日に送っていただいた
笹神の水で炊いた、夢の谷ファームの新米と
笑いあり、驚き有りのお話で
好評、好評!!

私たちが田植えをし、稲刈りをした新米
とても甘くてつやつやしておいしかったです。


10・13
今・現在の授業は、全て黒板授業です。
あと2時間で歴史の授業を終えます。
3学年は3人の先生で社会科を教えていて、
私が全クラス週・2時間で歴史。
あとの二人が公民を学年半分ずつ2時間で教えています。

こんなふうに変則的にしたのは、
私の体験的授業を受けられるのが、
学年で全クラスでないと
受けられないクラスの子どもたちが、
嫉妬するからです。かわいそうでしょう。
その代わり、週に2時間なので、
歴史が2学期半ばまでかかってしまいます。
そして、会場模試の範囲があるので、
「なるべく早く教科書終わらせて」の要望のもと、
2学期はスタートから、ずっと黒板授業。
私のストレスもたまり放題です。

でも、これからが、本番。
その時代に生きた人々が、どう感じ、どう暮らしていたか、
それを映画やドラマで、みんなで共感しながら
見ていきます。
「ルーツ」「あゝ野麦峠」
「西部戦線異状なし」「モダンタイムス」
「戦争に反対する戦争」「涙は忘れない」
「映像の世紀」「さとうきび畑の唄」
「シュリ」「ライフイズビューティフル」
もっともっと伝えたいことがあります。

あらすじプリントを全部印刷し、
準備万端、子どもたちも、いつからビデオの授業になるか、
毎日聞いてきます。
まあ、待っとれ! 準備万端だから。



10・12
ご無沙汰しました。

さて、第一次世界大戦のことを
フランスやドイツはなぜ短期間で終わると思っていたか・・・。
なぜ世界大戦というまでになると思っていなかったか。
その質問を逆に考えましょう。

それはきっと、子どもたちが言うように
自分たちの戦力に自信を持っていたせいでしょう。
自分たちは、産業革命を経て、圧倒的な戦力を持っている・・・
そう、ドイツもフランスも自信満々だった。
そう思っていたところが、滑稽で悲劇。

なぜ5か月で終わるはずが、4年も戦争をしたのか。
それは、片方=自分の国だけではなく、
両方ともが、圧倒的な戦力を持っていたから。
なんと逆説的なことか。

そして、子どもたちが正解をくれました。
短く終わっただろうという子どもたちが
「たくさん人が死んで、もう戦う人がいなかった・・」
私「じゃあ、足りなくなったらどうする?」
つぶやき「植民地から連れてくる」

そして、なぜ続いたか、もう一つの答え。
「新兵器が、第一次世界大戦中に、どんどん発明されていったから」
戦車、爆撃機、地雷、毒ガス、潜水艦・・・・
必要は発明の母・・・その悪夢が第一次世界大戦でした。
そして、第二次世界大戦に発明されたのは、
核兵器であり、ナパーム弾であり、ロケットやミサイルであり、
枯れ葉剤でした。(ナパームも枯れ葉剤も、ミサイルも
もう、発明はされていたのです。
ただ、どれが一番効果的で早く発明されたかというと、
原爆だったのです。))

今、書いてきたような、こういうやり取りをしました。
子どもたちの予想がある程度当たり、
しかし、それをはるかに超える第一次世界大戦の規模。
新兵器の数々、植民地の兵士たち、
参加国の数々、戦闘場所の世界的な広がり
(アフリカはもちろん、中国、南アメリカでもありました)
予想を超えた戦争だという第一印象は持てたようです。
感想には、第一次世界大戦の特徴がよくわかったと
書いてありました。まずはスタート地点です。
知識として理解すること。
その次が感性で分かることへ・・。

本当の悲惨さは、写真や映像でないとわかりませんが、
研究授業はひとまずここまで。

生き生きした子どもたちとのやり取りを、
若い先生たちも、ビックリした目で見ていたようです。
資料も、地図も、写真も・・・。


10・3
第一次世界大戦が、長かったか、短かったか
読者の皆さんは、どう考えますか?
短いと答えるか、長いと答えるか・・・・
班で話し合っている様子を見ると、
どちらとも言えるんじゃないかとか、
物差しが無いから言えないとか・・・
それぞれ主張しています。
その理由も、素晴らしく時代状況を理解している。
びっくりしました。

「産業革命をやったイギリスのような進んだ国と
 そうでもない国とでは、力の差は歴然だから、
 あっという間に勝負がついてしまったんではないか」
「いやいや、どの国も科学を発達させたから
 同じくらい強かった。だから、長引いたと思う」
「兵器も発達して、人がたくさん死んでしまうから、
 もう戦う人がいなくなってしまうから短い」
「資源だって、食べ物だって、戦争の規模がでかいから
 使い尽くしちゃって、短く終わらせるしかない」

短いか、長いかではなく、その理由を
それぞれが主張して、なかなか譲らない。
それぞれの理由が、第一次世界大戦の特徴を
指し示しています。

私が、一番注目していたのは、
教科書の・・・あるいは第一次世界大戦の
写真や番組や本を読んだ時に、どの本にも書いてある言葉。
フランス・ドイツの若者が、手を振りながら、
入隊に向かって笑顔でいる様・・・・
そのキャプションとして、
「だれもが、夏に始まった戦争はクリスマスには終わると聞かされ、
 戻ってくるつもりだった」
戦争遂行者たち、皇帝・王様・将軍…いずれも、
その自信だった。・・・・・ところが
映画「西部戦線異状なし」のポールの戦友、
ポール自身のように・・・・帰ってこなかった。
西部戦線異状なしのラストシーン、
学生たちが後ろを振り返るシーンがすぐに目に浮かびます。

今の戦争でもそうです。
イラク戦争は短期間で終わると言って
ブッシュ大統領は始めました。ところが違う。

第一問は、どちらも当たりとしました。
これが、今回の私のひっかけ!
つまり、以前の戦争に比べたら長い。
(元寇から日清日露まで、期間を表にしました)
でも、第二次世界大戦やベトナム戦争に比べたら短い。
じゃあ、当時の人々はどう感じていたか、それを伝えて、
なぜ、戦争が思ったより伸びたかを考えました。
つまり5か月の戦争の予定が、4年間も戦争したのはなぜか?
・・・・・・・・・・・・・・明日に続く


10・2
今日は試験の一日目、
さて、みんなの勉強の成果は出るでしょうか?

2学期になって研究授業がありました。
私は、第一次世界大戦のところ。
いつもだったら、第一次世界大戦はどんな戦争か
その特徴や実際のようすを授業するのですが、
今回は、少し内容を変えました。

今のわが市の?社会科は、全国的にもそうなのかな?
調べ学習や討論、班活動が中心で、
それが大流行り。
研究会に行って授業を見ても、
班での話し合い活動ばかりです。
その時の資料は、教科書の写真や資料集。
小さい写真を、教師が掲げた目標に沿って、
どう読み取るかを、子どもたちが話し合っています。
こういう授業が、文部科学省の言う
「深い学び」を作るのだそうです。

私は、全然違うと思う。
そこにはダイナミックさも驚きも
知的好奇心を満たされる興味深さもない…と言ったら言い過ぎ?

社会科の骨格を考えないで、
事項の羅列を、どう教えるかに囚われるから、
方法論だけの工夫・技術に
つまり小手先の授業改善になってしまうのだと思います。

どうしても予定調和と誘導尋問で
見ている方が…だいたい見ている先生たちが飽きて
教室を出たり入ったりしている。
私からすると、…学生時代に白井さんから教わった私は、
「それって失礼でしょう」・・・・と思ってしまう。
授業の一部を見て評論するなよと思ってしまう。

だからこそ、アンチで、
私自身も班活動をしよう、それを見せようと考えました。
結論から言えば、バッチリ。
授業を見たみんな、
先生たちから、ベテランの技だとほめられました。

どんな授業をしたかというと
第一次世界大戦がどんな戦争になったか、
子どもたちに予想してもらいました。
それ以前に、産業革命後の社会の変化を予想した子どもたちは
世界大戦や恐慌、貧富の格差やラダイツ運動、失業者まで
すべて予想します。(これは、今までも授業してきたこと)
その次で、新しいチャレンジをしました。

今回は第二次産業革命のあと、
一回目の世界大戦はどういう戦争になったか予想し、
班で意見をまとめて発表したのです。

残念なことに第二次産業革命、
私が取り上げたのは自動車と電気と無線でしたが、
その優れた教材は無かったので
私の説明文と写真で説明しました。

第一次世界大戦についての予想も
漠然とした予想にしたくなかったので、
クイズ形式の選択制にして、班の意見をまとめて、
発表しました。

第一問:この戦争は長かったか、短かったか、その理由
第二問:どこで戦ったか(原っぱか町か、その他か
    世界地図でいうとどこらへんか) その理由
第三問:誰が戦ったか、武士・農民・傭兵・
 志願兵・国民??? その理由
第四問:どんな武器が使われたか その理由
第五問:今までの戦争との違いは何か その理由

これを、予想なので、教科書を見ずに考えよう
としました。そして、その理由が最も大事だとも・・・。
社会科学は、未来を予想する学問、
私たちは、毎日のように予想している。
そうしたら、第一問目の理由がおもしろかった。
私としたら、第一問目が一番のひっかけでした。
皆さんはどう答えますか?



10・1
あるクラスに入ると、私のことを
「(下の名前で)○○ちゃん、今日もかわいいねえ」
私は、
「ああ、わかったよ」か、
無視・・・・。

皆さんも年を取るとわかると思いますが、
覚悟を決めておいた方がいいので、
お教えしましょう。

以前も書いたかもしれませんが、
そうしたら再録ということで・・・。ご勘弁を。

まず中学生、
私が、二十代の時から、「おばさん」と呼びました。
三十代になると「おばあさん」
或いは、口の悪いヤンキー連中は「ババア」
・・・・このことで、当時は痛く傷つき、
内心「私は、悪いことしたかしら、
何で、そんな罵詈雑言を浴びせられなくちゃ
いけないのだろう・・・」と眠れなくなりました。
この時は、日常的に暴力もありましたから・・・ね。

さて、貫禄もついてきた40代になると、
「妖怪ババア」
このころになると、このあだ名というか、時々の
呼ばれ方に、満足するようになります。
さすがに、免疫がついてくるのです。
ただのババアじゃなくて、妖怪とは・・・と
ニヤニヤしてしまいます。
私自身としては、なんだか位が上がった感じがして
喜んだりして…変な職業でしょう?

妖怪ババアが、いつしか50代になると
「おばあちゃん」とチャン付けで呼ばれるようになる。
まるで、愛称です。

さて、このころ、退職後にも先生をおやりになっている
ベテランの数学の先生がいらっしゃいました。
60過ぎて修学旅行も、少人数の暴れん坊の方のクラスも
全部、おやりになっているのを見て、
私自身は大変尊敬していましたし、
子どもたちのことが好きなんだなあと、つくづく思いました。
ところが、その子どもたちは、その先生を、
「横ちゃん」とチャン付けで呼ぶのです。
私は、ちょっとうらやましさも感じてしまった。

…ところが、今や私自身がチャン付け。
そして、いつもいじられる。
ニヤニヤせず、しかめづらして怒った顔をしていても、
そんなことを全然気にせず、
特に男子が、チャン付けをしてくる。
私はこう思いました。
「そうか、私もそういう域に入ったのか、
 異性としては問題外…そういうことね。
 まあ、怒っても仕方ないから、
 ツンデレで行こう。」

そんな私の胸の内を知ってか知らずか、
今日もチャン付けする男子たち、
うっとおしい! レディをからかうな、いじるな
と、少々胸のうちで怒ってます。
でも、かわいいなと思っちゃう・・・教師の宿命ですね。

結局、男子は
話したいんですね。
かまってほしいんですね。
でも、そう簡単には、かまってあげませんよ!


September



9・30
なんと、9月はひとことも書かないうちに終了。
さぼってしまいました。
今後 心を改めます。

さて、一か月を振り返ってのいろいろの話。
一番衝撃的にびっくりしてうれしかったこと。

一年以上にわたって
教室に入れなかったクラスメートが
入ることができるようになって、
今、普通に過ごしています。
私としては、恐る恐る・・・
薄い瀬戸物のお茶わんみたいに
大事に彼女を扱っていますが・・・。

彼女と、1時間半にわたって話せたことも
うれしかったこと。
彼女もうれしそうにしていました。

次、9月になって、大人になったこと。
クラスの大部分のメンバーが
すごく大人になりました。
掃除で怒鳴る必要も無くなり、
なんと、雑巾がけを、言わないでもしている・・・
不思議な光景です。
まだ、約2名くらい、幼い子たちがいて
・・・でも、周りの子たちは
私が「もっとやらせてよ」と言っても
あの子は、ああいう子だからと、
サポートに回っているのが、すごい。

次、今まで自分が一番大事だった子たちが、
すごく変わりました。
一学期の終わりに心配をかけた子たちのことを
面倒見なくっちゃ…と気にかける感じが出ています。
一学期にはみんな、遠巻きにしてる感じがあったけれど、
その子たちも含めて、いっしょにならなきゃ
クラスじゃないもの・・・、
しょうがないな~~と言って
仲間と認めている感じがほんわかしていいです。

次、席替えをしました。
どうしても、班長を選んで
その班長がメンバーを、トリトリみたいな雰囲気が嫌で
私が決めてしまいました。
それには理由もありますが・・・、
一つの理由は三年の今は
一番勉強する時期。
がんばっているクラスメートの後姿を
のんびりしている子たちも
後姿から感じ取って
みんな頑張らなきゃとなってもらうために。

話は違いますが、
私自身の出産の時、
思い知ったことがあります。
それまで、日本語の「がんばって」
「がんばろう」が、
常に私の生徒の時代、プレッシャーを感じさせてきたので、
教師になったとたん、がんばれは
言わないようにしていました。
ところが、出産の時、助産師さんが
「もう少しよ、がんばって!!」とずっと
励まし続けてくれたのです。
そう言い続けられることで、
いきんで、二人を出産しました。
本当にがんばった結果、
子どもが生まれてきたんです。
ああ、がんばらなきゃいけない時って、ホントにあるなあ!!
その時、初めて感じました。

だから、中学生にしてみると
中三の秋は、絶対に誰もが頑張る時、
だから、励ますのと、
仲間から学ぶのと・・・ぜひしてほしい。

真ん中の二列に、勉強を頑張っているメンバーを
並んでもらって、
船の帆先で、凍った海を切り開いて行っているイメージです。
そう説明したら、みんなが分かったって言いました。
「船の甲板の脇から
 海に転げ落ちるなよ!!」と思わずしゃべって。
・…そういうクラスの席にしても
誰も今は文句言わない、
そういう雰囲気になってきています。
みんなが頑張って、成績を上げたいから・・・。
よし、がんばろうね。みんな。





人間の歴史の授業を創る会

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