2016
September
9・1
南アフリカから送ったメールが好評で、
若い人たちにもたくさん送りました。
臨場感が半端ではないそうです。
世界のようすを一般人が伝えられるとしたら
こんなにうれしいことはありません。
今日、まず二学期初めての授業。
夏休みの宿題をチェックして、
1学期の復習としてビンゴをアジアの国で
2回戦やったあとは
南アの話。
ブブゼラを吹いて、南アフリカの国旗を背中にまとって
スプリングボスのラグビーチームのサポーターのように・・・
映画「インビクタス」のように。
神奈川の凄惨な事件とは
全く違う立場を伝えたいと思っている。
中学生たちの楽しそうな様子を見ていると
思わず、ふふふと笑ってしまう。
のびのびと毎日過ごしてほしいな。
でも、とにかくたくましくなった。
毎日の部活で、ものすごく体力がついて、
真っ黒になっているからです。
August
8・31
今日で夏休みは終わり。
子どもたちも、ああ、終わっちゃうと
思っているでしょうけれど、
私たち、教員も
目の回るような忙しさに追いまくられる日々、
またやって来るかと、少しため息・・・それが本音です。
でも、子どもたちの顔を見れば、
夏休み明けの部活でまっ黒くなった中学生、
休み明けでしばらくぶりに会う友達との
かしましい大さわぎの休み時間。
ずーっとしゃべってもしゃべっても足りないくらいの
なつかしいという表情を見せる子どもたちに、
ウキウキすることも確かです。
昨日はホームページビルダーの教室に、
1時間半以上かかって、行ってきて、
5時間個人指導を受けてきました。
すごく楽しかった。
このHPを立ち上げる時に、
一人ですべてをやっていたので、何時間も何時間も
本を読んでは試し、あっちを呼んで、こっちを呼んでと
途方もない試行錯誤の日々を思い出すと、
質問とやりたいことの設定のために、
元IBMの開発担当者の先生は
どんどん瞬時に答えてくれて、実現していく・・・それが楽しい。
とても優しい先生で、手を取って教えてくれるので、
どんどんできてくることもとても楽しい。
9月中には、いろいろ反映できそうです。
うれしいな、うれしいな…年甲斐も無くうれしくなります。
8・30
とうとう月末です。
夏休みも終わり。
残暑見舞いの返事も今年は1通のみ。
みんな、メールの時代なんですね。
昨日は同じ地域の先生がたと研修会。
いつもは10人以上の参加者ですが、
昨日は4人。
でも、とても楽しかったです。
若い男性の先生の悩みが聞けました。
大勢では言えない悩み。
初任の先生が、中学生女子に
「先生のこと好き」と毎時間言われて
悩んでいるとのこと。
ホントに笑い事ではなく、
どう対処したものかと悩んでいるようです。
他の先生は、「あたらず触らず
聞き流す・・・」。
それが一番ですね。
そう言われなくなるためには
早く結婚してしまうこと・・・なんて私言いました。
まわりの女子もそう言っているのを
たのしんでいるようすなので、
「ハイハイ」と聞き流すのが一番という話になりました。
8・18
昨年受け持って卒業した子どもたちの中に
1年生の時から受け持った女の子がいました。
最初が大変でした。
今の子どもたちは
情報があふれているので、
いろいろ、自分をマイナスに表現することもいとわない。
リストカットと言っても
カッターで薄く傷をつけたり
鉛筆やボールペンで腕を引っかいたり
爪で、傷跡を残す子もいます。
それが、自分の存在表明になるらしい。
毎年、いずれの学校でも、
そういう女の子たちが少数ながらいるのではないでしょうか。
大変な女の子も、私が、
三年間受け持ち続けると、1年1学期に
断言したら、少し落ち着きました。
その女の子が、高校へ入りましたが、
やっぱり不登校で辞めちゃうかなと思っていたら、
担任の先生に相談して、
まだ、続いているそうです。
三年間は、むずかしいかもしれないけれど、
自分から心を開いて、問題を解決しようとした、
そのことがすばらしいと思う。
人間には、もともと、そういう力が
備わっているのだと思います。
でも、一時的に危機に瀕する時がある、
思春期や、経済的に恵まれなくなったり、
身の回りの人々の死だったり・・・・。
その時に、やっぱりまわりの人々が
必要になるのだと思います。
私は、中学生たちのそういう必要な時の
助けになれたら・・・といつも願ってます。
8・17
クラスの子どもたちに残暑見舞いを出しました。
最近は、年賀状も、残暑見舞いも
出すよりも子どもたちはメールでしょう。
でも、出さないでもいいかなあと思うと、
受験のお正月に、今年出した賀状は、
ひとことをそれぞれ添えていなかったら、
今回は手抜きだねえ、なんて、
中三の子どもたちに言われました。
残暑見舞いだなんて、
あゝ、また学校が始まるなあって
地獄からの召喚状?
かもしれないけれど、でも、
もう授業や学校なんて、忘れてしまってるかもしれないけど、
私からは、また会おうねっていうメッセージです。
やっぱり、20日頃に出すのが
いいかなと勝手に思ってますがどうでしょう?
南アフリカの人々が、
「危険じゃないから、もっと来て!!
みんな、フレンドリーなんだよ!!」と
ことあるごとに言っていたのを思い出します。
フレンドリーというのは
辞書によれば、友人にふさわしい、友情のこもった、親しみのある、
そして、親切な、やさしい・・・と続きます。
すぐに思ったのは、笑顔を向けてくれることでした。
ホテルでも、店でも、
電車でも、ガイドさんも、
明るくて、楽しくて、笑顔・・・。
そんな人柄が自慢な国ってすばらしいでしょう?
日本もほんとうは、田舎はそうだと思いますが、
都会では、みんな、笑顔をしていると、
変な人と思われてしまう・・・・ちょっと寂しいですね。
8・16
南アフリカ以降も忙しく飛び回っています。
11・12日は合宿研究会。
その合間に、新しく始めた中国語会話教室。
これは単純に、魏志倭人伝を
中国語として読んで授業したいという野望。
もう一つはパソコン教室。
これは、このページをホームページビルダー16で
作製しているのですが、
新しいバージョンが必要なのか、
他の人は作成できないのか・・・そういうシステムを勉強して
もっと見ている方々に、使いやすくしてもらうためです。
その合間に90を超えて
一人暮らしをする父の家の草むしり・・・。など、
博物館の備品整理、管理そうじ・・・と、
大忙しの日常です。
企業に勤める娘のお弁当も
高校の時の罪滅ぼしで、
今、5時半に起きて、毎日製作中・・・。
部活に明け暮れる若い先生たちには
申し訳ないけれど、それなりに雑務がいろいろあります。
ようやく世間的に教員の過労が問題になってきていますので、
少しでも、この暑さの中、
他の先生たちも、リフレッシュできたら・・・と願いながら、
家事にもいそしんでます。
8・7
8月になりました。
実は、2週間、南アフリカに行ってきました。
学期末の忙しい時に
いろいろ準備して、
今年は、私には、節目の年なので、
やりたいことをやりとげたいと決意し、
家族の反対を押し切って
一人で旅をしました。
何と言っても、
アパルトヘイト廃止後の南アフリカ、
ネルソンマンデラやビーコの活躍していた
南アフリカがどうなっているか、
マンデラの牢獄あともテレビでは見ていたので、
それを訪ねる旅でした。
もう一つの案は、中国に1ヶ月水墨画留学を
考えていたのですが、それは実現の可能性が低く、
南アフリカを選びました。
驚いたのは、行く前に調べて
「地球の歩き方」の本に、
絶対一人歩きはしないことと、禁止事項が羅列してあったこと。
まるで、戦争状態の国に行くのではなしにと
思っていたのですが、
ヨハネスブルグは世界一危険な都市だそうで、
・・・・でも、珍道中でしたが、
実り多き旅でした。
結果は・・・・
南アフリカの人々のなんとフレンドリーで明るいこと、
ケープタウンの町では
ブラックピープルもホワイトも
イスラム系の人々も、アジア人も
世界中の民族が少なくとも10以上・・・の人々と会いました。
まるで地球の縮図・・・・その人々が、
H&Aで買い物をし、フライドチキンを食べ、
観覧車に乗り、音楽や大道芸を楽しんでいました。
貧富の差も大きいですが、ここには、未来もたくさんあります。
楽しく緊張する旅でした。
July
7・19
1学期、最後の授業では
アジア地域の民族衣装を
クラスのメンバーを選んで着てもらっている。
女子がなかなか難しい。
シャイなだけな子では無理
ちょっと好奇心があって
私が手を引いたらいやいや出てくる子がいい。
進んで出てくる女子はいないので・・・。
男子は中1だとみんなハイハイと
にぎやかなので、これも私が選ぶ。
用意したのは
チマチョゴリ、アオザイ、
チャイナドレス、人民服
アラビアのガラベーヤ、インドネシアの腰スカート
自分が買ったのはアオザイと腰スカート
チマチョゴリは久津見さんから
チャイナドレスと人民服は白井さんから
譲り受けたもの。
他にもまだ、山ほどあるから、
2学期最初にも、サリー、
ニカブ、タイの民族衣装も来てもらおうと思っている。
他の地域では、メキシコやアフリカの衣装もあるし・・・
着た様子の子どもたちは、とても和やか、
楽しい・・・。
男性用のチャイナ服を着た男の子は
カンフーだ、強そうだと人気だし、
アラビアのガラベーヤやインドネシアの腰巻は
ホントにオジサンスタイルで、
似合う、ぴったりだと、大爆笑。
笑われるのを喜ぶわんぱく男子を選んでいるので、
中には、涙が出るまで笑って楽しかったと感想を書く子も・・・。
女子は女子で、
本人たちは、似合わないと後ろ向きになりたがるが、
他の女子たちが、「かわい~い~❤❤」と
歓声をあげてくれる。
それを見ている私も、とても楽しくうれしかった。
7・18
もう少しで1学期も終わり。
子ども達は総体準備で忙しい。
1年生の心配は、何しろ熱中症。
今まで受け持った子どもたちで、
毎年秋口に微熱を出す子、4階まで上がれず登校できない子
が出てきていた。
夏休みの練習で、熱中症になったせいらしい。
くれぐれも、子どもたちにも、親御さんにも
気をつけてと伝えている。
とと姉ちゃんを楽しく見ている。
花森安治は過激な反体制人だったから、
ちょっとドキドキしながら、
NHKがその真髄を映し出すだろうかと思って・・・
でも、大橋鎮子さん=ドラマ上では小橋常子のがんばりと
とらわれない大胆さと懸命さが楽しい。
花森安治と大橋鎮子さんの「暮らしの手帖」の
発刊の決意がいい。
敗戦のあとの、みじめな暮らし、つらくて悲しい暮らし・・・。
それを見て、改めて二人は感じていく。
普通の人々のくらしこそ、一番大切にしなければならないもの、
戦争で奪われてはならないもの・・・
これこそ今の憲法が守っているもの、これからも守るべきもの。
戦後、お客さんにお茶も出せずに白湯を差し出す時代、
食べ物を奪いあって、闇市で騒ぎが起きる時代、
そういう時代に、ちょっとおしゃれをして、ちょっとおいしいものを食べて
それも、自分たちの工夫から
自分たちの手で、生活を作りだしていく・・・
そういう思想でした。
私は暮らしの手帖で育ちました。
どれだけ、お料理がおいしく見えたことか、
パリの情報が、どれだけステキに見えたか
しかし、母にとっては
一銭五厘の旗、そして、戦争中のくらしの記録
こそが、「私の言いたかったことを言ってくれている」
そういう愛着の湧く雑誌で、
ずっと取り続けていたようでした。
7・12
30年前のNHKのすばらしい番組
「人間は何を食べてきたか」シリーズの
米編を子どもたちに見せる。
ほんの5分くらいだが、
とても貴重な映像だ。
「浮き稲」と言って、
メナムデルタ、今ならチャオプラヤ川の水田を
船が行く。
稲の花が咲いた一本を引っこ抜こうとすると、
なんと、水の下に5mもの茎が伸びている。
水深5mの水田で、稲が育っている。
さて、ここで問題です。
稲は、どうやって植えたのでしょう?
棒で地面に押し込んだ。
種をまくと5mに伸びていく・・・
そんなとてつもない意見が出て、
・・・・でも、私自身が、ふと考え付くまで何十秒かはかかっている。
一人、二人と手をあげて、正解を言ってくれる。
「先生、種をまいたり、苗を植えた時は、
水が少しだったんでしょう?」
そのとおり、
5mもの増水こそ、雨季と乾季を教える良い映像なのでした。
豊かな水と気候がよくわかる、一石二鳥の映像です。
正解を、必ずクラスの数名は思いつく、
子どもたちの柔軟性も・・・・いいです。
7・10
授業がトントンと進む。
すべてが結びついていって、すじみちが通っていく。
説明するのも、おもしろいくらい。
でも、私ほどみんな、おもしろがってくれているかな?
今年収穫したばかりの近所でもらった麦の穂を
1人一本ずつ渡して、スケッチして、麦粒をさがす。
麦の中から小麦粉を発見するのが課題。
「つぶせないよ、せんせ~~~い」
「あっ、つぶれたよ!!粉出てきた」
「ほんとに小麦の味がする(小麦粉の味?)」
思わず麦粒を口にして、パンの味がする?と喜ぶ子どもたちもいる。
次に、数年前の稲の穂だが、
班に一本ずつ渡して、籾をむき、
玄米の粒を数える。
さて、クイズ。
「コメと麦と、どちらの方がたくさん取れるか?」
「コメと麦とどちらの方がお腹いっぱいになるか?」
「コメと麦とでどちらの方がカロリーが高いか?」
「コメと麦で、どちらの方が人口が増えるか?」
およそどの班も麦は20~30粒
米は70~100粒。
収穫量で言うと10aあたり、200kg位差があるらしい。
そして、カロリーで言うと100グラム当たり100kcalぐらい違うらしい。
だから、米を食べている地域の方が人口が多い=人口密度
ならば、世界中でお米を育てればいいんじゃない?
飢え死にする人は無くなるよね、でも、稲には何が必要かな、小麦と違って?
「雨」「大量の水」
そう、だから、東南アジアには雨の多い地域があったよね。
白地図には、東南アジアの降水量の多い地域と、
モンスーンの図があり、みんなが色をぬっています。
しかも、夏のモンスーンは赤く塗ってあります。
だから、雨が多くて、お米がたくさん取れる場所は、人口が多いわけ。
そう言って、白地図の人口が多い東アジア・東南アジアの地図を見る。
「世界一の人口はどこ?」 「中国」
「さて、中国でもお米を作っているのは雨の多い南部、
さて、どちらの河かな?」「長江だ」
「世界第二の人口はどこ?」「インド」
「インドの雨の多い地区は?」「ガンジス川のまわり」
「そして、東南アジアで雨が多いのは?」「チャオプラヤ川のまわり」
ハイよくできました。
麦を数え、米を数え、
世界地図で主食の地図を色ぬりし、
白地図帳で、人口の多い地区と、雨の多い地区を色ぬりすれば、
今までならったことがすべて結びついて、
理解できるというわけ・・・。
このあとも、モンスーンを色ぬりしてあるので、
乾季と雨季の説明もすぐにわかってもらえそう・・・。
体験とすじみちと知識が結びついただろうか?
7・9
子ども達と、いっしょに小麦の穂をほぐし、
小麦の種子を出して、・・・
稲の穂もバラバラにして、籾の皮をむいて
玄米を取り出していると、
いろいろなことを、考えます。
自然にいろいろ想像してしまいます。
こんなに小さな粒を食べようって
よく人類は考えたんだな。
そう言えば、森にすむサルたちは
決して、穀類は食べない。
火を通さないと食べられないものだからなあ、
でも、よく、こんな小さな粒を食べようとしたなあ、
ちょっとだと、全然お腹がふくらまないのに。
それに、籾から玄米の取り出し方、
玄米だと炊きにくいけれど、
ぬかを取って、白米にして食べようだなんて、・・・
いったいどうやってこの方法を見つけたのだろうか?
授業では、タイの市場ごはんという5分番組を3本。
タイの豊かな食材があふれんばかり…よだれが出そうです。
7・4
つい、長く書いてしまいましたが、
バングラデシュのテロも、イスタンブールも
イラクのテロも、若者が命を捨てて
行動しているのは同じ。
一つの戦争ではないかと思ってしまいます。
それは、誰に対してなのか、
決して私たちに向けられているのかとは思わないけれど、
これほど続くと
グローバル化は資本主義だけではなく、
そうした殉教もグローバル化させている。
大きな問題だと思って、先日は、長々と引用してしまいました。
今はアジアの農業をやっています。
農業の基礎知識だと思って、
米と麦の予想図を書いてもらいました。
しかし、おもしろい問答が????
子どもたち同士の会話
「ねえ、小麦ってなんなの?」
「なんだっけ?」
「小麦粉なら知ってるけど、小麦は知らないんだけど・・・」
「全然わかんないんだけどな、小麦ってなあに?」
ちょうど近所で、小麦を刈り取りしていたのを
隅の方の刈り残したものをもらい、
実物をこのあと見てもらって、分解するのですが、
小麦の予想図がおかしい・・・まるで雑草。
実っていません。
麦茶のペットボトルをを書いた子もいました。
「小麦ってなんなの?」
これは傑作でした。
そう、何たるかを知らないで、
農業学習は成立しませんよね。
7・2
イギリスのEU離脱が話題となっていますが、
なぜ、EU離脱が支持されたのか、
その理由がフランス人が書いた本を読んで目からうろこでした。
『シャルリとは何か?』
離脱の国民投票の前に本を読んでいたので、
よくわかりました。
社会科教師としては
EUは、言わずもがなの当然の組織、
EUが無くなるということはありえないと思って教えていました。
そして、同調社会である日本では、
「まとまることが悪いはずがない・・・」という思い込みから、
EUをすぐれたシステムだと思いこんでいた。
しかし、この本を読んで、とても納得。
資本主義にとってこそ、市場が統一され、
流動化されることが、最ももうかる仕組み。
力の強い者こそベストになれるわけです。
EU離脱に賛成した人々は、
グローバル化に反対した人々だということです。
ソ連の崩壊以後、社会主義というブレーキを無くした資本主義は、
利潤のために、労働市場も、さまざまな消費財の市場も
流動化させています。
子どもたちの調査結果を見ても、
ベトナムの文房具に囲まれ、中国の衣料品を着て、
アメリカ・オーストラリア・ブラジルの肉を食べる・・・
そういう私たちの生活です。
グローバル化は情報も共有され、
富の分配も世界的には平均化されるから、
いいこともあると思っていました。
しかし、今のような進み方ではその過程で
たくさんの命や人生が失われていきそうです。
日本もそういう傾向に近づいていますが、
資本は、第三世界の労働市場に流れ、
先進国では若者の失業率がどんどん上がる。
先進国で行われているのはマネーゲームのみ。
そして、第三世界の安い商品で、安定した生活をするのは、
先進国の年金生活者で、選挙で大多数を構成するのもその層。
若者は収入が減っているけれど、
安い商品を買って、便利な社会だから家事をせずとも
なんとかカツカツ生活できてしまうので、
家族を構成する必要もない。
一人で閉じこもって生活するか、
年金生活をする親の元に戻るか・・・それでは未来は無い・・・。
日本の報道では、「移民政策に対する感情的な反発だ」と言われていますが、
それが、中心ではないと思います。
自分の失業は移民のせいだ、そう考える人々も
中にはいるでしょうけれど、
EUが多くの国に求めていく緊縮政策で、
福祉政策も切り崩され、金持ちだけがますます富を得る、・・・
そういう政策に、意義を唱えた結果ではないかと思います。
対岸の火事と思っていたら、まちがいでしょう。
アジアが経済成長して、日本の人口が減れば、
移民を受け入れざるを得ません。
子どもたちの時代の未来はどうなるのか?
本気で心配です。
本から引用します。
「すべての先進国社会に共通する特徴の一つは、
若者たちが経済的及び社会的に押しつぶされていることだ。
グローバリゼーションが、そして、何よりも自由貿易が
その役割を果たしているわけである」
グローバリゼーションが世界の労働市場を一体化する。
少数の高齢者が資本をにぎっている。
もし、ある先進国が自由貿易に門戸を開けば、資本は優遇される。
そして、労働が、不利な立場に置かれる。
これこそまさに正確に、我々が生きている状況なのだ。
すなわち、若者たちの労働や消費や移動の自由が、
自由貿易によって押しつぶされているのだ。・
いうまでもなくユーロが、ユーロ圏内では
自由貿易のもたらす影響をより一層深刻化させる。
ユーロは強くて安定していて、もっぱらインフレとの戦いを
優先させるやり方で管理されている。
われわれは現在デフレの中に入ってしまっているわけだが、
このデフレがまた、固定的に保障されている所得の持ち主たち
すなわちリタイアした年金生活者たちを有利にする。
西洋諸国民の高齢化によって、いたるところで
高齢化した有権者集団が生まれており、
この集団の好む方向へと政治的決定が導かれている。
自由貿易もそうした政治的決定の一つだ。
中産階級の状況が、その決定的な支えを
高齢世代の存在に見出すということだ。
戦後すぐの貧困の記憶が残っている限り、
現在高齢に達している人々は、
自分たちの状況をポジティブに評価し、
いわゆる「福祉国家」の側に身を置く。
経済的抑圧は、言うまでも無く、
だれに対しても等しいわけではない。
一番厳しい状況に置かれるのは、イスラム圏を出身地とする若者たちだ。
このサバイバルゲームでは、全く機械的なこととして、
もっとも最近にやって来た者の効率が一番低い。
それゆえ、われわれは、移民系の子どもたちの失業率が高いことを
かなり広範に説明できる。マグレブ出身の若者たちの失業率が
特に高いことのかなりの部分を証明する。
たとえば、午後の時間帯のテレビでよく目にするのは、
安全装置つきの浴槽だの、尿漏れ対策だの、
葬儀費用保険だのを扱うコマーシャルである。
もし、若者が、不満だというなら、彼らは、外国へ行けばよい。
アメリカでも、オーストラリアでもどこでもよかろうというわけだ。
若者の旅行と海外移住は、とりわけ高齢者たちを購買層としている
メディアの好みのテーマの一つだ。
アメリカで学生か料理人、ロンドンでバーテンダー、
西アフリカで人道支援者、すべての冒険はやってみるに値する。
ならば、失業と軽犯罪にはまっている都市郊外の若者たちの場合、
シリアでのジハード戦士もありえるのではないか?
冗談を言っているのではない。
大真面目にイスラム国という蜃気楼は、
若者の海外移住の一形態だと主張できる。
カビの生えた宗教的な道徳主義に陥るつもりは無いが、
先進国社会で、若者たちに提案されている社会的、道徳的展望が、
率直に言って、不十分だということを確認しなくてはならない。
技術の進歩は驚くべき水準であり、わくわくするほどである
にもかかわらず、である。
今日のフランスで思春期以降に見えてくる展望は、
単に、テレビゲームとソーシャルネットワークと
解放されたセックスライフだけではない。
それはまた格差の拡大や、今や受け入れられてしまっている
10%の失業率という、道徳的に退廃した光景でもある。
そして、さらには、互いに対立しているかのように装う政治家たちや、
ただの芝居と化している議会の茶番である。
また、社会的に保護されている中産階級のエゴイスティックな冷淡さでもある。
まさに、その中産階級のクオリティライフを
テレビは毎度ほめあげているけれども、その瞬間にも、
本書ですでに指摘したように、
我が国の刑務所はどんどん満員になっているのだ。
入るのは必然的に若者たちで、もちろんそこには、
最近の移民の子どもたちが高いパーセンテージで含まれている。
その上、フランスでは、国家が囚人たちに
人間らしい待遇を与えるために不可欠の予算を計上しようとせず、
狭い空間に囚人の数が多すぎることが、
刑務所の中の不健全な雰囲気をいやがうえにも助長してしまう。
刑務所がすべてをラディカルにする。
そこでは、一般の犯罪も軽い物から重い物に変わるし、
イスラム教も伝統的だったものが、
テロリスト的なものになってしまう。・・・・・・・
キャメロン首相の政策は、ユーロ圏のそれと同じくらいに緊縮策で、
これまたユーロ圏同様に、国民の所得の中間値が下がっていくのを
いっこうに止められないでいる。
とりわけ、若者たちの所得の低下がひどく、
時に彼らは、大学を卒業したあと、
又親の家に舞い戻ることを余儀なくされている。
キャメロンは彼自身の時代の価値=とりわけ株価、を妄信して、
スコットランドの若者たちを分離へと導いたのだ。
2014年9月の国民投票で
16歳から34歳のスコットランド人のうちの57%が、
離脱を選んだ。
その離脱を拒んだのは、65歳以上人口層の73%だった。
スコットランドの若者たちの疎外現象は、
今日、リズムと形はさまざまであるにしても、
いたるところで西洋社会の固有の堅固さが、
危うくなってきていることを示すものだ。
今後はありとあらゆる離脱が考えられる。・・・・・
韓国の現状を伝えるドキュメンタリーを見ていると、
「今、流行っているのは『絶望ラジオ』」「若者の6人に1人が自殺?」
毎日、東京のはずれから、東京の都心を横断して通勤している私にとって、
日常の風景は、毎日、数路線での人身事故です。
つい最近も帰宅する駅で起きた人身事故、あまりにこわく、胸が詰まり、
しまった改札口から逃げるように、喫茶店に逃げ込みました。
今教えている子どもたちの未来をどう作るのか、真剣に悩んでいます。
Jun
6・25
若い先生にアドバイスします。
クラスの男の子たちが、
同級生をかまって、
遊んでいるような、いじられているような、
かまわれている男の子も
笑っているからどうなのかと・・・
そう、私もよく迷いました。
遊んでいるのか、いじめているのかと・・・。
でも、娘で、わかったことがあります。
幼い時、しぐさがかわいいと言って親が笑うと、
むきになって「バカにした」と怒り出しました。
頭を小突かれたり、
ちょっかいを出されたりして、
うれしい子どもはいません。
自分がやられて嫌なことは人にやらない、
それの論理でいいんだよ、後輩に説明します。
止めなさいと言ってもやめない。
そのことに対しては
なめられているからと先が見えないから、
がその理由だよと説明します。
そして、若い先生はなめられるのが普通だから
決してそのことを、気に病む必要はない。
つまりこわくないということ、
だから「怖がらせれば」いいんだよ。
一つは、親のことを持ち出すこと、
一つは、他の先生の名前を出すこと、
ずるいようですが、これの戦術の一つ。
理屈で言っても力関係で、
クラスで集団化していれば、
そう担任の先生を怖がってくれるわけではないので、
テクニックを使うわけです。
なんと言うか?
「かまわれている方の親御さんにしてみてごらん、
嫌な気持ちがすると思うよ。
そして、本人が笑っていると言ったって、
人間には、我慢の限界があるから
いつかかかってくるよ。
そうしたら、きっと君たちもやり返して、乱闘事件。
そうなると、子どものけんかでは済まなくて
あなたのご両親も、けがをさせたとか、
人の嫌がることをつづけたとか、
あなたの代わりにあやまらなくちゃならなくなる。
中学一年生になっても、親に迷惑をかけたいのかな?」
もう一つは
「最近あなたたちのことが職員室でも話題になっていて、
やりすぎじゃないかって、他の先生たちが心配していたよ。
遊びのつもりでも、大人の目から見ると、
そうじゃないから、やめた方がいいんじゃないかな?」
今まで何度となく、
いじめをストップさせてきたり、
ケンカを仲裁してきて、
やっぱり、事前に予防するのがとても大事です。
だから、おどかすんです。
予想させ、イメージさせて。
そして、そういう子どもたちの
日常もかわいがってあげる。
そうしたら、そういうストレス発散の形は
しなくなります。
6・24
初めての期末テスト。
1年生はとても初々しい。
教室をまわって質問を受けると、
必ず珍問答になる。
「先生、問題の意味が解りません」
(中国のように、たくさんの外国企業が工場を作っている状態は?という
問題を、解説したら、答えになるでしょ?)
「はい、答えられませんから、がんばってね」
時事問題でまちがっていたら×をつける問題。
「先生、この問題まちがっています。
イギリスのオバマ大統領ではなくて、アメリカです」
(そこを訂正すると、問題にならないよ!!)
「問題をよく読んで、まちがい探しだからね」
カタカナ五文字で書きなさい、そしてモンスーンと答える問題
「先生、カタカナっていう時、こののばし棒(横線のこと)
カタカナに入るのでしょうか」
(カタカナとひらがなの質問とは?モンスンじゃ正解ではないでしょ?!!
とほほ・。)
「それは、よく考えてね」
がんばってね、みんな。
6・17
EUを抜けるか抜けないか、
イギリスで論議になっている。
抜けるなんてありえないと、
社会科教員として考えていたが、
新書を読んで、実はそうではないことがわかってきた。
現在は、ドイツの一人勝ち状態。
それは、東欧が社会主義から離脱して、
東欧の人々の安い労働力が
流入してきて、イギリスが失業率が高まったせい。
東西冷戦が終わって
平和になると思ったら、大間違いだった。
資本主義は利潤を求め、
今まで社会主義国だった国々の安い労働力を
グローバル化して、求め続けている。
先進諸国では、失業率がそのせいで上がり続ける。
産業が空洞化する。
また、より良い福祉を求めて流入した
先進国への難民たちだったが、
その福祉を求めることができるのは、
その資格を得ている従来の国民だけ。
その福祉を得たくても、まず仕事が無いので、
税金も納められず、そのために、福祉の恩恵も得られない。
同じパターンは、今、アジアでも起きている。
子どもたちの水筒の、象印も、タイガーも
海外に工場を移転し、産業の空洞化が進み、
必要とされている職場は、介護と通信販売の発送業務。
アジアのNHKドキュメンタリー番組を見て、
驚いた。韓国の自殺率が怖ろしい。
「絶望ラジオ」という番組が人気。
さて、どういう夢を、子どもたちに語るべきなのだろうか?
一昨日帰ろうとして、
駅で人身事故が起き、列車が30分ほど動かなかった。
とても、怖ろしくて、その場を離れ、
喫茶店に入った。とても、痛みを感じてしまう。
この毎日頻繁に起こる、大都市の人身事故。
この痛みを、どう日本は解決するのだろう。
6・16
毎日、雨、雨
蒸し暑いのが多少つらい。
海沿いの学校なので、湿気がたくさん。
風も強い。
技術科の先生が
藍を育てていたが、強風のせいか
葉っぱがしなびてしまった。
生き物を育てるのは、本当に大変。
藍の生葉で染色するそうです。
藍は強いから、陽が照れば、伸びてくれるのではないでしょうか。
三年間、育て続けた綿花は
今年はお休み。
風と、ナメクジとの戦いに疲れました。
今年は育てなくても、十分綿花があります。
6・13
お蚕さまを、また今年も持参する。
キャーキャー、
ほんとうに気分が悪くなったと、顔色を青くする子どももいる。
嫌がらせやおどかすためではない。
天の虫なんです。
唯一、家畜として品種改良した虫。
刺さず、毒も持たず、飛ぶこともできず、
成虫にならずにほとんど繭のまま死んでしまう虫。
人間のためだけに生きている虫。
そう伝えて、見てもらう。
古代には、正倉院の衣服の一部が絹として残っているし、
明治時代には、このまゆで日本は発展したから、
中学三年になったら、繭から糸を取ることも伝えた。
今年は、びっくりして、笑ってしまう出来事があった。
桑の葉を食べて、味見をした子どもがいた。
「まずいまずい」と連発。
「桑の葉は蚕用だからダメだよ食べちゃ」
子どもたちの好奇心は止められない。・・・仰天!!
そう言えば、若い先生たちに見せたら、
男性の社会科の先生たちが、夢中で触って、
飼いたいなあと言っていた、こちらも少年のような好奇心ですね。
6・9
インドについて勉強し、
映画を見せている。
「スラムドッグ ミリオネア」
かわいそうじゃないスラムの少年たちが
とてもいい。
主人公のジャマールとサリームが
スラムの中を走り回り始めると
中学一年生たちの目が輝きだす。
それに、インドの音楽がすばらしい。
二人の少年たちのほんとうに生き生きとしたさま。
インドの匂いがするように思う。
原作の「僕と1ルピーの神様」ほど、
シリアスで胸が強烈に痛まないけれど、
インドの半分くらいが描かれているように思う。
後半はラブロマンスの話になるが、
わんぱくな少年期の、
残酷でも、壮大なストーリーが、
そして、列車に乗って、インド中を旅して
生活する兄弟が、とても魅力的だから、
インドを伝えたいと思って見せている。
6・8
建麗ちゃんの番組は2005年だったが、
古い番組でも、取っておくと
とてもいいことがある。
建麗ちゃんの時は広州の工場で月給9000円、
そのあとに使ったドンキホーテの大連の工場は
2009年で平均で月2万円。
ネットで調べると、2012年で5万円ぐらい。
最近のNHKの番組で、
日本の企業が進出したベトナム工場で
月給が2万3千円。
企業が、グローバル化の時代に
人件費の安いところへ移っていくのが、
子どもたちにも如実によくわかる。
日本の産業の空洞化がものすごく心配だ。
子どもたちが大人になった時に、
どんな仕事が残っているのだろう。
介護だけだろうか?
6・2
朝の通勤時間帯、駅で卒業生に出会う。
クラス担任だった時、
受験の時期に、私に「嫌い」と言った男の子が、
ニッコリ笑いながら、軽く会釈をして
走り抜けていく。
ああ、やっぱり、あの時期は
苦しかったんだなあと思う。
そのつらさから、甘えて、
でも、そんなつもりは無くて、
ストレスを私にぶつけていたんだなあと思う。
その時期が過ぎて、穏やかな笑顔を見られることが、
朝、ちょっとした幸せに感じる。
もう、私自身の気持ちは、
心配な1年生に向いているけれど、
つかのま、3月に気持ちが戻って、
なつかしさにうれしくなる。
6・1
建麗ちゃんの番組について書いたが、
親孝行をしたいという、
18歳の女の子の気持ちに
やっぱり胸を打たれる。
それは中学生でも同じ。
胸に響くものはみな同じだと
子どもたちの食い入るような顔を見ていて
強く思う。
特に、おみやげを妹たちに渡す時の
バックミュージックの中国の歌が
切々と胸に響く優しいメロディ。
一方、海外ドキュメンタリーで
カナダの番組が同じように中国の出かせぎを
取材していた。
どちらの番組を選ぶか、
準備の時点で、よ~~~く考える。
同じような内容だが、
建麗ちゃんの番組は2002年、
カナダのは最近。
内容で考えていった。
同じように見えて
出かせぎに行くのは父と母。
田舎の家を守るのは祖母と姉と弟。
実家に帰るたびに、
母は勉強はどうなっているか、
進学のためにお金を稼いでいると言い続けている。
そして、姉の方は、ある時、爆発。
母を無視し、そのことに怒った父親に殴られる。
壮絶な場面で胸がいたくなる。
姉の女の子は、慕っていた祖父が亡くなり、
孤独で勉強も思うように進まず、
両親が戻ってきても、
心を開けない。
確かに、ドキュメンタリーとしては、
出かせぎで親の愛情を感じずに育つ子供たち。
お金よりも、近くで親に甘えたいという気持ちが
表現できず10年以上、過ごしてきた不満・・・・。
その問題を突き付けているが、・・・・。
日本の中学生の子ども達は、たぶん共感できないだろう。
荒れ狂う姉を見て、「わがまま」だと感じるだろうし、
町に出て働き始め、
やがて夜の世界でアルバイトまでする
女の子に、困惑してしまうだろう。
中学生に、世界地理で、
中国の工場の何を伝えるか、
教えるに値することは何か、・・・それを考えながら、
教材を選ぶ。
教師としての眼力が問われるのだと思う。
中国に対する偏見も育てないように、
基本は中国の人々に少しでも共感できるように、
そうやって、教材を選ぶ。
だから昔の番組でも建麗ちゃんを選ぶ。
May
5・31
東南アジアの工業で、いつかやろうと思っていたことを
実行している。
ちょうど1年生の始めがいい。
宿題を出しても、まじめにやって来るから。
家の物、スーパーなどお店の物で
どこの国のものかを調べてくることにした。
それをどうするか。
クラスが少なければいいが、大規模校。
シールを作るのはやめて、
小さなシールぐらいの大きさのそれぞれの物を用意して、
クラスごとに一覧表に張ることにした。
ある女の子は、家の中の物、100個以上を調べてきた。
驚き!!

ノートで文房具を表わし、

ポッキーの箱で食料品、

Tシャツで衣類を表わし、

水筒で日用品、

洗濯機で電気製品

ブロッコリーで野菜や果物

肉で魚・肉類を表わして、この形の小さい紙を切って
のりで、表に貼っていった。
さて、どうなることやら。
でも、一目瞭然の表ができる。
最近多いのはベトナムやミャンマー製だった。
まだ途中経過なので、一覧表ができたら紹介したい。
水筒については
中国が100個
マレーシア55個
タイ46個
ベトナム3個
インド1個・・・・
やはり、工業生産は東南アジアへも移っている。
5・25
世界地理をやるのは何年ぶりだろう。
6年ぶりぐらいかな?
3年前ぐらいから、それぞれの各国を地域ごとに
教えるようになっていたが、
私が取り組むのは初めて。
教えてあげたいことが山ほどある。
学ぶ価値のあること、
伝える価値のあることを授業したいと
強く思う。
40代ぐらいまで、
中身づくりに苦労し、
1時間をどう持たせるかで
悩んでいたけれど、
50代を過ぎたころから
余分な時間は一切無くなった。
アジアで今勉強しているのは工業。
しかも、中国だけではなく、
東南アジアの発展ぶりを伝えている。
そこで、役に立つのが、
NHKの経済番組。
すばらしい情報番組だ。
驚いたことがある。
子ども達が調べようと言って取り出した水筒。
中国製だけでなく、タイ、マレーシア、ベトナム
インド製まである。
そして、ちょっと聞いてみたら、
出張で、ミャンマーに行った、ベトナムに行った・・・
というお父さんがいたこと。
日本は生産現場で無くなり、
舞台はアジアに移っている。
これから、失業者が増える先進国になりそうな日本。
どうやって今の生活を維持していくのだろう。
誇りも経済力も、失ったらどうなるのだろうと、
切実に思う。
5・23
中学一年生というのは
いろいろな小学校から来ている子どもたちが
お互いの関係を始めて作っていくところだ。
だから、4、5月は、
特に男子は、トラブルが多い。
今のおとなしい中学校でも、
それは、少しずつある。
お互いを挑発して
悪口を言い合って、
相手のでかたを見る。
そんなことでちょっとした暴力。
初めて中学生を受け持ったときは
なぜケンカをするのかと
とても不思議だったし、
ちっとも理解できなかった。
何せ、私自身は女兄弟しかいなかったので。
でも、男の人たちって
それが自然な生態なのかな
と感じることも多い。
どちらが力関係が上か下か、
大人でも見ているような気がする。
中学一年生なんて、
ほんとうに、相手を見て
力関係を測ろうとするところがあるから、
それをそのまま放っておいたら
猿山のサルになってしまう。
だから、大人を介在して、
力関係では作れない関係に作り変えていく。
中学校では大人の集団、先生集団が
治安を守り平和を作ると
教えていくことが大事なのだと思う。
30年前、失敗したのが、
そのころ勤めていた荒廃した中学校だと思う。
悪夢でした。
5・19
今、一年生と地理で
中国を勉強している。
「ガイアの夜明け」の番組で
2005年に放送した
建麗ちゃんという出かせぎの少女の話を
まず見せる。
この番組からもうすでに10年以上たっているのだが、
建麗ちゃんが、妹たちの大学進学のために
工場労働者となってがんばっている姿が
子どもたちの共感を呼ぶ。
田舎の妹たちは、お姉ちゃんの手紙に
「みんな元気ですか」という出だしで泣いてしまう。
お母さんも泣き、おばあちゃんももらい泣き。
家族の優しい絆にみんな目を見張る。
今の日本の中学一年生たちは
「妹たちのために働くなんて嫌だ、
稼いだお金は、自分で使う、もちろん」
と答えるのに、
建麗ちゃんの家族のつながりに
食い入るようにみんな見つめる。
どうしてなんだろう、
貧しいと強調され、
給料も安いと説明され、
それでも、いっしょうけんめいに働いて
かわいい笑顔を見せる建麗ちゃんに、
どこか胸うたれてしまう・・・・
それが、自然なのかもしれない。
やはり、マスコミの影響で
中国を馬鹿にしたり、
嫌いだと言い張ったりする子ども達も多いけれど、
こういう番組が伝えることは大きいと思っている。
5・18
体育祭も終わり、ひと段落。
体育祭で、強く思ったことがあった。
練習は10日間、
それも、雨が降って何回かつぶれた。
紫外線は強かったけれど、
練習で2時間続いても、だるくなるほどは疲れない。
あと1週間体育祭が遅ければ、疲れも違うだろう。
それにしても、全体練習で、全校数百人が
開会式や準備運動や、棒引き・騎馬戦
これらの練習をしても、
終えて、教室に戻る時に、
子ども達が、だらだらと、
疲れて無言でもどることは無かった。
これは、超ベテランの女性の体育主任の
指導の賜物だと思った。
体育祭の練習で、体育の先生が怒鳴らないことは
今まで経験が無い。
「だらだらするな、走って応援席まで戻れ」
「体操の隊形に開け、そう言われたらすぐに走れ」
そんなふうに大声で怒鳴られるのが、普通。
しかし、今年は、彼女は全く怒鳴らない。
すべて「ですます」調で、静かに指示。
うまくいかなければ、やり直すだけ。
そして、最後に
「明日の体育祭は、皆さんが真剣に練習に取り組んだ成果を出す場です。
今までで80点ですから、あとの20点を全力で出し切って100点にしてください。
練習も、皆さんの協力のおかげでとても短期間でも立派にできました・・・。」
そういう趣旨を言って、解散をした。
教室に戻る全校生徒が、明るい笑顔で、
疲れた様子を見せないことに、
ほんとうに驚き、改めて、
怒鳴ることの無意味さに、気づかされてしまいました。
すごい!!
5・10
1日に、私自身、大口をたたいていたくせに、
大勘違いをして、
また、プリント配りを嫌がらせをしてたとまちがって
同じ男の子を、大怒鳴り・・・。
教室の空気は凍りつき、でも、私の勘違いだとすぐ気付く。
気まずかったけれど、
帰りの会に、すぐにこう言ってあやまる。
私の勘違いで怒鳴ってしまって
ほんとうにごめんなさい。
頭を下げる。
それだけではなく、「きっと、○○君はむかついただろうね」
「つい卒業していった三年生の時は
先生ひどいじゃないですかって泣いて怒った子もいたし、
陰で、ブツブツと呼び捨てにしてただろう子もいたよ○○なんて・・・」
「でも、嫌なことがあったら、言い合おうと言っているから、
私も人間だからみんなと同じようにまちがうことがあったら
言っていいんだよ」と笑いを交えながら話す。
彼が、ニコッとする・・・ああ、よかった。
体育祭の練習で忙しい。
大変だけど、大規模校の準備だから仕方ない。
子ども達が初めてのことで緊張しているから
解きほぐすようにして、私も楽しんでいる。
これが、2年や3年になると、
燃え方が生ぬるいと言って怒られてしまう位だ。
社会科で今やっているのは世界地理。
まず、熊本の地震のことと、地震の原因と
阿蘇の成り立ちを授業した。
そのあとで、すぐにアジアに入る。
ビンゴをしたり、暗記テストをしたり、
都道府県カルタをしたり、ヘビクリームでおどかしたりしながら、
今度はアジア・中国に入っていく。
とても授業を楽しんでいる。
何をやっても、うるさく質問して、目を輝かせる
13歳の少年たちがおもしろい。
5・8
連休中は、博物館で合宿研究会で大忙し。
若い先生がたくさん来て
久しぶりに子どもたちの話が聞けて
とても楽しかった。
今、フランステロを分析している本を読んでいるが、
納得することがたくさん。
どの国でも商店街がさびれ、大型店舗や
チェーン店が繁盛。
地域おこしを考えても、うまくいかない。
戦後派の考え方と、若者の間には
信じるものの違いの断絶があり、
それに社会が気づいていない。
格差が広がり、過激な発言が人気を呼ぶ。
大学を出ても仕事を保障されず
親の代の裕福さは望むべくもない・・・。
これは、世界の同じ現象なのに、、
各国ごとに分析されて、
・・・・・・・・・・・・・・・う~~~ん
これは、日本とまるっきり同じではないか。
どうしても、私は、教えている子どもたちの未来が気になる。
若い先生たちの毎日の仕事が気になる。
失業や貧困や不平等は、戦争の引き金になる。
そういう社会を私たちは作ってはいないかと・・・。
同じ若い先生たちでも、昔から
中学校の先生たちは、
休日こそ、試合で、何日も朝から晩まで働き、
こうした研究会に参加できる人はいなかった。
休み明け、それなりに疲れている若い先生たちがいた。
胸が痛む。
5・1
4月の最後に、
担任のクラスで怒鳴った。
どの子がいじめの標的になりそうな子で、
どの子がいじめる側になりそうかは、
子どもたちの雰囲気でわかる。
まず、手イタズラが好きな男の子たちが
授業中勉強しないと
女の子たちが言いつけに来た。
ひとまず、その男の子を呼んで
勉強しようね。
一昨日、その男の子が
紙を配ってくれないと言っている。
連絡用のいろんなお手紙を帰りの会に配布しているが、
そのことらしい。
えっ ホント?と、配る側に聞くと
そんなことはしていないと言う男子、
そこで本人に確認。
そうすると、2回あったと言う。
そこで配る側にもう一度聞くと
「していない」
そこで大声で怒鳴る「配られた側がそう言っているのにしてないわけないでしょ!!」
強気な声で思わず「私はね、ベテランだから、
誰が、さぼりそうか、だれが優しいか、だれが、意地悪をしそうか、
みんなの目を見ればわかるんだよ」
そう啖呵を切っておいて、普通の優しい声で
「最初に言ったでしょ、だれも傷つかないクラスじゃないとだめだよ
クラス全員が楽しく過ごせないとダメなんだよ」
嫌らしいやり方だけど、
意地悪しそうな子たちは震え上がってくれたかな?
ベテランになり見えてきたけれど、
子ども達は序列をつけて、
自分より下の子たちには冷たくしがち。
だから、私は逆に盛り立て、少し贔屓目にする。
そして、ダメなときは怒鳴ります。
少し早いと思った。このクラス用心しないとね。
April
4・30
○○先生って、チョーおもしろいんだぜ・・・
これは私のこと。
卒業生も、弟たちに、
担任の先生以外で、一番面白いのは○○先生だよ。
そう伝えているらしい。
退職間際になって、ようやく
中学生たちを掌に載せて
泳がせることができるようになってきたか?
と自信をもらう。
でも、慢心はダメ、
いつ落とし穴があるかわからない。
先輩のベテラン先生から
私が30代の時に聞いた通り
「子どもたちの心をつかまなきゃ!!」
その通りです。
いろんな意味でつかまなきゃ、
信頼を勝ち得ないし、
授業も成立しない、
勉強も喜んでやってくれないし、
明るい顔も見せてくれない。
さあ、一年間始まるぞ。
4・26
あっという間の二週間、
毎日がてんてこ舞い。
1年生たちも少しずつ緊張がとれてきた。
新しい学校のメンバーとも
少しずつ歯車がかみ合ってきた。
・・・・大荒れの学校のうわさを聞く。
ここ数日、そのことが気になって・・・、
まるで25年前の初めて中学校に移った時の
その当時を彷彿とさせられる。
今まで、若い人たちに笑い話、武勇談・・・のように
話してきたことだけれど、
やっぱり、又その時代が再来したかと
怖気をふるう。
保健室閉鎖、理科の実験ができない、
校歌は誰も歌わず、ピアノの音だけ、
子ども達には、大人への不信感だけがある。
・・・・原因を聞いて、思い当たる。
小学校の時の先生が、自殺された・・・・らしい・・・これもよくわからないが。
最近、若い先生たちの自殺の報道を
よく聞く。
先生たちが生きづらければ、
子どもたちだってそう・・・。
子どもたちの傷を思うと、…胸がきゅーと痛む。
荒れたことがよくわかる。
でも、25年前は、ほんとうに、怖ろしかった。
トラウマになっていることを改めて
感じてしまう。
絶対、そう同じことをくりかえさないように・・・
私にできることを・・・と考え始めた。
4・18
いよいよ授業が始まりました。
一期一会だという感覚がいよいよ強い。
だから、最初は、熊本の地震のことを取り上げようと思う。
三年間のうちに、いつかその単元で教えられる、ではなく
今、この時に学ぶことこそ身になる。
阿蘇の外輪山と、プレートの話と
プレートの映像と、地震のわけを話せば、
ニュースの意味が解る。
人ごとではないことがわかる。
それが大切かも知れない。
4・17
職員会議は、時に、考えると奇妙で、
変なことも長時間論議になったりします。
今年は、配ぜんの時にマスクをさせるかさせないか・・・、
以前、お盆が各自に無い時には、
ナフキンを毎日洗ってこない子がいるため
学級費でお盆を買っていいかどうか・・・がえんえん1時間以上討論になり、
牛乳パックを道路に投げつけている子がいた学校では
牛乳パックをつぶしてあとかたづけをするかどうかで
えんえん論議になり、
今回はマスク。
栄養士さんは小学校でやっているのだから・・・
「当然やってもらいます。お金は何とかしてください」
これもなかなか議論の呼ぶところ。
二つネックがありました。
一つ、お金はどうするんだ。今は洗うガーゼのマスクなどだれも使わない。
毎日使い捨てのマスクを6枚×100日ぐらい⇒1万円?
二つめ、マスクをつけてください。というのは簡単。
でも、ということは、マスクをつけなければ、ワゴンを取りに行けない。
毎日毎日マスクをつけるように、担任は指導するということ。
奇妙で変なことを長時間論議するのは、
結局決めたことは、ルールとして学校で守らせるために、
毎日指導することにつけ加えるかどうか・・・ということなので。
口うるさく指導する担任を中学生はいやがるし、
命令通り動くだけが中学生では困る。
どうでもいいようだけれど、どうでもよくない・・・
そんな中学生生活を一応ルールで
円滑にいくよう・・・それが長時間論議になってしまうのです。
外側から見るとブラックジョーク、
でも、学校内では真剣・・・・変だけれど、真実の姿です。
4・14
三月に卒業した子どもたちが、
次々と学校を訪れていた。
三年前、リストカットと不登校で
大悩みしていた女の子も、
制服で訪れ、何とか楽しそうに笑顔ばかり。
とてもうれしいです。
照れもあって、10分ほども話せない。
でも、何度でもおいで、会いたいから・・・そう言います。
新一年生は、やっぱり小さくて、かわいらしい。
すごく緊張しているようですし、
ずっと、黙って、読書したり、先生の話を聞いたり・・・。
今年は、少しやり方を変えています。
そうじのしかた、給食当番を
役割を細かく分担しました。
これは、ほんとうは秘密ですが、
大学生の娘とのバトル・・・で考えたから。
気を利かせて家事を手伝いなさいというのは、
今の娘には通用せず、
細かく指示をしないとしない、したくない、・・・。
なんべん、この細かい言い争いを、中学校時代からしてきたことか・・・
ほんとうはうんざりなのに、彼女らの将来のためと思い、
口うるさく言いつづけます。
みなさんのお宅はどうですか?
今は、家事をしなくても、生活が成り立つ時代だから、
それよりやりたいこと、忙しくて、時間をかけることがたくさんある。
娘たちが一番時間をかけているのはず~~~っと、スマホです。
中学生たちも、学校以外では、給食当番の配ぜんも
ぞうきんがけもやる必要もやる時間も無い・・・。
職員会議で、配ぜん台を消毒すべきか、そのお金をどこから出すか・・・そんな
話し合いがされるほど、・・・配ぜん台を雑巾でふくのは、不潔だそうです。
・・・・う~~~ん、考えちゃいます。
4・12
始まりました。
1年生の1学期。
新しいメンバーの先生たちの仲間と
新しい1年生の子どもたちと。
今日は二日目、
入学式を終え、校内めぐりをしたり、
教科書を配ったり、提出物を集めたり
集会をしたり、オリエンテーションがあったり・・・。
帰りの会で、
きょうつけ、礼・・・・さようならと言ったら
大きな声で、「はああ~~」とため息をついた子がいた。
1日中、緊張していたんだね。
ご苦労様でした。
明日は、少し楽しいことが待っているよ!!
4・10
4月に入ると猛烈に忙しい。
しかし、ほとんど毎日、会議会議!!
職員会議はとても疲れる。しかし、
特にクラス分けに時間がかかる。
さまざまな配慮が、今の時代に必要だからです。
さて、明日からは1年生担任。
入学式です。
3月31日に、離任する職員と別れたら、
もう4月1日には、新メンバーで
学校運営が始まる。
少し前に思い付いたイメージですが。
学校は真ん中に軸のある大きな大きな円盤のよう・・・
いつも、まわり続けていて、
止まることは永遠に無い。
私が産休で子どもを産もうが、学校は回り続けていた。
三年間1年生から付き合ってきた卒業生が
3月に卒業式で巣立って行っても
学校は回っていて、2・3年生の授業は
されているし、
他の先生たちとサヨナラしても、
新しい先生がやってきて、その学校の円盤の上でいっしょに仕事をしていく。
私が、仕事を続けるとしたら、
いつまでその円盤の上に座っていられるか
軸にしがみついて、体力の限りまで、
がんばれるか、・・・・
そのスピードに振り落とされないよう
自分でも体力に気をつけないと、
突然落下してしまうと…大変だし、
いつの間にか落下しているのでは
みんなに迷惑をかけるなと、気が引き締まる思いがする。
特に、子どもたちについて行くのは、
気合を入れないとだめだなと思っています。
がんばろう・・・と思う。めずらしいです。
4・1
張学良は、張作霖の息子。
西安事件の中心人物です。
西安事件のことを知った時から、
張学良のことに興味を持ちました。
蒋介石を脅して西安まで連れて行き、
周恩来と会談させ
国共合作を作った立役者。
以前西安に行った時に
楊貴妃の華清池を訪ねたら、その西安事件もこの場所だったと聞き、
銃弾の跡も見ました。
満州を訪ねた時には、張学良が
父親にプレゼントとして建てた洋館もあり、
そこには、張学良の使った筆も展示してありました。
そして、一番西安事件のことで、
興味を引いたのが、張学良が、その後、
蒋介石の逆鱗に触れて
台湾に死ぬ直前まで90歳ぐらいまで
軟禁状態に置かれていたこと。
どうしても、その住んでいた家を見たくて、
台湾の家を訪ねました。
それは、まったく、伊豆の山の中の住居でした。
行くのに台北から4時間、帰りも4時間。
そこに、名前も名乗らず、監視役の役人もついて、
そこで、静かに、数十年も暮らしたのです。
NHKの磯村尚徳がインタビューした、

その時にも、「日本軍に人生を狂わされた」とは言いましたが、
西安事件のエピソードは、ほとんど話しませんでした。
蒋介石を尊敬しているといい、
西安事件のことを後悔していないと言っていた・・・・
それは、それは、日本軍の罪の深さと
張学良の人生を考えさせられた、
胸がつぶれる思いの感傷に襲われる旅でした。
March
3・31
台湾に行ってきました。
目的は、非情城市の跡を訪ねること。
でも、有名な九份は、その観光地かだったのだと、
行って遅まきながら気づきました。
非情城市は私には衝撃でした。
韓国の済州島と同じ。
それプラス張学良の住まいも訪ねました。
これは、もっと今回の旅で衝撃でした。
戦後史を考えさせられるどころか
人生を考えさせられて、悲しい気持ちいっぱいになりました。
次回書きます。
3・30
一週間前に、国谷裕子さんあてに
手紙を書きました。
クローズアップ現代のスタッフにも向けて書きました。
全部でA4の紙18枚に及ぶ長いラブレター。
そのために、二晩徹夜しました。
私の過激なのは、思い込んだらとことんでしょうか?
でも、私としては、満足。
書かなくては、書かなくては・・・と思っていながら
重い腰でずっと書けずに・・・。
でも、いよいよ三月で終わりとわかったので、
急いで書きました。
10年以上、書こう書こうと思っていた手紙なので、
これからは、NHkスペシャルのスタッフとか
今までの番組制作者とか、・・・そういう人たちに、思いを届けるつもりです。
3・21
マララユスフザイさんの国連演説、
ノーベル平和賞の演説を読んだ。
読みながら、涙が出そうになった。
こんなことは書きたくないが、
私も痴漢に遭ったことが5~6回はある。
その時は、特に大学1年の時は恐怖だった。
私の母は、進んだ考えを持っていたと思っていたのに、
時々「きずもの」という言葉を使った。
その言葉を使う母が私は大嫌いだった。
反発したし、人を何だと思っているのかと思った。
女性は、暴力を受けるのではないかと
怖れを抱くことが普通なのだ。
だから、おばさんであろうが、おばあさんであろうが、
その恐怖は、全世界共通で
女性なら共感できるもの。
でも、少しは男性にでもわかるのではないかと期待していた・・・
マララさんは11歳の時に、
殺されるのを待って死ぬか
学校に行って死ぬか・・・それを選んだと言っている。
何とか打開したくて、BBCに投稿した。
そして銃撃に遭った。
そして、世界中から寄せられた
「私はマララ」の手紙に勇気づけられ
女性の権利を、子どもの権利を訴えている。
この演説を読んで、「私もマララだ」と思った。
思い出した。映画「レ・ミゼラブル」を見た時
ファンティーヌが体を売って
子どもに送金しようとした時の歌に
私は号泣してしまった。
こうして、女性たちは涙を流して生きてきたのだと思ったら、
先輩たちの女性の涙を思い、耐えられなくなった、
泣かずにはいられなかった。
でも、・・・・マララさんのことを、広告塔と言った人がいた
子どもだから利用されている・・・そういうことだろうか?
11歳で死ぬか学校に行くか判断を迫られるのは
マララさんは珍しくないことだと述べている。
世界には、そういう女の子がたくさんいると言っている。
彼女の訴えをノーベル賞をもらったから広告塔だと、
心に届かない人がいたんだ。
命をかけて訴えている少女の声が
そのまま届かないとは・・・。
ネット上の人々だけではなくて、・・・
クローズアップ現代で、最終回は
若者たちは痛みを共感しあっているというテーマだった。
国谷裕子さんに会えなくなるのが
ものすごく残念!!
痛みに共感できず、
社会科なんて成立するだろうか?
3・19
卒業式が終わって4日。
思ったより、さびしい感はありません。
これからやりたいことが
山ほどあるせいでしょうか。
卒業式の前日、
学年の最後の集会で
私は三つの話とサービスで、歌を歌いました。
一つめ、鉄の授業はあなたたちが最後だということ。
二つめ、学年に中国の男の子と、韓国の男の子がいて、
二人に感謝ということ
三つめ、ベルリンの壁を見に行った時の小学六年生の教え子が
数年前に、そのことが刺激になって、
世界を旅してネパールで日本人の女の子と出会って、
結婚して今宮崎で農業をやっていること、
だから、世界を見てきてほしいこと、
でも、好き嫌いをなくし、虫が大丈夫になる必要がある・・・・という話です。
歌はサビだけ。10秒だけ。
ハピネス
「きみが笑えば、この世界にもっともっと幸せが広がる
きみが笑えば すべてが良くなる この手でその手で・・・」
赤ちゃんが生まれたお母さんの歌・・・
卒業にもいいね・・・と思って。
これもそれも、次の日の卒業式のため
演出のためです。
もう一つ、クラスの一人一人の「(本人が言ってほしいだろう)良い所」
を書いてあげました。
学年全員にも一人一人、授業の感想をもらったお礼と
気持ちのメッセージを始めて書きました。数百人分。
3・12
広島の件についてひとこと。
こういうことは、担任教師の個人の資質だけで
起きる問題ではないこと。
それをフォローできる職場なら
問題が起きずに済むけれど、
状況や背景がある。
そして、フォローできる体制でなければ
危険と隣り合わせということになってしまう。
そのために学年、学校でお互い教師が
補完しあい支えあう体制が必要だと思う。
何が原因か、本当の真実を知っているのは
当事者だけ、関係者だけだけれど、
亡くなった中学三年生への
敬意と鎮魂の意味も込めて
当事者じゃないからこそ、
考えられる状況がある。
いろいろな要素が絡み合って
今回の悲劇が起きたけれど、
私が一番気になるのは
推薦基準を3年生のみの触法行為としていたのに
今年から、1年生に変更していたという点。
この考え方の裏に、荒れている学校の状況を
1年生からの行動が推薦に関係すると
変更すれば、子どもたちの行動が収まるのではないか
つまり、脅し・・・の発想。
そして、その変更を
生徒指導などの会議で決め、
担任は上意下達で伝える立場になってしまったのだろう
と想像する状況。
その変更も秋以降になったからこそ、
付け焼刃で廊下で・・・。
重要なのはそこでストップをかける
三年の担任がいたのかということ。
利害の当事者の三年生を守って、
今年からの突然の変更は
生徒や保護者たちに説明がつけられない。
だから、それを私は言えない、
そういう反対ができたのかということ・・・だと思うのです。
私が30代、40代のころ、
まわりから言われながらも
人間関係が険悪になりながらも
(今なら、根回しとかテクニックを使って上手くやります)
そうやって、反対したり、
クラスの子どもたちを守ったこともあった。
でも、生徒指導や学校の体制
という立場の人間には「言うことに正義がある」
と、自分が思い込んで、
罰するのが教育だと
正論だけを強く主張する人も多い。
硬直化して、論争を好まない、
学校の体制を伝えるだけの立場になった担任は
最後に自分の行動の責任を問われるのだ
という自覚は無いだろう。
いつでも、これはそうでした。
ナチスの収容所で「私は言われたからやった」
日本の捕虜収容所で「私は言われたからやった」
でも、学校は収容所ではないし、
担任は、ノーという権利だって持っているはず。
新しい真実がわかって、
私の書いたことがまちがっていれば、
後で訂正させてください。
でも、私たちのすぐ隣にある問題だと思います。
3・8
最後に授業の感想への返事を書くことにした。
読めば読むほどありがたい。
社会科は何のために勉強するの?という質問はよく聞くが、
三年生たちはこう答えている。
「きっと、大人になった時に役に立つ」
「戦争にならないために学ぶんだとわかった」
「深く学べて社会のことがわかった」
そのほかたくさん。
みんなが、
「中身が濃い
他の場所では学べないこと
貴重な体験
楽しく学べた
あきなかった
忘れない
世界を見てみたい
・・・・・・」
三年間、振り返ってそう感じてくれたとは、
ほんとうにありがとう。
私こそ、やっぱり学ぶ価値のあることは何かを
教わったように思います。
3・5
公立入試が終わり、涙と笑顔とやはり両方に
分かれた日々が終わりました。
あとは卒業を迎えるだけ。
子どもたちの顔は、高校に向いています。
制服を作り、説明会にいつ参加するか・・・そういう話題。
これで、私も数回目の(育児出産があるから10回は超えないですね)
卒業生を出す。
卒業式や卒業自体にはあまり感慨は無いかな?
三年間、社会科を続けて教えることはもうないかな?
ということや、いつまで授業できるかな?ということや
それをつらつら考えることはあるけれど、
若い頃のように、子どもたちに執着する気持ちは無くなった。
だって、新しい世界に羽ばたいていく彼らだから・・・。
私ができるのは、世界の切れ端を彼らに見せてあげることだけ。
ひたすら、自分たちで獲得する幸せを願っている。
本屋の店頭で
佐藤優著の「世界史の極意」を見かけ、
今読んでいる。
簡潔で、マクロ的で、その視点がおもしろい。
また、知らないこともずいぶんあって、(もちろんなのだが)
論の簡潔なところもわかりやすい。
たくさんの本を読んだのだとよくわかるし
それを簡略にまとめてあるが、その飛躍は
すべてを私自身が追えないから、
その飛躍に問題点が潜んでいるかもしれないが、
議論にはなる。
新帝国主義とナショナリズムと現代的な宗教。
現代を読み解き、戦争を止めたいと願うその狙いには
敬意を持つ。
一つ気になったのは、日本はさて、
私たちは、労働者であるという意識があるだろうかということ。
社長たちが、自分たちは資本家だという意識があるだろうかということ。
日本にも存在するはずの、あるいは、作られているはずの?
階級は、今、自覚的になっているだろうか?
それは未来にどうかかわるのだろう?そういう疑問です。
ぜひ、だれかと討論してみたいな?
社会科では労働者という言葉を使いながら、
現代日本社会では、労働者という言葉は死語になっている?
だいたい労働者対資本家という対立構図が、
和を好む、波風を嫌う日本社会には
ほんとうになじんでいない。
組合対経営者の対立も、作られた感じが否めない。
内在している物は多いのに、水面下に隠される。
では、日本社会は、高度成長期以後に発生している
労働問題、格差を、どう定義づけ、どう解決していくのだろう?
3・1
子どもたちからの文章
「この三年間であなたが社会科で学んだこと、
賢くなったことを教えてください。」
に対する答え。
須藤さん
「昔の人々の暮らしがよくわかった。
今の自分たちがどれだけ裕福な生活をしていて、
どれだけ便利になっていたかわかった。
昔は道具も食べ物も十分に無くて、苦労していたと思うし、
こんなに国内でもみんなが楽しく、
内乱や紛争などが無く過ごせているということは、
昔にあったことを踏まえて、
人々がどんどん良くしようとしているからなんだなと思った。
歴史は元々興味も無く、
そんなことやって何になんの?とか、思ってたけど、
歴史の大切さがわかった。
公民では、今の自分たちが普通にくらしていられるのは
さまざまな憲法などで守られていることを知ったし、
経済や国会の働きの所では、
普段テレビのニュースなどで見ていることがわかるようになって
少し大人に近づいた気がしました。
これからの世界はイスラム国のことで悩まされる日が相当続くと思いますが、
世界の人々がそのようなことに興味・関心を持って、
ニュースや新聞などで情報をかたよらずに知って、
考えていくことが大事だと思いました。
自分たちが何かをやっても意味ないしと思うかもしれませんが、
みんなが同じことを願い行動すれば、大きなものとなると思います。
国がちがくても考えや思いはかわらないと思いました。
自分でこんなことを考えられるようになったのも
社会をがんばって勉強して教わったからだと思います。
三年間ありがとうございました。」
まるで模範解答です。
社会が大好き・・・というわけではなかった彼女から、
こんなにも長く書いてもらって、言葉の使い方にも
とても感激しました。
どの子も書いていたのは、昔の人々の人生・歴史の時間
それがあって、今があるということ。
昔の人々に思いを馳せられるのが私の授業の目標でした。
それこそ歴史の意味するものですね。
February
2・29
最後の授業の時にメッセージのプリントを配る。
「いっしょに社会科を勉強してきた時間、短かったけれど、楽しかったね。
ありがとう。
最後に三つの話をしましょう。
1つめ
1990年、ベルリンの壁が無くなりました。
“ベルリンの壁は私が生きているうちには、絶対に無くならない。
東と西に分かれたドイツの人々は会えない”そう思い込んでいたのに、
壁は無くなり、米ソの東西冷戦のために
東と西に分かれていたドイツが一つに戻りました。
このニュースを聞いて、“社会科の教師なら実際に見に行かなきゃ”と思い、
すぐに冬休みにベルリンに行く計画を立てました。
ドイツの人々は、温かかった。
世界中の人々がベルリンに集まって来たので、
ホテルが満杯になったら、一般の人々が泊めてくれました。
一番感動したのは、おおみそか、12時になって、新年になったとたん、
ブランデンブルク門で集まっていた人々の中で、
お年寄り夫婦が持ってきたバスケットの中からワイングラスを取り出して、
涙を流しながら、しかも笑顔で乾杯していたことでした。
この時から〝世界はいつか変わる。世界中の人々が願って、
今もどこかで行動しているから”そう信じられるようになりました。
2つめ
インドに行った時のことです。憧れのガンジーが作った大学を訪問して
授業を見せてもらいました。
その時、小柄な女性の大学の先生が、
〝福島の方は、いかがしていらっしゃいますか”
〝政府の援助は行き届いていますか”
そう聞かれました。
思いやりのある言葉に、思わず涙が出てしまいました。
世界には、国が違っても、心配して思いやってくれる人々がいるのです。
この時にも、「世界はつながっている」そう思いました。
ぜひ、偏見を持たずに、いろいろな国の人々と接してください。
ばかにせず、敬意を持って、相手に接することができれば、
日本国内の格差も無くなり、世界の貧富の差も無くなり、
世界の平和がきっとやって来ます。
3つめ
テレビの映像で、アフリカのサプールという人々を見ました。
世界の中でも、貧しい人々なのに、超カッコイ――――イ!!!!
エレガントでステキで、貧乏だって、かっこよく生きていける!!
あんな風になりたい、今もそう思っています。
世界の人々を見ると、それぞれ自信を持って生きているよ!!
あなたもぜひ自信を持って、幸せになってほしいと願っています。」
2・28
三年間で最後の授業が終わりました。
ホッとしている。
最後の授業は、
チョコレートをカカオバターとカカオマスから作ることと、
サプールの人々のビデオを見せた。
4時間連続でやったうえに、
冷蔵庫と往復をしなければならないし、
ポット二つと材料を持って教室を移動しなければならないし、
サプールの人々のビデオを24分で編集しているので、

それを見終わるために、せかしたり、廊下を走ったり・・・
足が筋肉痛になっていた。
でも、チョコは「最高の味」とどの子もニッコリ!!
そして、授業の感想は授業中に書かずに
その後で提出するようにしたが、
授業ベスト3の中に

サプールの人々やマララさんを入れている子どもたちがいて、
やっぱり私の伝えたいことを伝えてよかった
と思った次第です。
ライフイズビューティフルのあらすじの後に
「人生は美しい。ひとは顔じゃなくハートだよ」と書いたけれど、
サプールの人々を見せたあとで、
「貧乏だって、カッコよく生きることはできるんだなって思った」と付け加えた。
マララさんの時には
マララさんの強さは
「世界の人々が『私はマララだ』と言ってくれていた。
一人じゃないんだと思うと勇気が湧いてきた」って言っていたね。
と付け加えた。
三年間の授業の最後のメッセージは
「人生は美しい。一人じゃないんだよ。
自信を持ってカッコよく生きられるんだよ。」
これじゃ、私もかっこよすぎるかな?
感想に「一生授業を忘れない・・・」と書いてくれた子が
何人もいて、教師冥利に尽きます。
あと、卒業までは見守るだけ。
公立後期受験大丈夫かな?
でも、たぶん大丈夫。
こちらの方も仕掛けをしておいて
受かった子たちが寄せ書きをして・・・
サプライズをしかけたから…こっちも一人じゃないんだよって・・・。
少し余裕ができた時間で
他にやりたいことをやり始めた。
カルタの製品化を交渉・・・そして、NHKに手紙を書くこと。
国谷裕子さんのクローズアップ現代についてなど、
気になることがいっぱい。でも、一番お世話になったマスコミだから。
他にもやりたいことが頭の中にあふれています。
2・24
授業をしていると
どんどん、こうしたらいいな、この教具が必要だな、
とどんどんアイディアが、ほんとうに泉のように湧いてくる。
そんなのは、この十年。
ふと思い出した。
若い頃は1時間どうやって授業を持たせようかと
そればかり考えていた。
授業で伝えたいことがはっきりしている時はいいが、
教科書を読んで資料集を説明して終わりの授業など
どうやっても苦痛でしかなかった。
時間が余って時間が余って・・・
それなのに、今は時間が足りなくて足りなくて・・・
最後から二番目の授業も
ほんとうは3~4時間かけるところを
1時間で特急列車
内容は、ユダヤ人の虐殺からイスラエル建国、
中東戦争、2000年代のガザ侵攻、アメリカ同時多発テロ
アフガニスタン侵攻、イラク戦争、イスラム原理主義の台頭
マララさん銃撃、IS国
までをドキュメンタリーと説明で1時間。
地図を三枚用意した。
目を見張り、言葉を無くし、マララさんの言葉に安堵する
中学三年生だった。
2・21
マララさんの演説は
何よりも、何よりもわかりやすくて力強い。
他にも見せようかと迷っていたビデオがあったが、
(実は池上氏の「なぜ戦争は無くならないのか」
なのだけれど、見終わって、1時間もすれば
記憶に無くなってしまった・・・やっぱりマララさんだ!)
マララさんの演説をビデオでダビングしていたら
大学生の娘が口まねをした。
「one child, one teacher, one book,
and one pen change the world!!」
授業のあと、ほかちゃんと呼ばれる愛きょう男子が、
「ワン ブック!!」と口まね。
やっぱり強烈で、とても確かな演説。
2・14
日曜日のバレンタイン。
中学生たちはどうしたでしょうか?
中3生たちはそれどころではなかったかな?
最後の授業で、何をするか?
カカオ豆からチョコレート。
それはいつも決めているところだけれど、
その前に、今の現実の世界の話で
いくつもたくさん見せたいビデオがあった。
でも、現実は1時間しか取れない。
何を伝えるか・・・
で、いろいろ、土日にビデオを見直していた。
マララさんのビデオ。
NHKのクローズアップ現代の国谷裕子さんが
インタビューしていたもの、
ガザのドキュメンタリー
9・11の映像、
イラク戦争の映像、
ベルリンの壁についての映像
そして、今後のサプール・・・・
全部見せたいけれど、少しずつだけ。
メッセージは、
「今のISは、パレスチナ問題と石油と
イスラエルの問題から始まった。」
「ガザはとても苦しいけれど、
マララさんは一人の子ども、一人の教師、
一冊の本、一本の鉛筆が世界を変えられると言っている」
「貧乏でも、平和を愛して誇りを持ち
尊敬する人になりたいとおしゃれをする人々もいる・・・」
「私が見てきたように、ベルリンの壁が崩れたように
世界は変えられる・・・・」
伝えたいことがありすぎるかな?
2・11
経済の授業は、楽しかった。
まず、株。
もう、みんな夢中になる。
株取引の授業は、文科省からも
奨励されているようだが、
私のねらいは全く違う。
将来、株の取引をやらないように、
そういった配慮だ。
なぜって、公立中学校に通う子どもたちが、
将来、投機的な取引ができる余裕が、どこにあるだろう。
経済界の口車に乗ってはダメだと思っている。
私の父はちなみに、経理部から叩き上げた
企業の取締役までやったが、
バブルの時代にも、会社が株の取引に手を出すのを
一切しなかった・・・という功績が認められたらしい。
その父が、最近、驚くべきことを言ったので、
内心うれしくなってしまった。
私が「社会科の先生で、株をやってもうけちゃいけないと思う」
と話したら、「当然だ」
「株は、投資して、持ち続ける物」
「昔から今まで、現に持っているのは、会社の株だけ」
「株は、絶対投機的に売り買いするものじゃない・・・」と断言して、
「もし、株でもうけたと自慢する社会科の先生がいたら、
首にした方がいい」・・・とまで言った。
経理部から出発した父だからこそ、
何億円という企業の収支があるからこそ、
それの投機的な利用は恐ろしいと知っているからこそなのだと思った。
授業では、新聞の株式欄を使うが、
いつも使うのは、バブル崩壊の時期の物。
何年もやってきているが、その当時の紙面の方が、
断然わかりやすい。
情報が、単純明快。
でも、それだけじゃなく、たいていの株が
下がっていくところに、
子どもたちの「株は恐ろしい」という感想が
出てくるのだとわかって来たので、
とても有効だと思う。
でも、株が怖いだけでは意味をなさないので、
その次に、敗者復活戦をして、
そして、株主として配当金をもらい、・・・そして、
一番配当金をもらっているのは誰か・・・それは銀行と保険会社・・・
そして、そのお金を出しているのは私たち。
という風に、お金の循環と、企業を支えるのが銀行であり私たちである。
そういう授業です。おもしろそうでしょ???
2・9
なんと、ネットワークで
成績や内申を管理した元年のせいか、
数えてみたら、16回も
進路用の文書を点検していました。
学年全員の分をです。
4月から始まって、
評定、出欠、特別活動などの記載事項、氏名・・・。
1年生の分から始まって、点検の上で、
保護者にも確認して、・・・・
授業より、子どもより、帳簿・・・。
悪夢のようでした。
責任者は、半分ノイローゼ状態になりそうでした。
それも、必ずすべて委員会の指示。
これが、これから、3年生の定番になるのでしょうか。
困惑・・・のかぎりです。
とにかく、コンピューターがゆうことを聞いてくれない。
コンピューターに使われていた私たちでした。
授業の方は、公民・経済の分野で
新しい流れが見つかり、とても新発見で、
楽しく授業しました。次回お知らせします。
2・8
今週が公立試験。
授業も秒読み。
一年の時から、一番手がかかっていた子は
すでにもう合格を決めています。
2学期後半から彼女の動きは目覚ましかった。
学校中の誰もが目を見張った。
親御さんに左右されず、
自分自身で道を定めるべきだと
自覚していた。
さびしがり屋で、甘えん坊で
常にだれかと話をしたがって
それでもうまくいかないとすねて荒れて・・・
そういう彼女が、一番早く進路を決めた。
それも、楽な道より、ちょっと大変な道。
子どもたち自身の力のすごさに驚く。
私は手抜き。
時々声をかけ、ほおっておいた。
一番考えていたのが、
本人が望む道しか選べないということだけど、
本人が、やっぱり望んで歩き始めたのだからすごい。
中学三年間て、ほんとうに、激動期だと思います。
2・1
ついに2月.
20日もサボってごめんなさい。
1月はくる日も来る日も
調査書の点検に追われました。
最近はまちがいも
子どもの利益に反することであれば・・・と新聞報道される時代です。
2度も3度も、入力ミスは無いか
二人組で読み上げ、家庭にも 連絡して印をもらい、
また、それにまちがいがあれば訂正し・・・を
くりかえして、くたびれ果てました。
以前は特記事項など、受験内容に関係ないとされ、
ほとんど漢検や英検だけだったのですが、
もしかして、有利になるのでは・・・という親御さんの希望を入れて
町内会の活動のボランティアやスキー何級、
エレクトーンやら・・・
様々な特技も書きこむことに今年はなり、
てんてこ舞いでした・・・。
そして、今日の公立高校出願で
やっと一息。
これで卒業間近の子どもたちのようすもご報告できると思います。
January
1・11
この三連休の多くを
若い先生たちとの授業の研究会準備に
時間を費やしました。
でも、私自身が楽しかったしおもしろかった。
テーマは江戸時代。
平和な260年間の価値を
再認識してもらいたい・・・という授業でした。
明治初期や幕末に日本に来た外国人たちが
日本の子どもたちは幸せに見える。
いつも笑っている。そう書いている、
その様子はどこからか・・・。
それで、武器を発達させずに、
何の技術を発達させていったのか、
例を色と灯りにとって、
体験と想像しました。
色についてはとてもおもしろかった。
いつものことですが、
準備は少しずつ・・・と思いながら、
せっぱつまらないとやらない。
でも、切羽詰まったところからアイディアが出ます。
若い小学校の先生たちだから、折り染めがいいかな?
と思っていたら、やっぱり的中、大人気でした。

それと、前日に思い付いたのが、
まゆを自然染料で、それも筆で染めること。
育てた繭を全部糸にするだけでなく
繭の形のまま、好きな色にぬって染められるのは
子どもたちは、とても喜ぶはず。
絹糸で染めようとして、前ぐじゃぐじゃになったことがあり、
学校向きではないなと思っていたら、
最高のアイディアが出ました。
戦争の授業については明日、また触れます。
1・8
戦争の授業の中で、
一番大切だと思うのは、当時生きた人々に共感すること。
なかなか理解できず、どうして殺し合いなんてするのか
下手をしたら、
「バカじゃないか、
全く理解できない・・・」
それでは意味がないと思います。
私自身は、戦中派を親に持ち、
常に「どうして戦争を止められなかったのか」
そう思いながら育ちました。
戦争中の様子をドキュメンタリーや話で
聞いてきた世代の私がそう思うのだから、
これからの戦後派世代が、
全く理解不能になってしまうのは、考えられることです。
ですから、戦争の授業の最後に
「さとうきび畑の唄」のドラマを見ることで、
当時生きた学生たちが、真剣に
国に命をささげることを当然と思っていたようすがわかります。
ドラマの中には、勤労動員も、特高も、食糧難も
防空壕も、モンペも、防災頭巾もでてきます。
ですから、黒板で、くわしい国民生活を説明するより、
百聞は一見に如かずなのです。
ドラマが大きな役割を果たしてくれます。
当時の人々の心情や息遣いや、悲しみ苦しみを伝えてくれます。
昨日も書きましたが。
「映像の世紀」も大切な番組です。
特にすばらしいのは、当時の人々の言葉が
映像と同時に語られることです。
まるで、その当時の人々が、インタビューに答えて
語っているようです。
印象的な言葉では、たとえば、
サンテグジュペリがスペイン内戦に参加して
飛行機で出発する前に語っていたことが
その当時の飛行機の映像に被せて話されます。
また、名も無い市民の声として、
イギリスの女性が、ドイツのV2のロケットが飛んできたところを、
証言した言葉・・・これも爆発する映像とともにです。
アウシュビッツの映像のところでは、
実際に目撃したアメリカ軍の兵士の言葉です。
「その場所に近づくと、遠くからでもすぐわかった。
臭いがした。
そして、その場所はとても静かだった」
「人食いを見たのは初めてだった。
見たことも無い光景だった。
こうしたことがあったということは、
これからもこういうことが
起きうるということだ」
見直さなくても、内容は、すべてかけるくらい
強い印象を残す言葉の数々です。
1・7
第二次世界大戦の授業の始めは、こう黒板に書きながら説明します。
①特徴
*兵士だけではなく、総力戦として市民(最も弱い子どもや女性・老人)が
戦争に巻き込まれ、ぼう大な規模の犠牲者が出た。
*戦場ではなくても、大量に虐殺される人々も出てしまった。
*核兵器が戦争に使われた。
②第二次世界大戦(1939~1945=6年間)
イギリス ドイツ
フランス VS イタリア
ソ連 日本
中国
アメリカ
(連合国) (枢軸国=日独伊三国同盟)
③第二次世界大戦のようす
原因=植民地獲得の争い、世界恐慌の不景気を軍備増強で解決しよう
・はじまり
ドイツがポーランドに侵攻。戦争を始める。
これをストップさせようとした、イギリスフランスが対向して
ヨーロッパ戦線が拡大へ。
・ドイツのナチス政権がやったこと(ヒトラー総統)
ユダヤ人を強制収容所へ・・・そして大量虐殺・絶滅へ
・日本もハワイの真珠湾攻撃へ←アメリカが参戦
・日本は、太平洋戦争を始める。=東南アジアのイギリス・フランス・オランダと。
・そして日中戦争も続く。
・ドイツはソ連に二度侵攻後敗戦が始まる。
・日本の戦場
東京大空襲・沖縄戦(唯一の地上戦)
広島(8/6)、長崎(8/9) 原爆投下
・ポツダム宣言受諾、1945年8月15日敗戦
④実際の戦場のようすを見よう
DVD「映像の世紀6・・・世界は地獄を見た・・・」から
約30分見ます。
ここまでが、普通の授業だと思いますが、
私の場合は、前段階、前提の授業です。
このあと、また資料を呼んだり映像を見たり、・・・
それを明日はお伝えしましょう。
これからが、私の真骨頂かな?
これでは、ほんとうにはわからない・・・と思います。
終わりにしない理由は二つ。
一つは戦後世代として伝えたいことだから。
一つはほんとうにわかるとは何だろうと考えると
もっと深くわかってほしいから。
では、明日。
1・6
若い先生から
「いつも授業を見せて欲しいと思っているのですが・・・
時々、廊下で聞いているんですよ・・・」と言われました。
でも、私の授業は結局10時間単位ぐらいの中で
考えた構造なので、1時間1時間で決まるといった授業ではないし、
それだけ見ても、ただ、ビデオを見せているだけに見えるだろうな、
と思いました。
授業は、最近は、こんなふうにすすめているのです。
時代や単元ごとに、
まず大事な特徴を三つか四つにまとめて説明。
そして、その内容を、具体的には小単元として、
三つぐらいに分けて説明。
そうして説明したあと、今まで説明したことを
具体としてどんどん見せていく。
つまり、大単元の最初に、骨格を説明。
そして、その後、小単元として、具体的な概念を細かく説明。
そして、それにそれを肉付けするための
映像や資料を見せて膨らませる。
その中で、クイズ形式にしたり、面白映像を見せたり、
体験をしたり・・・・。
映像だって、子どもたちによれば、
途中の私の解説がとてもいいのだそうで・・・
私自身は無声映画の弁士ぐらいのつもり・・・で解説を入れます。
そうしないとテレビだけだと眠くなるので、
起こすつもりで声を張り、
背景の解説も入れてしまいます。うるさくない程度に。
明日、具体例を、第二次世界大戦で上げてみましょう。
1・5
うれしい葉書が教え子から・・・。
三年前なので、今大学受験準備中でしょう。
「受験に向けて勉強漬けですが、
毎日元気に過ごしています。
中学のころよりも歴史を深く勉強するようになって、
やっと、当時の蚕やたたら製鉄の意味が分かって
あの時やって良かったなあって思いました。
中学校のころが懐かしいです。
受験終わったら会いに行きます~~!!」
なつかしい葉書でした。
大人になっても、楽しく思い出せて、
歴史の中身がより深くわかるなんて…ステキ!!
私自身が、若い時よりさらにわかっておもしろいのですから、
教えている本人がおもしろいので、当然ですね。
それが、私が会で教えていただいてきた「人間の歴史」です。
1・4
明けましておめでとうございます。
もうあけてしまいましたね。
ろう梅が咲き始めました。
庭がいい匂いに包まれています。
母が大好きで、我が家にも植木を贈られたので、
私も大好きになりました。
狭い庭が香りに包まれます。
さて、今年は何をしましょうか?
最後の卒業生に、悔いの無いほどたくさんの
私からのプレゼントを渡したい。
楽しかった、おもしろかった、賢くなった、勉強好きになった、
仲間との信頼関係も作れた、いろんなクラスメートがいて、
いろんな考え方ができるんだなあと知った・・・そんなことです。
大晦日からお正月2日まで、
我が家では恒例の片づけをくたびれ果てるまで
やっていました。
愚痴を言っていたのですが、
社会科の資料というのは、ガラクタも同然なのだけれど、
それがあると無いとでは授業が違う!!!!
それを保管するだけで大変なのですが、・・・・。
暮れにも書きました通り、
VTR3000本以上で、8畳の部屋を独り占めしていたビデオを
この数年かかって、数十本に減らし、
(いずれはゼロを目指しています)
重要教材は全てDVDにダビングして編集してあります。
でも、いずれは、このDVDも、編集したり、
保存も難しくなってくるでしょうし、
ブルーレイが意外と普及していないので、
難問になってくるでしょう。
でも、いつでも見ればうろこの番組は見せたい。
何年たっても古びないのは
チャップリンの映画や西部戦線異状なしと同じなのです。
2015
December
12・28
今年は少しサボりすぎました。
冬休み中に、新規のコーナーも立ち上げ、
サービスしようと考えていますが、うまくいくでしょうか?
冬休みになっても
家事やら大掃除やらで、
やることがいっぱいです。
今までため込んだたくさんの資料、
それらがあらゆるすきまに入っていて、・・・
でもめげないぞと決意しています。
探し物で人生を無駄にしたくない。
それこそが動機です。
でも、冬休み中にやりたいこともたくさん。
3学期は卒業まで秒読みなので、
伝えたいことがたくさんありすぎて、
きちっと計画を立てなくてはなりません。
それに、公民を二人で受け持っているので、
週に2時間のみだから・・・何を最重要にしようか・・・それを考えます。
大掃除の合間に、ビデオテープの整理と
ビデオテープからDVDにダビングするのと、・・・・
まだ、重要教材ビデオテープが数十本
(3000本くらいあったのが・・・)あるので、
それの処理が大変です。
12・14
すでに10日を過ぎてしまいました。
近県に私立高校がたくさんあるせいで、
独特な進路をすすめる状況があります。
生徒たちが希望する私立高校を訪問し、
打診してくるシステムです。
子どもたちが希望するのは私立だけで
30校を超えます。
その準備も忙しく、
私立高校によって、受験システムも様々、
今年はインターネット出願というのもあって、
それはそれは神経を使います。
それに、最近の傾向で、
書類にまちがいがあっては困るということで、
書類開示の方向で、家庭で確認もしてもらうための準備。
それも、すべて学校のコンピューターなので、
学校に遅くまで、ほんとうに9時頃まで
残ることもあり得るのです。
冬休みまで、新幹線並みのスピードで
突っ走っている感じです。
戦争の授業についてですが、
改めて考えてみると、
父母が戦争体験をしていないどころか、
もしかすると、祖父母も体験していない世代になりつつあります。
そこで、子どもたちに、家系図をたどらせました。
それぞれの家の事情もあるので、
わかる範囲で、祖父母の名前や生年、そして、出身地を
わかるだけ書いてもらいました。
・・・・でも、私自身が、私自身の祖父母の名前が
全部わかるわけではありませんでした。
もちろん、生年も分かりませんでした。
曽祖父・曾祖母にいたっては、だれも分からない・・・。
でも、その八人の曽祖父曾祖母がいたから
私が存在する・・・。
子どもたちには、こう話しました。
あなたたちのひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが、
戦争中に苦労し、もしかしたら、おじいちゃんおばあちゃんを
戦争中に育てるか、戦後育てるかして、一人も死ななかった、
生き残ったからこそ、あなたたちが生まれたんだね・・・。
これはさとうきび畑の中で、セリフとして出てくる言葉です。
顔の見えない、名前も知らない8人の曽祖父曾祖母がいたから
私がいる・・・・何となく私も感動してしまいました。
12・6
さとうきび畑の唄のドラマを見ました。
何よりも、つらい画像、つらい文章を読み、
胸痛む授業ばかり続いていたところに、
さんまさんの笑顔、ジョークは、
子どもたちの心を癒してくれます。
元気大賞上げ~~~ル
あほ大賞上げ~~~ル・・・・そんな冗談に
子どもたちも笑顔になります。
そういう笑顔の日常に
遠慮なく戦争が入りこみ、
死なないでという親の願いむなしく
子どもたちが戦場に向かっていく。
そして死の間際には、お父さん、お母さん・・・と思い出を
胸に抱いて、前線に立つ・・・。
こうして、ドラマの中ではありますが、
非日常のできごととして、
人ごとだったことが、
共感して、当時の人々を思う。
それができるのが、ドラマの力です。
もう一つ、進めて、今年は授業しました。
それがとてもよかったと思います。
その話は、明日にでも。
師走で3年生で、言葉通り走っています。
夜中まで走っている感じです。
November
11・30
歴史の授業をようやく終えようとしています。
とても子どもたちの感受性に訴えたのは
NHK「プロファイラー:ヒトラー」です。
アウシュビッツをV6の岡田准一君が訪ねています。
授業用に何度も見ていると彼の
その謙虚さと、よく勉強していることと、
解説の冷静さと、質問の的確さに
胸うたれます。
アウシュビッツのガイドさんがこう言います。
「私でも、ここを毎日案内するのはつらい。
つらくて出てこれない日もある。
でも宿命と思い、仕事をしている」
そして、彼の質問。
「そのような仕事を続けていらっしゃるのは
何が支えになっているのですか」
彼女の答え
「平凡だけれど、二度と繰り返してはならないという思いです」
当たり前のようだけれど、ガイドを30年も続けている意味を
自然に聞き、大事な答えを聞きだすのは、
台本があるにしても、とても共感できる姿勢です。
「夜と霧」の映像が強烈過ぎて、
見たくない、知りたくない・・・になりそうな子どもたちも、
岡田潤一君が真摯な態度を見せるので
真剣に向き合おうとします。
特に、大量の髪の毛を前にして
「まるで、お互いを助け合おうとするとらわれた人々のようだ」と、
感想を言ったり、
バラックの収容施設の中で、
「どのくらいの期間生きのびられたのですか」と質問して、
「短くて三日。最長でも半年」と答えられた後、
三日、最長でも半年・・・・と答えをくりかえしながら、
まわりを見回し、下を見る彼の姿に、
子どもたちも、その深い意味を理解しようとしてくれました。
歴史と自分たちを橋渡しする役目を彼が果たしてくれました。
現在のアウシュビッツのようすも目に焼き付いて
忘れられない映像になったと思います。
11・29
続きがおそくなってしまいました。
三年生の担任で、毎晩帰り着くのは9時半過ぎ・・・・佳境です。
続き
私たちのくらしは
チェルノブイリのまわりをまわっています。
あの時どこにいたか、
原子炉から何キロのところに住んでいたか、
何を見たか、だれが死んだか、
だれがどこに転出したか。
今でも私たちは毎日チェルノブイリといっしょです。
若い妊婦が突然亡くなります。
病理学者は診断がくだせない。
小さな女の子が首を吊る。五年生。
これといった理由もなく、小さな女の子が・・・。
すべてのことに対してチェルノブイリという診断。
どんなことが起きても皆がチェルノブイリだという。
私たちは非難を浴びる。
あなたがたは恐れている。だから病気になるんだ。
原因は恐怖心なんですよ。
放射能恐怖症です。
では、なぜ小さな子どもたちも病気になり、
死んでいくのでしょう。
彼らは恐怖心がどんなものか知らないし
まだ理解できていないのに。
だれが悪いんでしょう?
悪いのは私自身にほかなりません。
以前、私たちは、自分たちのまわりの自然界に
気づこうとしませんでした。
空や空気があるように、自然があった。
誰かが永遠に私たちに与えてくれ、
自然は人に左右されず、
いつでもあるかのようだった。
私は森の草地に寝ころんで、
空をながめるのが好きでした。
自分がなに者かを忘れるくらい
気持ちが良かった。
今はどうでしょう?
森は美しく、コケモモがたわわに実っている。
でも、採る人はいない。
秋の森に人声がすることはまれです。
感覚的な、本能的な恐怖。
私たちに残ったのは、テレビと本と想像力。
子どもたちは森や川で遊ばず、
室内で成長しています。
森や川は見るだけのもの。
すっかりちがう子どもたちなんです。
でも、私はこの子たちのところに行く。
「物憂げな季節、魅惑的な瞳・・・。」
私にとって永遠のものであるプーシキンを
相変わらず携えて
ときおり冒涜的な考えが浮かぶのです。
もしかして私たちの文化全体は、
古ぼけた原稿のつまった長持ちじゃないのかしら。
私の愛しているものすべては・・・。
11・14
涙も出てくるのに、笑いもある。
ロシアの小話もたくさん。
まるで、米原万里さんの小説のように・・・。
先生の話
「私は子どもたちにロシア文学を教えていますが、
この子たちは、10年前の子どもとは
似ても似つかぬ子どもたちです。
彼らの目の前では、いつも何かしら
誰かしらが葬られています。
土の中に家も木もすべてが葬られている。
この子たちは整列していると、
気を失っては倒れ、15分か20分もすると
鼻血を出す。
何があっても驚きも喜びもしない。
いつも生気がなく疲れた様子で、
血の気のない青白い顔をしている。
遊びもせず、ふざけたりもしない。
取っ組み合いのけんかをし、はずみでガラスを割ったりしたら、
教師たちはうれしいくらいです。
子どもらしさが感じられない子たちですから、
こんな時には叱りません。
ただでさえゆっくりと成長しているんです。
授業で何か復唱させても、子どもはできない。
じゃ、後についてくりかえしてごらん、と言ってやる。
それでも覚えられない。
『しっかりして、授業中なのよ』と揺さぶってやります。
考えるんです。いろいろ考えているんです。
私は、ガラスに水で絵を描いているようなものではないかしら。
私がなにを描いているか、知っているのは私だけで、
だれにも見えない。だれにもわからない。だれにも理解できないんです。
・・・・続きは明日に。
11・12
チェルノブイリの祈りを読み始めました。
新婚の消防士の妻の話は
ドキュメンタリーで見ていましたが、
人々の声が、あまりにも悲しみに満ちていて
涙が出てきます。
でも、この声が、
広島や長崎の声だったのだし、
福島でも同じような言葉が
語られるのではないかと、
気付きます。
映像ではなくて、言葉でなら
語れることがあるのだと思います。
文学でこそ表現できる人々の心です。
核も原発も
人類の幸せを壊す物でしかない、
そう感じます。
人々の証言を読み重ね、
何度涙が出てくることか、
ノーベル賞は当然です。
これほど悲しみが満ちているチェルノブイリの土地を
世界が知らないで、それは罪だと
思いました。
明日、少し引用してみます。
11・10
子どもたちの言葉の中で、
ギョッとした言葉があった。
思い出した。
戦争の話はこわい、苦手・・・そういう男の子の中で、
いつも下を向き、耳をふさいでいる
らしいようす。
その子が
「(被爆者のかたのお話が)最悪だったと友だちが言っていた。」
とつぶやいた。
怖かったのだろう、胸が痛んだのだろう、
でも、「最悪」の言葉が、
今でも、私の胸に突き刺さっている。
それは無いだろう、その言葉は・・・。
歴史を学ぶ意味は何だろうと、考えてしまう。
ほんとうのリアルな歴史を知れば、
戦国時代など、武将の活躍などより、
命が軽々しく扱われ、首を戦功の証拠にしたりして、
痛々しいこと極まりない・・・
でも、そう言った子どもたちにも
勉強して良かったと、最後に言わせるような
勝負の授業をしていたい。

11・9
合唱祭が終わりました。
銅賞、3位。
でも、一年前から優勝するつもりになっていた
わがクラスたちは、
結果発表でも、3位は全く考えていなかったので、
・・・・????と、茫然!!!
口数がほとんど無くなり、
ぼうっとしたまま、
悔し泣きも、やったあの反応もなく・・・
・・・・怖れていたことが起こってしまいました。
特に、中に、力が入りすぎて、全員分のお守りを
一人で作って来た女の子もいて、
この情熱が、宙に浮いてしまうことに・・・。
土日は、みんな大丈夫だろうか????
そんな心配で、二日が過ぎてしまいました。
魂を抜かれたように月曜日の朝も表情が無いクラス・・・。
そこで、フォローを・・・。
音楽科の先生に聞いておきました。
自由曲はベスト3に選ばれていたこと、
特に、風のようなハーモニーが
とても美しくて、透明感がすばらしいと言われていたこと、
そして、最後の落ちで、
「この曲好きだから、卒業式の日にみんなで歌ってお別れしよう。
その時には、私も一緒にソロをうたってあげるから・・・」
そうしたら、みんな笑顔になっていました。
良かった~~~~ふぅ~~~~
11・3
ちょっとした悩み?
それとも、これは大きな悩み?
原爆の被爆者のかたからお話をうかがう時、
今までも、出会った悩みに、
会いました。
第二次世界大戦を学ぶ時、
アウシュビッツの映像や第二次世界大戦のようす、
日中戦争のようすを伝えると、
その悲惨な映像や文章に、
中学生たちの心が痛みます。
どうしても耐えられない、
泣いてしまう・・・そう訴える子が
始めて出てきた時には面くらいましたが、
廊下にその時だけ出て、待っていて・・・
そう頼みました。
次の時からは、あらかじめ、そう断っておいて、
待ってもらうようにしましたが、
今までの教員生活で、
せいぜいその年に、一人いるかいないか・・・。
今までの人数を合計しても、3人くらいです。
でも、今の学校の子どもたちは、
精神的にタフではないのか?・・・
驚いたことに、NHKの「映像の世紀」ですら、
見られないという子どもたちがいる。
中には、下を向くだけではなく、耳をふさいでいる子もいる。
・・・・そして、
被爆者のお話も、聞きたくないという子もいて、
「それは、繊細なのだから、仕方がないよね、
わかるよ、・・・後ろの方に行ってもいいよ」
とは言ったけれど、多少、私の胸の中はざわついた。
つぶやきで被爆者のかたのお話を、
「聞きたくなかったと友だちが話してた」と言うのも、
小耳にはさんだ。
お礼状では、全員が、心もこもった文章を書いていたが、
ほんとうのところは、多少違うのかもしれない・・・
日本は、被爆国。
広島と長崎の人々が、原爆に遭い、
それで戦争が終わったことを考えると、
沖縄と同じように、知らずにいることは、
罪のように思える。
被爆者の方々の苦しみを知らないで
核兵器廃絶を訴えるなど、絵空事に思えてしまう。
世界遺産の原爆ドームを知っていても、
その下に暮らしていた人々を知らないで、
それでいいのかと思えてしまう・・・。
見たくない、聞きたくない・・・そうであっても、
社会科と言うのは、世界の現実を知ることに、まずあるのではないか、
痛みに共感することではないのか・・・そう思う。
だから、長年、こうして、授業をしてきている。
しかし、一方で、私の使命感だけを押し付けるわけにはいかない・・・
それもジレンマ。
私自身が、いまだに「火垂るの墓」を、見たことがないのは、
予想できる心の痛みに、見る以前にめげてしまうから・・・。
やっぱり、知りたいという要求、学びたいという要求があってこそ、
心に響く勉強になる。無理やりと言うのはできないのだ。
だから、こわい、聞きたくないという気持ちも大切にしたい。
多くの子たちは、戦争について、真実を知りたいと迫る。
それぞれの子どもたちに、差があるのを前提にして、
ベストのことを教えたい。あるいはベターでもいい。
アウシュビッツのこともどうしても教えたい。
それが無ければ、パレスチナも分からないし、
バレスチナがわからなければ、アメリカの同時多発テロも、
イラク戦争も、IS=イスラム国も・・・・わからない。
すべてがつながっている。
過去の人々が苦しんだ現実を知らなければ、
今の現実も分からない。
奴隷貿易のルーツも目を背ける子もいる。
でも、後で、知らない方が良かったという子はいない・・・。
今迷っても、中学生を信じて、あと半年、がんばろう・・・。
でも、いつも迷う私がいる。
11・1
ノーベル賞で、日本人が受賞したことだけが
話題だと思っていましたが、
本屋さんで、次の本を見つけました。
「チェルノブイリの祈り」
ああ、どこかで見たかなあ?と思い、
本を開けて驚きました。
胸がドキドキしました。
ロシアのドキュメンタリーで見た
チェルノブイリの悲劇の話が、そのまま
本になっていました。
次の文章の最初は、忘れるはずはありません。
そして、この女性の悲劇の話をしたあと、
震災後、1年生の保護者に誤解され、
口頭注意という“名誉”の騒動になった、
その消防隊員のお話でした。
「・・・・・リュドミラ・イグナチェンコ
何をお話すればいいのか分かりません。
死について、それとも愛について?
それとも、これは同じことなんでしょうか?
なんについてでしょう?
私たちは結婚したばかりでした。・・・」
という文章から始まるインタビューでした。
チェルノブイリで消防隊員として、
放射能によって、最初の死者となった人たちの中の
一人の妻でした。
この記録が、ノーベル文学賞になったのです。
亡くなった人々、亡くなった人々の家族が
ノーベル賞で癒されるわけではありませんが、
犠牲になった人々を、忘れない・・・そう言われているようで、
私の胸にも、ろうそくの炎を灯してくれたように思いました。
ぜひどうぞ。
私もあらためて読みたいと思います。
同じ著者で「戦争は、女の顔をしていない」
この本も読んでみようと思います。
October
10・26
合唱祭の練習・・・難しい。
マンモス校なので、体育館利用を割り振ると、
結局、1ヶ月も放課後練習日程が入る。
そのせいで、わがクラスは中だるみ。
それだけならいいが、
自分たちの実力に自信があるせいか
逆にかえって、おごっているようす。
危機感を感じて、
やりたい人だけでやったら・・・と言っても、
やりたくない練習を
だらだらやっても始まらないから、
1回ずつ歌って、それで帰ればいい・・・と
逆説的に私の方でアドバイスしたら、、
めんどくさがりのメンバーたちは
それをいいことに、
適当に歌って、早々に帰る日々。
指揮者も危機感が薄く・・・・
これでは、優勝しないかもしれないが、
そのことより、後でお互いのせいにしたり、
くよくよと、愚痴を言い合ったりして、
後悔と悔し涙を、
中心メンバーが流すことになったり、・・・
みじめな分裂状態になりそうな予感・・・。
そこで荒療治。
今日は他のクラスが全部練習しているのに、
練習無しにして帰す・・・・しかたない。
これで、何とか立ち直ってくれるだろうか、
謙虚に歌のメッセージを伝えたいと
思ってくれるだろうか。
私は、やっぱり歌は心だと思う。
聞いてほしいと思わない歌は、
どうしようもないもの。
それも、おごって、
うまいと思い込んで歌ったら、
聞いてくれる人に届かない。
うまいからこそ陥る穴に入らず、
明日はがんばってくれるかな?
追い返したが、何人か残って、対策を練っていた。
やっぱり三年生だもの、
自分たちでやらないとね・・・!!
10・18
うれしい話を・・・。
ずっと歴史教科書として、優れた編集をされていると思っていた
帝国書院の教科書が採択された・・・と聞きました。
何がうれしいと言って、
子どもたちにわかりやすい教科書を提供できることほど
うれしいことはありません。
歴史教科書は、誰が読んでも、
中学校の教科書の中で、一番熟語と漢字が多い
難問の書物です。
私にだって、すべてはわかりません。
たぶん、教科書を作った人物でさえ、
部分編集ですから、
すべてを説明できることはないでしょう。
大人でさえ理解できない教科書を、
子どもたちは使っているのです。
特に、今まで使っていた教科書は、
受験勉強には、熟語が多くて便利かもしれないが、
とても「わかる教科書」には程遠いものでした。
ほんとうにうれしい・・・・です。
でも、受験勉強になれた先生たちには
戸惑いがあるかもしれません。
これが矛盾です。
10・15
今週は、ずっと被爆者の会の方に来ていただいています。
その方のお話で、先生方に研修で講演していただきました。
その時、大ショックを受けた話を、・・・
日本原水爆被害者団体協議会の代表が
放射能の被害者をもう出さないようにして欲しいと、
原発の廃止を訴えに行ったところ、
石破氏は目の前で
「原発は核の抑止力となり必要だから、手放すつもりは無い」
とはっきり述べた・・・とうかがったことでした。
ネットで調べてみるともう2011年の秋にはそう述べています。
「原発を保持していれば、1年以内に核兵器を作ることができる」
こうした見解を、本気で、
それも、被爆者のかたに対して、堂々と述べたとは・・・・
絶句しました。
思い浮かぶのは、福島の各地で今年の夏に見た
フレコンパックの山。
ああしたごみが、日本中に広がる光景。
目に見えない形で、地中深く
捨てるつもりなのかもしれないが、
いつまで核兵器に転用できる放射能ごみと
転用できない放射能ごみと
その両方を、作り続けるつもりなのだろう。
永遠に、・・・???
矛と盾という話、矛盾の言葉を知らないのでしょうか?
漢詩の
「国破れて山河あり・・・」
の逆バージョンと言えばいいのか、
「国、戦に勝ちて、山河無く、
人々は、故郷を、永遠に失う・・・」
日本という国家が勝利したとして、
そのために荒れ果てた土地だけが残り、
人々は放射能に苦しむ・・・・
未来の姿をどう描いているつもりなのか・・・・。
日本の軍人・官僚こそが、原爆の真の恐ろしさと姿を知らないのか、
戦死でなければ、放射能の後遺症ぐらいであれば、・・・・
数十万人位の人生の犠牲はつきものと考えているのか・・・

ぞっとするような論理と、未来像にうすら寒い思いがします。
10・10
いよいよ合唱祭の練習が始まりました。
何だか、みんな、張り切っています。
もうすでに優勝する気分。
だから、もしだめだったら、血の雨が降りそう・・・
まあ、ちょっと大げさですが、・・・
確かに、声量はあるし、音程は取れているし、
一番良いのは、男子が歌が大好きな子どもたちなこと。
あまり力が入りきらないように、
それでも楽しくチームワークが組めるように、
担任として、サポート、がんばります。
歌は、森山直太朗の「虹」と
コブクロの「今咲き誇る花たちよ」
とてもむずかしい曲です。
みんな、がんばろうね。
10 ・9
早速、被爆者のかたがおいでになりました。
これから、半月以上にわたり、
かわるがわる来ていただきます。
被爆者の皆さまが、体調を考えて、
講演を連続させないためです。
83歳の井上さんです。
4時間目に1クラスの子どもたちがうかがいました。
子どもたちは、言葉を無くしていました。
私が井上さんからお話をうかがうのは3度目ですが、
それでも、また違うお話が入っていました。
それとも、前回聞き逃した部分があるのかもしれません。
毎回うかがっても、はっとします。
そして、井上さんは、さいごに、
みなさん、あきらめずに、夢を持って、がんばってほしい・・・。
と付け加えます。
私自身もそうでしたが、
かわいそう、同情・・・というイメージで、お話をうかがう
なんとなく潜在意識があったのですが、
子どもたちも、同じでした。
その先入観とは違い、
逆に、きびしい被爆と言う現実に向き合いながらも、
私たちを笑顔で励ましてくださる被爆者の方々の優しさに
心を打たれます。
こどもたちもそうでした。
10・7
地元の被爆者の会にお願いして
お話をうかがうことにしました。
県には2500名近くの被爆者のかたがいらっしゃるらしい。
市内にも多数いらっしゃるそうですが、
それでも、話してくださる方は
ずっと4名のかた。
以前の学校でうかがって、
中学三年生は、忘れられない授業だったと
印象を述べていた。
今回も、被爆者の方々の思いを
中学三年生たちが、
ちゃんと受け止めてくれると思う。
楽しみでありながら、
その橋渡しをする私自身の責任も感じる、
そういう授業に明日、まず一クラス、
始まります。
10・4
もう10月です。
会員の方から、授業が楽しくなってきたと、おたよりをもらいました。
以前小学校に勤務していた時、
小学生に歴史の授業をして、
たくさん感想をもらい、
そのストレートさに感動しましたが、
中学生は、それも中学三年生ともなると、
深くて、胸に響いて、心動かされます。
それは、それは、宝物です。
この感想をもらいたくて、授業をしているっていう感じ。
だから、政治がどうなろうと、
子どもたちの心を揺り動かす教材なら、
全てに打ち勝つだろうと思います。
ルーツの誇り高さ、レミゼラブルの人々の美しい歌声、
あゝ、野麦峠の懸命さ、
マイケルジャクソンのあれだけ誹謗中傷に会いながらも人類に希望を持つ純粋さ、
西部戦線異状なしの学生たちの心の傷・・・・
世界一流だからこそ、子どもたちに太刀打ちできます。
そして、今日も…今度はチャップリンの大恐慌時代の人々と
アンネの日記・・・・に進みます。
September
9・30
明日からテスト。
三年生になって、部活を引退して
すでに2カ月たっている。
ようやく、みんな勉強する雰囲気だ。
今の中学校は、
勉強で成績をつけているが、
生活の中心はほとんど部活。
人間関係も、生活のリズムも
部活が中心。
だから、朝練があると、
みんな授業中眠くなってしまうのだ。
2年生の時には、必ず授業で3~4人は寝てしまう。
それが、今は、みんなほとんど寝ない。
時には「先生、最近勉強するのが楽しくなってきた」
と言う男の子も出てきた。
そんな時は、無性にうれしい。
何がうれしいかと言うと
自分に自信を持ち始めたこと
チャレンジしようとし始めたこと
こんな子どもたちを見ると
やっぱり若さの一番良い部分を
見せてもらっている気持がして
心の中で、たくさんガンバレと言いたくなる。
9・28
昨年不協和音の四重奏、五重奏~・・・だった
不登校の子どもたちへの職場のチームワークは
今年はうまくいっている。
一番の勝因は、チームワーク。
改めて、一人では仕事はできないと思う。
若い頃は何でも一人でできるつもりだった。
甘えべたで人に頼ることの嫌いな性格ゆえ、
何でも一人でやろうとしていた。
でも、今の時代は忙しすぎて、
フォローしあわない限り、仕事がうまく回らない。
今年は、カウンセラーの先生が、
ほとんどの不登校の子どもたちの家に訪問してくれている。
ほんとうにありがたい。
教室に入れない子どもたちも、
それなりの居場所が定まったし・・・。
私の受け持ちの彼女も
少し大人に、少し落ち着いて、・・・
自分から勉強をするようになった。
あと半年だものね。
9・27
1ヶ月以上先なのに
少し不安・・・合唱祭。
昨年学年優勝したので、
ものすごい力の入りようが違う。
体育祭はダメだけど、合唱ならとクラスが思い込んでいる。
夏休みに受験勉強より、
「合唱祭のために筋トレをする」と目標に書いた子がいた。
リーダーを昨年した子は、もちろん
学年の始めからそのつもり・・・。
指揮者もそのつもりらしいし・・・。
でも、思いがけず・・・という結果があるので
もし、ダメだったらと考えると、
空恐ろしい。
みんなの落胆と、悔しさが、11月の始めだとすると
・・・・とても、受験の高校に気持ちがむかないんじゃないか
何より、エ~~~と言う悲鳴と
あ~~~というため息まで聞こえてきそう。
まさかの時のための 私自身の心の準備はできるだろうか?
9・26
「西部戦線異状なし」の映画を見終わりました。
胸が痛くなるような感想が、どのクラスからも出ています。
国会前デモで人々が声をあげたように、
子どもたちは、戦争の真相をつかんでいるし、
子どもたちの心からの声です。
「私はすごくこわいなと思いました。
絶対に戦争に行きたくないと思います。
ほんとにこわいなって思います。
ほんとにほんとにこわいです。」
彼女が怖がっているのは、
「西部戦線異状なし」の
砲撃されている中で兵士が気が狂ってしまう状態、であり、
白兵戦で銃剣で殺しあう状態であり、
戦闘中にけがを負って、足を切断する状態であり、
学校で国のためにと教えて、兵士を送り出す状態であり、
けがを負って、顔の一部が元に戻らない状態であり、
その周りの家族の傷ついた状態であり、
戦後も一般社会に溶け込めない兵士の悲しい気持ちであり、・・・
すべてが、映画の中に表現されている。
他にもたくさんたくさん感想を書いてくれたが、
子どもたちは、震え上がっていた。
一番衝撃的だった「映像の世紀」の中の一部分は、
一次大戦でパニックになった兵士の姿だった。
戦後も体の震えが止まらないようすの兵士の映像が、
何人も出てきていた。
・・・・・・痛ましくて、私には、見せられなかった。
そして、兵士たちは、落伍者として、
戦後は捨てられてしまう運命なのだということも
西部戦線異状なしは見せている。
9・14
あるクラスでのこと。
一昨日書いた討論でのこと。
兵隊に行くか行かないか、と討論した時、
兵隊に行くと言ったのが、2人。
そのうちある男の子がこう言った。
「銃を撃ってみたいし、いろいろな兵器を体験してみたい。
だから行く」
クラスの大多数の子たちがブーイング。
私は危うく
「アメリカでも、そうやって、ゲームでやったことができると言って
米軍は勧誘しているんだよ」とサポートしそうになった。
そうやって、さらに挑発するつもりになりそうだった。
でも、たくさんの子どもたちがいっせいに手をあげて、
「遊びじゃないんだよ」
「ほんとにできるの?」
「人殺しだよ」
「やられるかもしれないんだよ」・・・と口々に反論。
それでも、その男の子は、「楽しそうじゃない・・・」と言って、
軽くいなしている。
もう一人の子は、いつもふざけているのに、
今日ばかりは「国を守るためなんだから、行かないとだめでしょ」
・・・・相当白熱した。
でも、最高で15分くらいを限界に止めている。
目的は、結論を出すことではなく、揺さぶって
映画「西部戦線異状なし」を見てもらうことだから。
それで、最後に
「みんなの意見がどう変わったか、聞いてみよう」と言って、
人数を確認した。
そうしたら、なんと、二人は、「行かない」方に手をあげた。
討論のためのポーズだったらしい。
みんな「なあ~~~んだ」と言って大爆笑。
それなのに、二人の言葉に揺さぶられて
「国のために兵隊になる」と言った子たちが
数人増えたことが・・・とてもおかしかった。
ねらいは達成できたようだ。
今後、戦争について、さらに学んでいくと
どう考えていくだろうか…楽しみです。
9・13
中学校では、受験用に、
校長面接というのをよくやっている。
校長さんが、面接官の代わりになって、
面接を三年生全員としてくれる。
さて、その前に準備として、
個人の資料=たとえば、志望理由とか将来の夢とか
中学校の思い出とか、・・・書いて提出する。
それが、大変な難問で
添削をしていたら、なんと、6時間目から
最終下校まで指導にかかってしまった。
いつもよりきびしい叱咤激励。
あまりの難問に・・・私も
ハイダメ、ハイダメ・・・の繰り返し。
でも、これって難しいんですね。
志望した理由って、何を書いていいのやら、
将来の夢と言われても、まだ無いし・・・
中学校の思い出は「修学旅行が楽しかったです」
これでは話になりません。
すべて、「具体的に」「具体的に」のアドバイス。
言葉づかいも変にへりくだったと思ったら、上からの目線。
たとえば、「貴校を希望させていただきました理由は、
文化祭が楽しかったし、生徒だけでなく先生たちもきちんと挨拶してくれたからです。」
なんていうようにちぐはぐ。
「いただきまして」なんて言いながら、
「楽しかったし・・」なんて、対等な”ため口”を聞いたかと思うと
「先生があいさつをした」なんて、評価してしまう・・・
こんな文章が、続々と出てきて頭を抱えていました。
最後は、私が希望理由を書きながら、作文をしてあげることも・・・。
だって、数人は、言葉が出てこないんです。
言いたいことが出てきたのに、なんて言っていいかわからない・・・
これは、明日になっても無理だなと思いました。
なんとなく、頭を抱えながらも、充実した放課後でした。
全員と一対一で向き合えたからかな?、
9・11
時々、強引に
「担任の権限で・・・こうします」と言っている。
今回の席のローテーションも、
なかば強引に言って始めたが、
それを言いだしたとたんに
子どもたちは、拍手喝采と、キャーと大喜びだった。
そう言わないと
子どもたち同士のうわさで
「あのクラス毎日席替えやってるらしい」
とでも、子どもたちが噂すると、
いらぬ摩擦を起こしてしまうので、老婆心の故。
こんなこと、考えずに、
大胆に、担任がクラスのために自由にクラス運営をすべきだと
思っていますが・・・。
9・10
第一次世界大戦の映画
「西部戦線異状なし」を見てもらう前に、
ディベートをした。
ディベートと言っても、軽く20分程度の意見交換。
ねらいは、子どもたちの認識を揺さぶること。
まず、意見を短く書かせる。
①戦争に兵士として行きますか?行きませんか?
②戦争は得になるか、損になるか、どちらでしょうか?
以前の教え子に聞いた時、
戦争に行くか行かないか聞いたら、ほとんど行かないと答えた。
しかし一人の男の子が、発言したら、
雪崩を打ってみんな変わった。
その子は、こう言ったのです。
「行きたくないけれど、クラスのみんなや友達が行くと言って
みんな行ったら、僕だけ残るのは耐えられない」
そう言ったら、そうだそうだとなってしまいました。
今回も討論しているうちに、
残っていたら、罪悪感を感じる・・・と
発言した女の子がいて、・・・・私もその洞察力に、舌をまきました。
戦争も得になるか損になるかを討論したら、
(少数派の側に私が入り、さも、それが正しいかのように、
私が過激に挑発します)
私の「科学技術は、今まで戦争のおかげで発達し、
その恩恵をみんなは受けている」と言うと、
男の子が、「これからは、平和でも技術は発達できる」と
確信を持って言っていました。
これから授業で様々な映像を見て、
みんなは心を揺さぶられていくでしょうけれど、
ペラペラしゃべる雄弁家の話より、
自分の確信を持てるかどうか、
そして、いろいろな考えや主張があるということを
知っておくべきだと考えているからです。
今、討論を楽しんでいます。
たくさん挑発し、みんなが知恵をしぼって、何とか反論しようとする様子が、
頼もしいのです。
9・6
学年の統一方針で、
席替えは1学期にほぼ一回。
何ということなのだ!!とは思うものの、
絶対にゆずらない人がいるので困難。
もし、私が論理展開したら、
学年が二つに分裂する可能性も・・・
だから、二年間我慢。
打開策で、今回はアイディアを一つ。
班の構成はそのままで、
女子をローテーションで毎日、
班ごとに回るようにした。
なぜかというと
席が4カ月も一緒だから
人間関係が固定化して、
とてもよくない。
クラスの中に、不協和音が芽生えている。
それを打開するために・・・
ミソは毎日ということ。
そうしたら、傑作!!!!
クラスの雰囲気が異様に明るくなった。
毎日ドキドキワクワクするためらしい。
これでこそ中学三年生。
その笑顔をみなさんにお見せしたいほどです。
「いいわけ」は考えてある。
お試し期間だから・・・。
August
8・31
もう八月も終わり。
8月は、だいぶサボってしまいました。
でも、少し頭を使っていたのです。
約1ヶ月、和紙の折り紙から
都道府県カルタを考えるのに、
頭を悩ませていました。
京都の和紙屋さんで見つけた
都道府県折り紙
あまりのデザインのかわいらしさに一目ぼれ。
それを、都道府県カルタにしてみました。
少しずつ紹介していきます。
どうでしょうか?
絵柄も小さいながら紹介します。
一番のお気に入りから
石川県 海の星だよ ホタルイカ
次は、香川県 鳴門のうずは 目が回る
もう一つ、山形県 赤い宝石 さくらんぼ

ステキでしょう?
8・25
もうあと一週間で、2学期。
約10日間、20年来の念願だった
「鉄を生み出した帝国」ヒッタイトの
発掘調査を行っている
大村幸弘先生のところを
トルコに訪ねました。
くわしくは、また。
トルコはおもしろい国です。
中東の要素もありヨーロッパの要素もあり。
インテリのガイドさんが、とても興味深い話をしてくれました。
グリーンベルトという話。
アメリカは、1960年代から
ソ連の南進を止めるために、中東の国々に
やたらに宗教を強く打ち出すよう
援助をしていた・・・それがグリーンベルトで常識だそうです。
だから、イスラム国も、9・11のテロも
後ろに必ずアメリカがいるはずだとのこと・・・。
日本でいては考えられないいろいろな見方を
話してくれました。
その時の援助が効いてきているからこそ、
トルコも宗教関係が強くなってきていて、
ガイドさんのネジャットさんは、アタチュルクの遺産が崩れていると
言っていました。
アメリカは宗教が強くなってくれていた方が、
社会主義にならないからいい・・・と考えているよ、常識!!
とのことでした。そう言われれば・・・とも思います。
8・10
この週末、福島にフィールドワークと
研究会で行ってきました。
福島のお母さんたちの話、衝撃的でした。
なぜ、放射能の話ができないのか・・・
不安を口にすることができないのか、
家族の中で、親戚の中で、地域の中で、
みんながバラバラになり、「ガンバっぺ」の掛け声に
かき消されてしまう親としての子どもを守りたい気持ち。
胸が痛むどころではない、・・・
本気で取材した記者の中には、
精神的におかしくなった人もいたとのことです。
話を聞けば聞くほど、
おかしくならない方がおかしいほどの
やりきれない矛盾。
生の声を聞いて、初めて理解できました。
やっぱり、行ってよかったと思いました。
もう一つ、衝撃的な風景。
今までの日本ではありえない風景が広がっていました。
除染した土を梱包した黒い袋が、
山積みになった個所が点々とあるのも異様でしたが、
それより、高速道路から見た、
藤岡から浪江までの約30分間、
目の前に広がる土地は、水田だったはずの原野。
細かい段差がえんえんと広がる元水田だった、平らな土地、
それが、原野になっていました。
そして、ポツンポツンとある家には、誰も住んでいず、
異様に多いのは、いたるところの駐車場に止めた車の数
女性と子どもの声も姿も無く、
いるのは除染の作業員だけ、
サービスエリアでも、トイレにいたのは、
男性作業員だけでした。
こんな土地になっていいのか!!!
原野はほんとうに衝撃的で、痛ましく
日本ではありえない風景でした。
みなさんも、ぜひ一度は見ておかなければ
いけない景色だと思います。
放射能は目に見えないけれど、
確実に、高速道路で通っていても
ガイガーカウンターがなりだす高線量の地域でした。
その地点では、もちろん立ち入り禁止、
車のみOK、だけど下車はダメ
もちろんバイクも自転車もダメ、
危険はあるのは承知で、
見ておかなければならないのだと
改めて思いました。
8・7
今、みなさんそうだと思いますが、
秋の学校の研究会に向けて、
研究授業の指導案を作り始めている時期ではないでしょうか?
教育委員会から指導主事を迎えて・・・
ご指導を仰ぐわけですが、・・・
今も、思い出すたびに、
少し腹立たしい・・・と言うか、
あきれる発言を「いただいた」経験を思い出します。
授業は、オバマ大統領が実現し、人種差別や人権を
公民の授業で扱ったのでしたが、・・・
その指導される方は、
いとも簡単に「黒人の立場だったらどう思うか、討論させればよい」
とのアドバイス。
その後でした。唖然としたのは・・・。
NHkの番組「その時歴史が動いた」から、
ローザパークスのバスボイコット事件のようすを見せたところ、
この番組はわかりやすかったからよい、とのおほめの言葉のあと、
「私は、マーチンルーサーキング牧師は好きではないけれど、・・・」と。
驚きました。
何十、何百という学校を指導する立場の人が、
キング牧師の仕事を好き嫌いで表現するとは・・・。
アメリカには、キング牧師の日さえあるというのに、・・・。
黒人の立場だったら、・・・と簡単に想像できるぐらいだったら、
人種差別の問題など、大したことではないのではないかとも思いました。
でも、いつでも、典型的な授業モデルでは
「もし農民だったら」「もし天皇だったら」
「もし、武士だったら」・・・という討論を予定します。。
わたしも、「もし坂本龍馬だったら」という質問をしましたが、
幕末の状況がわかるまで、
イギリスの産業革命から始まってアヘン戦争を含め
10時間は、その質問の前に費やしています。
学制の時から、実はそういう社会科の授業モデルに
反発していた私がいました。
差別に対して闘った人を、社会科の担当の教員が、嫌いだと表明するとは
日本の教育の限界もよくわかった感じでした。
人権意識などあったものではない。
人権を求めて闘った人に敬意を払えなくて、
なぜ人権を教えられるのだろう?
底の浅い社会科だと、今も憤懣やるかたなし・・・です。。
でも、それも7~8年前のことでしょうか?
8・3
今年は綿花を育てていないので、
夏の苦労はしていません。
今年、綿花を育てていたら、
毎日、朝晩の水やりで
とても苦労したでしょう。
農家の方は、どうでしょうか?
雨が少ないと、苦労しますね。
あまりの物の多さに
探し物で何時間もかかり、疲れ果て、
けつまずいては、足の痛さに泣き・・・。
土日をかけて、2か月前くらいから
家じゅうの片づけに取り組んでいます。
そうしないと、にっちもさっちもいかない・・・。
本も、処分をすることにしました。

でも、大事だと思う本はとっておくことに。
そうすると、大きなことに気づきました。
ああ、このかたとの出会いは、
私にとって、財産だった。宝物だった。
だから、この本は捨てられない・・・。
なつかしい、その方たちとの出会い。
実際にお会いできたかたも、本の中だけでの出会いも・・・。
もう亡くなられた方も、お元気な方も・・・。
今でも、それを思うと、胸が熱くなります。
本やお話から、たくさん教えていただきました。
阿波根昌鴻さん、上野英信さん、加古里子さん
内海愛子さん、松井やよりさん、本田勝一さん
鎌田慧さん、広河隆一さん、中村悟郎さん、
犬養道子さん、・・・
スーザンジョージやオリアナファラチも・・・
ジャーナリストが多いのは、昔、
新聞記者になりたいと思ったこともあったから・・・でしょうか?
心を寄せてきたのは、小さき者の声を拾い上げて、
私たちに伝えてくれている方たち・・・ですね。
8・2
猛暑で、頭の中が煮えそうなくらい、に思えます。
8月になりました。
中学校で、服装検査のようなことが
行なわれるようになったのは、最初はいつなのでしょう?
修学旅行で、服装だけでなく
くつや荷物まで今回、点検です。
持ってきてはいけないものを持って来たい
分別の無い中学生・・・・修学旅行の悪夢は
最初に中学校の担任をしての最初の修学旅行で、
体験しました。
25年前のことです。
35にもなっていたのですが、
それでも、筆舌に尽くしがたいほど屈辱的で、
子どもたちのことが、いっぺんに
信じられなくなるぐらいのことでした。
ここでは書けませんが、
誰に話しても・・・と言っても
全部は話せないのですが、・・・
内容を聞いた先生が唖然とするような行動を
生徒たちにとられてしまいました。
悔しかったし、悲しかったし、やりきれませんでした。
当の子どもたちが、ケロッとした顔をしているので、
よけいに悲しかった。
その時以来、子どもたちをむやみに信用すると
その枠を超えようとばかり考えている中学生に
油を注ぐような結果を生んでしまう・・・。
それは重々承知。
でも、中学校というのは特殊なところで、
学校全体で、統一歩調を・・・
つまり、全職員が同じように注意し、
同じように指導する・・・ことを
理想として述べる方もいらっしゃいます。
私には、何よりも
教師として、仲間をお互いに尊重し、
敬意をはらい、子どもたちのために動いていると相手を
信じあうことが最も大切だと思うのですね。
それが無いと
担任としては、上下もない関係なのに、
先生が先生の顔色を見てしまうような・・・
そんなのおかしいと思ってしまいます。
若い人たちには、自信を持ってほしい。
自分の指導で失敗したって、それも勉強なんです。
ベテランがフォローするのが、当たり前、
そうやって私たちも育ってきたのですから。
July
7・31
学校に行ったら
大変なことになっていた。
若い先生が倒れて、手術、
もう一人の先生は、MRIを撮ると言う。
病状などくわしくは書けないけれど、
過労であることは確か。
どうすればいいのか、この構造。
元気がなければ、中学生に対処するなんて無理。
部活はお盆休みも無い部活さえある。
倒れれば、他の人にしわ寄せが行って、
学校に来ている他の先生も、ふらふら!!
犠牲者が出てからなんて、
まっぴらごめん。
妊娠中の先生が流産することもしばしば。
私の代は、親の世代から、
先生は、女性としての職場としては恵まれていると言われていたのに、
今、母親になる前の女性先生や
若い男性先生が、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれている。
7・29
あと三日で7月も終わり。
遠い昔の話のように思えるが、
修学旅行での話を一つ。
最近は私自身が年齢が上になって来たので、
あまり苦労しなくなったけれど、
若い頃は、制服を着崩す子や
おしゃれをしたくて、ちょっとみんなと違う個性を出したがる子、・・・。
そういう子どもたちにどう指導するか?
これが、小学校から来た私には、とても違和感があった。
慣れるのが大変だった。
私服でかわいい格好をしていたり、カッコイイ服を着ていたり、
女の子も、男の子も毎日、それが普通の小学校生活。
それが、中学校になると、
髪の長さ、スカートの丈、ズボンの太さ・・・
それを、物差しで測らんばかりに細かい指導が、
私の若い頃にはあり、私もものすご~~~~く嫌だけれど、
いっしょに注意しないといけない、と、いやいややっていた。
まるで、授業と同じくらい大切と言わんばかり・・・。
なぜ、と思いながら、納得できなくても注意!!!
気分は最悪でした。
でも、毎日なんて、子どもたちの顔を見る方が先だから・・・
思い出したように、注意するのだが、
毎日毎日、そのことばかり見ている先生がいて、
誰それのクラスの誰それは、スカートが短いだの髪の毛を結んでいない・・・とか
それが、最近は無かったから、毎日楽しく暮らしていたのだが、
この学校に来てからは、胸がざわざわするようなことが、
よくある。
どうしてだろう?
久しぶりにこういうことがあったから
とても胸に残った。
明日また。
7・28
夏休みが始まって一週間、
でも、忙しい毎日を送る部活顧問の若い先生たち。
先週、ついに隣の席の先生は倒れた。
病欠です。
確かに職員室は冷房が効いているが、
部活の校庭や体育館は、冷房なし。
そこに、中学生とともに、1日中いるのだから、
体が休めない、夏休みになっても。
しかも土日なし・・・。
1週間頭痛が続き、
それでも休まず大会へ・・・。
そして激しい頭痛、4日目でついに病欠。
無理に無理を重ねても
それぞれ自己責任のように、
管理職は「夏休みですから、体を休めて・・・」
と言っても、休められない毎日だったせいです。
新聞に14時間働きっぱなしの、世界一忙しい先生!!。
と書いてあったが、
なんと!! 野麦峠と同じ労働時間だ!!
明治時代の女工さんが勝ち取っていった労働時間短縮が
100年たっても、変わっていない。
公務員だから、給料いいんだから、・・・そのぐらい働いて・・・。
そう世間の人は思っているのかな?
でも、若くて、精神を病む先生は多いですよ。
疲れすぎて、どこを力を抜いていいかわからないから。
ベテランは、せめて肩代わりできるところは
担ってあげたいとは思っているけれど・・・。
実質の勤務時間が長すぎる・・・。
当然になってしまう。
ベテランは仕事の効率化ができるけれど
若い先生たちは、仕事の量も増やされ、
しかも経験が少ないから、体力で仕事の量をこなすしかない。
だから実質労働時間、
7時から21時がふつうなので。
7・21
ようやく夏休み。
勤務先では市内がみんなネットでつながり
通知表もそこに打ち込むことになっている。
だから、どうしても学校でないと仕事ができない。
学期末は毎日学校を7時過ぎに出て
帰宅は10時近くになった。
その上、三者面談は5時間の授業後。
若い人たちは
残業が9時過ぎ、10時過ぎ・・・が常態化している。
小学校と違い、中学校はほとんどが部活で
最終下校後の仕事になるので、
みんな7時過ぎから仕事を始める。
まだ外は6時半では明るいので、最終下校が6時半なのだ。
土日は大会で休みなし、どころか、朝7時に家を出て
8時からの準備にそなえる・・・。
となりの席の女性の先生に風邪をうつしてしまい、
咳喘息まで重態化してしまった。
ため息や愚痴が出てしまうけれど、
仕方ない。
元気で仕事ができるように、時間外の仕事がしなくて済むように
やっぱり部活は、社会体育のようにしてほしい。
でも、それができない。
人件費を削りに削り、
講師をやとって正式採用しない教育現場は
今の幸せではない日本を象徴している。
7・15

学校の中にはいろいろな子どもがいる。
国籍の違う子、どちらかの親御さんが国籍の違う子、
障害を持っている子、精神的に不安定な子、
家庭的に苦労している子・・・・・、
境遇が全く異なる思春期の子どもたちが、
たくさんいるのが、公立の中学校。
そこが、私にとっては、仕事のやりがいにもなっているし、
私だけの人生経験ではわからないところも、
勉強させていただいている・・・・そう思えるような場所です。
でも、だからこそ、考えさせられる時がある。
最近、学校を休みがちな子どもがいる。
三者面談でゆっくり、じっくり話をしたけれど、
言うことには、ほんとうに考えさせられた。
表にはっきり出るような
中学校1年生のころの、好奇心交じりの言葉は、
仕方ないと思える。
でも、今は、口には出さず、本人たち自身が
気付いていないかもしれないけれど、壁を作っている・・・と。
そういう言葉を、私は「気のせいだ」とは言えなかった。
当事者がそう感じるのだから、そうなんだと思う。
そして、それを感じ、悩んでいるのだから、ほんとうにそうだろうと思う。
私は、「私には、待つことしかできない」と言った。
そして、「私にわかることは限界があるけれど、
いつでもわかりたいと思っていることを忘れないで」とも伝えた。
成長してきたからこそ感じる、人間関係の壁。
ぜひ、乗り越えてね、
絶対、乗り越えていくよ、みんな、・・・そう心の中で考えていた。
7・12
ルーツのドラマの中で、
一番大事に思うのは、
主人公クンタキンテが農場から逃げ出して捕まり、
つるされて、ムチ打たれる場面。
そのピシ~~んという音に、
中学生たちは正視できないくらいにおののいているけれど、
クンタキンテは「お前の名は? ドビーだな」と
農場で奴隷としてつけられた名前を要求されても、
「クンタキンテ」と、二回答える。
その場面はとても大切だと思う。
奴隷となり、鎖でつながれ、
逃げ出して、ムチ打たれても、・・・・
それでも、名前は譲れない・・・・
そういう主人公の姿に、
中学生たちは、勇敢さと誇りと尊敬と・・・
それを感じ取ってくれる。
でも、今回は、それだけではなく、
最初にルーツのドラマの作者の話もしたし、
(つまり、アメリカの黒人作家自身がルーツをたどって小説化したという話)
慎重に、マイケルジャクソンも見せた。
奴隷貿易に同情するだけでは困ると思い、
「人種差別がかわいそうだと思うかもしれないけれど、
だからこそ、アメリカには抵抗する文化と
それだけ苦しみや差別を深くとらえた文化があるんだよ」として、
マイケルジャクソンの歌「Black or White」の、プロモーションビデオを見せた。
みんなポカーンと口を開けて見ている。
それは、そうでしょう。すばらしいビデオだから。
また、うれしい感想があった。
お父さんがアフリカ出身の子がこう書いてくれた。
「私の祖先が連れ去られていたら、どうなっていたのだろう」
こう書いてくれただけで、私は天にも昇る気持ち。
ほんとうによかった。
なぜかというと
奴隷貿易を授業で教えることで
その子が引け目を感じたり、苦痛を感じたり
そんなことになってしまったら・・・という不安がよぎった。
傷つけるようなことは絶対できない。
だからと言って、歴史の授業では避けて通れない。
そういう歴史があったことは、世界的な常識だから、
まわりの子どもたちも、本人にも、
知識として知っておいてほしい。
ならば、同情やかわいそうで終わるのではなく、
悲劇にまきこまれた人々と、その人々の尊厳やほこりや勇気を伝えたい・・・
そうして、ていねいに場面を選び、Black or White を見てもらったのです。
私にも少しの勇気と知恵とが必要だったのです。
7・11
学年の中に、さまざまな子どもがいる。
お父さんがアフリカ出身の子もいた。
その子が、ルーツをどうとらえるか、
細心の注意を払った。
だからこそ、以前から、
奴隷船の中や、アメリカの奴隷市場だけを見せることはしないできた。
原作を見ると
スタートは、アフリカの成人式の儀式から、
平和に暮らし、家族にも恵まれ
マンディンカ族としての勇敢さや知恵を教わる成人式。
そこには、驚きと共感がある。
そして、アメリカに渡ってからも、
クンタキンテというアフリカ名を頑なに守ろうとし、
奴隷から脱走しようとするくじけない勇敢さも描かれている。
だから、編集したとしても1時間半はどうしても減らせない。
思っている通りの他の子の感想があった。
こういう感想を書いてもらうと、
私の考えが、通じて受け入られたのがわかり、
ほんとうにうれしいし、ホッとする。
「アフリカの人たちの平和な日常が、一瞬にして、奪われていったのが、
すごく恐ろしかった。
不衛生な環境に何カ月も置かれたり、扱いがまるで人間ではないので、
私だったら、絶対に耐えられないと思う。
私だったら、船に乗った時点でこれからの人生をあきらめてしまいそうだけれど、
何度も反乱を起こしたり、逃げ出そうとするクンタキンテは、
すごく勇敢だし、決してアメリカの生活に流されず、
マンディンカ族の誇りを忘れなかったので、すごくかっこよかった」
7・3
ルーツを見ていると、ドラマだということを忘れそうになります。
クンタキンテが、さも、演技ではなく、
実在する人物を今見ているかのように思ってしまいます。
そのぐらい、主人公クンタキンテがすばらしい。
奴隷貿易を視覚化して、アフリカ人のドラマを作ったことが、
とてもすばらしいと、今になって気付きます。
私の伝えたいことは、クンタキンテのように、
故郷から連れ去られ、
それでも、誇りを失わず、
何度も何度も脱走をくりかえす・・・
そうやって、心は奴隷であることを拒んだ人々が何百万といたこと、
そういう人々がいたこと。
ハックルベリーフィンの冒険の中に、
ハックルベリーの相棒として、逃亡奴隷の黒人が出てきます。
その二人旅のスリルに満ちた、そして人間性あふれる物語。
奴隷貿易の暗部がアメリカの底にあるとしたら、
インディアンの人々の迫害が、アメリカの恥部だとしたら、
でも、それを深くとらえるからこその、
アメリカのすばらしい文化が作られた・・・と言える・・・そういうことです。
人間は、奴隷にされたままではいられない
だからこそ、音楽・文学・・・そういう芸術で自己表現する。
マイケルジャクソンの「Black or White」だし、
映画の「ダンス ウィズ ウルブズ」がある・・・と言うことですね。
ルーツは予想通り、全クラス、ほとんど誰も寝ずに
見通した。すばらしい。やっぱり名ドラマだと思う。
Jun
6・30
ようやく咳が下火になってきました。
ひどいのどの痛みと咳が深く出て、
苦しくて、・・・・
でも医者に行って、吸入器をもらったら、
ようやく1週間でよくなってきました。
土日は、ずっと寝て寝て・・・・疲れも少しとれたか・・・。
授業は、少し戻って、
「ルーツ」を見せています。
どうしても、帝国主義を教える前に、
奴隷貿易と、アメリカの人種差別と
それを乗り越えてきた、アメリカの黒人の人々の
誇り高さを伝えたい。
以前は、劣化したテープを使っていましたが、
今は新品のDVDを編集して使っています。
青年時代のルーツの俳優の
みごとな演技・・・・何度見てもあきません。
以前は、悲惨な場面ばかり気になりましたが、
今は、このドラマを作った演出や、ロケや
その情熱に・・・驚きます。
始めて奴隷貿易を映像化したものが、
ルーツだった・・・・ということですね。
目に見える形で歴史を見せる・・・・その情熱はすばらしい。
6・26
1学期末試験、直後に修学旅行・・・
そして帰ってきたら発熱、・・・今は咳喘息のような苦しさ・・・
忙しさと疲れでよれよれです。
それでも、不登校の子どもたち、8人が、
修学旅行に参加。
わがクラスの彼女も
なんと、全日程参加。
最後の新幹線は楽しそうに
歓談して、心配する必要も無かった。
全く教室に入れないでいるのに・・・・すごいと
改めて驚く!!!
6・14
昨日、大英博物館展に出かけた。
大英博物館の実物には行ったので、
あまり期待しないで出かけたのに、
胸がドキドキするほど感動してしまった。
お目当ては、本場でも見た、
ウルのスタンダード。
旗と言われているが、たぶん王の宝物だろう。
それにしても、改めて見て、
ほんとうに美しいと思う。
青のラピスラズリの宝石と
(ツタンカーメンの目のアイラインがこの宝石でできている)
群青の瀝青
瀝青とは、アスファルトのような物らしいが、
この色の深くて美しい色・・・・。
今回、じっくりと見て、(大英博物館では、あまりに見る物が多すぎて、
この実物もさっと通り過ぎる程度だった)
細かい細工の見事さ
羊の毛の波打つ線など、ほんとうに細い・・それが、群青色なのです。
しかし、感動したのは、
思いがけない展示品を見たから。
私が、人間の歴史の授業を30年やってきて、
あらゆる本を買い、図鑑や写真集を買って、
探しに探して、手に入れてきた教材の写真、
実物が見られないから、コピーでしか本物を見せることができない・・・
でも、それでも、子どもたちは、本物に驚き、
歓声をあげてくれた。
それなのに、大英博物館は、
世界のお宝を、すべて持っている!!!!!!!
この泥棒め!!!!!!!と思ってしまう。
思いがけずに出会って、ドキドキしてしまったのが、
アウストラロピテクスの打製石器だった。
ケニアのオルドバイ渓谷に行かないと見られないと思って、
一生見られないだろう・・・と思っていたのに、
その石器が目の前にある!!!!!!
それなのに、それなのに、まわりのお客さんは、
「ただの石じゃん!!」「なにこれ!!」
ああ、なんと悲しいことだろうか???
それ以外にも、洛陽で見られなかったすばらしい唐三彩の像、
ブリアンも描いていたトナカイの角に掘られたマンモス像
インカ文明の黄金のリャマ像
足を延ばして、私も一生かけて見てきた
ギリシャ彫刻も、アステカ文明の像も、インドネシアの仏頭も、
私の行っていない地域の宝物もすべて、集めに集めて・・・
でも、一番は、やっぱり石器かもしれない。
私たちの祖先の、誰がどう使ったのだろう・・・
リーキー博士がNHKの番組でが解説してくれたように、
骨髄を出して食べていたのだろうか・・・そう考えるだけで
二つの石器は、私をずっとドキドキさせてくれていた。
6・13
もうすぐ修学旅行。
不登校の彼女、最近とんとご無沙汰。
学校に来ていない。
行かないのか?・・・とても心配になる。
そこで家庭訪問。
家に来てほしくないと言う嫌がる彼女に
電話して、しおりを届けないと、
それに、集金もあるし・・・と強引に訪問。
でも、それだけじゃ、ちょっと私としては
物足りないので、コンビニで
チョコブラウニーを三つとタルトを三つ。
お母さんとお兄ちゃんに・・・とおみやげ持って。
さて、これが少しは役に立って、
彼女、行く勇気が出るかな?
彼女はいらないというけれど、
お母さんとケンカしてるなら、
お茶入れてご苦労様って出すんだよって・・・。
まあ、おせっかいなサービス。
荒れた中学校の時、今から20年以上前、
子どもたちだけで暮らす家庭に、
よく唐揚げを持って行ったっけ・・・。
思い出してしまった。
以前の中学でも、よくプリンを家族分買って行ってあげた。
そのお母さんは、フィリピン出身だったし、
子どもの反抗期にどうしたらいいかわからなくて、
困っていたから。
私自身がおいしいものに目がないから、
食べ物で、人間関係がさらにつながるなら、安いものだし、
喜ぶ顔とホッとする顔は、うれしいばかりだから。
6・10
まだ、私の中では、
「あゝ野麦峠」がブームである。
原作本を読んでみることにした。
実は、恥ずかしいことに、まだでした。
読み進んでいるが、なかなか面白い。
実際に、映画の登場人物の「政井みね」さんは、実在したこと。
作者の山本茂美氏が取材したのが、
「政井みね」さんのお兄さんだったこと
もうすでに、高齢でいらっしゃったが、
妹が不憫だと、想い出に涙されていたこと、
実際におみねさんは、13歳から20歳寸前まで工女として働き、
結核で亡くなっていたこと・・・。
この悲しいエピソード以外にも
周辺の、繭の買い取りの丁々発止、
工女たちの脱走劇やらいろいろのエピソードは
よく考えてみれば、
九州の炭鉱で働く男たちのエピソードにも似ている。
山本作兵衛さんの描く生き生きとした絵の中にも
雰囲気も似ているような気がする。
日本の近代化を支えた人々の人生も
悲劇とユーモアとたくましさが入り混じったような・・・
今、まだまだ読み進めているところです。
6・7
あゝ野麦峠をテレビで放映した時には、
工女たちが話し合う部分はカットされていた。
また、ネット上では
”あゝ野麦峠”は誇張している、とか
そんなに当時悲惨だったわけではない、
とか・・・。
確かに、白井春男さんも工女たちが誇りを持っていたインタビューもあった、
と言っていた。
しかし、その誇りを持っていた・・・などのインタビューは、
昭和になってから戦後、
経験者に聞いたインタビュー・・・。
明治の最初に製糸工場が設置されてから、
50年もたっている。
相当労働条件も改善されてからのものだと思う。
工女さんたちの(働く労働者として敬意を払いたい)
労働条件に対する闘いがあってこそ、
今の私たちの労働条件がある。
14時間も働くこと、あの異臭の漂う工場だったこと、
昼でも10分~20分の休憩だったこと。
今の日本人の、誰が、我慢できるだろう?
そしてまた、あの工女たちに支えられた明治だったことを
誰が、否定できるだろう。
白井さんが言っていた。
戦前、働く人々が、身を削り、身をさらしながら、
経営者と交渉して、
労働時間を30分、1時間と減らしてきたものを、
(減らしてくれた者こそ、明治・大正の労働者たちだった)
戦争に負けたらすぐに、アメリカが8時間にしてくれた・・・。
つまり、8時間労働は、アメリカの民主主義だということと、
自ら獲得してきたものではないということ。
昔生きた人々が、苦労して作り上げた労働条件を
私たちは、自分から手放そうとしている。
経営者が儲けてくれば、
その分け前に預かれる・・・というのか
あまりにも、先人たちの苦労を学ばないのは
直接のご先祖様を敬わないようで悲しい。
私たちのご先祖様は、
決して、渋沢栄一でもないし、
戦前の財閥でもないし、
逆に営々と耕した農民であり、
毎日額に汗した働く人々のはずなのに・・・。
6・6
「あゝ野麦峠」を見ていて
先日も書いたが、
工女たちの寮で、罰金の工女たちがどうにかできないかと
みんなで考える部分が、どうしても抜かせないと思う。
今回初めて気がついたのだが、
工女たちの生糸の毎日の審査は、
経営者のもうけのために、
なかなかうまく作られたしくみだ。
映画の中では、当たり前のように、
生糸の生産量と品質を毎日検査しているが、
映画の中の解説をよく聞いてみると
「平均以下を切れといい、・・・」
平均ということは、必ず平均以下の者が出るということ。
成績下位の者が、罰金を科せられ、
成績上位の者の給料にあてられる。
この場面の中でも工女たちが言っている。
「旦那さんは少しも損しない。
工女が工女同士共食いしている。
バツ糸組の糸だって、国内産に売っているから
損しているわけではない・・・」
彼女たちが言っているのは当然のことだ。
この場面を抜かしてしまうと、
それぞれが、競争意識を丸出しにして、
自分が優等工女になるようにがんばるしかない・・・
そういう物語にみえてしまう。
そうではなくて、同じ村から出てきた仲間を思い、
心配して、助け合おうとする、
・・・おみねだけの優しさではなく、
みんなが心配していた・・・というのが理解できるのだ。
それこそ当然の人間的感情。
それでも彼女たちの願いはささやかだ。
飯抜き工女を何とかしてほしい。
バツ糸組の借金を少し減らしてほしい・・・
それを願い、仲間の苦渋を見て見ぬ振りができない連帯感、
それが、とても優しいと思うし、
見ていて、自然に心が和む。
6・3
今、映画「あゝ野麦峠」を見ている。
編集して1時間半弱にしたもの。
今まで、録画したものを使っていたのだが、
原版の方が、とてもよくわかる。
テレビで放映した時に抜けていた場面は、
ほんの少しずつなのだが、
歴史の授業からすると、とても大事な場面。
たとえば、
山安足立組の製糸工場の事務所で繰り広げられる場面、
横浜からの電信で、生糸相場が上がったのがわかり、
「全部浜出しだ!!」というのは、
倉庫の生糸を横浜にすべて送るということ、
どのくらい、横浜に荷物を送ったか、
それをまた、仲買に電信に送っている。
そして、横浜のアメリカ人商店が買い入れている場面。
外貨を稼ぐということがよくわかる。
三国干渉後のロシアと、戦争すべきだという演説会。
演説しているのは軍人、
そして、座席に座るのは製糸工場の社長たち、
演説の内容も、「生糸を増産して、たくさんもうけて、軍艦を買いましょう」
「そうすれば、儲かるし、戦争にも勝てるし・・・」という演説で、
ロシアに鉄槌を下すと言っていて、戦争戦争で大拍手です。
工女たちが、ちゃんと賃金のからくりを知っているところ、
優等工女の報奨金は、バツ糸組の給金からの罰金でまかなわれていて、
社長の懐は痛まない、
そして、バツ糸組と言っても、
結局、海外に売れなくても国内産として扱って
少しはもうけが出ているはずだという話を、
働く彼女たちは見抜いています。
そして、聞いた話のエピソード、
違う工場で、賃金の10銭下げると言われた工女たちが、
最初、社長に話に行って拒否されたら、
いっせいに仕事につかなくて、困った社長は
話を取りやめにしたこと・・・そう、工女たちは
情報を得て、お互いを力づける。
この話には、以前、戦前派のおばあさんから聞いた、
工場でのストライキの話が重なる。
でも、以前、会の代表の白井さんの話が強烈だった。
戦前の女工さんたちが、体を張ってストライキをして、
労働時間を1時間縮めたのに、
日本は戦争に負けて、アメリカ軍がやってきたら、それを
さらに8時間労働にしてしまった。
アメリカの民主主義と力に驚いたものだ・・・という話。
それが、世界の人々がしてきた労働時間短縮の成果なんだ!!
でも、自分たちで勝ち取った時間ではないからこそ、
たやすく日本は、こうして今、
労働時間さえ、すべて経営者側に決められる時代に
なってしまうのだろうか?
・・・・・未来に生きる子どもたちに、
このこともちゃんと教えたいと思う日々です。
May
5・31
真夏のように暑い日々。
最近は土日ごとに片づけをしている。
事態は緊急性を十年以上前から帯びていたのですが、・・・
洋服の衣替えの時のじたばたで何とか過ごしてきていた。
10年ぐらい前には、いままでのVTRビデオを一部屋分処理した。
推定5000本近い本数だったかもしれない。
本とVTRで一部屋を占領していた。
会の代表の白井さんからのVTRを受け継いだものと
それぞれ夫婦別で集めたVTR全部だから・・・
それを、主な物をDVDに入力し直して処分したのだから、
とても恐ろしいほどの労力でした。
でも、まだ、数百本は残っていたのを、
最近片づけている。
娘たちの部屋も私たちの本とVTRで占領していたのを、
少しずつゆずって、空間を明け渡している感じ。
博物館も含めて、授業のために集めた
ガラクタのような教具は・・・
人から見ると、ごみか、ガラクタでも、
私から見ると正倉院の宝物なみの、生命線の品々。
だから、整理整頓など、とても、できなくて、
片づけしなければ・・・という強迫観念で
いつもストレスだった、・・・
今話題の近藤麻理恵さんこと、こんまりさん
書店で立ち読みしてたら、とても納得できて、
思わず2冊買いました。
よく読んで、私なりにとても勉強になったこと。
今の消費社会、誰の家でも、物があふれている。
物が多すぎるから、管理できなくて、探し物でイライラする。
(実際、片づけを考えるようになったのは、
探し物で数時間かかって、疲労困憊するようになったから。
以前は、直前の行動を思い出せば、すぐに解決できたのに、
今は、メガネをどこに置いたかで、30分探し回る・・・つらいです)
まずは、物を減らすこと。
でも、人間って、物に対する執着がすごいから
捨てると考えると、…いつまでも迷い捨てられない。
こんまりさんのいいところは、
とにかく肯定してくれること、ほめてくれること、励ましてくれること、
本の中でもそうなのです。
捨てる物ではなく残す物について
自分が基準、自分が一生持ち続けたいくらい好きな物、
これを、ときめきと彼女は言っている。
そして、他人から見て、ばかばかしいものでも、
「ときめき」を感じる物は堂々と残して、
そして、大切に、自分のために使えばいい。
ほとんど、自己肯定・自己確認の作業が、
片づけと教えてくれる。
あと単純にとても気分が上がったのが、
衣類をたたんで、それを色のグラーデーションに並べること
そうしたら、なんと私のセーターの色で、虹色が作れてしまった。
引出しをあけるたびにきれいで、うれしくなってしまう。
私が、こんなに片づけを楽しく感じるなんて、ウソみたいです。
暇だから片づけをしているのではなく、
探し物に疲れ果てて、生活を整理、変えようとしているのであります。
でも、楽しくできるなら、これはうれしいこと。
教材教具の整理も少しずつやっています
5・29
昨日、女の子から、驚きの発言。
ノートに生糸を貼ろう・・・と指示したところ、
汚くて貼れないと言うのだ。
虫が嫌い、生糸もさわれない、

・・・そういう子は
今までいて、それはわかっていたのだが、
理由を聞くと
「蚕が口からはいた糸だから、先生、汚い。
水で洗ってもいい?」
私「う~~~ん」

世界一高級な糸が、絹糸であること
蚕が一生をかけて体を守るために、何km分もの糸を吐いたこと、
我が家で昨年手塩にかけて育てた蚕のまゆだということ・・・
など縷々説明したが、
「いやいや、絶対汚い」と譲らない。
それでも、教師の権限を使って、
ノートに貼りなさいと言って
強引に貼らせたものの・・・・・
年々、清潔志向がエスカレートする今の子どもたちに、
いろいろ教えていくのはとても大変だと思う。
(この地区がコンクリートジャングルのせい)
だから、すぐ、ちょっとフケが髪の毛にある子は汚いとか、
匂いがする子は嫌だとか、
・・・価値観や物の見方にまで影響するから
ほんとうに、極端な清潔志向は??????疑問がいっぱい。
ファブリーズや除菌グッズや・・・CMが、強力すぎます。
5・26
昨日から、蚕のまゆからの生糸取りの実習をしています。
ほんとうに大変。

なぜかというと、海岸沿いの埋め立て地区の学校なので、
子どもたちの生活には、虫一匹いないせいで、
授業中、窓から小さな小さなハエが入って来ただけで、
授業が中断、大さわぎです。
男子の中にも、セミやトンボは気持ち悪くて大嫌いという子も多数。
ですから、蚕のまゆを見るのさえダメだという男子が、
クラスに1名はいます。
まゆを触れないし、生糸もさわれない。
見るのも気持ち悪くなるからダメと言って、
作業用の!F教室の外のコンクリートのたたきに行ってしまう。
でも、他の子たちは、例外なく、キャーキャーどころか
悲鳴をあげながらも、1時間糸取りを続けると、
慣れてきて「案外かわいいかも」と言っていました。
そして、この会話、
「先生、きれいな糸でしょ、私が取ったんだよ」

「これでいくらする?」
おかしいですね、シルクだから、売れると思っている。
「あゝ野麦峠」の映画の糸審査を思い出します。
「あゝ野麦峠」が市販されて、ほんとうに幸せです。

原版が市販されたので、とてもよく時代状況がわかります。
今回は、編集したのですが、
あらたに、工女たちが、賃金について交渉したいと話し合うところと、
横浜との電信で相場を確認して、輸出する場面と、
権益擁護のため、日露戦争やむなしと、
生糸輸出業者の演説会で、全会一致する場面も入れて、
見てもらうことにしました。
画面もとても美しいし・・・・大満足です。
5・24
今日はもうすでに月末・・・。
先週体育祭で、雨天順延だったりして、
多忙な毎日でした。
クラスの子どもたちは、
私のちょっとおせっかい心をどう始末しようかと思うくらい、
自分たちで、それなりに練習し、それなりに学級旗を作り、
私がもっとこうしたらと言いかけると、
全然相手にされなくて、
…先生、もうすでに考えてやってますよ・・・
…淡々と、楽しんで、体育祭を終えました。

他のクラスの先生に言わせると、
闘争心が湧かないのは、文科系部活の子がほとんどで、
自分たちの舞台は、合唱祭だと思ってるのでしょう・・・とのことでした。
でも、楽しそうだから、・・・よかったかな?
今、ようやく自由民権運動まで超スピードで終えました。
これから植民地の獲得合戦に進むのですが、
この学年には、韓国籍と、中国籍の男の子が、
一人ずついます。
だから、細心の注意をして、
堂々と、バランスのとれた授業をするつもり。
早速征韓論でしたが、
日本では英雄の西郷隆盛が、
征韓論を強硬に唱えたとして、
韓国では違う目で見られている・・・と話してあります。
彼らが居心地が悪くならないように、
かわいそうな国と、同情だけをされることのないように・・・
がんばってやろうと思っています。
5・10
今、家での仕事の大部分を
若い人のためのプリントの複製や
DVDのダビングに時間を使っている。
スーパーウルトラおせっかい・・・というあだ名を
久津見さんから頂いたが、
とにかく喜んでもらえるのが、何でもうれしいのが私でござる。
そして、今回、2~3年ぶりか・・・
クマゴロ―先生の話を更新しました。

ぜひお読みください。
クマゴロ―先生、
長い間お待たせして、ほんとにごめんなさい。
読者の方は、きっと待ってたと思います。
最初のトップページも更新しようと思いますが、
少しずつです。
5・9
いよいよ体育祭の練習が始まった。
私のクラスは、闘争心がなくて、ほんわか。
とにかくクラス数が多いので、
真ん中ならば、まあいいかもという調子。
私も他人事だから、もっと頑張ればいいと思うけれど、
私自身だったら、はっぱをかけられたら、
ちょっと嫌かなと、
がんばれという言葉も及び腰。
一番燃えているのは、学級旗かもしれない。
でも、それも優秀賞をねらうというよりも、
和気あいあいと楽しむことにエネルギーを注いでいる。
うん、学級旗に載せる言葉も
私の名前をとって
「○○ちゃん Family 」だそうで

これは、笑いをとりたいにしても、・・・・
ま、家族のようにリラックスしてるからなのかもしれない・・・。
年を取ってきて、
男性のベテランの先生が、○○ちゃんと呼ばれ、
まるで、愛称のようだとか、思っていたが、
自分がその立場になると・・・う~~~ん・・・
人畜無害になったということか、
ちゃんとよばれるようになったら、もう、おわり。
ほんとの おばあちゃんだね・・・と

またまた、覚悟を決めるしかないです。
以前も書いたが、
20代でおばさん、
30代でおばあちゃん、
40代で妖怪ババア・・・
10歳も20歳もその名称から先に呼ばれて、
覚悟をしてきたが、もう、最後でしょう・・・。
人畜無害と思われても、
がんばろうなと思います。
April
4・30
クラスの子どもたちの変化に、
最近気づいて
驚くことがある。
一番変わったのが、
女子を避け、いつも
女子がひどいことをしてきたと
つぶやいていた男の子。
給食の時には、女子と冗談を言っている。
そして、この間の学活の時には、
自分の意見を手をあげて言っていた。
以前は「どうせ、意見なんて、言ったって無駄さ」
・・・そんなふうだったのに
最近、よく話しかけること、私にも・・・。
とてもうれしいし、ビックリしながら応答している。
ちょっと斜に構えていた子たちも、
男子が、よくしゃべることしゃべること。
私をいじったり、批判したり、指導しようとしたり・・・
そのたびに、はいはい、わかりましたとか、・・・
ありがとう、さすがだね・・・と適当に
相槌を打っているが、
自分をどんどん出していっているのがわかる。
女子も・・・。
よくしゃべるようになった子がたくさん。
この間は、委員会の副委員長に立候補して、
ほんとうにたまげてしまった。
大丈夫?内申のため?それにしても大胆!!!と驚く。

育てるのが私の仕事だから、
すべて、こういうのは良しとしています。
4・29
もしも坂本龍馬なら・・・という問いで、
子どもたちに予想を書かせた。
「外国が日本にやってきて、貿易をしようと言っている。
インドのように、中国のように、ならないようにするためには
どうするか?」
普通の授業(黒板だけの)なら、
・開国する
・外国の文化を取り入れる
たいていそれだけしか想像力が働かないだろう。
でも、産業革命の実習を入れ、
(機織り、飛び杼や力織機の模型実習)
インドの植民地化をていねいに扱い
(映画ガンジーを見せる)
中国のアヘン戦争を学ぶと
(アヘンの恐さをプリントで読む)
・・・・・・・・
鎖国を続ける・・・そう書く子が三分の一いる。
そして、子どもたちの意見の中から、
富国強兵、殖産興業、不平等条約の改正・・・そういう内容が、
次々と出てくる。
時代の状況が、具体的にわかれば、
幕末から明治の内容が、
「理解できる」
ずっと、教師生活、
「わかる」ことにこだわってきた。
だからこそうれしい。
それに、時間がかかるが、その分だけ、
第二次大戦まで、ずっと通して理解できる。
今年もこう書いていた子がいて、
確かに彼は歴史オタクですが、
やっぱりすごい、中学生って・・・と思わせられた。
彼の答えは次の通り。
「中国も被害を受けているだろうから、しかも人口が多いから、
同盟などを中国と結び、もしもの時に備えて、
反アヘン、植民地貿易協定でも結び、
戦争はなるべくせず、
ただ、そっちがおどかすならこっちにも考えがあるぞ
というようなものを作ればいいと思う。
そうすれば、今でも中国は日本に嫌がらせなどをせず、
今でも仲の良い国だったと思う」
反アヘン協定、植民地同士が同盟をする・・・
この名前が、とても気に入った。
実際にそう考えた、当時の思想家もいた。
(誰だったか、忘れてしまったが・・・エ~~~と、誰だっけ?)
これから、近代史に入っていくのだが、
学年には、中国の子どもも、韓国の子どももいて、

とてもがんばっている。日本語ペラペラだ。
日本が近隣諸国となかよくしないと、
その子どもたちを傷つけることになるのに、・・・
政治はわかっているだろうか?
4・27
この間、とてもおもしろいことがあった。
昨年の夏以来、
フランスから帰ってきてから
なるべくクラスの子どもたちを
どならないように気をつけていた。
そんなにどなる必要があることは
危険な時くらいしかないはず・・・。
半年たって、
子どもたちの個性が際立ってきている。
リラックスして、ホンネで
教室では過ごしているようす。
そんな中、学級旗作りを始めた。
今までなら、図案を全員に描かせて、
その中から、みんなで選ぶ・・・そんなふうにしてきたが、
ふと思いつきで、
3年だから、班ごとにアイディアを出してもらって、
それを、絵の得意な子に描いてもらって、・・・と考えた。
そして、学級旗作りの、まず原案作りから始めたのだが、
その話し合いが、えんえんと、
1時間半・・・。
班ごとの図案の採決をしたものの、
裏はどうするのか、
・・・そこから、異論噴出
「採決で二番目に多かった図案にしたら」
「いや、表と全然違う雰囲気にしたい」
「じゃあ、どんな雰囲気にするかを意見を出し合おう」
「ポップな感じかな?」
「いや、カッコイイ系が良い」
「いや、先生の顔を入れるかどうかも決めたい」
「それより、学級旗を作る人たちが原案を作ったらどうか」
「でも、一部の人に任せるのは嫌だ。せっかくだから、
全員で話し合って決めたい」
「全員でって言ったら、
いろんな意見が出てきて、
今みたいに決まらないと思う」
「まず、背景の色から決めたら?、
布を染めて、黒か紺に染めるとか」
「もう一枚布を買ってきた方がいいんじゃないか」
「やっぱり話し合いが脱線してるから
最初に戻って、どんな雰囲気にするかから行こうよ」
「これだけで、1時間の半分を使ってしまってるから、
やっぱり、原案を作ってもらう方が能率が良いよ」
・・・・・・・・・・・・・・
ケンケンガクガク・・・・
とても驚いたのは、2年の始めは
女子を嫌って話をせず、
いつも・・・授業中さえ私の注意を無視して
本を読んでいた男の子が、
手をあげて、発言したこと!!
いつも授業中、睡眠王子というぐらい
よく寝ている男の子が
これも手をあげて発言したこと。
それも、みんなが紛糾している時に、
大声で、こうした方がいいと主張したこと。
ビックリ、たまげた!!!
でも、見ている方の私は、楽しかった。
ずっと先生笑ってるじゃん・・・と言われたけれど、

こんなに面白い討論があるだろうか。
学級旗の原案をどう作るかで、
こんなに36人が熱くなって、意見を言い合い、
簡単に納得せず、自分が良いと思うものを
主張したい、譲らない・・・しかも友達の意見を聞いて反論する。
どの意見も、「早く決めたい」、
しかも「みんなの意見を生かして案を作りたい」
それも「みんなが納得するようにして」
そんなことを考えて熱く話し合うって
始めて見る場面、私はかなり感動していました。
地方選挙の投票率は最低だったけれど、
この教室の中では、究極の民主主義があったんですね。
先週、こうだったのに、
まだ、みんな、ああでもないと、休み時間に話し合って、
原案を作っています。
お母さんたちが報告してくれましたが、
1時間討論して帰った日には
ある男子は、とうとうと、討論の経過を説明して
みんなすごかったんだと言った後、
学校は、楽しいと・・・言ったんだそうです。
それも2人、同じことを言っていたそうです。
一方、じれったくて、イライラしていた女の子も
お母さん相手に、こうなって、こうで
・・・・といちいち説明して
先生は、脱線した人の意見がすばらしいと言ってるんだから、・・・
と憤慨して、・・・そして、ぷんぷんしたあと、ベッドに入ったとか、・・・
それから、そうそう、
話し合いの報告をしたあと、上に書いた男子二人は、
疲れた~~~~と言って、
いつもより早めに寝てしまったとか。
すごいエネルギーの使いようです
すごく愉快で、おもしろくてたまりません。
だから、中学生は大好き。
中学校は、情熱大陸ですね。
4・26
仁について、もう一つ。
子どもたちと、何度も見ていると、
そのドラマの内容だけではなく、
セリフの深読みまでしてしまう。
今日は選挙だけれど、
行っても、変わる気がしない。
こんな状態で、どうやって子どもたちに
政治の未来を語れるだろうと思ってしまう。
戦争について、語ることなく、
戦争をもできる法案が
国会で審議されている。
暗い気持ちにならないはずがない。
投げやりな気持ち、未来に希望が抱けない気持ち、
でも、それは、ほんとうに、
今これからを生きようとする子どもたちに
失礼だと思う。
時代を選んで生まれてくることができないから。
仁を何度も何度も、
(クラス数が多いので、繰り返し見ることになる)
子どもたちと見ていると、
主人公南方先生の問いが、
私にも刺さってくる。
江戸時代にタイムスリップした南方仁は
「この時代に僕はいても意味のない人間ではないか、
死んだ方がいいのではないか、
死ねば、現代に戻れるのではないか」
そう、自問自答する。
江戸時代の人々は親切なのに、
自分はたった一人だ・・と感じる疎外感。
これって、思春期、そして、大人でも感じる孤独。
「僕なんて、いなくたって、
世の中、何にも変わらない。
僕なんて必要ないんじゃないか」
その問いが、とても普遍的。
それに対して、ドラマでは、こう答えが見つかる。
江戸時代の人々は、時代の制約の中で、
懸命に生きている。
その様子を見て南方先生は考える。
精一杯生きていこうと・・・。
「人間は、歴史の大きな流れの中で、
精一杯生きていくことしかできないのだから」
マンデラも、ガンジーも
もっとも偉大なことは、希望を捨てなかったことかもしれない。
希望を失うと、人は生きていけないと聞いたことがある。
そんな生物は、人間しかいない。
だから、私も希望を語るようにしたいと思う。
小さなことにとらわれず、鳥の目で・・・。
4・25
うれしいことが二つ。
週2時間しか、歴史の授業ができないので、
進むのがおそくて困っているが、
それでも、「仁」を見せた。
幕末の攘夷がはびこる江戸や大阪の町、
その当時の雰囲気がよくわかり、
しかも、人々が、
一生懸命生きていることが
よくわかる。
驚くことが起きた。
1時間の授業で、一回もしゃべらない
・・・そんなの無理!!!という男の子、
しじゅう、しゃべってしまうか、
寝ているかの男の子が、
一言も発せずに、DVDを見ていた。
もう一人、社会の授業で、
どんなにしても眠ってしまう男の子、
この子も、一睡もしなかった・・・・ありえない。
でも、三年生には、それくらい魅力的かも・・・。
綾瀬はるか効果です。
教育相談部会に、校長と教頭、
2人も出席して、情報交換が・・・・。
昨年度の課題が、一つ一つ解決していっている。
子どもたちにも、若い先生たちにも、
目に見える形で、学校の組織が変わっていることが
わかってくれるだろうか。
何しろ、不安定な子どもたちに関わる先生たちが、
和気あいあいと助け合い、
情報を伝え合っている・・・
これが本来の学校の姿ではないでしょうか。

利害だけではないはずだと思っていたのが、
ようやく通じてくれたかな・・・うれしいです。
4・20
1週間も空いてしまった。
このペースでは
授業も子どもたちのようすも伝えられないと、
反省する。
今、一番エネルギーを注いでいるのが、
不登校の子どもたち、学校全体の
安定したシステムと連携作り。
それが、なかなか難しい。
不登校の子どもを抱えるクラスの担任と、
そうではないクラスの担任の温度差。
毎日のことだから、
神経も使うところだから、
過重労働も、全然違う。
でも、助け合って、サポートしあって
という職場を作らなければと奔走している。
でも、職員会議で、あまりに無理解な意見が突然出る。
30分近くも紛糾して、
心底疲れる。

でも、話を聞いてくれる同僚がいて、
数時間すれば、夕食も食べて、
そして寝れば、あれだけ神経がとがっていたのも
安らぐというものだ。
若い頃よりも、同僚同士助け合えるように、
私がなれたことが、私自身の成長だとつくづく思っている。
唯我独尊ではないのです。(本来の意味は違うのですが・・・)
また、明日・・・。
4・12
明日から授業。
最初は2年生の鉄づくりの
生徒たちが撮ったフィルムを見る。
12時間以上のテープを
30分に編集するのだから、
艱難辛苦でした。
でも、二回の鉄づくりの違い、
うまくいかなかった時と、
うまくいった時の細かい違いが分かった。
とにかく、
最後の炉の解体のところは、
何度見ても見ものです。
明日、子どもたちは、笑いながら、
楽しみながら、見てくれるだろう。
でも、たくさん文句も出るだろう。
私が、僕が映したのが出ていないと・・・
中学生カメラマンは
プロでないからダメなんです。
カメラマンが変なこと、
ちょっとした悪口や汚い言葉や
禁句をしゃべっているんですもの・・・
カットカットでした。
4・10
3学期の最後に書いてもらった、
授業の感想の中に、こういうラブレターをもらいました。
「どんなに疲れている時でも、楽しみにしています。
どんな授業でも楽しいので、歴史は好きです。
3年生になった時も、楽しい授業を楽しみにしています。」
かざらない言葉で、普通に書いてくれたつもりでしょうが、
何気ない男の子の、この言葉、
ほんとうにありがたいと思います。
来週から授業が始まります。
鉄づくりの写真全部で、数百枚を整理し、
12時間以上撮影してあるビデオを編集して、
授業に備えます。
手間がかかって大変だけれど、
あんなことを書かれてしまったら、
手を抜くわけにはいきません。
どうやって笑顔を生み出そうか。
お母さんが作る料理に似ています。
子どもたちのためにおいしいものを、・・・
私も生徒たちのために、
おいしくて楽しい授業を・・・・。
愛情料理です。
4・7
今日からようやく子どもたちが
やってきた。
この地域は、始まるのが7日からです。
とても遅いです。
でも、始業式の彼らは
なんとなくおもしろかった。
担任発表の時、
3年生の先生たちが発表されると
壇上にいる私たちを見ながら
安堵のうふふという
なごやかな笑い声
以前の学校などで経験した
キャーの歓声もにぎやかなざわめきも無い。
たぶん、学年の先生たちに
かわいがられていることが、
よくわかっているせいだろうと思う。
一昨日は一睡もできなかった。
職員会議で私が
提案する予定の内容が、気になり、
興奮して寝付けなかった。
こんなことは初めて。
昨年は辞表を書いて、引出しにしまっていたくらい、
ことしは、こんなありさま。
おとなを動かすのはとてもむずかしい。
でも、私の真意は
子どもたちのため、・・と
生き生きと協力し合って働きたいということ。
そのお手本としてのベテランの役目だと思い
引き受けた分掌だった。
でも、一応真意はみんなに伝わったと思う。
ひとつひとつ、実現させていくように・・・。
何しろ、1月から少しずつ、種をまき、
行動して、ここまで来たのだから、
今後もがんばるしかない。
何のことかわからないでしょうけれど、
いずれ、少しずつ書いていきます。
4・1
今日から新年度。
また新しいスタート。
今年は三年生担任。
張り切っていきましょう。
スタートは「仁」から。
おもしろいことに気づきました。
入国税関審査の紙にこう書いてあります。
「日本への持ち込みが禁止されている物
①麻薬、向精神薬、大麻、あへん、覚せい剤、MDMAなど
②拳銃等の銃砲、コレラの鉄砲弾や拳銃部品
③爆発物、・・・・・と続き、
・・・・・・
⑤わいせつ雑誌、わいせつDVD、児童ポルノなど
⑥偽ブランド品、海賊版などの知的財産侵害物品」
まさか、アヘンと言う言葉が出てくるとは思いも書けませんでした。
それから、わいせつ物に関する違憲訴訟がありましたし、
偽ブランド品などの知的財産権についても触れてあり、
この紙自体が、授業内容に、とても役に立ちます。
あへんとはおもしろい。

アヘン戦争から、日米修好通商条約から・・・
貿易の重要事項なんですね。
子どもたちの意見をまとめた時にも、
必ずアヘンを持ち込ませないと書いてくれるので、
そこから授業がスタートできます。
桜が満開、
一番忙しい学校のスタート。
新しい職員メンバーもそろって、

さて、どうやって、楽しい学校にしていくか、
がんばろうと思っています。
March
3・24
明日で今年度はおしまい。
学年・クラスの子どもたちの居場所づくりと
若い先生たちの過労については
来年度本腰を入れないといけないけれど、
授業の感想は
ありがたいものばかりでした。
好評なのが、
ドラマや映画の時に
入れる私の解説のようです。
みんながわかると書いてくれるのがうれしい。
300人いて、進度を気にしている子は二人。
その信頼を裏切らないように・・・。
「今学期は、今までの時代より一気に文明が発達して
まさに激動の時代の勉強をしました。
糸や米などの農業が主流の時代から
工業化への移り変わりが
とてもおもしろかったです。
また、革命が多く起こり、
市民の気持ちやその時の状況のようなものも
よくわかりました。
レミゼラブルは、ミユージカルのテンポ
で次々と話が進んでいったので、
話もよくわかっておもしろかったです」
もう一人
「市民革命のところが、
塾では全然わかりませんでしたが、
授業を受けてしっかりと学ぶことができました」
・・・・そうそう、わかるように教えるのが授業・・・
弾丸トークは誰だってできる。
1時間に2ページも子ども無視ならできます。
でも、私はやれないしやりたくない。・・・
これは私のつぶやき。
「ビデオを見ると、教科書を見るより
倍ぐらいわかるからよかった。」
感想に、わかりやすいと書いていない子が
いないくらいだった。
「糸作りとか、鉄づくりとか、布織りとか、見るだけ
じゃなく、自分たちで体験できたので、楽しかったです。
あと、映画やプリント(話)で、そのころのようすが
すごいわかりやすく出てて、印象にも残りました。
黒板も分かりやすかったです。
来年も歴史を楽しみにしてます。
あと、楽しんでちゃんと頭に入るようにしたいです。」
楽しんで頭に入れたいとはなんとぜいたくな
なんとうれしい要求でしょう。
楽しんでわかる勉強をもっともっと・・・・と子どもたちに
励まされ、働かされ、調子にのらされて、踊らされている・・・
笑顔の私でした。
3・21
授業も最後になり、
来年度その続きをすることになります。
1週間に2時間の歴史はつらい。
3時間だとぐいぐい進むが、
ちっとも進まない。
やりたいことは
もっと精選しないといけないだろう。
でも、ようやくペリー来航、
薩長同盟まで行きついた。
授業の感想は、
子どもたちから来ると、ほんとうに癒される。
教師の間では、進度が一番、
そしてすぐに話題になる。
1時間に2ページ進むと自慢する人もいる。
だから、1年生で世界地理を終え、
歴史も鎌倉時代まで終えたと言う。
・・・・絶句してしまう。
そんなに詰め込んで、子どもたちが、
3年後、受験の時、何を覚えているだろう。
わかるように、覚えやすいように、
教えるのが私たちの仕事ではないだろうか。
私が30年こだわってきたのは
「社会科がわかる」ことだった。
わからないことを覚えることほどつまらないことはない。
だから社会科が、一番嫌いだった。
そして、今、受け持った子どもたち。
子どもたちは、
わかって楽しい授業がうれしい・・・
と言う。
私のことも信頼してくれている
それにこたえて、確実に、終わらせる・・・
それは決意だ。
そして、子どもたちは、
時代をイメージできるのが、良いと言う。
わかりやすくて、
テストの時にも思い出しながら、
答えを書いていた・・・・そう書いている。
3年になっても、
「ルーツ」もはずせないし、「仁」もはずせない
「モダンタイムズ」もはずせない。
おもしろいことに、子どもたちは
「龍馬伝」より「仁」の坂本龍馬の方が
良かったと言っていた。
同感!!!!
でも、これは、好みの問題ですね。
そういえば、伏見の寺田屋も行ってきましたよ。
9月に。
3・14
娘の卒業式と勤務先の卒業式を終えました。
下の娘は、小学校までは
ほめられたくて、ほめられたくて、
たくさん私のお手伝いをしてくれていた。
それがいつしか
たのんでも「いやだ」
受験が始まる高校になると、
乱暴な言葉づかいになり、
時には「おまえ」だの、
逆に、すべてに、敬語をわざと使ってみたり、
まるでハリネズミのように、
話しかけるだけで、
棘に刺されてしまうようだった。
私の両親が、よく言っていた言葉を
思い出した。
「屁理屈ばかり言って」
「親をバカにしているんでしょ」
私自身が高校生の時には、
ヘリクツだとは全く思わなかったし、
バカにしてるつもりなんかない・・・と思っていたが、
娘にも「屁理屈ばかり」と、
同じことを言っていた。
そうか、親にとってみれば、
これはヘリクツだなあ、
学生時代によく言っていた言葉、
「なんでやらなきゃいけないの?」
「大人だから許されるの?」
「親なら何を言っても良いわけ?」
それと同じことを娘が口走っている。・・・・
今、私が感じるように、
なんて、理屈っぽくて、
気難しくて、面倒くさい中学生や高校生だったのだろう
娘も、受験がこれで終わって、
少しはとげとげしい病から、
解放されるだろうか?
おだやかな毎日が、また、訪れてくれるように、
娘の顔色を見ながら思う毎日です。
3・10
ガンジーの映画を見せているのだが、
映画の場面場面で、
インドの風景を思い出す。
まるで、ほんとうに
お釈迦様の周りに集まったような
牛、犬、インコ、クジャク、ロバ、鳥たち・・・
そういう動物にあふれていた町。
ガンジーの農園は、映画に出てくるより、

もう、街中になっていたけれども、
質素で、ガンジーが断食をして、
インド全体に非暴力を訴えるために
横たわった家も、映画の通りだった。
今も、ガンジーの故郷周辺では、
白い、ワンピースのような
すらっとした、衣装を着けた
若者たちが多かった。
ガンジーの心が生きていると感じた瞬間を
今、また思い出していました。


3・9
今、学校で大問題になっているのが、
子どもたちの処遇。
教室に入れない子どもたちを
誰が、どこで
指導、ケアするのか?
それぞれの権限、部署のメンバーが
それぞれの主張をしあって
今は、難民状態、流浪の民になっている。
子どもたちのためにという一点で、
一致できない職場って
すごく悲しいと思う。
この二年間、すごく努力してきたが、
多くが徒労に終わってきている。
でも、その分、子どもたちは、頼りにしてくれている。
成長してきているのも確か。
何とか打開したい・・・・それを思う仲間も多いのが救いです。
3・8
授業は産業革命を終えて
イギリスがしたインド植民地支配を勉強している。
その後は、薬物乱用防止教室・社会科授業編。
一昨日、担任クラスでやったらば、
私のクラスは、とても穏やかで
おとなしい子ばかりなので、
だれも、「アヘンの種」を味見してくれず、

困ってしまって、
そそのかすのに、苦労した。
(誰かが味見したら、「大丈夫?」
「大変だよ、気持ちよくなったんじゃない?」と
ちょっぴりからかう予定だった)
でも、結果は上々。
「アヘンの種」
(アンパンの上にのっている食用ポピーシード)

を、ノートに貼ることすら、
「気持ち悪いから絶対いや」という位
怯えていたのが、「うそだ」とわかると
なあんだ・・・。大笑い。
忘れないだろうし、アヘン戦争の怖ろしさも分かるだろう。
アヘン戦争をしたからこそ、アヘンづけになった中国。
それがわかれば幕末の危機が理解できる。
3・4
昨日は結局私の代わりに
若い先生が、子どもに付き添ってくれて
夜10時過ぎまでの残業になってしまいました。
疲れ果てて、眠れない若い先生たち2人に、
インスタントでも、豪華な夕食を
湯沸し室で15分で作って
今日ごちそうしました。
メニューは、

フランスパンに
ブルサンのガーリック入りチーズをのせて

二切れ、
サラダは、ルッコラとミニトマト、
燻製のカキとコンテチーズを混ぜて

シーザーズ風味ドレッシング、
スープは缶詰のオニオングラタンスープ、

デザートにあまおうの巨大イチゴを5個、
こうなると、ワインでも欲しい所ですが、
それは我慢して、・・・お盆にのせて運びました。
2人はびっくりしていましたが、
おいしいおいしいと完食。
これで、一人暮らしで、夜、学校に8時過ぎまでいて、
夕食と言ったら、ラスクだけとか・・・、
その上、毎日クラスの子どもたちの夢を見て
明け方に飛び起きる疲れ切ったからだが、
少しは癒され、元気になれて、
今日は熟睡できますように・・・と祈ってます。
若い先生たちを、少しでもサポート・・・
それが子どもたちのためでもあります。
喜んでもらえるのは、とってもうれしい。
わたしの魔法のテクニック編でした。
3・3
お雛祭りなのに、ぐったり疲れた一日。
もう、3月ですね。
何があったか、
これは、今の時代にはとても神経を使う仕事なのですが、
テストの採点をしていて、
答案用紙が1枚足りないことに気づきました。
顔面蒼白・・・・・、まるでムンクの叫びのように・・・
家での作業だったので、

学校のどこで、教室?職員室?私の机?・・・
どこで採点したんだっけ?
夜は眠れなくなるし、
朝は、5時半に家を出て、
学校中朝のうちに探し回ろうとして、・・・
もう、無ければ、親御さんと本人とに
謝罪しなければ・・・それだけではなく、・・・
と、思い詰めていたら、・・・結果的には、
他の先生が、まちがえて持っていたのを返してくれてはいたのですが、
連絡が無かったので、私の中ではどこいったの???????
と、相当真剣に、思い詰め、悩んでいたのです。
ほんとうに、心臓に悪かった!!!!!!!
愚痴を言っても仕方ありませんが、
今の時代は、
処分と親御さんからの苦情に汲々、ピリピリ、とする時代です。
結果的に、問題は何もありませんでしたが、
一つもまちがいを許されない雰囲気にストレスがたまるばかりです。
夜には夜で、もう一つ、
子どもたちに関する問題が起きて、
まわりの先生にも迷惑をかけました。
思春期の子どもたちは、不安定、

仕方のないことではありますが、
健やかに育ってほしいと、心から思います。
若い先生たちが、激務で、
深夜に突然目が覚めてしまう・・・

夜、子どもたちの夢を見る・・・それも気になるからこそ、
みんな心配です。
学期末で忙しい時だからこそ、
励ましあって、なんとか、さまざまな問題を乗り切りたい
そう思います。
Febrary
2・23
今年は1回も風邪をひきませんでした。
漢方薬をずっと飲んでいるから
体温が上がって、その分抵抗力が少し上がったのかもしれません。
今、テスト2日前、
しかし急ぎつつ、
産業革命の影響について触れる授業に突入。
これからが、ダイナミック。
インドの植民地化、
アヘン戦争、
ペリー来航と開国か鎖国継続かと考えてもらう授業、
そこまでは、がんばって行きたい。
今年、週三時間歴史にせず、
週二時間歴史、一時間地理という
カリキュラムにしたので、
歴史の授業が足りなくて困っている。
がんばって体験もしながら、
視聴覚教材も見ながら、
これから難しい幕末から明治維新の授業へと入る。
でも、産業革命の体験を授業でするようになって、
幕末のところの授業が楽しくてたまらくなった。
そして、ドラマ「仁」とドラマ「篤姫」が
具体的なイメージを作ってくれるから勢いがつく。
子どもたちが「わかった!!」と言ってくれる顔が

一番楽しみ。
今の段階でも、高機・糸紡ぎの体験、
蒸気機関の模型を見て、
近代製鉄の映像を見て・・・
こうした発明が世界をどう変えたか?と考えてもらったら、
「鉄の大量生産で、鉄の武器が増え、戦争になった」
「イギリスが大量生産をしたために、インドの布が売れなくなり、
インドは貧しくなった」
というところまで予想した子どもたちが、何人もいる。
こんな予想が、普通の授業ではできない、
だから、時間と手間をかけて体験してもらうのです。
2・18
今は産業革命をやってます。
これが教具のオンパレードで
師走ぐらい忙しく、先生走り回ってます。
今年栽培した綿花がようやく役に立つ

登場場面!!!!一班で2個の綿花
全部で150個
そして体験学習のために
高機の整経
糸紡ぎの紡錘車の準備
糸車の調整
ふとんワタの調達
一番難しいのが力織機模型の整備

これは、専門家に頼みます。
デザートがその代金替わり。
蒸気機関では
ミニ蒸気自動車の整備・・・・もう30年前のクラシックカーと言いたいくらい
蒸気機関で動く工場模型
蒸気船
それぞれ動くかどうか、全部確かめ
調整します。
製鉄についても、
たたらで作った鉄の塊を割り、

みんなで割って、鉄ができてるどうか、確かめるために
金やすり、
豆電球と乾電池と銅線の準備
磁石や汚れないための紙とか・・・・
その準備をしながら、授業用のプリントを作成し、
しかも並行して、修学旅行の基礎学習用に
授業構成を考え教材を準備するのを
この忙しい中でやっています。
ああ、忙しい、忙しい
また、こたつで寝てしまった。
また、長椅子で寝てしまった
乗り切っているのは、今年は、漢方薬のようです。
2・17
中学生の感想でも、
いたずらっ子の男の子が
レミゼラブルの映画を
「とても美しい映画だった。
牧師さんが、ジャンバルジャンを
かばった場面が好き」
と書いてあって、
思わず彼の感性の美しさの方に
ビックリしながらジーンと着てしまいました。
私にとっては、小学生のころ読んだ
「ああ無情」は、題の通り、
悲惨で、暗くて、恐ろしい話だったけれど、
当時の人々を、美しいと感じる
=つまり魂のことを美しいと感じている
・・・・
ユゴーは魂のことを書いていた
と昔読んでいたので、
そのあまりのピタッとあてはまる感性に驚いたわけです。
2・9
レ・ミゼラブル、見終わりました。
予想以上に痛感したこと。
子どもたちにとって、
フランス革命が身近に思えたらしいこと。
レミゼラブルの映画では
一人一人の登場人物の境遇や生き方が様々で、
その時代の群像劇になっている。
確かに、フィクションの物語ではあるけれど、
臨場感といい、時代状況といい、
当時の人々が、いかに貧しさに泣いていたのか
だからこそ、革命が起きたのだということ・・・
それを言葉ではなくて、全体で
群像劇だからこそ理解したらしい・・・ということです。
その時代を懸命に生きた人々に敬意を持ち、そして
思いを馳せることができるのは、
歴史教育の目標じゃないかと
最近は考えるようになりました。
私も授業で、何度も繰り返し見て、
見れば見るほど、
当時の正確な歴史を知りたくなり、
ようやくフランス革命以後の革命の歴史を調べ、理解できました。
フランス革命のあとも、七月革命、
六月暴動、二月革命、パリコミューン、五月革命・・・
そのたびごとに 人々は抵抗し
血を流しながらも、普通選挙、義務教育の無償化、
働く権利、言論の自由などを、少しずつ勝ち取っていったこと。
何度も何度も闘ったこと。
この間、NHkの世界街あるきの番組で
パリの街角から、カタコンベに入る様子が出ていたのですが、
カタコンベの中で、フランスの若い二人が
「この墓の中には、革命のあとで葬られていた人々もいるんです。
この美しい国を作ってくれたのが、彼らだと思うんです」
と話しているのを聞き、驚きました。
カタコンベは興味本位で見て回るものかと思っていたら、
昔の人々の整然と並べられた頭蓋骨などの遺骨を
なんといとおしそうに見ているのか・・・そう考えるのが
フランスの人々の漢郭であり、
自分の国を、昔の人々を「美しい国を作ってくれた人々」と思うのかと・・・
なんとなく、その言葉を聞いて
何も言えなくなってしまいました。
とても胸に残る一言でした。
2・2
先週は、冬休みから、ずっと棚上げして
さぼっていたノート点検を
こたつで眠りながら、1週間睡眠時間激減で
350冊、読ませてもらいました。
その上、ひとことずつ・・・・。
その重さにも、厚さにも、
ずっと逃げ続けていましたが、
子どもたちから矢の催促・・・
まだあと言われ・・・
ようやく取り組み始め、
家まで持ち帰る時は車で持ち帰ったのに、
間に合わないので、
学校に持っていく時は
80冊ぐらいをリュックに詰めて
恥ずかしく、4日間に分けて
しょって行きました。
傑作でしょう?
情けない・・・そんなこともありますね。
今、レミゼラブルまっさかり。
号泣する女の子たちもいます。
私と言えば、よく調べ直して、
実際に起こった出来事だったのだと、
改めて自分の無知さに、うれしくなっているところ。
新しく知ることはうれしい!!!
January
1・24
さらに恥の上塗りでしたね。
スーパーで調べてみたら、
ほとんどのとろろ昆布に、いろいろ入っている。
改めて考えてみたら、
そういえば、とろろ昆布というのは、
酢を昆布に塗って柔らかくして
削っている・・・なんて聞いたことがあるような無いような・・・
100%昆布なんてとろろ昆布には無いんだな、
とわかりました。
だから、まあ、とろろ昆布でだしをとろうという考えが
ちょっと違っていたかも・・・。
もう、多少の味付けがされていると考える方がいいのかも。
でも、趣旨としては、昆布には出しが出る・・・
そういう食材を
江戸時代に多用する習慣がついて、
日本人の懐かしの味になったということがわかればいいのだ、
と考えました。
だから、訂正なし。白状なし・・・
目的は北前船が運んだ昆布が
1000両も儲けさせた昆布ロードなので、・・・
ちょっと後味が悪いけれど。
さて、授業はもう先に進んでいる。
フランス革命について、
先に「レ・ミゼラブル」を見せることにした。
さて、どう子どもたちは受けとめるだろうか。
1・20
今日、授業中に、
最大限に恥ずかしい、穴があったら入りたい・・・
ことを発見してしまった。
なんと、子どもたちには大見得を切って
とろろこぶと花かつおで
こんなにいい和風だしが出る・・・!!
これがわかったら日本人だ・・・なんて言っていたのに、
ふと、とろろ昆布の袋の裏を見たら
・・・・・・・
・・・・・・・目が点になった私。
昆布だけじゃなかった、
醸造調味料、砂糖、しょうゆ、
食塩、アミノ酸・・・なども添加してあった。
正式名称は、昆布加工品・・・・・
ええっ・・見かけはとろろ昆布だけなのに。
絶句!!
恥ずかしいなあ・・・明日白状しようか
だましてごめんねみんな。
その気になって、大ぼら吹いてごめんねみんな。
今度100%のとろろ昆布で、まずまた実験してみます。
1・19
今、歴史の授業は
江戸時代の産業。
北前船の大もうけのもとが、
昆布だとは知っていたが、
おもしろい番組があった。
昆布ロード。
その番組に触発されて、
和風だしを子どもたちといっしょに実験。
とろろ昆布と鰹節

ほんのちょっとをコップに入れて、
お湯を注ぎ、出しの味が出ているかどうか確かめる。
これが、不思議なことに、ほんのちょっとでも
出しが出ている。
このとろろ昆布と鰹節を見ていて
ビックリしたことがある。
鰹節があんなに薄く削れるのも、
とろろ昆布があんなに薄く削れるのも、
すべて日本の刃物がすごいから・・・・
やっぱり和鉄はすごい!!!
そして、出しもすごい!!!と楽しい発見でした。
1・15
パリのテロ事件。
パリに行った時には
移民の多さに驚いた。
パリの人々がバカンスに行ったせいかもしれないが、
車両に乗った人がほとんど、
白人ではなかったこともあった。
いろいろな人種の人々がいるのが
当たり前のパリになっているらしい。
そういう状況下では
どう違いを認め合うのか、
その上で自由を守るのか
苦悩があるのかよくわかった。
私でもよくわからないことだろうし、
どう対処していいか価値観の違いをどう乗り越えるのか
困惑してしまうだろう。
それでも、見た感じでは
排他的にはなっていないのがパリだった。
だから、テロ後の行動が
とてもよくわかる。
人々の動きが
ああだからなんだなとよくわかる。
いろいろな考えの人たちと共存し
いろいろな伝統のもとに暮らす人々と
毎日を過ごすというのは、何とむずかしいことだろう。
でも、日本も、百年すれば、そうなるだろう。
1・13
とても妙なもので、
三日ぶりの中学二年生に
クラスに入ったら、
私が照れてしまいました。
連休のあと二日は
卒業生を思い出しながら、
過ごしていたので、
心の中で、
どっちもかわいいよ・・・と言っている感じ。
何だか、今教えている子たちに
焼きもちを焼かれそうな気持になっていました。
こんなに子どもたち、教え子たちをいとおしく思えるのは
年のせいかもしれません。
連休の一日目には
若い先生たち向けに
戦争の授業、を模擬体験してもらい、
教材をUSBに入れて、活用してもらうように渡しました。
子どもたちも若い先生たちも
可能性が無限大の気がします。
1・12
ようやく原因がわかってきました。
まず、このページの要領に入りきらなくなってきて、
ページが重くなりすぎたんです。
それで、何時間もかかって、
1年生の時のページを移動させました。
リンクを貼ったので、バックナンバーに入れてあります。
これで、にっちもさっちもいかなくなっていたのは、どうにかなりそうです。
新バージョンには、適応するかどうか、
明日またやってっます。
また、少しずつ、毎日書いていけそうな予感がします。
パソコンと付き合うのは、ほんとむずかしい。
でも、どなたかが読んでくださっていると思うと嬉しいです。
あともうひとこと。
同窓会が昨日ありました。
教え子たちのです。
とても手こずった子どもたちでしたが、
成人式でした。
とてもとても楽しかったし、幸せでした。
何ということはなかったのですが、
顔を見ているだけで、幸せでした。
何だか、ずっとニコニコしていました。
まるでクイズでした。
顔の形、目鼻立ち、声、しぐさ、笑いかた
想い出を手繰りながら、面影をさがして、
名前は出てこないんだけれど、顔はわかる
そして、その子についての思い出を手繰り寄せる・・・
ほんとうにきれいになって、若者らしくなって
全然同一人物だとは分からないくらいですから・・・
でも、わかるんです。
思わず、手をたたいて、そうだった・・・っていうんです。
そんな昨日を思い出しながら、寝たいと思います。
ではおやすみなさい。
1・8
12月の2度の製鉄作業と
年末の奥出雲の鍛冶は、
ほんとうに、ドラマチックで
記憶に残る授業と体験でした。
たたら製鉄でできた鉧
ケラと呼び、ごつごつした塊です。
これが、名人の鍛冶屋さんの手にかかると
みごとな小刀に変身・・・
このケラから小刀が、
一番驚きました。
・・・・旧バージョンで書いて、
土日に、またチャレンジしてみます。
1・7
全然だめです。
新しいバージョンでは
カーソル移動だけで5秒、
文章を打ち込むと10秒かかります。
新規購入者が困っているのに
企業のサポート体制は
メールの問い合わせはお断り、
平日の5時までの電話だそうです。
なんというサポートなんでしょう。
あまりの動作の遅さに、旧バージョンで書いているので、
何も解決できていません。!!!!
1・6
トラブルは解消して、
動作も少し早くなりました。
でも、まだまだ・・・
ページを更新するより、こうして、
トラブル対処に数カ月に一回ぐらい、
何日もかかってしまうのが、困惑します。
また、明日,
動作環境の改善にチャレンジ!!!
1・5
バージョンアップはできたようですが、
不具合はまだまだ。
企業のサポートページに問い合わせることにしました。
それよりなにより、今、この瞬間困っているのが、
カーソルの移動だけでも
3秒ぐらいかかっている!!!!
バージョンアップはいいけれど、
これじゃあ、毎日書けないよ~~~~~~
1・4
明けましておめでとうございます。
島根県の奥出雲は年末、雪でした。
ほんとうに長い間、ご無沙汰しました。
12月、2回のたたら製鉄、
その後の学期末処理・・・・。
予定されていた忙しさでしたが、・・・
こちらのページを書きこもうと思っても
いろいろな注意が出てきてしまったり、
ソフトを更新しないと
販売元がトラブル対応してくれない期限切れとわかり、
最新バージョンを購入したものの、
バージョンアップにどう対応するのか
・・・・不安で、そう簡単に
取り組めず・・・・、
へたにいじれないとそのまま過ごしていました。
さて、新年あけて、
家事もようやくひと段落、
もう、明後日には学校がはじまりますので、
この二日間で、チャレンジしてみる予定です。
うまくいったら、バージョンアップした新ページでお会いしたいと思います。
では、がんばります・・・。
2014
December
12・9
風邪をひきました。

やっぱり、過労でしょう。
それでも、学期末事務もやって来るし、

三者面談も控えている。
でも、鉄づくりももう一度やります。
今年は、何とか、漢方薬でしのごうと工夫しています。
2回目の炉づくりは
先週の水曜日
社会科の教科リーダーたちが
ワーッッと1時間で半分作り上げてくれました。
たくさん有志達も集まって、
何かやりたい何かやりたいと、
おもしろがって・・・
楽しくて、共同作業で、
だからこそ、やりたい。
11日は、雨なので、

変更して、10日にやります。
2回目は、少し不安がとれて、余裕があります。
始発で来ても間に合いそうもないので、
前の日から、駅前のホテルに泊まります。では・・・
12・2
今日は、1回目のたたら製鉄実習の日。
いろいろの懸念はあったけれど、
成功しました。
子どもたちは、とても楽しんだ。
最近このページから遠のいていたが、
うれしかったこともたくさんあった。
また明日にでも、書きます。
今日は、綿のように疲れて眠るだけ。
November
11・24
今日は、明日から雨なので、

中古で購入したミニテントを
たたらの炉の上に
設置に学校へ。
約一か月前になってしまった
合唱コンクールのまず当日のこと。
文化会館は音響効果がすばらしい。
教室や体育館で歌うのとはわけが違う。
大声を出さなくても、
みんなの歌声が響く。
いろいろあったけれど、
吹奏楽部のメンバーが多いことと
男子の歌好きで、低音が出るほど
体が成長している子が多いので、
練習ごとに、順調にうまくなっていった。
自由曲は、エグザイルの絆。
エグザイルと言っても、完全な合唱曲になっている。
でも、私の役割は、
モチベーションを上げることだと思い、
ネットの映像から「絆」のものを紹介。
当日のことを最後にひとこと。
とても感心した。
舞台のそでから見ていたのだが、
一番初めに戻ってきた男の子が、
「ああ~~~楽しかった」と言ったこと。
指揮者が戻ってきた途端に、
「先生、先生、みんな、とても楽しそうに歌ってたよ」
その二人のひとことに、とても感激した。
胸がほっとあったかくなった。
結果発表では、リーダーを務めた女の子が涙した。
それはよくわかった。
彼女は、みんなの歌を、もっとよくしようもっとよくしようと

あせっていたが、それを、途中から
表に出さず、ことあるたびに、みんなをほめた。
自分の焦る気持ちと、責任感と、
でも、それを、思い切りぶつけるのは
我慢して、・・・それで、最高の結果だったから、
思わず、ホッとしたのだと思う。
彼女の功績は、みんなが納得するものだった。
彼女は自信がついたし、大きく成長したと思う。
私にとっても、幸せな時間でした。
11・22
12月に4回目のたたら製鉄をします。
1週間のあいだに2回、
地面のすきまの無い学校なので、
アスファルトの上に鉄板を敷いてやります。
2回やることと、
アスファルトの上は初めてなので、
超超・・・・緊張しています。
今日は休みですが、
連れ合いさんと、炉づくりをしてきました。
地面の中に、ドラム缶を埋め込まないので、
相当な高さにもなる予定。
地面に埋め込み式なら、
4回目だけなら、そんなに緊張せず、
楽にできたでしょうに、・・・・。
いろいろ考えなければならないことが多くて、
でも、終わったら、疲れも吹き飛ぶことでしょう。
島根のたたらの里、吉田に行って

実習してきたことが、
とても自信になっています。
さあ、こういう時こそ頑張ろう
若い人たちも、楽しみにして、
手伝いたくてうずうずしているようですが、
基礎は気が抜けないので、
今日は、二人だけ。
明日も、4時間かけて、学校往復して、
送風乾燥させる予定です。
がんばろうったらがんばろう・・・ふふ
11・17
火縄銃は、こうして手に入れました。
20年近く前、
会の仲間と、島原の乱あとをフィールドワーク。
原城あとや博物館を見学した後、
帰り道、バス通りを歩いていると、
会の仲間が「あ~~~!!」と
声をあげました。
みると、大型ごみ集積所から、
鉄の棒らしきものを拾っています。
見れば、火縄銃の銃身でした。
しかし、一応真っ二つに折り曲げられています。
これをその仲間が、もとの形に戻し、
まわりの木製の部分を製作し、
引き金の部分もつけて、火縄もつけられるようにしました。
大人気の火縄銃ですが、
もちろん撃てないし、さわって重さを確かめるだけ・・・。
でも、嘘のような本当のロマンある由来でしょう?
いつも思うんです。
この銃身は天草四郎たちが使っていた物のうちの
一つかもしれない・・・などと妄想しています。
11・16
実は、私たちの会では
火縄銃の模型を持っている。
三年ごとに、種子島に鉄砲伝来の授業の時には
その模型を使って実演してみせる。
今年も・・・・
火縄銃の火縄に火をつけてみせると、
みんな驚いて、のけぞって、耳をふさいだり、

頭を引っ込めたりするので、
私は内心・・・ふふふ・・・
それで、口で、ドカンと言って見せて
なあんだ・・・と拍子抜けをするみんななのだが、
私のクラスの楽しい女の子たちが、
他のクラスの仲のいい友達に、こう言いふらした。

「その実演で、4組の壁に穴が開いて、
5組が見えているんだよ!!」と。

それを信じた友だちが、
私が構えたとたんに、「先生やめて!!」
「壁に穴があいちゃうよ。4組は壁に穴が開いて
5組が見えているんでしょ!!」

あまりの素直な信じ込み具合に
もう少しで吹き出しそうになったが、
ポーカーフェースで冷静さを装い、
みんなをおどかしてあげた。
こういうドキドキが、みんな大好きです。

明日、この火縄銃の模型の不思議な由来を
お話しましょう。
それから、12月に、2回たたら製鉄をやる予定です。
そのことについても・・・また。
11・12
血の気も引く出来事。
このページが11月になって開けたら
真っ白なページに。
数年書き続けてきたこのページが何も復元できないかと
青ざめた。
これがネットはこわい。
でも、前に一度、近い状態があり、
復旧できる可能性を信じて、
業者に電話したが、もうサポート対象ではないと言われ、
愕然!!!!
ネットで検索し、方法を試行錯誤しながら、
ようやくここまでこぎつけましたが、
まだまだ不安。
もしかしたら戻っていないかもしれないので、
調整中です。
その間に、合唱コンクールも終わってしまい、
学年で金賞をもらいました。
その興奮も書けなかったのは残念。
さて、今日のこの記事は、ちゃんと反映されるかどうか、
ドキドキしています。
Octerber
10・27
合唱コンクールが
1週間後に迫った。最初は試行錯誤。
予定通りというか・・・
私の予想通り、
音楽を愛する女子たちが、
男子の歌声や態度に
イライラして、或いは思うようにいかず
涙と、苦情とで、多少混乱した。
ところが、それならと、
男子の一人を臨時リーダーに任命し、
その日の進行役を引き受けてもらった。
これも無理やり強制したのだが、
なんと、なんと、驚いたことに、
手際よく、練習を引っ張っていき
「今日は良かった」・・・という彼の言葉に、
思わずクラス全員が拍手。
そこから少し変わった。
まず、昼休みに、放課後の練習の流れを、
係のメンバーで打ち合せるようにしたこと。
そうすることで、係のメンバーが
相談している間、
他の全員が暇でぶらぶらしている時間が減ったこと。
今日の歌声は見事でした。
特に、最初の出だしで
クラス全体が息を吸い、
そっと歌い始めるところが、
みんな一致していて、
驚いた。さて、明日はどうかな?
10・23
もののけ姫を見て、
十二月の鉄づくりの準備を考え始めている。
もののけ姫のストーリーは
とてもむずかしい。
二重三重に関係が
作られている。
でも、少しでも
戦国時代のあたりを想像するには
とてもありがたい。
たたら製鉄の技術と

その自然との関係。
宮崎駿監督のメッセージも
単に自然保護を訴えるものになっていないことが、
何度も見ると、よくわかってくる。
主人公のアシタカが、もののけ姫に
最後語りかける。
もののけ姫「シシ神を殺してしまった人間を許すことはできない」
アシタカ「ともに生きて行こう」
人間は自然と共生しなければ生きていけない
でも、それはとてもむずかしいこと、・・・。
しかし、今年訪ねた島根では
たたら製鉄は森林破壊の技術ではなくて、
共生をめざした技術だったと聞いた。
森林の再生のサイクルの中で、
砂鉄採取で山を崩し、炭焼きで森林を伐採する、

しかし焼畑と同じで、約30年たてば
森が再生するとうかがった。
島根の森は豊かな森であるらしい。
10・18
さらに中世について・・・・
市内の社会科教員の方たち相手に
鎌倉考古学研究所の斎木秀雄先生から
話をうかがう機会を持ちました。
これも衝撃的な内容で、
びっくり!!
一番驚いたのは
鎌倉の由比ヶ浜近辺の発掘で

人骨が見つかったこと・・・
これは知っていました。
しかし、穴の中におびただしい人の骨。
数えて500人ほど埋まっていたそうです。
亡くなってその遺体を放置できず
町のはずれに埋めたようだと。
その写真とその数は、
目の前に幻想ではなく、それが中世だと
生死が今よりもずっと表裏一体だと教えてくれます。
もう一つ示されたのが、

頭蓋骨だけが入った穴。
これは、鎌倉の入口にあたる
江の島近辺だそうですが、
200もの頭蓋骨があって、
これは、みなさらし首にあったものとか。
さらし首にされた場所が、
町の入口と定められていたらしく
さらに、なぜさらし首とわかるかというと、
亡くなってすぐ埋葬した遺体には、
あごの骨があるそうですが、
首はさらされると、あごの筋肉が無くなり、
それであごの骨は見つからないのだそうです。
斎木さんに見せていただいた
発掘現場から出てきたお箸も
これを握っていたのかと思うと、
ほんとうに不思議な気分でした。
10・15
問題6の答え
○はイ・ウ・オ
藤木久志氏は、乱捕りと言われる、
戦争中、戦争直後の農民兵たちによる
強盗、捕虜強奪、乱暴狼藉のようすを
古文書から引用している。
それによれば、岩手でも、九州でも、
大阪城でも、負けた城では人身売買の市が
何カ月も開かれ、転売に転売を重ねて
島原から中国・アジアまで

売られていった人々も
多かったらしい。
故星野芳三先生(私たちの先輩でした)が
紹介してくださった「妙法寺記」の中にも
信玄たちの軍が、人を誘拐し奪い、
奪い返され・・・という怖ろしい記事が残っていた。
問題7と8
褒美は土地や金銀、大名愛用の品など、
褒美の証拠はおもしろいことに、
「記録する証人役の武士がいたそうだ」
そして、首実検
首を持っていき確認する。
しかし、戦国時代の本に、
これまた恐ろしいことが書いてある。
身分の高い者の首は、ていねいに血などを洗い落とし、
髪を結い、化粧をして、板の上にのせて差し出す。
その際も右手でこうして左手でこう支えて
・・・という流儀が決まっていたらしい。
それだけではなく、首の表情をもとに、
吉凶を占うこともあったそうで、

上を向いてたら・・・、苦しい表情をしていたら、・・・
目をつぶっていたら・・・などの解説が怖ろしい。
また、足軽などの首は、陣の外に山と積まれたらしい。
戦国時代とは、ほんとうに血で血を洗うがごとく
凄惨な時代だったのだと痛感してしまう。
自力救済とは、その中から出てきた力強さなのかもしれない。
10・13
大阪夏の陣の屏風絵
ご存知でしたか?
藤木久志さんの本で紹介されていたので、
ネットで検索してみました。

そして、もっともよく掲載されているという本も
ネットで中古本を購入してみました。
この屏風絵の解説を見ると
たとえば、徳川家康、真田幸村、・・・

闘う武将も、合戦のようすも
たくさん描かれている一方、
敗けてからの逃亡する一般の人々も
たくさん描かれているそうだ。
それも克明に。
それだけリアルに描いた理由については
いろいろな説があるようだが、
戦国時代のリアルな戦場を
ほんとうによく映し出している。
この屏風絵のくわしい話をする前に、
最後の問題。

問題6
敗けた人々はどうなったでしょうか?
ア:武士は切腹禁止。
イ:武士は処刑された。
ウ:武士は逃げる途中で村人に襲われた。
エ:農民は村に戻り、年貢を払わされた。
オ:農民は、奴隷として売られた。
さて、どうでしょうか。
問題7
勝った方の人々はどんな褒美をもらったでしょうか。
問題8
褒美をもらうためには、どんな証拠が必要だったでしょう?
答えは、明日にでもご紹介しましょう。
10・12
戦国クイズ
問題4
戦でけがをした場合どうしたでしょうか?
○×で答えましょう。
ア:治療する暇などないのでほおっておく。
イ:馬のフンを水で煮て飲ませる。

ウ:弓矢の先や鉄砲の玉が体に入った場合は放置しておく。
エ:温泉を作り、そこで治療した。
さて皆さんはどう思いますか?
○は、イとエ。
イは迷信ゆえ。熱海の温泉は家康の秘湯だったそうです。

ウは必ず取り出した。
そのままにしておくと、敗血症を起こすのでしょうか?
肉を切り裂いてでもとりだしたそうです。
問題5
戦で死んだ人はどうなったか?
これも○×で。
ア:専門業者が片づけた。
イ:そのまま放置した。
ウ:負けた軍が後始末をした。
エ:近くの村の人々が埋めてあげた。
オ:それぞれの軍が味方の遺体を故郷に持って帰り埋葬した。
これは、○はアとエだけ。
専門業者は黒鍬者と言い、戦では、土木工事をやったそうです。
村人たちは、たたりを怖れたとか。

敗けた人々がどうなったかは、次のクイズで紹介します。
10・11
今の学校はとても落ち着いている。
そのせいか、とても子どもたちに厳しい。

学校の状況によって、
ほんとうに、生徒の指導もいろいろだ。
荒れた学校でいっしょに働いた
もとの同僚に、指導に厳しい学校の話をすると、
平和だし、暇だからそうなっちゃうんだねと
苦笑されることが、今までもよくあった。
子どもたちは、素直だし、

屈託がないし、屈折していないので、
ダイナミックなトラブルがない。
私の精神状況も落ち着いていられるし、
苦労も少ない。
そうなると、子どもたち自身が
自分たちにかせをつけてしまう。
でも、それを止めるのが、大人のはずなのに・・・。
校外学習のルールで
実行委員たちが、くるぶしソックスかどうか
カバンにキーホルダーやマスコットを

たくさんつけていないかどうか
週一回抜き打ちで検査すると打ち出した。
当日まで、まだ、一か月以上先の話なのに・・・。
あきれてしまった。
でも、子どもたちが会議で決めたこと、
そして、それを若い先生たちが同席していたので、
すぐにダメ出しはできない・・・。
それを聞いた賢い男の子。
「そんなに管理しなくったって、いいのに・・・・」
まるで、大人のようにつぶやいた。
私は、思わず、くすっと笑ってしまったが・・・
ちょっと胸が痛む。
でも、それだけではない。
その男の子は、そうした管理をも柔軟に受け止めて、
うまく切り抜けていきそう・・・

それが中学生なのかな?
でも、頼もしくて、
やわらかい彼の頭に、納得しました。
10・9
月曜日は台風で一日お休み。
明け方の雨と風は怖ろしかったけれど、
また台風がやって来るそうです。
台風の準備で、
1m以上に育った30個のプランターの綿花を
昇降口に運び込む。
なかなか体力がいりました。
まるで森のよう。
まだ、花をつけながら、実を
結んでいます。
弾けるのはまだまだ先。
来週の台風に備えて、
まだ昇降口に置いておきます。
戦国時代クイズ続き。

問題3
戦の準備のために、
足軽たちは、何を用意したでしょう?
この絵がとても正確で面白いイラストです。
子どもたちの予想は武器と食料。
実際にはそれ以外に、
火打石セット、ねござ、
のこぎり、なた、かま
他にも、陣笠・・・これが

雨よけ、日よけ、防御のためとなっているが、
この陣笠を使って煮炊きもしたと書いてあり、
「きたな~~い」と思わず感想を漏らす女の子。

でも、第二次世界大戦中も同じでした。
火縄や、芋がらで編んだ縄(食料にもする)
薬袋、…それぞれがおもしろい。
次は戦のたたかい方と、戦争後についてです。
ここからがクライマックス。
戦国時代のほんとうの恐ろしさを、子どもたちに伝えています。
教材として、
大阪夏の陣の屏風絵を使いました。

その姿の乱取りは、怖ろしい限りです。
10・4
戦国時代のことを、クイズにしました。
私が驚いたことを、子どもたちもクイズで
予想が外れるように、・・・・
まず、今回、いくつか紹介しましょう。
問題1

戦に参加したのは、どういう人たちだったでしょう?
( 貴族、大名、武士、農民、女性、子ども、お坊さん)
いくつ丸を付けてもOK
子どもたちは、女性・子どもはほとんどいないと予想しましたが、
答え
女性は刀を持って戦う人もいたし、
城を守る際には石を落とすなどで、交戦。
子どもは原則15歳以上は一人前。
これでまずビックリ!!
お坊さんたちは、情報をもたらすスパイとして活躍。
問題2
戦が多かった季節はいつだったでしょう?
( 一年中、春、梅雨、夏、秋、冬 )
一年中以外はいくつ丸を付けてもOK
予想は子どもたちはそれぞれバラバラでした。
一年中という子も結構多く、四季ぞれぞれ。
答え
答えは冬。理由は農民がひまだから・・・。
なあんだというけれど、話をすれば納得してくれます。
春や夏の農作業をやらないと
食べる物が無くなって飢きんが起きる・・・。
でも、本で読んだことが意外でした。
上杉謙信は、越後の冬から春にかけての

食料不足を補う意味もあって、
冬の始めに関東で戦を始め、
農民たちは冬のあいだじゅう、
関東で略奪して食いつなぎ、
雪解けとなると故郷に帰る・・・
(『雑兵たちの戦場』藤木久志著から)
「頭いい」と言った子たちも多かったですが、
関東の村々はきっと震え上がったことでしょう。
何しろ軍神ですから・・・。
続きはまた明日。
10・2
10月です。
9月の研究授業では、
ルネサンスをやりました。
オーソドックスに
ルネサンスの美しい絵を眺め
その背景にはスパイス貿易があるという
授業です。
でも、研究授業だから
コショウやクローブの味見は

この授業ではやらずに、次回。
わんぱくなクラスだからこそ、
緊張しても、はだかの美しさを
指摘してくれました。
指導者からは、とてもいいクラスだとおほめの言葉。
自分のクラスではやらなかったので、
担任はまだ、10年に満たない先生で、
自信につながったことでしょう。
ルネサンスの芸術品の中で、

特に、ポッチチェリ「ビーナス誕生」と「プリマベーラ」
ミケランジェロのダビデには、力が入ります。
その話をするのが、すごく好き。

子どもたちも、私の情熱をわかってくれた感じ。
こんなふうに、美しいもの、すばらしいものの歴史を
とうとうと語り、テストも無ければ、
こんなに素晴らしい授業はないでしょうに。
私にとっても、子どもたちにとっても
・・・・・残念。

世界の芸術に触れるのに、普通の授業なら、
5分で説明。
芸術家たちの名前を憶えておしまいなんて、
授業としては、最低の内容だと思うけれど、
それが推奨される文化水準の悲しさです。
September
9・30
もう月末である。
ほんとうにイライラしなくなった。
うるさいよ~とどなっていても、
全然、イライラを感じない。
しょうがないか、まあいいか、そんな感じである。

そのせいか、
クラスの子どもたちはのびのびしてきた。
全く私の顔色など気にしていない。
顔色を気にするというのは
ちょっと、飼い犬のようですから
私としては、あまりそうしてほしくない。
リラックスしていて、
本来の自分の姿を見せてほしい。
毎日が、冗談を言いながら、
かまい、かまわれ、楽しく生活して、
かつ勉強にがんばろうって
そんなクラスになれるのじゃないかって、
子どもたちを信頼できるように思います。

あさってからは中間テスト。
暗記カードも作って渡したし、
テスト用勉強要点プリントも配ったし、
がんばってくれそうです。
9・29
すぐに書かないと忘れてしまう。
今日、うれしかったこと。
いつもその時代の状況が思い浮かべるようにと
映像を編集して見せる。
その映像を見せている最中に、
教科書の他のページを見ていたり、
興味がなさそうにしていた男の子がいた。
社会科は得意なのに、あまり見ないので、
暗記にしか興味がないのかな?
気難しいのと興味がないのかな?とばかり思い込んでいたら、
今日私のところに来て

「先生、この間、タイムスクープハンター
やっていて見たよ、おもしろかったね」
と話してくれた。
ほとんど、私に話かけてこない男の子だったので、
驚いた。
自分でおもしろそうだから見ようと思って、
番組を見るのが、一番勉強になる。
私の思い込みだった。

人をそう思い込んでいて、ごめんなさい。
そうやって、関心が広がって、
知的探求心を持ってくれるのが、一番うれしい。
9 ・28
昨日は、笑ってしまった。
と書いたが、よく考えると笑えない。
中学生にとっても、
歴史は、フィクションなのか、ノンフィクションなのか
ほんとうの所では、区別はついていないのではないか?
物語としてしか、或いは、暗記モノでしかないのではないか?
ザビエルも、鑑真も、物語の主人公。
歴史も、御伽草子も、小説も
全部、物語にしか思えないのではないか?
という考えが、頭を離れない。
ほんとうにあったこととして、

どれだけ実証できるか
物語と違う「人類の歴史」を学ぶ意味が
どれだけ子どもたちに納得できるか?
それが勝負だと思う。
だから、発掘された遺物を必ず時代ごとに

見せたり、レプリカを触らせたりするのだし、
昔の人々の言葉や、私の体験も話をする。
特に、第二次世界大戦を、物語だと思われては困る
・・・そんなふうに、頭をよぎった。
9・27
昨日の夜までは
全く香る様子はなかったのに、
今朝、玄関のドアを開けると、
金木犀の匂いが、ぱあっと広がった。
秋の香り
昨日おもしろかったこと。

室町時代の授業で、
御伽草子が作られるようになったと話したとたん
いつもすぐ質問する女の子が、
「えっ、一寸法師の話ってノンフィクションじゃないの?」
始めその意味が分からず、
私もクラスのみんなも、口をあんぐりさせたまま。
思わず爆笑してしまったが、
他のクラスで、まさかと思い、
冗談の話として、
「一寸法師をホントの話と信じてる子がいたけど・・・」
と言ったとたん、
そのクラスでも、
「え~~~、ホントにあった話じゃないの?」
と言った女の子が2人。
もう、目が点になり、

ビックリして、茫然とする子どもたちもいて、
しばし、大さわぎになりました。
9・24
一番変えたのは
徹夜をしないように、
最高でも1時半に寝るように、
そのために、こちらを書く
ゆとりがなくなってしまい
申し訳ありませんでした。
でも、いろいろと、忙しく
おもしろいようなことがいろいろ起きて
報告したいことは山ほどあります。
古代のまとめとして、
図書室に、今までの教具を集めて
博物館にしました。
ある程度落ち着いている学校なら
これはおすすめです。
今までの、エジプトのお土産やら集めた物、
奈良時代や古墳時代のレプリカ・・・・
好きな子どもたちは、まとめて見るのが
とてもおもしろかったと喜んでくれます。
でも、300人近い子が見たので、
やっぱり大仏の模型の首がとれました。
今までだったら、
どうしてもどうしても、
責めてしまうところ、、
名乗り出ませんでしたが、
「罪の意識があるから名のれないんだよね」
「わかっているよ」と話して、

修理しました。
さわってみる博物館を目指すなら、
壊されても修理する覚悟が重要、
仏になったかな?
9・10
イライラすることも、
注意することも、
叱ることも、ずいぶん減っている。
まだ、順調に、フランス式ケセラセラです。
足の折れた人類模型について、
彼はまだ沈黙を守っているけれど、
いつ話してくれるかなあと・・・いう気分。
今は戦国時代の授業のために、

本を読み漁っているところ。
「戦国の村を行く」藤木久志著
「雑兵たちの戦場」藤木久志著
「図解 戦国合戦がよくわかる本」二木謙一監修
概念崩しのうんちくは・・・そうだったのかあと
意外で面白い。(戦国時代の現実!!!)
これを、どう子どもたちにおもしろく
時代のイメージを描く意味から伝えるか
考え中です。
でも、戦国の村については
岩波絵本の「戦国時代の村の生活」が珠玉だと思う。
タイムスクープハンターは、劇的で面白いけれど、
みんな、あまりに汚い格好なので、リアリズムすぎて、
生々しい部分もあります。
9・6
2学期が始まって1週間。
今週は教育相談週間、ということで
はからずも子どもたちとじっくり話す時間が持てた。
いつもなら、学校生活での悩み事だけを聞いて
終わりにするところだが、
夏休み、どう過ごしたか
楽しい思い出を特に聞いた。
それぞれが話してくれた。

マレフィセント(白雪姫)の映画を友達と見たこと、
花火大会に部活の友達たちと
浴衣で行って、楽しかったこと。
家族で、カラオケに行って、たくさん歌ったこと。
海では

式根島に毎年行って、家族で潜っていること
ハワイに初めて行って、サーフボードに初めて乗ってみたこと
沖縄の美ら海水族館に行ったこと
千葉の海でも、イワシの群れや熱帯魚のような海を見れること
家族でキャンプに行った子もいれば、
軽井沢や志賀高原に行った子もいた。
足を痛めて、ほとんどどこへも出かけられなかった子もいたし、
部活でほとんど休みもない子たちもいた。
でも、楽しい話をする時、みんな笑顔だった。

よく、ずっと、話をしてくれた。
ちょっと、私にも心のゆとりが出てきた。
あくせくすることはやめようと思うようになったし、
イライラも、やたら大声で怒鳴るのもやめようと思うし、
ああ、そうそう、人類模型を壊してしまった先生は
毎日目の回る忙しさで、私に何も話しかけないけれど、
余裕が少しでも出てきた後で、
(9月の研究授業が終わったあとで)
声をかけ、いっしょに作り直そうと言おうと思う。
時間が経てば、人間は寛容になれるんだなと思う。
9・2
クラスの子どもたちにも話したが、
とがめたり、注意するのではなく、
なるべく笑顔で、穏やかに・・・・そう心がけていると
私自身がちょっとずつ変わってきたように感じる。
人の目を気にしない、とがめたり、
注意することばかりしない・・・そう思い、
実行するようにした。
子どもたちがおしゃべりばかりしていたら、注意するが、
思いのほか、それほど注意する必要はない。
何だか、あくせくせず、
イライラもしなくなった。
落ち度が無いように、
やらねばならぬことを期限までに・・・

それだけを気にしていたのが、
忙しさをさらに増幅しているのかもしれない。
授業は戦国時代に入ろうとしている。
本を読むと、怖ろしく、震え上がる時代だということが、
改めて実感した、。
戦国時代に比べたら、今の日本は
ほんとうに平和と痛感する。
この時代もおもしろく授業したいなあ。
9・1
クラスの子どもたちと、久しぶりに出会う。
やはりうれしい。

ところが、髪型のせいで、
みんな、口をぽかーんとあけたまま、
近寄ってこない。
でも、北海道に行っていた彼女は
ちょっと遅刻をしたけれど、
きわめて元気。
長すぎる夏休みに
悩みも出てきたようだが、
学校に来れば、先生たちが声をかけてくれ、
話し相手になってくれるので、
今日は明るい顔。
子ども達とたくさん話し、
ゆっくりコミュニケーションをとることを

決意している。
だから、今日は少しずつ、声をかけた。
にぎやかでも、気にならない気持ちのゆとり。
前よりも、よい先生になれるかな。
肩に力を入れず、無理せず、笑顔で行こう。
August
8・31
もう夏休みも終わり。
どうしても髪を短く切りたくなり
フランス風ショートに。
そうしたら、明日、学校に行くのが
気恥ずかしくなってしまった。
久しぶりだから、子どもたちも
友達どうしでも、たいてい
9月1日は照れくさそうにして、・・・・
過ごす。それが、人間としては、自然です。
一か月おばあちゃんのところに行った生徒もいて、
どんなふうに、楽しそうに帰って来たかどうか・・・。
みんな、どんな顔をして、学校にやって来るか、楽しみ。
忙しく過ごす以外は、
どうしても、テレビを見るか掃除をするかの毎日。
一番大変なのは、たまった文書を整理するのだが、
それが、うまく行かない。
2学期に向けての準備としては
ちゃんとやれたのは、タイムスクープハンターを
戦国時代のものをすべて見たこと。
戦国時代についての本を2冊読んだこと。
その程度。
でも、12月に鉄づくりをするのだから、
準備が大変。それも今回は、2回を目指す。
鎌倉に砂鉄も取りに行かなくてはならないかな?
武者震いといったところです。
8・30
昨日、学校で悲しいことがあった。
ホントに悲しかったこと。
若い、社会科の先生が、
人類模型を貸してほしい・・・
そう言って1学期貸してあげた。
とても楽しんだ雰囲気だったが、
アウストラロピテクスとクロマニヨン人だけ、
資料室に戻っていて、あとは戻ってこない。
それで、さがしに行ったら、
北京原人とネアンデルタール人の
模型の足が、ポッキリ折れていた。
この4体の模型は

私が20代のころに、
一人で作ろうと、ベニヤ板を買い込んで、
小学校の放課後、何日もかかって、
奮闘して作った愛用品。

30年間、授業の役に立ってくれ、
子どもたちと私とを、
歴史の授業のスタートで
一挙に結び付けてくれた
とても愛着のある四体・・・・・・。
やっぱり、人から借りた教具って、
こんなものだろうな、・・・と痛感して、
簡単に貸してあげるのは、意味がないなと思ったし、
もう貸してあげたくない・・・そう思った。
しかし、昨日見た偶然のテレビ。
以前から聞いていたが、アフリカで40年
事業を続けたかたのお話・・・。

それに、ダメ出しやとがめるのは、きわめて日本的・・・。
と思い、どうしたら、いいかなと、考え中。
まず、とがめることはやめにした。
どうしたらいいかな?
未来を考えること・・・をしようと思う。
まだ考え中。
8・28
フランスで驚いたことをもう少し。
考え方と行動を変えようと思ったこと。
まず、エアフランスの機内で、

フライトアテンダントの女性。
イギリスのパンクロックのような短髪・しかもブロンド。
小柄で黒のワンピースに赤のベルト。
とてもチャーミング。
30~40代の女性、この人が、
ずっとお客さんの女性と(フランス人・家族といっしょ)、
話している。
よくしゃべるなあと見ていたら、
フライトのあいだじゅう、暇があればしゃべっていて
日本なら「むだなおしゃべりはしない」
なんて、注意されるだろう。
でも、帰りの飛行機でも、
今度は、男性のフライトアテンダントが、
ビジネスクラスの男性とずっと話していた。
会話もサービスだし、
それでいて、とても気が利いて、
私にもサービスしてくれる。
何の問題もない。
カフェでも、
たいてい数人(男性二人に女性とか、女性二人に男性一人とか)で、
どうも友人同士らしいが、
カプチーノやビール一杯で、

えんえんとしゃべり続け、1時間近く話して、
「それじゃあ、バイバイ」と言ったふうに帰る。
何を話しているのかわからないのが、とても残念。
電車の車内や、駅では、
大さわぎしたり、かしましい感じはしないのに、
カフェではほんとうによくしゃべる。

相手に気を使っている雰囲気も、
気まずい雰囲気も、全くない。
一方、私の日常生活は
「しゃべるな」が大部分。
勝手にしゃべるのは困るけれど、
もっとしゃべるべきじゃないかなと、
フランス人を見ていて、とても思った。
「しゃべるな」と言って
自分を内向させる・・・これが日本人の
逆の攻撃性になっているんじゃないかなと、・・・
日本に帰って来た時、佐世保の少女の事件を聞いて、

強く思った。
授業中は集中して、
休み時間はおしゃべりをして、
・・・・こどもたちともっとつき合ってあげないと・・・
と思ったのです。
早速、2学期時間があったら、すぐに二者面談を
やって、くだくだ話そうかなと思っています。
8・27
先日、若い先生たち相手に
授業と教具づくりの講習会をした。
正倉院の拡大コピーを貼り合わせる。
・・・これは、いかに農業が発達していったか
登呂遺跡・吉野ヶ里遺跡・大阪法円坂遺跡の倉庫と比べる。
木簡のレプリカも作る。
1班3枚ずつ。
バルサ材に貼りあわせて、
その文章を読み解けるように・・・
みんな熱心で、1時半から、6時までかかってしまった。
こうして教具を作っていくと、それが宝物になる。
ぜひ、授業で使ってもらえたらうれしい。
2学期に鎌倉時代をあつかう人もあるだろうと、
鎌倉時代の授業の授業案も説明する。
クイズも使いながら。
古代も中世も、
今のイメージと違って、
まじないや呪いにとらわれ、
生死が、大きな問題になっていること。
意外だと思う。
その一端でも感じていただければと思う。
8・24
くだらないように見えて、
とても強く感じたことがある。
パリの女性は、堂々としている。
それと、地下鉄の車両では
夏は三分の一がアフリカ系、アジア系、南米系
の人々だった。
ここはどこの国かと思った。
グローバル化ということはそういうことなのだ。
EUに入ってしまえば、移動の自由。
たぶん一番暮らしやすいのが、パリなのだ。
難民としてあるいは出稼ぎとして、
たくさんの人々が住みついている。
人種のるつぼはパリだった。
そして、女性。

パリには冷房施設が皆無。
窓を開けるしかない。
地下鉄でもそう。
夏には、胸の大きく開いた
袖なしの黒のワンピースを
どの女性も着ている。
赤いベルトに赤いバレーシューズなどとそろえて・・・
それが、若かろうが、お年寄りだろうが、
かわいらしい。
肉感的ではなくて、ちょっとセクシーで
そして、胸のあたりをどの男性もじろじろ見ない。
日本のように、男性に媚びたりした感じはしないし、
服が開放的だからと言って、女性が悪いと責められる雰囲気もない。
誰かに咎められたり、注意されたり、
人の目を気にしたり、・・・そんな必要をみじんも感じない。
自分がステキだと思う服を着て、それを堂々と着ている。
私の日常の悩みは、日本で着る服が、
普通の店ではサイズがなかなか見つからないことだ。
それは、日本では、本人が悪いことになっている。
しかし、パリでは違う。
私の体形でも、女性らしく、ステキに見せるだけの
服の形とサイズがそろっている。
偶然、ベッドで着るTシャツと短パンを忘れ、
一番安い物をパリで買った。
それなのに、着てみてびっくり。
なんと体型をうまく生かしてくれる服なのだった。
こんなこと、ばかばかしいかもしれないが、
私には、とても大きなことに思える。
女性が、男性の目を気にせず、
涼しくそして、ステキにみえる服を着て
セクハラにもおびえずに、
堂々と、地下鉄に乗り、毎日を過ごせるのだ。
都議会のヤジとの大違い。
やはり、フランスは、生きた人権の国なのだと
強く強く肌で感じた。
アフリカ系の人も、フランス人ぽい服装をしていることもあるし、
民族衣装を着ている人も見かける。
でも、どちらも、堂々としている。
これがパリなのだと思った。
8・23
中国地方が雨量が多いと
思っていたら、それどころか、
広島は大変なことになっています。
会員の中にも、広島のかたがいらっしゃるので
さぞ、御苦労されていることでしょう。
関東は、はれはれはれ

まだ猛暑で、綿花の水やりが大変です。
綿花は、人の背丈の半分ほどに育ちました。
その苗が、ゆうに
100本はあるので、水やりだけでも
1時間かかりますが、この出来が
2学期以降の授業に関係するので、
私も必死です。
学校に行くと、
久しぶりに会う子どもたちが、
「ああ先生、なつかしい」
2学期の授業も期待してくれていると
うれしいな。
クラスの子どもたちには、
アンネフランクの絵ハガキの残暑見舞いを出しました。
アンネフランクの中学生後半の写真
はにかむ姿が、とても愛らしい。
でも、ベルリンで思ったんです。

なぜ、人間は学ばないのかと
ワルシャワでゲットーを作り
ベルリンの壁を建設し、
イスラエルは分断の壁を築いている。
すべて同じことをしている。
憎しみを育てないこと、
パリの地下鉄の笑顔を忘れないようにしよう・・・
希望はあります。
小さい記事を見ました。
軍の無差別爆撃に抗議するイスラエルの人々のデモ。
2000人と出ていました。
8・20
まだまだ関東は、猛暑と言った感じ。
たたら製鉄のあと、
石見銀山あとも歩いてきた。
共通する島根の豊かさを発見した。
もののけ姫のような
はだかの山は無いということ。
銀山でも、製鉄でも、
肝心なのは、鉱脈と木炭。
私自身が製鉄をした時にも
木炭代が、何万と必要だった。
まして、何百というたたら場があったり、
何十という銀の精錬所があったなら、
どれだけ木炭が必要だったろう。
その山の経営もしたのが、田部家などの山林地主。
しかし、30年の周期で山は再生したと聞いた。

それだけ、山陰地方は雨が多い地域だ。
ほんとうに、滞在中、何度雨に見舞われたか。

そして、むしむしとした暑さ。
この高温多湿が、産業を生み出し、
南蛮船や中国・朝鮮との貿易も盛んにした海岸だった。
こういうイメージを裏切られる新発見に胸が躍る。
戦国武将の毛利氏は、鉄と銀を持ち、
海賊衆を従えたとすれば、何と最強だろう?

おもしろい!!!。
8・19
1週間近く、私たちの研究会で
島根に行ってまいりました。
合宿研究会と、
吉田の小だたら体験です。
その前の準備に、あたふたと追われ、
こちらの方が、すっかりご無沙汰になりました。
ごめんなさい。
気持ちを入れ替えて、
相当充実したHPにしていきます。
小だたら体験とは、
雲南市吉田の鉄の歴史村の
吉田さんと杉原さんにお世話になり、
砂鉄から玉鋼を作る操業体験です。
会員の中にも、鉄を作ったメンバーは

数名いるのですが、
本場のたたら製鉄の方の教えを
うかがおうという試みでした。
それとともに、近隣の鉄に関する博物館をはしご。
鉄の歴史博物館、鉄の未来科学館、
奥出雲たたらと刀剣館、和鋼博物館。
実習と勉強とで、
もののけ姫の世界、戦国から江戸にかけての
日本文化の発達・・・・イメージは広がり、
今までの概念をガラッと変えるような
楽しい勉強になりました。
特に実習は、吉田さんの村下姿に
みな「かっこいい~~~」

さいわい、気温の低い1日でしたが、
1日中、火の番と、送風の番の疲れること、
炉を壊す時の高温の熱と、汗と、・・・・
迫力満点の体験となりました。
8・12
ヨーロッパに行って
改めて気づきました。
第一次世界大戦から100年です。
私が奇しくも行ったベルダンで、
ドイツフランスの政治家たちが
握手をする映像、
首相たちが花をささげ会談する映像が
たくさん流れていました。
100年たって、

二度と戦争をしない、
そういう合意が、
当時の敵対国フランスとドイツで共有されていると
感じました。
亡くなった人々を悼む気持ちも共通でした。

フランスでは
国を問わずベルダンの1万人以上の
一人一人の墓碑に
バラを供えようという活動の呼びかけもありました。
フランスの墓地には、コロンつまり植民地兵たちの
墓碑銘も、たくさんありました。
ベルダンには、フランスからも観光客が来ていますが、
もちろんドイツからも車で、
自転車で、夏休みなので、
ヨーロッパ中から、大学生たちも
家族でも、旅していました。
日本と韓国、中国、東南アジアが、
100年たったら、政治家が、
人々の墓地に、花を手向けることができるか
考えてしまいました。
そのあと、ドイツ・ベルリンを訪ね
第二次大戦後からのドイツの70年の
努力を首都でまざまざと見せられました。
過去ではなくて、今の歴史です。
三国を旅して、ほんとうに
たくさん肌で感じました。
ありがとう、感謝です。
一番強く感じたのは、
寛容でしょうか。
8・10
長い間、2週間以上開けてしまいました。
すみません。
長旅から帰ってきました。
パリとベルダンと
アムステルダムと、ベルリンです。
一人で旅するのが、
ほんとうに最高に、いい。
ペースは自分で、
だれにも頼らず、自己解決。
感じることも、私自身が感じること。
どんどん自信がついてくる。
でも、最後のころには、
ちょっと独り言がふえました。
日本にいたのでは感じないことをたくさん。
まず一言は、
怒鳴る人をどこでも見ませんでした。
特にフランス。
寛容さ、自信、自由、それを感じました。
一番好きな町は、フィレンツェとパリになりました。
少しずつ書いていきます。
July
7・24
夏休みになってからの方が忙しかった。
農家のかたの指導で
畑をやっているので、
トマトときゅうりとズッキーニとナスの大豊作。
キュウリ4キロをキュウリのキュウちゃん風漬物につけこんだり、
ナスを煮ものにしたり、
ズッキーニのカレーを作ったり・・・・
なかなか、季節が全部一緒なので、
朝から午後までかかってしまう。
家の片づけや
綿花の乾燥よけとか・・・・・とてもとても忙しい。
そして、とうとう徹夜の挙句
きょうからフランスへ一人旅してきます。
フランス革命のあとと、
なぜフランス人たちは、デモもやり、
要求を通すのが国民主権と理解できているのか・・・
それを、この日本の閉塞状況と対応して、
勉強してきたかった。
でも、ヨーロッパに行くんだったらと
…アンネの家を見学し、ベルリンの壁をもう一度見に行くことにした。
ベルリンを再訪できることは、胸が高鳴ってしまう。
あと、ベルダンと、戦争に反対する戦争の
エルンストフリードリッヒの博物館(再建)を見てきます。
ホテルは取ってありますがガイドなし、一人で
マイペースで回ります。そんなわけで
2週間、旅の人です。
また、ご報告します。
オランダの航空機撃墜のことに胸を痛めています。
7・18
今日でおしまい。
今のクラスは、手のかからない子どもたちばかり。
昨日、実に楽しそうに遊んでいた。
ずいぶん、暑くなったけれど、
たまの学活でレクをやりたいと、
みんな、校庭を希望。
私は、ドロケイを提案したが、却下。
そうしたら、男女仲良く、全面コートを使って、
サッカーを始めた。
ボールを追いかけて、キャーキャー。
一応私は「自由行動」と言っていたので、
校庭にまで本を持ってきて読んでいた子も、
バトミントン部でバトミントンをやりたいと

ラケットを持ってきた子も、
サッカーボールを追い始めた。
汗だくになって、生き生きして、・・・・
もちろん私は見ているだけだけれど、
楽しそうにやっているのは、見ているだけでうれしい。
笑顔で終われたクラスはいいなと思った
7・16
もう、あと二日で
1学期はおしまいです。
毎日、家に帰り着くのが10時近く。
保護者会資料として、
子どもたちの職場体験の感想を
簡単にまとめました。
その一言が、

ダイヤモンドのように輝いています。
アンケートの
「「自分のためになったと思うことは、どんなことですか?」
に対して、
短く、簡潔に、それもピッカピカに光る言葉を書きました。

たとえば
「人助け、介護をすると、
相手、そして自分もいい気持ちになることを学んだ」
「一つ一つのあいさつに、感謝と心を込めるということ
(スポーツ店に行った子)」
「働いている人は、全員家族のためや、
お店に来てくれた人のために働いていて、
誰かのために働くのは、大切なんだなと思った」
うれしかったことは
「保育園で、子どもたちが手をつないでくれたこと、
むぎゅーって握ってくれたこと」
「子どもたちに、大好きと言われたこと」
「工事を手伝っている時に、職場のかたが、
優しく体調を気遣ってくださったこと」
・・・・・・
全員と言ってもいいくらい、すばらしいひと言を書いていた。
ほんとうに社会を感じて帰ってきたことに
大きな喜びを感じている。
私があまりに子どもたちのことを、
たくさん話すものだから、
お母さんたちも、話に引き込まれて
よく聞いてくれていた。
ちょっと調子にのってしまったかな?
7・11
あっという間の11日。
学期末事務処理で、超多忙です。
今年は、全市的に、
ネットワークを使った通知表作りです。
学校のパソコンでなくては、
通知表は作れません。
だから、毎日残業デーです。
サービス残業どころではなく、
毎日残業。明日も出勤。
帰りがどんどん遅くなる~~~~遅くなる~~~と、

動画で歌いたいくらいです。
今日はくだらなくて、平和な学校を表わす事件。

授業で、わざと手でおならをさせて、
ずっと笑って、授業にならなかったクラス。

でも、まるで、「だるまさんが転んだ」
・・・でもやっているように、
私が黒板に書くと、おならの音をさせ、
私が後ろを向くと、知らんぷり。
それも、首謀者たちは、友達にやらせて、
自分たちは笑うだけ。
そして、私が注意して回ると、
「僕はちゃんとやってました」
他の学校では、こんなことに費やしている時間はないけれど、
今の学校は、みんな落ち着いているので、
ウソをそのままにもできず、おならの音もそのままにできず
ちゃんと後始末をつけさせました。
神妙な顔をして、「すみませんでした」
と謝る男の子たちに、内心苦笑しきりです。
台風一過の猛暑が続きそうです。

皆さんご自愛を。
7・7
10月の市内の研究会に
講師として、
鎌倉で発掘をおやりになっている方を
お呼びすることができることになった。
たいへんうれしい。
いつも、校外学習では、お世話になり、
子どもたちが、発掘されたものを
見せていただいた。
私も何度か通い、見せていただいたが、
鎌倉の発掘では、
地下水位が高いため
遺物が水につかっていて、
木製品がとてもたくさん残っている。
おはし、漆塗りのお椀、

操り人形など、びっくりするようなものも出てきていた。
偶数目しかないサイコロなど、
バクチが大流行だったことを裏付ける。
わざわざお越しいただくが、
市内の若い先生たちの勉強になるのなら、
これもとてもうれしいことです。
子どもたちに、歴史の授業をする時には
ほんとうに会ったことの実証として、
必ず、遺跡からの遺物と、古文書を両方紹介する。
考古学と歴史学の出会い・・・です。
そうすると、ものでイメージを膨らませられ、
文書で当時の人々の息吹や感情に触れる。
こういう、企画を立てるのが、とても好きな仕事!!
7・4
今日の職場体験。
1日中、職場を回ってあいさつ。
これが、とても楽しい。
いつもの、校舎内で会う子どもたちとは
全然違う。
たぶん、午前中だけでも、
ものすごく緊張して、
お手伝いの仕事をしているところに、
私たち教員が現れると、
走って飛んでくるような勢いで
「せんせ~~い」と、満面の笑み。

地獄に仏というか、
待ち焦がれていた恋人が突然現れたようなというか・・・
そんな笑顔で、仕事の状況を話そうとする。
そんな子どもたちのかわいらしさに、
とても癒される。
休みがちな女の子は
親友と介護施設を希望、
他にも、教室に入りにくい男の子は
仲の良い男子と保育園を希望。
前日まで、ほんとうに行けるのかどうか、
心配して、当日も恐る恐る見に行ったが、
なんと、みんな、満面の笑みだった。
介護施設で、おじいちゃんとおばあちゃんたちに、
ほめられ、勇気づけられて、
「明日も、職場体験を続けたい」

保育園に行った男の子のようすは、
小さい子たちを追いかけ、
鬼ごっこをしている。
あれ~~??
あんな笑顔、始めて見た。
一番大変だったのは、
トマト農家だった。
トマトの名につられ、

トマトの収穫を期待していった子どもたちだったが、
ほとんどトマトの時期は終わりで、

ビニールハウスの中の、後片づけ。
長靴に、軍手、マスクで、
地面に貼ってあるビニールをはがして、
廃棄する仕事。
猛暑の中で、くたくたになりつつ
素直で明るい女の子たちは
「最高に楽しいけど、最高に疲れる」
アイスクリームをごちそうになり、

段ボールの上で、昼寝を2時間弱して、
また、午後からもお手伝い。
職場体験で、これほど、ほんとうの労働を
体験した子どもたちもいないだろう。
それなのに、体が、綿のように疲れただろうに、
生き生きと、話がとまらないほど・・・。
健気さに、かわいくて仕方がなかった。
7・3
若い先生、肺炎で1週間近く休んでいる。
明日は、職場体験の当日。
だから、そのための仕事を、
若い先生とペアでやるはずが、
一人でやることとあいなり、、
昨日は家に帰り着いたのが、11時。
それから、このページを書き、
DVDのダビングをしたので、
ベッドに入ったのは2時半。
起きたのは、5時半・・・これもお弁当のため。
我ながら、鉄人だと思うが、
昼間に眠気が来て、
今日は大丈夫だったが、
昏倒しそうに眠くなる時もある。
危ない、危ない・・・。
鎌倉時代の仏教を教えて、
今年は、とても満足がいった。
私の解説が、わかりやすかったと思う。
ヒントを、朝日百科からもらった。
「武士は、人を殺す職業だからこそ、

殺した人々の菩提を弔う必要があった」
・・・・・これは、傑作だと思った。
武士にとって、仏教がとても必要だということを言い当てている。
一つは、必勝祈願、お守り、精神統一
二つ目は、加害者側の心の痛み、トラウマ、呪いや怨霊を恐れる気持ちを鎮める
・・・・そういうことだったのか、
だから、中国から僧を招いて、
禅を学んだのか・・・・と納得。
もう一方の仏教の一群の説明。

これも朝日百科によれば、
鎌倉は、飢きんや地震・津波に襲われ
たくさんの死傷者が出たらしい。
この時代から、地獄の絵巻物などが流行り、

あの世への怖れが、一段と深まる。
そんな時に、念仏をとなえれば、
極楽浄土に行ける(苦しみ悲しみも一切ない世界)・・・
と言われれば、信じるだろう。
それまで、奈良時代は、仏教は天皇の物で、
お経は、中国の僧があげていた。
平安時代は、貴族がお寺を作り、
これまた、貴族のためにお坊さんがお経をあげた。
鎌倉時代、お経を一般の人々は読めないのに、
念仏だけでも唱えれば、極楽浄土に行ける、
それを、法然も、親鸞も、日蓮も、一遍も

旅をしながら、人々に語りかけたのだから、
広まらないはずはありましょうか?
そのひとつの原因として、
地獄の絵図や、餓鬼の絵巻物を写真で少し見てもらった。
当時の人々の怖れや気持ちがわかると、
今まで難行苦行の「鎌倉仏教の暗記モノ」も
覚えやすくなるかなと、思います。
7・2
集団的自衛権についてひとこと。
昨日、焼身自殺を図った人のニュースを知る。
若者たちは、知らないのだろう。
娘も「そんなことしたって自分の体が傷つくだけ、
それでは世の中は変わらない」
と言ったけれど、
私は、すぐに思い出した。
ベトナム戦争のころ、

私は高校生だった。
アメリカ兵が、
ベトナムの少年の遺体を持ち上げて、
かすかに笑いを浮かべている、
そんな有名な写真から、
目を話すことができなかった。
そんな時期、ニュースになっていた。
ベトナムの僧侶たちが、南ベトナム政権への抗議として
次々に、焼身自殺を図ったこと。
そして、政権側が、それを
「人間バーベキュー」と軽視した表現をして、
政権が倒れるきっかけにもなったこと。
私がその時思ったのは、
焼身自殺をするほど、絶望していたのだということだった。

それで政治は、止められないかもしれないと考えつつも、
自分の身を差し出さなければならないほど、絶望していたのだと思った。
新宿の男性の詳しいことは知らないが、
でも、絶望は、同じように、私を覆いそうになる。
世界の平和を希望して、
夢を抱いて、教師という職業を選び、
今まで生きてきたのだから。
父が私に言った言葉を忘れられない。
「小学生の時に、戦争は始まったけれど、

大人になるまで戦争が続くなんて思わなかった。」
この言葉を、初めて聞いた時、
私は大人だった。
だから、初めて理解できたことがある。
今すぐには、戦争にはならない。
突然戦争は始まらないということ。
でも、いつの間にか、だんだんに、戦争になっていくのが、
戦争なのだ、ということ。
松岡洋介が、後悔したと言ったが、
自分が引き金を引いたとは、その時は、自覚できていなかった。
同じように、今の政治家も、責任を感じることはないだろう。
その時は、私も含めて、政治家たちも、
もう、引退しているか、いなくなっているかだろうから。
それでも、責任を感じずにはいられない。
戦争が始まるには、時間がかかる。
そのための、1歩どころか、10歩ぐらい進めてしまったことを。
この夏、フランスとドイツとオランダを旅することにした。
なぜ、こんなに、日本では女性の意見が軽んじられるのだろう。
(都議会のヤジは、日本のホンネを表わしていると思います)
人々の意思が、なぜ尊重されないのだろう、
政治が変わらないのだろう・・・。
マイケルムーアの「シッコ」を見た時
フランスの「この国の政府は、人々を怖れている」
アメリカでは「人々は、政府を怖れている」
この言葉に衝撃を受けた。
フランスの福祉と、人権意識とどこが違うのかと、

それを思い続けていたら、
一度も、フランスを訪れたことがなかったことに気づき、
フランス革命の跡をたどる旅をしようと考えた。
そこで、フランスの歴史をもう一度本で読みなおしつつ
つくづく痛感したことがある。
フランス革命は、1度ではなかったこと、
何度も何度もパリ市民は命をかけて、共和制を打ち立て、
それを守り育ててきたこと。
最初から人権をイメージして闘争をしてきたのではなく、
その時代、時代のひっ迫した状況を、変えようと
犠牲を払って蜂起したことが、政権を転覆させ、
実績を積み上げてきたこと。
パリからオランダは近い。

アムステルダムのアンネの家を訪ねることにもした。
そして、ベルリンの壁が崩壊した年に訪ねたベルリンを、
もう一度20年ぶりに訪ねることにもした。
ベルリンでは、エルンストフリードリヒや、
ケストナーのゆかりの地を訪ねたい。
フリードリヒは、反戦博物館を創った人、
ケストナーは、飛ぶ教室で有名だが、
彼も、非常に鋭い批評家でドイツを逃げ出さなかった作家。
授業に生かせるのも、今回だけになるかもしれないから、
金欠病になりそうだけれど、踏み切ることにした。
戦争についても、人権についても、
よく考え、体験する旅にしてきたい。
勇気をもらって、帰ってきたい。
下調べをしていたら、
平和博物館国際会議という組織が
あるらしいとわかった。
世界中の地に平和博物館があり、つながっている。
インドにも、オランダにも、ノルウェーにも
南アフリカにも、ケニアにも・・・・
そのネットワークに、広島の平和記念資料館もあり、
長崎の原爆資料館も入り、沖縄平和祈念資料館も入っていた。
今からが、勝負のような気がする。
やっぱり、希望の芽はある。
なが~い長~いひとことになってしまいました。ごめんなさい。
7・1
7月になってしまった。
夏ですが、今年は、雨が多いですね。
職場体験が目前です。

緊張しつつ、職場のかたがたに、
ちゃんとお世話になることができるかな?
何だか、母親のように心配している。
奥州藤原氏の豊かさを、
NHKの番組で見て、
子どもたちに伝えたのだが、
とても驚いたことがあった。
発掘作業の中で、
かわらけが、30万枚以上発掘されたとのことである。
かわらけとは、釉薬をかけていない素焼きの皿です。
鎌倉でさえ、2万枚。
まあ、まだ発掘が終えているのは、
鎌倉では10分の1も行っていないそうですが、
・・・・・・・・・・・。
つまり使い捨ての紙皿を30万枚以上使ったと同じ。
それだけ、毎日宴会三昧だったということらしい。
それよりも、私が不思議に思うのは、

皿を使い捨てにしたこと。
私の我流の推理だが、
かわらけは、素焼きだから、汁ものがついてしまうこと、
それから、使い捨てにするのは、
疫病を怖れるからではないかと思うのだが、

どうだろうか?
鎌倉からは箸が4万本も出てきている。
これも、そのことを意味しないだろうか?
ランチョンマットのような木の皮を削ったものも、
何万枚も出てきているのだ。
一人で、「衛生面での使い捨て」を、確信している私です。
June
6・26
とうとう、若い先生が肺炎にかかってしまった。
他にも、ずっと頭痛が治らない人、
体の不調を訴える人、
学年に、何人も出ている。
4月からほとんど土日も出勤して、
部活動をする、そういう毎日だから、
気も、体も、休まらない。
私がしてあげられることは
何だろうと思い、
いたわり、ビタミンのサクランボやイチゴを差し入れ

早く帰りなと、
他の先生たちとともに声をかけるけれど、
仕事が減るわけではない。
若い先生の過労が増えていて、
過労死まで至るのではないかと心配している。
私たちの世代の人間も、
あと数年たてば退職だから、
殺伐とした職場で、
どうやって子どもたちを育てていくか
大きな問題だと思う。
6・24
心配していた綿花の芽は、
がんばっている。
双葉は白っぽくなっているが、
本葉を少しずつ伸ばし、
生きのびようとしている。
教室に入れない女の子は、

今は、ちょっと、
またもどりぎみで、むずかしい。
それでも、職場体験で、
老人ホームを職場に選んで
行くつもりでがんばっている。
友人と、下見までしてきたらしい。
彼女の、一番良い所は、
言葉が乱暴でも、甘えん坊でも、
何かしら前を向こうと、
すること。
だから、一歩進んで二歩下がっても、
十歩下がっても、やがては、
大人になってくると、
なんとなく信じている。

今までの経験からも、そう思う。
6・23
明日からテストである。
今、元寇を授業している。
私にとっては、胸躍る、
わくわくする番組を見せた。
昨年、一昨年と、
報道があった、元寇の船が九州の海底から見つかった!!!
というNHKスペシャルである。
もうその報道を聞いただけで、
新聞を切り抜き、カラー写真を保存し、
番組が出たとたんに録画し、
水中考古学とは、何とロマンだろうと、
うれしがって見せたのだが、
思うほどには、子どもたちは、感動してくれない。
私にとっては、30年、授業で教えてきたことの謎を

よくぞ解いてくれたという気持ちだが、
今の子どもたちにとってみれば、
元寇が何年で文永の役・弘安の役・・・
などの暗記事項にもまだ恨みはないし・・・
「ふ~~~ん、そうなんだ」といった風情。
う~~~ん、この温度差が、ちょっと悲しい。
でも、そんなことではへこたれず、
水中考古学のロマンを語ろうと思う。
今日は短く・・・・では、明日。
6・22
今年、綿花は順調に発芽。
80%ぐらい発芽したので、
とてもうれしかった。
コツは、昇降口で育てていること。
つまり、おいしい綿花の種や双葉を
どうも、ナメクジに食べられずに済んだから。

昨年は3度も蒔きなおしたので、
ほっと安堵した。
しかし、このところ、
案じていた心配ごとがいくつか出てきた。
陽当たりが半分なので、
ひょろひょろの綿花が・・・大丈夫だろうか。
それに、以前、校舎のお手洗いを借りに来た
保育園の子どもたちが、
かわいらしい大きな双葉を
4~5個、ちぎってしまった。
そうしたら、たぶん中一の子どもだろう、
やっぱりちぎったあとが・・・。
それも、ちぎるだけじゃなくて、
ばれないように、土に挿してある。
幼さに苦笑い。
もう、ナメクジは心配ないかなと
外に出した。
しかし、やっぱりうまく行かない。
1日で、手のひら半分ほどの大きな双葉が、
風にあおられて、今にも折れそうだ。
それと、風のせいでたぶん飛んできたアブラムシに
新芽が吸われているのか、
しなびた本葉の芽が多数。
今度は、ナメクジ予防と、アブラムシ予防に薬を蒔く。
・・・・・・そうしたら、

一難去って、もう一難。
今度は、その薬のせいで、
双葉が、白くなり、枯れ始めた・・・・・
ああ、これで、今年は全滅????
昨日は土曜日なのに、綿花が心配で心配で、
4時間かけて、学校までもう一度見に行った。
今年、綿花を300人以上が

授業で使う予定なので、
これが全滅だったら、死活問題。
だから必死なのです。
なんとか、全滅は避けられそうである。
植物の強さに、安堵する。
でも、作物を育てるたび思う。
これが、生活する糧だったり、商売だったら、
大損害で、生きていけないんだなと。
たとえば、古代の農民で、米が、全滅したり、
江戸時代の山形の農家で紅花がすべて枯れてしまったら、
土地を奪われてしまうかも、
家族が生活していけないかも、・・・
自然に左右される農業は、ほんとうにむずかしいと思う。
作物を育ててみるようになって、
歴史がより深くわかるようになった。それは一挙両得。
何回、いろいろな物を育てても、いつも成功するとは限らない
若い先生は、少し元気になりました。
6・20
今週は若い先生が心配。
耳が聞こえにくいのと
めまいがすると言う。
あまりにも忙しすぎて、
人にかまう暇もない今の学校だから、
早く帰った方がいいよと
みんながアドバイスするけれど、
本人はふらふらなのに、帰らない。
心配で、いっしょに残った。
医者に行った方がいいよ、それもアドバイスした。
ちゃんと行ってくれるかな? 気になる。
やっぱり今の時代の職場は忙しすぎる。
授業は蒙古襲来へ。

いつも使うのは、大河ドラマの一部
「北条時宗」
この、戦争の発端のようすが、よくわかる。
日本は鏑矢を射て、
悠々と「我こそは・・・」と自己紹介するうちに、
蒙古軍は「てつはう」を投げてきて、
直撃されて、死亡。
その技術と戦法の違いに、驚く。
鎌倉時代の仏教が、なぜ、広まったのか。

今回も本を読んで、我流解釈だが、こう説明した。
「武士は、戦への恐怖に打ち勝つための精神集中と、
殺した人々の霊を弔うために、禅宗が必要だった」
「一般の人々は、鎌倉時代に2万人も亡くなるような
地震・津波のせいで、また、日照り、火山の噴火
で、飢きんが起きて、多くの人々が亡くなった」
「死への怖れが人々の心を占めるようになって、
地獄も、この頃考え出されるようになった。

だから、多くの人々は念仏を唱えるだけで、
極楽浄土に行ける仏教を、ありがたい教えと受け止めた」
全国行脚した法然、弾圧を受けた日蓮、
踊りながら念仏を唱えた一遍、
これは、念仏を唱えるだけという信仰は
ありがたいものだったろう。
これで、少しは子どもたちに仏教が近づいてくれただろうか?
6・19
一進一退のクラスの女の子。
再び、クラスに入れなくなった。
ほとんど、1日で、1時間程度しか、
教室に入れない。
それでも、毎日、学校に来る。
そして、空き時間の先生と
お喋りを楽しむ。・・・・

忙しい先生たちは、頭を抱えながら、

仕方がないと、相手をしてくれる。
彼女は、そうした大人の優しさに、
甘えたくて甘えたくて、学校に来ているようだ。
私だけが、叱る係。

先日は、ルール違反をした上に、
お母さんに、迷惑をかけ、
わがままを通したので、こっぴどく叱った。
そうしたら、ちょっとしたパニックになってしまって、
トイレに閉じこもった。
もうわかってきているはず、
逃げては解決しない。
チャレンジして、乗り越えなくちゃいけないということ。
でも、それができれば、苦労しない・・・
でも、それを言う人がいないから、
私が、厳しく、冷たく言っている。
・・・・でも、彼女も、すべてわかってるんだよね。
気を長く持ってます。
こんな状態が、半年は続くだろうと予想する。
他の学年の先生たちは、・・・そんなに続いたら耐えられないと言う。
でも、私は、今までそんな経験ばかりだったんです。
それでも、未来はあるし、光も出てくるんです。
大丈夫、大丈夫。
6・17
京都の截金(きりかね)の工芸士さんの所で、
実習をしたのが10年以上前。
下見で訪問した時に、
こういうお仕事があるのかと、とても驚いた。
京都は奥が深いと思った。
その様子をご紹介したい。
今でも、忘れられない。
截金(きりかね)というのは、
金箔を切って、貼る仕事。
その方は、仏像に貼るのを
仕事でしておられるようだった。
金箔の扱いを、身近で見せていただいたのだが、
薄い和紙にはさんである、
折り紙ほどの大きさの、うすいうすい金箔を、

息をつめて操作し、息をふっと吹きかけて、
浮かび上がらせて竹のピンセットではさむ。
今から思うと、私がやったら、
挟むだけで大穴があきそうだったと思う。
それを、竹の定規で、仏像に合わせた大きさ・長さに切り、
切ると言っても、定規でそっと押さえただけで
切れてしまう繊細さ。
それを張り付ける。
他の仕事場でも見たけれど、

金箔を貼りつけるのには、
のりや漆を使う。
ふしぎな接着剤。漆は湿気が無いとくっつかないそうだ。
西陣では、和紙に金箔を貼りつけて、
それを、1ミリ幅ぐらいに切って、金糸として扱う。
帯に、華やかな金を添える。
奥州藤原氏の金色堂の
金や螺鈿は、極楽浄土の光を表わしているようだ。
蛍光灯も、灯明もない時代、
仏像を安置した部屋を光で満たしたい・・・
そう聞くと、金と螺鈿が納得できる。
いつの時代も光るものは貴重で好まれる。
玉虫もそうだし、

今の時代のスワロフスキーやラインストーンで
飾り立てたデコ電(というらしい)も同じ。
6・13
ちょっと書きたいことがあるので、
明日の日付で書いてしまいます。
今、勉強しているのが、
中尊寺金色堂。
黄金の国ジパングと呼ばれたのは、
平泉か?とも言われている。
その金箔を貼りめぐらした金色堂を
実感させたいと、金箔を手に入れる算段をした。
一つは、偶然連れ合いのお母さんの遺品から出てきた
小さな金箔のかけらの包みが、25個ほど。
ただ、大きな金箔も見せたいと思い、
東急ハンズで購入した。
1枚560円ほどなり・・・。
さて、子どもたちに見せました。
しかし、しかし・・・・・・
金箔は、1万分の1ミリの薄さ、
ふうッと息を吹きかけたら、
風に飛んで、消滅でしょう。
だから、くれぐれも、息を止めてとか、言って、
1班ずつ教卓のところに呼び寄せました。
極薄の和紙が被せてありますが、
やっぱり黄金色を見せたい。
だから、和紙を取り去って、金箔を見せたい・・・
そうしてみました。
そうしたら、息を止めてはいるんだけれど、
ちょっとハハっと笑っただけで、
宙に浮きそうになる。
1クラスめは危うくセーフ。

2クラスめは女の子が、ふっとついたため息で金箔が半分よじれて破けた。

3クラスめでは、男子が笑ってしまったから
宙に浮いて、教卓の上に・・・

そのたびごとに、教卓のまわりの子たちが
ああっとおののき、私も冷や汗をかき、

「ダメだって言ったでしょ、ああああああ」
と、半泣きべそになる。
教材って難しいんです。
子どもたちが触りたがる、見たがる・・・それも好奇心の重要性。
でも、こわれる危険性がある、
でも、私としては見せたい。
いつでも本物は見せたいけれど、
こわれて、子どもたちを怒鳴りつけることはしたくない。

だから、ある程度覚悟をして、後悔しない物を
見せたいのですね。
この金箔をどうしようかと迷ってます。
最後のクラスになったら、
金箔じゃなくて、金箔がぐちゃぐちゃになったものになりそう、
でも、私的には、金が大好きな子どもたちには
どうしても見せたい誘惑が強い・・・。
つくづく、1万分の1ミリの薄さの金箔、
その恐ろしさを知った・・・巻でした。
実は、修学旅行で京都に行った時
きりかねという伝統工芸士のかたのお宅で、
以前の子どもたちが実習させていただきました。
こともなげに、金箔をあつかい、
その道具も、すべて竹でできていて、
その合理性に目を奪われましたが、
金箔は、素人が扱うものではないと思い知ったのでした。
6・12
戦争をめぐる論議の
よくあるレトリック。
「泥棒や強盗が来ても、守れないのじゃ困る。
だから武器を持つ。」
そうお父さんが言うとしたら、
お母さんはこう反論します。

泥棒が来るからと言って、
ライフルを用意して
それを子どもがいじって、家族がけがをするより
まずは、カギをしっかりかける方が先。
「武器を持ったら安心」と思い込むのが怖いのよ。
泥棒や強盗が来にくくなるように、
ご近所さんと声かけ合って、家の周りを明るくして・・・
そうする方が先じゃない?
以前にもあったじゃない、覚えてる?
アメリカで強盗とまちがって、高校生が殺されたわよ。
持ってる武器で人が死ぬ方がよっぽど怖いわ。
お父さんがこう言います。
どんなに恐ろしい強盗が来るかもしれないから
ガードマンを雇い、襲われた時に
お前たちを守るため、助け出すために、
最新武器を調達したよ・・・
お母さんはこう言います。
ガードマンの方が、あまりにこわもてで
娘たちはこわがっているわ。
最新武器が最強のものだっていうけど、
こんな恐ろしい武器を持つよりも
同じお金を使うなら、おいしいものを手に入れて、
ご近所におすそ分けして、
喜んでもらう方が、幸せじゃないかしら?
私はそう思うんですが、
いかがでしょうか?
毎日のニュースが苦痛で苦痛でたまりません。
6・11
集団的自衛権、
あまりにも、悪くなる日中関係と
雑誌にさえ、臨戦態勢とあおるような見出し、
そして一国の首相が、
すぐにでも、攻撃されるような想定を話すとは、
あまりにも国民の命を逆に軽視していると思う。
国民は政府が、最大限の平和への外交努力を続けていると
そう信じるから、毎日の生活が送れるはずなのに、
平和への外交努力は、行政の基本的な義務ではないか?
絶対に表に出ず、しかも、日常的に
永遠に続けられるものが外交努力だからこそ、
行政側を、国民は信用するわけなのに、
そうした信頼を、政府や、行政は
裏切ろうとしているように思える。
人口が激減し、女性の数が極端に減り、
みな女性が子どもを産みたくない国、
そんな国に、未来はあるのでしょうか。
それでも、同盟国が攻撃されたら、
いっしょに戦争しようという国
・・・それなら国民は戦争でまた人口も減る
あまりにも悲しくて、ニュースを見る気にもなれない。
教え子たちの将来に明るい希望があるのか
私にはそれを語れない「今」のように思ってしまう。
理屈なんて、どうでもいい。
大きな声で、戦争を想定する発言を毎日しないでほしい。
その議論こそが、私たち女性にすれば、
パワーハラスメントだと思う。
きっと戦時中も、戦争を語る大きな声に、
女性たちは怖れと恐怖で、無言になり、
結果的に加担してしまったのではないか?
でも、とてもうれしいことが一つ。
そのことを喜んで、こちらのニュースに癒されたい。
かこさとし先生の本が、また出ました。
新シリーズなのに、旧シリーズの続編です。
うれしくてうれしくて・・・・
「どろぼうがっこう ぜんいんだつごく」やら、

「からすのおかしやさん」やら、
次々と、どんどんと、新シリーズ・続編が売り出されていました。
私もようやく気付いたところです。
昨年、すでに発売されていたとか・・・
「どろぼうがっこう」・「からすのパンやさん」
「だるまちゃんとてんぐちゃん」の新シリーズも。
この絵本たちに囲まれて、
小学生を教えていた10年間
そして、わが子に読んでいた10年間のなんと幸せだったこと。
6・10
今、2年生の授業は、平安時代。
NHKの番組を見ると、
「はっ」とする発見があって、
楽しく、すぐに、子どもたちに伝えたくなる。
でも、同じ番組を見ても、
毎日、歴史の授業のことを考えている私と
部活に明け暮れ、友達関係に悩む中学生とは
かなり大きな温度差になる。
だから、そぎ落として、そぎ落として、
誰もが興味を持ち、おもしろくて、
平安時代に重要だと思うことを
最少の形で伝えたいと、エッセンスは何かと探る。
教えていて不思議なのは、
必ず中世まで出てくるのが、

仏教のこと。
中学生にしてみれば、なぜ、最澄や空海、
曹洞宗や浄土真宗・・・親鸞・・・をなぜ覚える必要があるのかと
ため息とともに、憂うつが襲うことだろう。
考えてみれば、江戸時代になると、えらいお坊さんの名前など、
全く出てこない。
当然、明治・大正は、かわって、首相の名前。
私も人物名を覚えるのが、大嫌いで、社会が苦手だった。
人物名を覚えさせるよりも、
今の何とつながっているのか、
その時代の人々にとって、宗教は何を意味していたのか、
それを問うような問題が良問だと思うし、
その答えは、いくつあってもいいと思うのですが、・・・。
娘が大学受験を控え、日本史の網羅的な
暗記問題集をふと見ていて、・・・そう考えてしまいます。
6・3
もう6月。それなのに猛暑です。
先週は体験先を振り分けるために、
学校に、9時近くまで残業。
でも、今の若い人たちは、
毎日のように残っている。
部活を終えたあとに、仕事をやるので、
いつも、8時過ぎはざらだ。
みな、たいてい、家に仕事を持ち帰らない。
家庭を持っているとそうはいかないので、
先週はつらかった。
でも、そんな時、夜、

道のまわりで、
花の匂いが、夜風で
ふうっと漂ってくると、
こんなときは、役得かなと思うくらい
気分が安らぐ。
くちなしの匂いでした。
星やお月様も、
夜の帰り道のお伴です。
今、平安時代を授業しているが、
改めて、関東の鉄と馬が
重要だと気付く。
これについては、また明日に。
May
5・27
今はまた忙しい毎日。
今度は7月の職場体験に向けて
準備が始まっている。
以前の学校では3日間やっていて、
とても充実していた。
しかし、今の学校では1日。
相手の企業でも3日間はむずかしいところが多い。
三日間やっていた学校で印象的なことがあった。

とても協力的な産婦人科の病院があり、
出産にも立ち会わせてもらった。
中学生たちは、感動したり、失神しそうになったり、


・・・・でも、その三日間で、
親の愛情を初めて知ったり・・・・
その医院は一か月でも来てほしいとまで
言ってくださっていた。
職場体験をした子どもたちみなが
大きく成長させていただいていた。
ある年、かん黙の女の子が
この医院を希望した。
しゃべった言葉を聞いたことがなかったので、
とても不安だったが、彼女の希望を生かして
体験先に選んだ。
確かに3日間ほとんどしゃべらなかったらしい。
でも、何と、高校受験では、
私立高校の看護科を受験して、見事合格した。

ほんとうに驚き、彼女を祝福した。
こういうこともあるのだと、感動しました。
さて、今の学校では大規模校なので、
なんと、職場体験先を89か所用意しました。
この振り分けが大変だが、
でも、子どもたちの成長を考えると、
顔がほころんでしまうくらい楽しみです。
5・21
体育祭の予行の日、
学級対抗リレーが始まった。
男子の部、見ていると
走るのが苦手な子が
トップバッターやその次、
というように、次つぎ走り、
どんどん引き離されていった。
あれ~~???
作戦をたてたはずなのに、
走るのが速い子たちが、
全力を使っていないように見えた。
よくあるパターン。
競技なのだから、
いくら一位になれそうもないからと
勝負を最初から投げていては
チームワークはバラバラになるし、
お互いを責め合って、
楽しい体育祭には決してならない。
どうも、トップバッターを
押し付けてしまったらしい?ようす。
でも、このままでは、アンカーの学年一の俊足の子に
申し訳ない・・・・
Do your best!!のチームを作るよ、と言って
体育委員を励ました。
そうしたら、まわりの男子たちと
リレーの順番を1時間以上考えて
つくり直した。
その話を聞いて、とても感動してしまった。
会話が、こう~
「○○君は、やっぱりトップバッターが嫌なんじゃないかな、
○番目の方が、きっと走る気になるよ」
「一番速いグループと苦手なグループと
中間のグループに分けて、
苦手な人の分は速い人たちがフォローして、
その上で抜いてもらって、
中間の人たちにキープしてもらう・・・どう?」
「この人たちは、抜きたいって言ってたから、
他のクラスがゆっくりめな○走めがいいよ」
「ここで、ずっとキープしてもらうように、
がんばってもらおう」
「バトンパスはここではちょっと仲悪いけど、
後半だから、みんなのこと考えて、
きっと一生懸命やってくれるから大丈夫」
一人一人について、○走めにした理由があり、
それぞれのやる気を考えていて、
後から、私が横から口を出そうとしても、
まったく邪魔なだけでした。
その子どもたち同士の話のやりとりが、
横で聞いていて、思いやりがあって
優しくって、それでいて、
勝ちたいというチームになっていて
100点でした。
結果よりもそのプロセスです・・・の巻でした。
5・19
10日近くあいてしまいました。
17日 体育祭
天候がすばらしい一日だった。

一週間は、学級旗作りの
立会いと、そのあとのいろいろで
10時過ぎに帰ることも続いた。
ちょっと疲れました。
でも、いろんなドラマがありました。
楽しかったり、うれしかったり・・・
クラスの一人の女子、
適応教室に一度入ったけれど、
やっぱり難しいと・・・・結論。
でも、その結論のあと、
後始末を一人で、ちゃんとできた。
相手の先生に、きちんと気持ちが伝えられた。
「せっかくみんな先生たちが、
話し合ってくれたのに、
どの先生にも迷惑をかけることになっちゃうから
申し訳ない・・・」

そう、言ったんだそうです。
そんな配慮と、それを口に出せる勇気

彼女の成長に、周りの大人の誰もが
驚き、喜んでいる。
それに、彼女から私も聞きました。
「担任(私のこと)が、どれだけ苦労したか
いろんな先生たちから言われた・・・・」
まわりの先生たちが、
彼女に、陰で、そういう話をしてくれていたんだ・・・
そうわかって、私も感動しました。
これこそ、職場のチームワーク、
プロフェッショナルですね!!
また、一歩、彼女は踏み出すでしょうか?
5・10
連休が終わって
綿花の種まきシーズン。
プランターの土を45袋買って
プランター30個ほどで育てる。
これを、できたらいろんな人たちに分ける。
市内とか、同じ学校とか
社会科の先生同士とか
若い先生に・・・とか。
綿花を見て喜ぶ子どもたちがいたら、
それも幸せ。
蚕の飼育も始まる。
連れ合いさんが、冷蔵庫から卵を出した。
さて、今年の蚕は、何匹生まれるだろうか?
昨年見せたので、蚕の季節だねと言ったら、
子どもたちから悲鳴が上がる・・・
蚕そっくりのチョコレートもある。
ちょっとおどかすのが楽しみです。
学校では、体育祭の練習が始まった。

学級旗作り、競技の練習と
慌ただしい日が始まる。
この時期の太陽と空気は

爽やかで美味しいが、
新しいクラスにとっては、
初めての試練の時、
学級対抗リレーの作戦、
クラスが速いか遅いか、子どもたちは
見極めようとする。
旗作りでも、
一生懸命作る子もいれば、
それに文句を言う子も出てきて、
ちょっとしたバトルがある。
さて、今年は何が起きるかな?
適応教室に通う彼女も
4月いっぱい、気を張って、
5月は疲れて・・・ひと休み
それでも、コミュニケーションをとるのは
うまくなった。
5・6
山梨の研究会が
昨日終わって、帰ってきた。
若い先生たちが、いらして
話ができたし、春まっさかりの山が

気分をとてもフレッシュにしてくれた。
若い先生たちに

楽しい授業を伝えようと
新しい授業「飛鳥時代の授業」と
「奈良時代の授業」をつくる。
昨年中学校で授業したものを
小学校の先生でも使えるように
ある程度リニューアルした。
それに、お土産、
カラーコピーで

正倉院宝物、朝鮮と古墳時代のもの比べ
それに、奈良文化財研究所発行で、
平城宮趾博物館で配布していた
木簡のレプリカしおり。
それに、蘇の味見。

とても喜んでもらえて、これも気分刷新になった。
飛鳥時代の授業のポイントは、
渡来人集団を奪いあうからこその権力争いと
仏像・寺院から入る仏教公伝。
奈良時代の授業のポイントは、
正倉院が象徴する豊かさと
都市計画の破たんから来る死者の激増と大仏。
とてもおもしろいと好評だった。
これも授業のページに載せたいと考えている。
ホームページの仕事、仕事にがんばりたい・・・・ナ?。
5・3
4月は、目が回るほど忙しい毎日。
寒い日に風邪をひき、
咳が止まらず1ヶ月。
ようやくおさまってきた。
季節は春なのに、ずっと調子が悪くては
悲しいのです。
職場のまわりの人たちも
咳をしている人、

疲れ果てて食欲を無くしてる人、

土日、休みなく部活で朝から晩まで
学校で過ごしている人

・・・・みんな週末とゴールデンウィークを
待ち望んでいた。
少しでも一息入れるために。
若い人たちが、働きすぎで、
心配になった。
そこで、子どもたちが下校したあと
大きなイチゴ「博多のあまおう」と
アメリカンチェリーを

学年の先生たちにふるまう。
冷たくして練乳をかけて・・・
疲れがとれない、栄養も取れない
その悪循環が心配でした。
「ああ、生き返る」
ほんの数粒のイチゴとさくらんぼだが、
癒しになってくれたかな?
職場のみんなが元気で笑顔が一番大事

チームワークこそ元気のもとです。
April
4・29
驚きました。
月曜日に出勤したら
急転直下、解決でした。
いきさつはほとんどわかりませんが、
彼女の居場所ができ、
前に進むことができれば、
うれしいです。

まわりの同僚から、
温かい言葉をかけられて
うれしくなりました。
さて、4日からは研究会です。
また報告をお書きします。
4・27
うれしいことと、驚いたことを一つずつ。
以前の同僚が、火起こしの道具を
借りに来てくれました。
授業で使うそうです。
子どもたちの喜ぶ顔が目に浮かびます。
授業を楽しんでもらえるならば、
私のお手伝いなど、どれほどの手間でしょうか?
驚いたこと。
市内の研究会があり、
中学校社会科の教員の、
半分ぐらいが集まりました。
私と同年代か、下の年代の人は
3~4人。
あとは、全部20代。
みんなスーツを着ているので、
30人くらいがグレーか真っ黒。
うわ~~と驚きました。
あと数年たてば、

若い人ばかりになります。
これは大変です。
中学校というのは
子どもが一番難しい時期、親御さんもです。
これでは、授業の面でも、生徒指導の面でも、
子どもの動きを予想できず、
対応が後手後手になって・・・・
私たちが若いころ経験したように、
どう指導していいのかわからず、
たくさん苦労してたくさん壁にぶち当たるでしょう。
そして、たぶん、しばらく学校が混乱するでしょう。
だからこそ、残る私たち世代が、
今つたえないと・・・と
思いました。
若い人たちにがんばってと言えるように・・・。
4・25
昨年から、一番手のかかる一人の女の子を
受け持っています。
入学した時には、自分が誰からも
認められていないという不安で、
そのために、心が大揺れでした。

でも、1年間かかって、
若い男の先生たち、
彼女の相談にのってくれた先生たち、
養護やカウンセラーの先生たちのおかげで
どれだけ自信をつけ、どれだけ自制しようとするように
なったことでしょうか
しかし、その先生たちも転勤で、・・・・
いなくなってしまいました。
彼女の寂しがったこと、悲しかったこと・・・。
でも、チャンス!!
甘えていないで、彼女は、
今度はまわりの生徒たちに働きかけ、
危なっかしくも、新しい人間関係を
自分で作ろうと努力し始めました。
子どもって、やっぱり

柔軟性の生き物なんだなって思います。
ああ、このチャンスを生かしたい!!
逆戻りなんて、絶対させたくない。
ところが、大人の方の状況が、
複雑に、にっちもさっちもいきそうにもない状況でした。
ですので、我ながら、年のせいか、
忍耐力が無くなったのか、
職員室で叫んでしまおうか、暴れてしまおうか・・・

錯乱しそうな・・・

そんな不安定な精神状態になるとは
自分でも驚いたくらいです。
そして、それほど、

理不尽で理解できない状況に追い込まれました。
よく考えました。
ここで感情的になっても、何も解決しない。
一番私にとって心外だったのは
密室で、結論を出されるかもしれないという不安でした。
そこで、一つ、行動しました。
職員間の打ち合わせで、
今の状況と学校のそれぞれの分掌が
協力して、問題解決をお願いできれば・・・と
みなさんのサポートをお願いしました。
たぶん、驚かれたでしょう。
何もそこまでと、思われた方もいたでしょう。
でも、オープンで、一石を投じたので、
何だか、その後、心が落ち着きました。
いっしょの職場の皆さんが、
いろいろな形で、助けてくれると思います。
これがチームワークですね。
心穏やかになって今日は過ごせそうです。
また来週からは、いろいろな方たちと、
少しずつ話して行こうと思います。
4・24
大問題発生!!
今週、職員間で問題。
私が受け持っている子どもの扱いをめぐり、
あまりに理不尽な動き。
しかし、そのままにすることはできません。
その子の利益を守らねばなりません。
公立学校は、
心底、大人が差別をしたり、
排除したりするなど、問題外です。
道理が通らない今の現状に、
私自身は、苦悩、憤り、悲しみ、

あきれ、・・・・・
でも、闘わなければなりません。
でもでも、なぜ、こんなことを言わなければならないか、
なぜ、こんなことをしなければならないか、・・・・
苦しい。
辞表も準備して、心も決めて、闘うつもり
そうしなければ、相手は、動かないでしょう。
それでも動かないかもしれない。そしたら、また新たな手も
考えなければなりません。
4・20
少し元気になってきました。
インドのバンカーロイという人を知っていますか?
私は、先日NHKの海外ドキュメンタリーで見て
初めて知りました。
インドの農村で「裸足の大学」という活動を

45年間続けてきたそうです。
痛快だったのは、世界中から
アフリカ、中東、インドの
おばあさんを集めて
ソーラーパネルを作る技術を習得してもらって
村中に発電システムを広げていることです。
バンカーロイさんの20分の講演も
ネットで見ることができました。
この講演を見てください。
とても感動しました。
今もガンジーゆかりの大学が残るように、
バンカーロイさんも、ガンジーの志を

育てている。
講演に感動しました。
ユーモアと、力強さと、
自信と確信と・・・・
三年生になったら、生徒たちに
ぜひ、マララさんと、この大学のことを伝えたい。
世界を広く見て、人々とつながることを考えようと・・・・。
4・17
やっと薬が効いて、眠れるようになった。
少し楽になる。
クラスも新しくなってスタート。
2年生です。
具合が悪い先週の土日、
横になると咳が出るので、
ほとんど椅子に座って、
採りためた番組を見ていた。
NHKのBS、海外ドキュメンタリーを
10本近く見る。
とても感動した。
特に、アフガニスタン、パキスタン、インドの女性たちの話。

ひどい性差別の中でも、家庭の中でも、
必死で生きている。
もう一つ、コロンブスの台所という番組。

なんと、ダージリンの紅茶店、紅茶農園、紅茶工場、
・・・・・そして、ダージリン鉄道!!
私たちが行った場所、すべてが同じところを撮影していた。

何といううれしいことでしょう。
この工場で買ってきた紅茶を
今年は2年生にふるまうことができます。
元気になって、早くがんばりたい。
4・16
新しい学期がスタート、
しかし、体調が戻らない。
土日にごろごろしていても、
咳で眠れない。
若い先生たち、気をつけて。

若い時に、2か月も3カ月も
風邪の後の咳を放置していたら、
今は、喘息になりかけているらしい。
処方された薬は、
慢性気管支炎向けの吸入薬。
春の、さくら、チューリップ、
雪柳、ハナミズキ、・・・
気持ちのいい春風なのに、

ボーっとしています。
もう少しよくなったら、
子どもたちのことを書きましょう。
先生という職業は
声と耳が勝負。
子どもたちの声を聞き、

わかりやすく説明する声量が必要。
だから酷使しています。
4・8
新しいクラスの子どもたちと
出会いが始まった。
でも、始業式と、入学式準備。
自己紹介も、話をする暇もない。
放課後は、会議会議に
教室清掃や整頓・・・
疲れても疲れても終わらず、
みんな、周り中で咳をしている。
風邪、気管支炎、花粉症・・・・
みんな、それぞれ やつれた顔をしているが、
忙しさに、走り回っています。
私も、まだ、全然本調子ではないけれど、
一日一日、とにかく頑張っている。


4・3
今日は、もう3日目、
激務です。
終わらなければ帰れない・・・。
寒い理科室でクラス分けをしたせいで、
風邪をひき、花粉症とで、
発熱、それでも出勤です。
その合間に、教室移動の準備だとか、
肉体労働もあるし、
転勤した先生たちに、気も使うし使われるし、
・・・・・
でも、ここで、クラス分けをていねいにしたかどうかで、
クラスの人間関係が変わってくるので、
しつこく、慎重に、昨年受け持った先生たちが、
情報を持ち寄って、
2年、三年を見越して、クラスを分けます。
ああああ、くたびれた。
今日は、このご報告だけで、申し訳ありません。