2013 March
3・28
明日は離任式。
学校を離れる日。
今の学校では、チームワークがベストで、
想い出がいっぱい。
今日、片づけをしていると、
すでに、3人卒業生が現れる。
新しく赴任する方の学校の先生が、
部活の試合で来ていた。
私が行くと知って
大喜びしてくれた。
人間て、単純なものですね。
私に関係なく動き始めている
新年度の今の中学のようすを見て、
片づけをしながら、
私は気分的にちょっと、ブルーになっていた。
でも、赴任先の先生が、笑顔を見せてくれたら、
すっかりがんばる気になっている。
・・・・・・子どもたちにも、こうやって接すればいいんだな。
歓迎されると、人間て、こんなにも気分が違うもんだと
自分を客観的に見ている自分、単純に喜んでいる自分、
両方でした。
3・27
学校を引越しするための作業。
とても大変です。
書類の量は、以前より減ったが、
それでも、シュレッダ―に
えんえんとかける書類が、山のようにある。
机の中とロッカーの中の整理だけで
疲れ果てた。
それに加えて、私の場合は、
博物館分室なみの荷物の量。
火おこし器15台、高機4台
たたら製鉄のような鉄づくりの道具、材料、
これは、ドラム缶や、レンガ50個や、
ふいご2台、糸車、かさばる物ばかり。
他人の目からはガラクタだが、
私にとっては、超貴重な教材だらけ。
これが有ると無いとでは、雲泥の差。
子どもたちの瞳の輝きが違ってくる。
なので、手放せないものばかり。
一番の珍品は、たぶんベトナムのコブラクリーム。
他にもたくさんです。
これを、たぶん一家総出で、
4月の第一土日、第二土日をかけて
引っ越し便をやってもらう。
よろしくお願いします。
3・25
進化させたいと書いた翌日、
何もしないうちに、ページが1年前に戻っていた。
何たること、1年の歳月が全ておじゃん????
と、不安にうち震えていましたが、
復旧しました。
サービスはありがたや、です。
学校では、人事が井戸端会議の話題。
来年の学年構成は?
移動は?
涙する人、悔しがる人・・・うわさと・・
この時期はあまりいい思いがしたことはありません。
でも、春に子どもたちがやって来ると
すっかり気分は癒されます。
3・21
いよいよ春休み。
少しでも、ホームページの刷新と
使いやすいように
そして、準備中のページを実際に閲覧できるように
時間を見計らってしたいと思う。
でも、実は、今年移動である。
荷物の引っ越しだけで、
春休みは終わりそう。
でも、ご期待ください。
進化させたいと思っています。
少しでも。
3・20
返事を卒業式にもらった。
胸にきゅんと来た。
「3年間、お世話になりました。
今までで、一番いい先生でした。
・・・・信じてませんね?
でも、ほんとうですよ。
こんなに面倒見のいい先生。
なかなか会えたものじゃありませんから。
いつも、ひそかに感謝してたんですよ。
ただ、素直になれなかっただけで・・・。
卒業式の前日まで、
ずっと考えていたことがあるんです。
どういった形でお礼をしたらいいのか。
結局、何も思いつかず、
手紙だけにさせてもらいますが。
先生は、弱い人のために、
必死になる人なんですね。
クラスのこれまでの出来事を思い出してみると、
本当にそう思います。
先生じゃなかったら、
男女の仲が悪かったとしても、
今のようなクラスにならなかったと思うし、
こんな、泣きながら手紙を書くことだって
なかったと思います。
みんな感謝してますよ。
絶対です。
ただ、もうちょっと余裕のある人になってください。
今まで、ほんとうにありがとうございました。
先生は、私の神です」
「神」という言葉が、学年で、最後に流行った。
学年主任の先生が、「神」と最後に呼ばれていた。
でも、彼女にとって、
きっと、将来、素直になれない時が
もしあったら、思い出してくれそうで
ほっと安堵した。
すごくガードが固い子だったのに、
今は、クラスでとても楽しそうだ。
実は、私ではない。
友達こそが、彼女を変えていった。
クラスの中の
おとなしい女子たちが、
次々と彼女にアタックして
心をほどいていった。
そちらの方がよっぽど
見事で、私は舌をまいた。
お膳立てをしたぐらいの力しか私には無い。
彼女もよく見ている。
余裕が無いのは、その通り。
読者の皆さんは
文化祭の頃、
あまりのめちゃくちゃクラス経営?・・・に、
驚かれたでしょう。
痛いところをついている。
侮れないな中学生。
中学生はいいものだと思う。
ある意味、一番純粋で
一番柔軟性があり、
一番変化していく時、
それにつき合えることが、
至福だと思う。
あまりにロマンチストだろうか?
3・19
守秘義務があり、詳しくは書けないが、
とても心配な女の子がいた。
とてもかわいい目の大きい女の子だけれど、
いろいろ問題を抱えていた。
優しいお母さん、家庭的にも恵まれているのに
素直になれない・・・・
3年生まで、私が持たないといけない
・・・そう思った女の子だった。
私の地区は必ず2〜3年はクラス替えは無いし、
たいてい担任は持ち上がる。
その子に書いた私の手紙。
(全員に書いた物のうちの一通)
「あなたの良いところは、自分に正直なところ。
最初は、とてもガードが固かった。
どうせ理解されない・・・とあきらめて、
”好きなことをやっていればいいや。
まわりがどう思おうと・・・”
とそう行動していたようでした。
でも、2年の時に、友達に
勇気をもって接してから、全然変わったね。
あなたが真剣に、
クラスメートにわかってほしいと願って話した時、
もう少しで、涙が出そうでした。
あまりの真剣さに、胸を打たれたんですよ。
小学校の頃のことも話していましたが、
自分の弱いところを、他人に見せられる人は、
強い人で、信頼されるそうです。
それから、あっという間に
友達が増えていきました。
そんなふうに変わっていった自分を
いつまでも 大切にしてください。 」
最後なのだから、・・・・
心がけたのは、お説教は絶対書かない。
ほめること。
子どもたちが、書いてほしいことを書くこと。
心にちゃんと届くように。
それだけを考えて
書いた。
3・16
卒業までに、いくつもの仕掛けをした。
卒業式前日の最後の集会には
恒例で、先生たちの話、・・・ここまではよくあります。
それに学年の先生たちの歌。
私自身もひとことだけではなくて、
歌も歌う。ワンフレーズだけれど。
(学年の合唱曲だった「心の瞳」から
「こころだけは 決して
かわらない絆で 結ばれている」
・・・・あなたたちは、絆で結ばれているんだよ、・・・という話です)
そして、教室に帰れば、
先生たちからみんなに手紙がある・・・というわけです。
わたしにとってみると、
それは全てしかけ。
卒業式をやる気にさせるため、
立派で、精一杯歌って、
涙を流して、笑顔で卒業するための仕掛け。
そうすると、在校生たちも
それを見習おうとして、学校がまた一段と良くなります。
たばこを吸って、先生たちに
反抗するのが格好いいのではなく
堂々とするのが、めざすモデルになる・・・・
でも、何と言っても、
私自身がサプライズをしかけるのが、
大好き。
よく、子どもの時、
部屋の入口に仕掛けをして
妹たちを驚かせて、ひんしゅくを買いました。
学年の子どもたちが、
集会で大泣きする様子を見て、
私もちょっともらい泣きをしつつ・・・・
やったぞと達成感。
教室に帰って、私の手紙に
ウルウル来ている子どもたちに「しめしめ」
そんなふうにしていたら、
卒業式の歌が終わったとたん
子どもたちは「どうだ・・僕たちの歌は?」という風に
音楽の先生の方を見ていたそうです。
それほど、私自身にとっても一番うまいと思った
卒業式の歌でした。
前日に、涙を流しすぎて、泣かずに歌えたようでした。
退場の時などは、みんな、満面の笑みでした。
子どもたちからもらった
ラブレターのいくつかは
後ほど紹介します。
3・15
今日は、人間ドック。
ショックなことに、
なんと、私の体は
地球の未来を感知しているのか?
氷河期? あるいは
地球温暖化による乾燥地化、による食糧危機
を予知しているのか?
体に脂肪をため込んでいるそうです。
その脂肪を放出させないと、
いずれは病気になると言われた。
そんなに悪いことしてません。
お酒も、たばこも、
甘いものだってそんなに・・・・
油のものだって、給食だって控え目に
・・・・それでも、悲しいことに毎年服を買わないとだめ。
重力に体が逆らえない年齢。
それと、代謝だそうです。
あと数年、中学生とつきあい、
娘たちを養うために、
夕方のミルクティー一杯を我慢する必要がある・・・
よーし一念発起。です。
それと、何より、春休みの間だけでも、
10時に寝ようかなあと努力してみることにしました。
3・14
忙しかった日々が終わり、
昨日が卒業式。
ノートを返却するために、土日も出勤。
サプライズのために、
卒業式前日に、
クラス全員に渡すための手紙書きに追われ、
又も徹夜。
家庭内事情もいろいろあって
卒業式前日には38度の熱を久しぶりに出し、
フラフラになって家にたどり着く。
最後の演出(と、子どもたちへのサービス)のために、
卒業式の朝は5時に家を出て、
美容院で着付けを頼み、袴で臨んだ。
社会科のノートに思わず全員に書きました。
「三年間、いっしょに勉強してくれてありがとう。
楽しかったね」
卒業アルバムを持ってきて、
寄せ書きコーナーのページを開き、
子どもたちが「先生、何か書いて〜〜!」
面倒くさいので、
全員に「I love you 」と書く。
もう「気持ち悪いよ」と言われずに
「きゃ〜〜!!!! うれしい!!!」
と騒ぎ立てる学年の男の子、女の子たち・・・・
人畜無害になった私がちょっと寂しい。
ただし、わがクラスの子たちは、ほとんど寄ってこなかった。
シャイなのよね。
書きながら、ほんとうに、
みんなを 三年間かわいがってきたと思う。
それが通じたことを、
とてもうれしく感じた
この一週間でした。
3・7
昨日、公立の試験発表、2度目。
なんと、また今年も奇跡が起きた。
強気で受験すると言っていた子どもたち。
本番に強い。
合格した。
残念だった子どもたちも、
私立を受験しているので、
その進路に進む。
結果として、クラスの全員進路が決まった。
とても心臓に悪い日だったが、終わりは、ハッピー。
いつも、ちょっと距離を置いて、
緊張関係にある私とも、
握手をしたり、両手をハイタッチしたり・・・・
うれしかったんだなあ。
私も、ものすごく心配していたので、うれしかった。
学年の子どもたちも、ほぼ進路が決まってきている。
別れが近いが、感傷は今のところ無いかな?
3・5
先日書いたように、
原子力発電の授業をした。
それ以前、2年前の3月、
地震が起きて、
原発事故の直後、
チェルノブイリ事故と東海村の事故の話を
1年生だった子どもたちにした。
その話が独り歩き。
今になっても悔しい思い出がある。
卒業を前に、
私は逃げたくなかった。
正々堂々とチャレンジしたい。
私のエゴイズムではないつもり。
子どもたちにとっては、
とても大事なことだと思っている。
真実を知ることが、彼らの人生にとって
もしかしたら、あとになって必要になるかもしれない。。
現実の問題を正確に授業することに努めた。
そうしたら、3年間の授業のベスト3に
挙げてくれたカズキ君がいた
「ベスト3位:原発問題
知らなかったことが
たくさんあって考えさせられた」
ちなみに、彼の1位は綿から糸作り、2位はナニワ金融道。
他にも、ヒロシ君、みのりさん、カイト君、
ヒデミサン、みほさん、しんたくん、たちも挙げている。
1年生の時に、新聞を切り抜いて
大震災の話、チェルノブイリの話をした授業を
ベスト3に入れた9人もいた。
子どもたちの判断力が、
とてもありがたいと思う。
それにしても、おもしろい。
火おこしや鉄づくり、チョコレートを
ベスト3に入れる子もいれば、
たった婚姻届を書いただけの授業をベスト1にしたり、
もちろん被爆者のかたのお話を1位にしたり、
そして、時差の勉強だったり、
ワールドカップの時にやった
南アフリカとマンデラとマイケルジャクソンの授業だったり・・・・
176通りの価値観が反映して、
感想を読んでいると、時間がどんどん過ぎていく。
あと一週間だ。
3・4
174人からの感想は
・・・ただし、まだ全員分ではありませんが・・・
(書き終わらないというので、まだ未提出の人がいます)
全員紹介したいくらい思い入れがあります。
今日は一人だけ。
としや君
「今までは、自分のことばかり考えて、
生きてきたけど、
三年間社会科を通して、
その考え方が変わった。
自分が生きることは大事だけど、
人と支えあって生きていくことが
一番大事だなーって、思った。
高校生活や、大人になっても、
三年間で得たものを忘れずに、
ステキな大人になっていきたいです」
ホントに愉快なクラスの一員でした。
このクラスの男子たちは、
いつも笑いが絶えずに、
授業が進まずに、
困ってしまいました。
そんな彼が、最後に書いてくれた意味を思い、
とてもうれしく感じるのです。
彼が上げた授業でのベスト3は
ナイフづくりと繭からの糸取りと朝鮮と日本の古墳比べ。
映像ベスト3は
アヘン窟のホームズの話とルーツとシュリ
でした。
3・3
後期の受験生は、クラス約半分。
その子たちのために、(1回目の受験はやらない)
最近3年間の6回の公立入試問題を分析。
それをもとに、最後の学年末テスト。
子どもたちは、翌日、
「先生が作ったかと思った」
「バッチリ、出たよ」
これも徹夜の甲斐あって
三分の一はドンピシャリ。
まあ、よかったよかった。
テスト返しのあとに
読んだプリントを載せます。
「みなさんへ
今日が最後の授業です。
最後に二つの話をしましょう。
1つめ
1989年、ベルリンの壁が無くなりました。
ベルリンの壁は、私が生きているうちには絶対に無くならない。
東と西に分かれたドイツの人々は会えない・・・・
そう思い込んでいたのに、壁は崩れ、
米ソの東西冷戦のために、東と西に分かれていたドイツが
一つに戻りました。
このニュースを聞いて、
社会科の教師なら、実際に見に行かなきゃ、と思い、
すぐに冬休みにベルリンに行く計画を立てました。
(でも、なかなかチケットが取れません。
たくさんの人々が、ドイツに行こうとしていたからです。
ようやくチケットが取れたのは、12月20日過ぎ。
ひとりで、ホテルもとらずに、ベルリンに飛びました)
ドイツの人々は、温かかった。
世界中の人々がベルリンに集まってきたので、ホテルが満杯になったら、
一般の人々が、泊めてくれました。(私は新婚家庭だったよ)
一番感動したのは、大晦日。
ベルリンの壁があるブランデンブルク門で、
12時になって、新年になったとたん、
お年寄り夫婦が、持ってきたバスケットの中から、
ワイングラスを取り出して、
涙を流しながら、しかも笑顔で乾杯していたことでした。
この時から
世界はいつか変わる。
それは今も希望を持って活動している人々がいるから”
そう信じられるようになりました。
二つめ
インドに行った時のことです。
憧れのガンジーが創設した大学を訪問して、
授業を見せてもらいました。
その時、小柄な女性の大学の先生が、
福島のかたは、いかがしていらっしゃいますか?
政府の援助は行き届いていますか?”
そう聞かれました。
思いやりのある言葉に、
思わず涙が出てしまいました。
世界には、国が違っても、
心配して思いやってくれる人々がいるのです。
この時にも世界はつながっている”
そう思いました。
ぜひ、偏見を持たずに、いろいろな国の人々と接してください。
バカにせず、敬意を持って、
相手に接することができれば、
日本国内の格差もなくなり、
世界の貧富の差もなくなり、
世界の平和がきっとやってきます。
それぞれの個人のあなたは、
ぜひ、自信を持って、
幸せになってほしいと願っています」
February
2・26
テストのあと、
最後の答案返しの1時間。
各クラスで、
三年間を振り返り、
授業トピックベスト3と
映像ベスト3を選んでもらい、
感想を書いてもらいます。
いつでもベストを尽くしたい私は
どうしても、終わるまで準備をしてしまう。
三年間を振り返る授業目録を作っているうち
又も、徹夜をしてしまいました。
この頃、週1ぐらい徹夜してしまうペース。
でも、その甲斐あって、
そのプログラムを見ながら、
みんなが、「なつかしいなあ」
そういえば、あれもしたっけ、これもしたっけ・・・と
たくさんしゃべりながら
それだけで、時間が過ぎてしまいます。
聞いている私も、
つくづく、授業を楽しんだなあと思います。
「本当に楽しかったねえ」
まるで恋人同士のように、
授業が共有の思い出。
みんながみんな
「こんなに楽しい授業はないだろう」
と書いてくれています。
私にも、宝物の、大切な大切な思い出となりました。
2・24
授業が終わりました。
後は、受験の発表と卒業式練習だけです。
最後は、「LA VITA È BELLA」
人生は美しい の映画(イタリア語の方がぴったり来ます)
ちょうど中学生たちの女子にも男子にもぴったり。
受験直前でも、この映画の魅力に
立ち向かえる子どもたちはゼロです。
試験対策もばっちりした後、
どうしてもメッセージをこの映画で届けたい。
収容所でもユーモアと音楽を忘れず
家族を守る父親。
その守り方が、独特。
小さい男の子に、希望を語り続け
懸命に、ちょっと先の未来を信じさせる。
このカッコよさと温かさに
誰でも感動します。
人が生きていくというのは、こうではないか
歴史の中でも現代地理の中でも・・・・
そう思うから見てもらいます。
そして、カカオバターとカカオマスから
ミニチョコを作る授業。
いつもながら95%の子どもたちが
おいしいおいしいと喜んでくれます。
「家庭科の授業?」と聞くので
カカオ豆がどう生産されるのかも見てよ!という話です。
さて、あとはテスト。
テスト返しの1時間で
各クラスの子どもたちと私だけの時間は終わり。
何を最後に楽しませてあげましょうか
広島のインドの旅を共にした彼女から
紅茶を飲む授業を紹介されました。
私もダージリンティーでいきましょうか。
そういえば、ガンジーゆかりの大学から
留学生や体験の案内が来ました。
ちょっとドキドキしました。
2・21
受検の前期が終わった。
思ったよりも、合格者が多く、50%を超えた。
ひと安心。
毎日が慌ただしい。
合格発表のすぐ後で、
後期の受験校を決めなくてはならない。
そのアドバイスは、
最近では、私立のすべり止めを受けている子は、
再チャレンジもOK。悔いの無いように自分で決める。
大変なのが、公立高校だけの子どもたち。
今は、授業料が無料なので、
どうしても親御さんは、公立に行って欲しい。
でも、子どもたちは、プライドだったり、
こだわりだったりして、
無謀なチャレンジをしたがる子も
多少いる。
その子たちの発表まで私たち教師はドキドキ!!!
行く高校が無いという状態は
今の子どもたちには、あまりにも酷だから。
もっと勉強しておけばよかった。
今から死ぬ気でがんばる・・・・そういう子どもたちも。
いろいろ思うが、見守るしかない私です。
2・17
もうあと、授業は各クラス、
それぞれ3時間しかない。
明後日は発表。
いやにみんな明るい。
それだけにショックだろうなあ。
私は授業を全うするだけ。
「ライフ イズ ビューティフル」
で終わりです。
何度見ても、ステキな映画。
どんな状況下でも、
社会がどうあろうと
人々は生き続けてきた。
それが人類だと思う。
笑顔で、ユーモアを持って
家族を守ろうとする父親。
それを信じる母親。
そんなプレゼントをもらいあえる
童話のような・・・そんな人生を送ってほしい。
私からの最後のプレゼントです。
2・15
「ミレニアム」について再び。
若いころ、フェニミズムが全盛だった。
主人公のリスベットとともに、
もう一人の主人公、ミカエルも魅力的だ。
筆者のスティーグラーソン、そのままが抜け出てきたような
ジャーナリストである。
強きをくじき、弱きを助ける。
筆者もそう人生の中で生きてきたらしい。
あまり時事問題についての評論は
したくないけれど、
ちょうど読んでいる時に、
全日本柔道連盟の問題が起きた。
女子の選手たちの声明文はとても真っ当だった。
「選手同士がお互いを尊敬しあい、
切磋琢磨してきた。」
彼女らはその努力に敬意を払ってほしい、
貶められることでは、実力を伸ばせないと訴えている。
それに対するマスコミの論調は、
まず、「東京オリンピックの招致の障害にならないか」ばかり。
「女性」への敬意の払い方を知らない。
「女性への暴力」を問題にしない人権意識を疑う。
「ミレニアム」の中では
女性への暴力が描かれているが、
それは、いつも怒りを持って描かれているから、
私を含めた女性の読者たちは、
世界中の女性の読者たちは、
どんなに、「ここに私たちの味方がいる」と思えて
うれしいことか。。
痴漢行為も、教師になりたての頃の中学生男子からの暴力も、・・・
とても嫌だった。
自分がいわれなき暴力を受け、それにおびえることが
とても嫌だった。
日本社会でも、もっと、真の意味で
女性が尊敬され、尊重される・・・そんな日は来ないだろうか。
2・12
さて、いよいよ今日から
公立受験が始まる。
祈るような気持ち。
結果に対して、どう子どもたちは受けとめるか。
不安でならないが、それでも、
なるようになってしまうほど、
子どもたちはタフである。
最後は信じるしかない。
私は、あくまでサポート者でしかありえないから。
がんばってね、みんな。
2・11
今日は小説「ミレニアム」について。
12月、インドを旅した時に、大きな事件に遭遇した。
覚えていらっしゃる方もいるでしょう。
インドの女性がレイプされたうえ、大けがを負い、
シンガポールに運ばれたが、病院で死亡。
インドでは、連日デモが起き、
女性たちが「レイプ犯に死を」と訴えた。
女性が勇気を持って立ち上がる様子に
私も、とても心動かされた。
世界で2000万部売れたという小説「ミレニアム」
「ドラゴンタトゥーの女」という題で映画化された。
そのどぎつい主人公の肖像に、
食わず嫌いで読んでいなかった。
ところが、1月、手に取って読み始めたら、
あっという間に三部作、全部読んでしまった。
それだけでなく、小説に書いてある通り、
主人公のリスベットは、私のヒーローになった。
まるで、ピッピの大人版。
「長靴下のピッピ」と書いてある通りである。
作者のスティーグ・ラーソンに惚れた。
ちょっとわかりかねるかもしれない。
昔、私の学生時代を思い出した。
女性への暴力に怒りを感じていたことを。
オリアナ・ファラチを尊敬して、
ジャーナリズムにも心惹かれていたことを。
何より深く感動したのは
リスベットの法廷闘争の場面である。
毅然として、誇り高く、
私には、こうごうしいほどに思えた。
決して、「被害者」という卑屈さを受け入れようとしない
確固とした自分。
だから、「やられた」とは決して言わない。
レ・ミゼラブルのフォンテーヌもそうだが、
体は暴力下に置かれても、
心は決して奪われまいとする誇り高さ。
自分に言い聞かせ、自分を奮い立たせて
ゆるぎない精神を作ろうとする意志。
こんな女性の主人公の小説は無かった。
こんな出会いは幸せです。
2・8
一方、子どもたちも受験まっさかり。
来週の公立高校受験に向けて、・・・・
でも、がんばっているのかしら??
ちょっと不安な担任である。
休み時間も必死で勉強する・・・なんていう子は
ほとんどいない。
業者の会場テストを受けて、
合格率20%以下と出ていても、
「先生、チャレンジは大事だよね」と、
安全校とか、確実校と書いてある高校を受験しようとしない。
しかも経済的に大変だからと
私立高校を受けていない子どもたちが多い。
だから、私は毎日
給食を食べながら、
みんなの明るい顔を見回して、
ため息をつきたくなるし、ドキドキハラハラしている。
根拠の無い自信たっぷりのみんなに
「う〜ん、ポジティブすぎる???」
いいこともある。
やっぱり大人になった。
そうじの時間、
みんなであっという間に終わらせてしまう。
自主的に、やってしまうって気持ちがいいね、
そう思います。
2・7
一週間空いてしまいました。失礼。
準備に時間がかかった。
2年前のリベンジ。
ていねいに準備を始める。
今回の卒業生に送る、
最後から二番目の授業は
「原子力発電」
4時間で、満足のいく授業内容にするため、
連日、この2年間で放送された
ドキュメンタリーをはしごする。
それは、私には一種の癒しにもなった。
何を伝えたいのか。
どうやって伝えるのか。
それを、本気で考える。
授業を、もう始めました。
そして、授業をすれば
自信がどんどん湧いてくる。
子どもたちがついてきてくれるから・・・・。
自分に満足できそうだ。
勇気を持って、
自信を持って、
情熱を持って、
そして、授業のプロセスがあり、
伝えたいと願うから伝わると思う。
私にとって、教室こそが自信を持たせてくれる場所。
毎日毎日、毎時間毎時間、
50分の授業を、35人×5クラスの
子どもたちと共有できることが、無上の喜び。
授業の中での子どもたちに、
いつしか私は、絶対的な信頼を持っている。
January
1・31
映画「シッコ」の続き。
私には難しい映画に思えたが、
想像以上に、子どもたちは、生き生きと見つめる。
アメリカのマスコミはひどい。
アメリカの保険会社を守るためか、カナダの医療をけなす。
カナダは、医療がタダ。
けれども待ち時間が長く、
先端医療を受けられない・・と言う。
真実はアメリカ待ち時間18時間、カナダ20分。
アメリカで指二本切断に、720万円。
カナダで5本切断したら、24時間かけて
麻酔医と外科医10人近いチームで
手術してくれた。…そして無料!!
マイケルムーア監督のカナダ人親せきが、
監督の申し出「話を聞きたいから」と言われても、
保険を買うまでは、絶対にアメリカに行かないと言う。
その知り合いの経験談が怖ろしい。
私も、アメリカの医療が高いのは知っていたが、
これほどとは・・・絶句。
ハワイに遊びに行った友人、
頭にけがを負い6000万円治療費。
もう一人、マイアミにゴルフに行った友人、
肉離れを起こし、120万円かかると言われて、
カナダに帰ってから治療・・・・タダ!!
次々と他国の例がレポートされる。
それは、アメリカとは正反対で、感動的でもある。
これほど国民が大切にされているのか、・・・と。
イギリス・・・・薬代・・・・何十錠買っても、1000円。
出産費用・・・・タダ。
病院にキャッシャーの看板があるから
・・・・と聞いてみると
なんとそこは、お金をもらうところだった。
病院までの交通費が払い戻される。
これには、教室の子どもたち全員がいっせいに
「え〜〜〜〜〜〜〜!!!!」の声。
フランス。
子育て支援がすばらしい。
保育園タダ。大学授業料タダ。
保育支援として、国からヘルパーさんがやってきて
洗濯も、炊事も、子守もしてくれる。
有休がすごい。
最低でも5週間。大企業は8~10週間。
新婚旅行7日間有休。
引っ越し休暇2日間有休。
医療も・・・・24時間、30分以内に、医師が往診してくれるサービス。
これも無料・・・・。
フランスが人口増に向かっているのがよくわかる。
この解釈がとてもよくわかる。
フランス在住アメリカ人の話
「フランスでは、政府が国民を恐れている。
アメリカでは、国民が政府を恐れているけど」
映画の中のイギリス人哲学者の話。
「民主主義こそ国民健康保険の生みの親。
昔は金持ちたちだけが、医療も教育も
老後のゆとりも持っていた。
それが、民主主義が発達して
権力が、市場から投票所に移った。
一方で、世界恐慌のあと、
ぼう大な失業者がでる。
戦争で失業者がいなくなった。
戦争にお金を使えるなら、学校や病院にお金を使っても
人々の仕事は増えるはずだ・・そう考えたんだよ」
1・30
今、ていねいに
マイケルムーア監督の「シッコ」を見ている。
思ったほど飽きず、真剣に見つめる中学生。
印象的な場面をいくつかあげてみよう。
冒頭の、
医療保険が無いからと、膝の傷を自分で縫う男性。
中学生たちは、想像する痛さに、
悲鳴をあげて、目を覆う。
チェーンソウで、指二本を切断した男性は、
手術代が出せないからと、一本しか縫合しなかった。
中指は600万円、薬指は120万円。
その解説はユーモアがありながらも
意味するところは強烈だ。
夫がガンの女性が、
「保険会社は、骨髄移植を認めず、治療を拒否した」
と涙ながらに話す場面では
沈黙と驚き。
アメリカでは、医療保険だけではなく
医療そのものも堕落していることを鋭く映し出す。
医者の仕事が、保険会社の手先として
契約者が求める診療を拒否すること。
後悔した医師が議会で証言する。
「診療を否決したことで、何人の患者が死に至ったか?
今も書類の束を、忘れられないでいる」
命を救うはずの医者が、
命を奪っているなんて信じられない。
世も末の病院は、
お金を払えない患者を
タクシーに乗せ、
スラム街の援助センターの前まで捨てに行く。
捨てられた患者は、
病院の服を着たまま車道をさまよっていた。
見終わると
「アメリカには、旅行できない。
こわいよ」と、口々につぶやいていた。
医者の倫理が、保険会社の利潤追求に屈する。
究極の資本主義!
この制度を作ったのは、ニクソンだった。
1・27
三年前、日雇い派遣が話題になっていた。
前回の卒業生たちに見せたビデオ。
ちょうど、近隣の埋め立て地に
そういう職場があるとレポートされているので、
今回もその映像を見せた。
日雇い派遣は、原則昨年の秋に
禁止の法律ができているらしい。
それでも、失業率は下がったとは見えないし、
厳しい様子は変わらないだろうと思う。
子どもたちは、
早朝からモーニングコールで起こされ、
深夜11時に派遣会社で給料をもらう
ワンコールワーカーの暮らしを
シーンとして見つめる。
たぶん、公立高校を受ける子どもたちが
ほとんどの状態から見ても
子どもたちの生活にも、いくらか、
日本の経済の厳しさが、忍び寄っていることが
何かしらあるからだろう。
前の時間に月にいくらあれば生活できるか、
そう計算しているから、
映像の中の、時給の話も、
10日間仕事が無くて、食べていけないという話も
身に迫ってくる。
私は、おどかしたいのじゃない。
卒業した年の景気で
就職率は左右され、
今30代後半から40代前半の人々は
今も低賃金に泣いている。
やりがいがある仕事とそれ相応の賃金が無ければ
日本社会がダメになる。
秋葉原事件も、多くの事件が
そうした雇用の影響も一因だと強く思っている。
このあと、
マイケルムーアの「シッコ」を
ダイジェストで見る予定。
映画の最後の結論がいい。
社会は助け合ってこそ!
フランスでも、イギリスでも、カナダでも
そしてキューバでも医療費は無料。
薬代が払えないで嘆く9・11の消防士たちが
キューバで医療を受け
キューバの消防士たちと抱き合う。
自分たちだけが生き残ろう、
それでは社会が成立しないと教えてくれる。
1・26
一人暮らしのための授業、続き。
チラシをもとに計算した月給をもとに
家計の計算をしてみる。
「かわいい」生徒たちは、
賃貸のアパートもマンションも、値段を知らない。
1000円? 3000円?という子どもが・・・(愉快でしょ?)
学年に二人だけいた。
アパート情報の雑誌からページをコピーしてわたす。
同じ地区なので「これ、私んちのマンションだ!」と見つける子も。
よくページを見て、お風呂があるか、
駅から近いか、キッチンは必要か、値段はどうか
管理費は入っているか・・・自分で値踏みしている。
住居費・・・つまりアパート代で
給料の半分が飛んでいくことを初めて知る。
でも、そこは中学生。
どのクラスでも、知恵が出てくる。
「先生!シェアハウスしてもいい?」
「いいよ」
「わあ〜やったあ!!」
つまり、共同で住もうというわけ。
でも、席の隣どうし、男女4人で住むと言っている子どもたちもいるけれど、
そんなに仲良くやって行けるんだろうか?
ちょっとどきりとする。恋人同士でもないのに・・・。
話は大いに盛り上がって、
仲間同士の合宿のような様子になる。
ちょっと生活って、そういうものではないんだけどなあ。
地味なものなんだけどなあ?
最近は、テレビでも、「貧乏生活」みたいな番組も多いので、
食費については、大いに盛り上がる。
「先生、食費、100円でもやってけるよ」
「先生、コンビニで余った賞味期限切れのおにぎりもらえばタダだよ!」
「海に行って潜って、魚獲ってくるよ」・・・いろいろ
なんだか楽しそうに計算している。
一つ一つ、答えていく。
栄養失調になっちゃうよ。病院で入院だ。
コンビニは、分けてくれないよ・・・・
このやりとりが楽しい。
衣服費は、案外おしゃれな男の子たちが
月に3万円は必要と言って、びっくり!
逆に0円という女の子も。
これは、月給6万円のコンビニ短期バイトだから仕方ない。
最後に税金。
これが、わりに高い。
社会保険も入れて、およその計算で、
収入が10万円台だったら2万円ぐらい
20万円だったら、3万くらい・・・と伝えて収支を計算する。
半分ぐらいが赤字、残り半分ぐらいの子どもたちが黒字。
ただし、チラシであやしい会社の子たちが黒字なのが、やっぱりである。
この後、現実のテレビを見る。
日雇い派遣のNHKの取材。
シ~~ンとして見入る。そのことは次に。
1・22
授業は今度は
一人暮らしのための生活設計。
まず、チラシを見て
自分の働き先を決める。
設定は25歳くらい。
もうひとり立ちするので、
賃貸のマンションかアパートに住む、
資格は、すべての資格を持っている、・・・という設定。
(歯科衛生士も、溶接の経験もあり、カウンセラーの資格、
看護士、介護士の資格もある。免許も持っている)
あり得ないけれど、株と同じで、
制限をつけると頭がややこしくなるので、
すべてオーライの優れた人材の自分が選ぶ。
2006年にもやったけれど、
この時のチラシが、とてもいいのだ。
今のチラシでは職種、待遇も似たり寄ったりだが、
この時のチラシには、あやしい会社、短期契約、
コンビニアルバイトなど、多種多様。
子どもたちは、一応給料と仕事の種類で選ぶが、
はっきり言って詐欺まがいの会社の求人も
偶然だが、載っていたのだ。
例えば、遊園地
・・・・楽しそうだと選ぶと
実働4時間、しかも、年末年始だけ。
時給で計算すると、4万円にしかならない・・・・住めない!
例えば、クリスマスケーキの製造。
・・・・おいしそうだと役得をねらって選ぶと
24日までの日給制・・・そのあとは失業。
コンビニは人気がある。必ず選ぶ子どもたちがいる。
でも、学生がやるぐらいだから、
20日働いても、10万円をちょっと超える程度。
え〜〜〜〜との声。
見るからに怪しい会社は、・・・・
週に三日働き四日休めるとある。
1年目のOLが70万稼ぐとある。
海外旅行も年4回。
誕生日パーティも会社でやるとか・・・・
あり得ない。みんながそう言う。
でも、中には、この会社を選ぶ子どもたちも。
一獲千金を夢見る。
仕事はギャンブルではないのに・・・。
案の定、インターネットで探すと、
その後、どうも倒産したらしい。
逆に、安定しているのは
葬儀屋さん、正社員だし給料もいいし
待遇がよくて、恵まれている。
子どもたちの中には・・・・
エ~あまり仕事としては・・・という声も上がるが、
周りの子どもたちが「おくりびと」見てないの?
「大事な仕事だよ」の声も上がって、
認知度も上がっている。
仕事が決まったら、今度は、
一人暮らしの収支設計をする。
1・19
ガンジーの糸車、チャルカが、
実際にまだ使われているとは、思わなかった。
行く前に見たドキュメンタリーで、
見て驚いた。
ガンジーゆかりの大学では、
まだ使われていた。
それも教育用として・・・。
ガンジーゆかりの大学の正式名称は、
グジャラートビッダピットでした。
その大学の教育の趣旨は、
ガンジーの言う
「インドは、農村が豊かにならなければ
インドが豊かになることはできない」というもので、
村自身が自立して、生活をよりよくしようという思想だと思う。
そういう思想を実践するリーダーを育てるのが、
この大学の目的らしい。
だから、携帯できるチャルカで、
糸を紡ぐのだ。
いつでもどこでも糸を紡ぐことができる。
この同じ糸車を、ガンジーの修道場で
(アフメダバードの近郊、ガンジーアシュラムと言う)
おじいさんが実践して見せていたのには、
思わず、一番前で見てしまった。
そして思わず「I can ! 」
娘に、あとで、たしなめられたが、
やって見せたくて仕方ない。
なぜなら、日本から来て、これを学んで授業したのだから。
おかげで「good!」とほめられ、このおじいさんの紹介で、
このあと車で10分のところにある、
この携帯糸車の工場を訪問し、糸車を買うことができた。
5月の合宿研究会で、お披露目します。
(しかし、この工場には、日本の手紡ぎで
布を作っているグループの女性社長がよく来ているらしい。
インドの布や手工芸に魅せられた日本の女性は多いようだ。)
グジャラートビッダピットで見た糸車や
力織機、それらは、ぜひ、古くからかいで教具を作り続けている
メンバーに、ぜひ見せたいものだった。
1・17
受験が始まった。
授業もカウントダウンだ。
三学期は、世界の様々な問題として、いくつか取り上げる。
朝鮮半島問題。
授業では、映画「シュリ」の解説で
キムヒョンヒと大韓航空機爆破事件の話をする。
スパイが実在すること、
ソウルオリンピックの妨害工作として行われたこと。
キムヒョンヒの告白本から
訓練の様子などを、文章で読む。
つまり、子どもたちの中には、
映画の主人公である北朝鮮女スパイを
「あいつは悪い方の人間で・・・」と言う子もいるが、
そういう次元の話ではないということを知らせたいのだ。
北朝鮮にとってみれば、キムヒョンヒは優秀なエリートで、
捕まらずに、祖国に戻れていれば、国家的英雄になったこと。
国の為に働くというのはそういうこと。
一方の、韓国の特殊工作員たちにとっても、
自分の国の為に働くことは、誇りであり、同じく英雄であること。
それなのに、相手国から見れば、憎い敵にしかならない。
国の為に、命をかけ、喜んで働いているつもりが、
国のはざまで、自分の人生を翻弄されてしまう。
自分にはどうにもならない、どうすることもできない運命・・・・
キムヒョンヒのニュースは、
それを実際に見せてくれる。
キムヒョンヒに日本語を教えたのは田口八重子さん、
そして、田口八重子さんとともに
拉致されたのが横田めぐみさん。
こうして、みんなの知っているニュースと
映画「シュリ」がつながる。
子どもたちがよく知っている
漫画やドラマの中の悪人は、
お金に目がくらむか、権力に惑わされて、
自覚して悪いことをするが、・・・・
国の為に働いているエリート工作員にとっては
「悪い」・・そんな自覚は無いだろう。
それが仕事なのだから、それを責めることはできない。
これほど分断の歴史が深い傷跡を残していなければ、
特殊工作員の仕事が必要になることは無かっただろうし、
爆破事件もなかったはず。
私はみんなの前で自分の願いを話す。
「いつか、韓国と朝鮮が一つになることを願っているんだ」
「それが、百年後か、二百年後か、わからないけど、きっとなる」
映画「シュリ」以後に知ったことだが、
韓国と北朝鮮のスパイ同士で、
双方で2万人もの工作員が、殺されていると言う。
その数字には戦慄が走る。
東西冷戦は、実は、終わっていないのだ。
1・15
インドへの旅の目的の第一は、
ガンジーのあとをたどることだった。
日本でガンジーと言えば、
思想家の面だけがとらえているようだが、
戦略・実践家、そういった面にも
強く惹かれる。
ガンジーが火葬された場所=ラージガード。
亡くなった後、白檀の木の上で焼かれ、
ガンジーの遺灰は、
インドの4つの川の合流地点で、流された。
黒い大理石だけが残る。
銅像も巨大な墓もない。
ガンジーが暗殺された場所=ガンジー記念博物館。
祈りと人々の話を聞くために
庭に出てきたところ、暗殺された。
庭には、今もバラが咲き、鳥が飛び交い、リスもいた。
ガンジーのたどった庭の小道には、
ガンジーの足跡が、残されている。
もう一か所。
運動の拠点となった修道場、アシュラム。
木陰では涼しい風、
犬、鳥、川沿いには牛がのんびり草を食む。
どの地でも、インドの人々がたくさん
訪れている。
くつろいで、歩き回りながら・・・・
それだけではなく、ヨーロッパやアメリカからの
旅人、それも家族で。
或いは、中国、韓国人たちの団体・・・。
それなりに、静かに、敬意を払って、
それでいて、のんびりと、散歩をするように
建物や庭を歩き回っている。
これだけ世界中から尊敬されている人が、
質素な記念館や大きな大理石だけが
残されているとは、
やっぱり彼の思想は、質素を旨としていると思う。
ガンジーゆかりの大学も
雑木林の木陰にあり、
畑も作られ、ブーゲンビリアの紅い花が咲き乱れ、
とても穏やかな雰囲気に包まれていた。
1・14
インドおもしろ話の続き。
妹尾河童さんの、インドのイラスト旅日記も
旅の細かい話が載っていて興味深いが、
何と言ってもトイレ事情。
今までで、一番衝撃的だったのは
今から30年前のメキシコの空港のトイレだった。
それ以後、発展途上国で経験したトイレ事情が
すべてが詰まっていた。
発展途上国では、紙をトイレに流す習慣はない。
トイレに詰まってしまうからだ。
そういえば、日本でも、小中学校の時期は、
私は汲み取り式を経験している。
実は、これこそプライバシーの話だが、
私自身、汲み取り式のトイレに、
小1の時、片足が落ちて、優しい先生に洗ってもらった。
よく覚えているが、深くて、底の見えない穴は、
真っ暗で、とても怖くて、
小学校一年生の女の子には、またぐには
とても幅が広く見えた。
えいやっと、またぐことができなかったのだ。
それ以来、1学期間は、トイレに行けずに帰ってきたので、
母が言うのには、必ずおもらしをして帰ってきていたらしい。
夏休みに、優しい父は、私を学校に連れて行き、
トイレをまたぐ練習をしてくれた。
跳び箱を飛べなかった時も、
父は学校へ連れて行ってくれた。・・・・なつかしい想い出。
メキシコの空港のトイレ(それも大昔)では
便座の周りが水だらけ、紙だらけ・・・・足の踏み場もない。
そして、便座が無い。
便器はあるが、プラスチックの便座が無い。
どうしたらいいのか、途方にくれた。
それに比べれば、インドのトイレはきれいだった。
必ずお掃除の人がいて、
けれども、その仕事として給料をもらっているせいか、
チップをもらおうとする場所は
少なかった。
いつも消毒薬の臭いがして、きれいに水拭きがしてあった。
よっぽど日本のトイレの方が汚いところもある。
ただ、紙を流してよいかどうか・・・
イスラム式は手を使うというのが、・・・・やっぱり困難。
結局、今回も挫折しました。
(以前、インドネシアでも、フィリピンの農村でも挫折)
懐かしいような、ちょっと、驚いたのが、
トイトレイン、世界遺産のダージリン鉄道でした。
国鉄時代の日本の列車と同じで、
トイレの下に、線路が見えました。
昔、日本もそうでしたね。
1・13
3年生、最後の学期が始まる。
授業も集大成。
最初に韓国映画「シュリ」を子どもたちに。
もう、10年以上前の映画になる。
子どもたちは「北朝鮮は嫌い」
「韓国人も嫌い」「中国人も嫌い」
と、すぐ言う。
マスコミの影響は大きいと思う。
私の哲学は、
「国を好き嫌いで言うのは、まちがい」
好き嫌いは、イメージでしかない。
イメージでは、国際平和は実現しないと思う。
どんな独裁国家であろうと、
その政治体制の下で、好きも嫌いもなく
生活している人々がいる。
独裁国家であろうと、発展途上国であろうと、
そこで暮らす人々は、尊敬されるべきだと思うし、
上から目線も、下から目線も、
必要ないと思う。
海外旅行にたくさん行ったけれど、
すべて好奇心のため、授業のためだったけれど、
必ず町で人々と触れ合ったため、
行けば必ずその国が好きになる。
だから、本当は、子どもたちを連れて、
世界を旅したい。
そうすればすぐに世界平和につながる。
ドイツ児童文学ケストナーは「飛ぶ教室」で
それを描いて見せていた。
それができないので、私は映画。
「シュリ」を見れば、
国境が、愛することを
決定的に分断してしまう事実を知るだろう。
そして、初めて、
韓国と北朝鮮に分断された悲劇が
実感できるだろうと思う。
私自身が、大人になって、「シュリ」を見て
そして愕然となって気付いた。
分断の歴史はやはり人ごとだった。
共感してこそ、わかることがある。
だから映画を見せる。
やっぱり今年もクラスで
涙を流す女の子がいてくれた。
そうして初めてみんなが気づいてくれる。
(私は始めて見た時、3度も号泣してしまったが・・・・
)
娘には、私はロマンチストすぎると批判されてしまうけれども・・・・
1・12
今日は、面白インド話を。
1990年代に海外旅行を経験した者として、
たいてい「地球の歩き方」を
ページを破いて持っていく。
他のガイド本には載っていない歴史的観光地、
町の見逃せないスポット、など
見るべき場所が必ず載っていて、とても役立つ。
持って行って損はしない。
今回も、インド版を、前から読み込んでいた。
ただし、驚いたのは、インド版だけ?が、「バッグパッカー仕様」
で残っていること。珍しい。
それで、読んで、怯えたこと多数。
まず、トイレ事情。
確かに、イスラム圏は紙を使わない。
う〜〜〜ん、どうやって乗り越えよう。
やっぱり、郷に入ったら郷に従え?
素手で、紙無しで?????
他にも「ビビりまくった」こと、
「マラリアは2種類ある。死ぬこともあるマラリアがあるので注意!」
「インドでは狂犬病が多い。一度発病したら治療は不可能、死に至る!」
「水は歯磨きもペットボトルの水で。下痢を起こす可能性有り」
「水のような下痢ならばコレラを疑う」
「もし心配なら、3種類ある予防接種を」
・・・・・・・・・
他にも、だまされないように、連れ込まれないように・・・
そのせいで、蚊の一匹にも刺されないようにと
蚊取り線香、虫よけスプレーを持参。
でも、蚊は、一匹しか見ませんでした。
そういう地域には行かなかったせいだろう。
また、ホテルも近代化されていて、
必ずミネラルウォーターが、置いてあり、不自由しなかった。
あれだけ用心して行ったせいか、
旅程にゆとりを持たせたせいか、
4人の中で、誰一人体調を崩すことなく
旅行を終え、一件落着。
多少、インドを、まだまだ発展途上と見すぎていたと反省。
あまり、心配する必要はありませんでした。
1・10
インドに行って驚いたこと、もう一つ。
街を行く女性のサリー、
パンジャピードレス、ストール・・・
すべてに、目が釘付けになってしまう。
日本の女性はスタイルを気にして、黒やグレー、
濃い色の、柄の無い服を着るが、
女性の着ている布地が、すべてすばらしい。
模様が、すべて手刺繍だったり、
絣と言えば、日本では藍色だけだが、
赤やグリーン系の絣、
あるいは、総絞りの布地
ペリズリー柄の更紗、命の木を表わす更紗の模様・・・。
布地の材質も多種多様、
デリーでは、綿や絹
ダージリンでは、カシミヤやパシュミナ
(羊やヤクのやわらかい毛の織り物)
若い人たちは、カラフルなストールを
肩に巻いてジーンズをはいている。
カシミヤだったり、パシュミナだったり、
ジャガード織りで裏表リバーシブルだったり・・・
薄手なのに、暖かそう、それも、格安の値段で扱っている。
アフメダバードのキャリコ博物館では
200年、300年前のインドの布が
暗闇の中で眠っていた。
町では、普通の人たちがサリーやパンジャピードレスを着ている。
裾に、金糸の刺繍や織が入っていたり、
布の動きにつれて、輝きが違う絹のドレスだったり・・・
うらやましくて、さわらせて、見せて・・・と頼みたかった。
インドの布に、イギリス人が憧れ、
ブームになり、産業革命が始まった。
その憧れを私も体験して、今も脳裏に焼き付いている。
全部買い占めたいぐらい、美しかった。
いまだに、インドの布は、多種多様で美しい。
日本に帰ってくると後悔する。
たくさん買い込んで、教室中に
その美しい布たちを、ずらっと並べれば
インドの布の美しさを一枚で伝えようとしていた私の概念を
子どもたちは超えて、実感してくれただろうに・・・と。
それとも、私自身の物欲だっただろうか・・・・?
1・8
職場では、これからが3年生の受験のための
書類作りに追われる。
3年前もそうしたが、
第一日にチョコレートケーキを焼いて、
学年のメンバーにふるまう。
元気づけ。
それといっしょに、
今年はダージリン紅茶も・・・。
大変好評でした。
世界最高級の茶葉の産地、ダージリン。
その郷は標高2000メートルの高地。
行ってみなければわからなかった。
これについても仰天だった。
断崖絶壁の斜面に茶畑が
いくつもの山の峰に・・・・
手前の山も、向かい側の山も、その先の山の峰も・・・・
すべて茶畑だった。
ここで働く人たちは、
日給150ルピー(約225円)で斜面を摘んで回る。
この傾斜地を歩くのが、信じられない。
地図上ではダージリンは、北インド、
ヒマラヤのふもとになっているが、
それでも平地からは
車で4時間近く入った高地。
その高地に、茶の木を植えたイギリス人たちの
飽くなき欲求。
ダージリンのお茶を運び出すためのミニ鉄道。
この鉄道は7~8時間乗らなければ
平地まで降りてこれない。
この鉄道が、今は観光資源となり
世界遺産のダージリン鉄道=トイトレイン
になっている。
ここからカルカッタへ、そして今も世界中に輸出されている。
山の上にまでも、鉄道を作ったイギリスの力を思う。
ダージリンはヨーロッパからも
観光客がやって来る有名な観光地となっていた。
1・7
海外旅行に出ると、
訪問した国の実際に刺激を受け、
わかることが山ほどあります。
自分の頭で考えていることを
軽く超えて、たくさんのことが驚きで
これほど楽しいことはありません。
今回もすべてが驚きでした。
そのひとつ。
手塚治虫作の「ブッダ」という漫画があります。
ブッダの周りに鳥や象や獣たちが
集まってきて、瞑想をするブッダを取り巻きますが、
そうした情景が、インドでならあり得ると思いました。
漫画ではフィクションだと思っていたのに・・・。
デリーの町のちょっとした林に
尾の長いサルを見かけます。
イスラム寺院の遺跡の木々の間を、
青いインコの群れが飛び立ちます。
クジャクは、飼うものではなく
野鳥として扱われています。
道路には、野良犬が、吠えずに、歩き回り、
私たちが「野良牛」と名付けた牛が、
人々の間を、歩き回ります。
インドでは、動物は、逃げず、
人に媚びず、のっそりのっそり・・・
動物は飼いならすという概念、
増えすぎた動物は適切に処理しなければという概念、
それが、インドには全くありません。
これは、本当に驚きでした。
動物は、それ自身の存在で、生きている、そんな風でした。
1・5
インドから帰ってきました。
こじんまりとした4名での旅でしたが、
今までの旅にも代えがたいほど
一期一会の旅になりました。
たくさんの若い先生を誘いましたが、
忙しさでいっしょに行けたのはお二人だけでした。
もったいないほど、最高の旅でした。
自慢するよりも、本当に、多くの若い先生を連れて行きたかった。
ご一緒に体験してもらって、
それで、またいろいろ感じてもらいたかった。
ガンジーゆかりの地を何か所も訪ねましたが、
ガンジーが創立した大学で
そこの小柄な女性の先生から
突然聞かれました。
「福島のかたがたはどうしていますか?大丈夫ですか?」
「政府の支援は行き届いていますか?」
思わず、同行の女性と涙がホロリと出てきて困りました。
インドの格差に胸を痛めていたのに、
こちらの方が、いたわられてしまって、
胸がいっぱいになりました。
ガンジーゆかりの大学で、農村の生活をどう向上させるか
農村から豊かにしなければ、インドは豊かになれない・・・という思想のもと、
糸紡ぎ、機織り、自家発電、そういった実践を学ぶ大学だからこそ、
そういう質問が出たのだなあと、あとから思います。
ガンジーは「My life is my message.」と言っていますが、
非暴力不服従の精神を、インドを訪ねた後で、また強く噛みしめています。
2012 December
12・23
今日がインドへ旅立つ日。
ここまでが、怖ろしいほど忙しかった。
毎日仕事を終えるために、
学校を夜8時過ぎに出る。
家に帰りつくころは、11時近く。
終業式の前日は、受験生たちのため、
地理の暗記カード作りで徹夜。
おかげで「助かった。ありがとうよ先生」と言われる。
終業式の日でさえ、
家に帰りついたのは9時半。
帰りは、娘のために一足早いクリスマス用品を買い込む。
昨日は、娘たちと家族で映画を見に行った。
みなさんも、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
ミュージカルの舞台「レミゼラブル」の映画化。
とにかくすばらしかった。
舞台よりは興ざめするのでは?と
自分で自分に予防線を張っていたが、
すばらしいに尽きる。
特に、アン・ハサウェイの
娼婦に落ちぶれた自分をうたう歌。
一時大きな話題になった
スーザンボイルが歌った「夢破れて」です。
服装は貧乏の果ての汚れたもの、
それなのに、これだけ美しい世界があるのかと思った。
女性が娼婦に落ちぶれ、わが身を嘆く。
昔は恋をした、胸の高なる恋をして
今も恋人の帰りを待っている、
でも、娘のために、お金を得なければ、・・
男のために、身を任せても、
誇りを捨てまいと・・・・懸命に生きようとする。
そうして、フランス革命の時代も、
それ以前も、昔からどれだけ多くの女性たちが
涙を流し、そうした境遇の中で
運命を生き抜いてきたことかと、
その多くの女性たちのことを思った。
アンハサウェイの演技が、それを思わせた。
昔、大昔子どもだったころ、
世界名作全集で
「ああ無情」として、読んだ。
暗くて、怖くて、悲劇、・・・悲しい話で、
ジャンバルジャンの名前と、
パンを一個盗んで一生追われるその時代と
下水道を逃げるその情景と
神父様が盗みを許されるその言葉と・・・
が忘れられない話だった。
それが、また、美しい話として、
その時代を懸命に生きた人々の話として
生き返る。歌とともに。
ぜひ、ぜひ、ご覧ください。
会場中で、みな泣いていました。
1月まで、旅ですので、一時お休みです。では・・・。
12・19
毎日各クラスが2学期最後の授業。
とてもうれしい感想が
続々と・・・。
今回、男子が書いてくれた。
次のような感想は、初めて。
「最近、公立高校の過去問題などを解いている時、
頭にそのことについてのビデオが残っていて、
高得点を取ることができたから、
とても助かった。
教科書を読んでも、
よくわからないところがたくさんあるけれど
ノートを見れば理解できるから、助かっている」
当然といえば当然、なぜかと言うと、
番組はすべて超一流のジャーナリスト、
テレビ制作会社の物ですもの。
そのイメージとともに説明するから
「わかると言ってもらえる」
もう一人、2学期三分の二の授業を寝ていたのに、
受験が気になって、
起きてノートをとるようになった男の子が、
「とても授業はおもしろくて、説明がめっちゃ上手い!!
わかりやすいです。三学期もよろしくお願いします。
お疲れ様でした。」
あれ〜〜??
最近起きるようになっただけで、そんなことが言えるのかな?
・・・と思いながら、
おほめの言葉はうれしいです。
三学期もがんばろう・・・・っと。
12・17
もう、今日で2学期の授業が
終わったクラスがある。
いつも、学期の最後には
「みんなと私の通知表」というのをつけてもらう。
みんなの予想される成績
私の成績、・・・を5段階でつける
批判こそ、反省材料。
でも、最近はほとんどない。
みんながみんな授業を楽しむ。
そして、授業の感想、これが私の励みである。
私の宝物。
ずらりとそれぞれの授業へ一行ずつ感想をくれた子も多い。
「沼田鈴子さんの映像で、足を切断した場面は
とてもショッキングだった。
里見さんの話はとても生々しくて、原爆がどれほど
こわいものなのかを知ることができた。
反日デモによって戦争が起きたら怖いなと思った。
だから中国とはイヤでも仲良くした方がいいと思う。
「さとうきび畑の唄」の映画は、とても悲惨で泣きそうになった。
討論会をすることによって、
議題の内容を深く理解することができた。
自分が裁判員に選ばれたら、
正しい判断ができるかどうかわからないけど
裁判員のみんなでよく話し合うことが大切だと知った。
自分がえん罪にまきこまれて、
あんな取り調べを受けたら
刑事の言うことに従ってしまいそうだった。
「モリのアサガオ」を読んで、
私もとても憂うつになった。
でも、死刑制度はあってもいいと思う。
今学期はビデオが多かったけど、
わかりやすかった。」
いろいろ学び、わかったことがたくさんあって、
賢くなった自分を、発見してくれてるかな?
授業を楽しみにして、おもしろいと言ってくれたり、
ナニワ金融道を、渾身の演技で読み上げる私に
集中力の沈黙で答えてくれたり、
お互いの信頼関係を感じる感想です。
幸せですね。
12・15
一方でインドの旅の準備も始めた。
ツアーに乗ったことは、今までほとんど無い。
中国と韓国ではフリーなツアーにしたが、
参加者は私一人で、
ガイドさんと運転手に、
好きなところに連れて行ってもらった。
自分で旅を計画し、旅行社に頼む。
今回も特殊な旅。
グジャラート州の河のほとりの
ガンジーのゆかりの農園を訪ね、
キャリコの博物館もチャンスがあれば見学。
行きには、インド鉄道の寝台車に乗る。
デリーではガンジーの暗殺された地、
記念館を見学します。
鉄道博物館も。・・・これは、イギリスとインドの関係を、
奇しくもあらわしているはず。
ダージリンでは、茶畑、プランテーション、
そして、ダージリン鉄道=お茶を運んだ蒸気機関車に乗る。
デリーでは、今のインドも見ておきたい。
電気店やスーパーマーケットも寄りたい。
一方、不安は他の国に比べとても大きい。
治安はある程度覚悟しているが、
お腹の調子と病気、体調に関する不安が強い。
グジャラート州は、パキスタン寄りの
一番西の乾燥した州、砂漠の地。
一方ダージリンは、ヒマラヤのふもと。
早朝タイガーヒルにて、ヒマラヤを望む観光も含む。
0℃から30℃まで
だから日にちを何日も余裕を持って考えています。
23日には出発して3日に日本着。
その間は娘一人と同行他お二人の旅なので、留守になります。
12・14
ずいぶん間が空きました。
帰りは毎日10時過ぎ。
受験用、私立の書類作りの追い込み。
授業もあと一週間で、
2学期はおしまい。
おおよそめどがつく、教科書をほとんど終える。
経済は、今回、
資本主義経済のしくみ、国の経済のしくみ、
社会人になるための経済学習、の三つの単元に分けた。
今週と来週は、社会人になるために、
だまされないための・・・学習。
悪質商法と、サラ金。
サラ金は少しましになったが、
今も恐ろしい。
私のバイブルは、これも漫画「ナニワ金融道」
尊敬する故青木雄二さん作。
とにかくありがたい。
教師がいくらサラ金を教えたくても、
教えるためにサラ金に手を出すことは不可能。
社会の闇の闇、裏の裏をユーモアを持って描く。
今年の三年生も、夢中になって読む。
サラ金の連帯保証人になったおじさんが、
追い詰められて、家庭は修羅場、家を売り払うかという迫力・・・。
三年前、サラ金のCMを録画して、中三生に見せた。
これは私も愕然とした。
一見、・・・親身になってくれそう、優しそう、
困った時に助けてくれそう・・・・なCMだった。
今年は、今のCMと比較して見せよう。
賢い三年生は、いろいろ見抜くことだろう。
まだまだ三年生に伝えたい授業が、
山ほどある。どうしよう・・・時間が足りない。
ビリーホリデイ・キング牧師からマイケルジャクソンの授業。
・・・・公民権運動。
韓国映画「シュリ」から拉致問題、映画「シルミド」、
国家とは何か考える授業。
プロジェクトX、ホンダの自動車、ソニーのラジオ
高度成長を支えた心意気の授業。
ワーキングプア、派遣、仕事を選び、
アパートを選び、一人暮らしを設計する授業。
ベトナム戦争のベトちゃんドクちゃん、
枯葉剤の影響とアメリカ、戦争を逃げ出した兵隊の話。
そして、核戦争になったら地球はどうなるか、
原子力発電所の真実、チェルノブイリ・・・・。
持てるものは出し切って、みなを賢くして卒業させたい。
さて、どれを捨てて、どれを授業するか正念場が三学期。
12・10
経済の勉強です。
税金の話。
2001年の新聞記事から
高額納税者100人ランキング、
分野別ランキングの記事を見る。
(最近プライバシーの尊重!?などで
載ることが無くなった。
社会性の無くなることはなはだしい。
載せるべきですが・・・)
2001年は
トップが大塚製薬社長、2位楽天社長、3位ソフトバンク社長・・・・
ちゃんと、サラ金会社、プロミスやアイフル、武富士も入っている。
遊戯機製造会社社長が何人も・・・・パチンコだと聞いてみなふ〜ん。
任天堂社長も入っていますし、ユニクロ社長も・・・・。
全員驚異の声を上げるのが、
「先生、無職の人がいる!!、何でこんなに何億円も税金払えるの?」
「株取引とか、相続とか、働かなくても、大金持ち、財産持ってる人はいるんだよ」
「え〜〜〜! うらやましい。いいなあ〜〜〜」
他にも外資系もぞろぞろ。
アフラック、マクドナルド、モルガン銀行すべて日本支社長。
中には農業、産婦人科医院長、下着会社社長・・・などいろいろ
分野別では、14年前の売れっ子がずらり。
スポーツ選手では、イチロー、松坂、松井・・・桑田、清原・・・・
タレントならば、とんねるず、ダウンタウン、松嶋奈々子・・・
ミュージシャンは、B’s、浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、椎名林檎・・・・
その他では、秋元康、つんく、青山剛昌(漫画コナン)、・・・
子どもたちの知っている名前がずらり。興味が引かれる。
そして、税金の累進課税の話と、税率の変化を説明。
今の日本の社会の格差が広がったのは、
この所得税税率の変化も一因だと思う。
そういう説明をする。社会の平等化をするのが、この制度と。
でも、この30年で税率が不平等化へ。
1980年代、5年ごとに最高税率が、
70%から、10%ずつ下がり、
1999年には、37%にまで下がる。
年収200万円の人の税率は、20年間で
ずっと10%で、下がらない。
1980年に1億円年収の人は7000万円納税していたのに、
1999年には3700万円の納税ですんでいた。
半額である。
大金持ちに優しい国になっていった時期。
・・・・ちょうどバブルと重なる。
それだけではなく、それまでは800万円台の人が30%だったのに、
1999年には1800万円を超える人すべてが、一律37%になった。
どんなに儲けても、37%以上納めなくていいのだから、ありがたい。
税率が変わったのは平均所得よりずっと高い人々のみ。
庶民は税率は変わらない。
それにつれて国の税収も減る。
消費税は1989年に始まる。
12・9
一昨日、あれだけ大きな地震があったのに、
すぐに戻る日常。マスコミ。ちょっと違和感があります。
6日に書いた市場占有率の授業が、
私にもとてもおもしろいものだった。
日経新聞をもとに次々クイズを出す。
まず日本の市場占有率、出題する順番も考えた。
まず、6日に書いた通り、
携帯、動画サイト、ゲーム類から。
次に、日用品。それも電気製品。
デジカメ、テレビ、冷蔵庫、
そして、清涼飲料、即席めん、シャンプー、アイス
、車
最後に化粧品とビール。
その時にはこう話す。
「化粧品のCMには、その時、一番売れている、
きれいな女優やタレントを使う。
ビールにも、その時一番売れている
イケメン男優やタレントを使う。
だから、一番売れている人を使っている企業が
占有率も高いよ」
子どもたちは口々に「綾瀬はるか、仲間由紀恵、・・・
ダルビッシュ、福山雅治・・・・」と叫ぶ。
「キリンとアサヒとは死闘を繰り広げているんだけれど、
ある商品で、圧倒的に売り上げを伸ばして、
アサヒが一位になった。
その商品のCMは、常にトップの男性が出るんだ」
「それ知ってる!! スーパードライだ」・・・・
CMと売り上げ、テレビのタレントが結び付くから
子どもたちにとっては身近だし、そこから経済が見えるから面白い。
次に、世界の占有率。
これは、携帯端末、スマホ用OS、
車、炭酸飲料、冷蔵庫、テレビ、
そして、最後に、デジカメとゲーム機を出題。
デジカメとゲーム機以外は、
韓国・アメリカ・中国などに
取って代わられている。
子どもたちにとっては、驚きが続く。
携帯の1位はノキア、2位はサムスン。
冷蔵庫はハイアール・・・
1位キャノン、2位ソニー、3位ニコンと・・・
日本が、独占するデジカメ。
ゲーム機の市場を独占する任天堂41%とソニー39%。
子どもたちからは「やっぱり任天堂はスゲーな」
でも、私にはやっぱり・・・・だし、
デジカメとゲーム機だけとは、さびしい・・・・だし
グローバル化の世界はすぐ横にあると実感させられる。
12・8
昨日の地震、ちょうど学校の職員室だった。
子どもたちはすでに下校していたものの、
揺れの長さに、怖ろしかった。
気仙沼の従兄が被災している。
また津波に合うのではないかと
胸の動悸が止まらなかった。
昨年の一連の出来事が、一挙に押し寄せる。
テレビで見たヘリコプターの中継映像、
鉄道がすべて止まり、学校の地域から抜け出せず、
延々と幹線道路を歩いたこと。
その日は帰れず妹の家に泊まったこと。
しばらく計画停電で、
鉄道も途中のまでの運行で、
3時間歩いて家に帰りついたこと・・・・・
いつもは思い出さずにいるが、
やはり、私の中でも、暗い思い出になっていたことを思い知る。
その上に、原発の事故と
まるで戦前のような報道統制があった。
一瞬で思い出す生々しさ・・・。
ありがたいことに、今回気仙沼も無事だった。
自然の脅威は、人間を超えている。
12・6
授業は経済に入った。
今日は、とても楽しい授業ができた。
単に、市場占有率を、
日本の製品市場、世界の製品市場で、
延々と、見ていっただけだが、
やはり中学生の情報量はすごい。
世界の動きがわかる。
例えば、世界の家庭用ゲーム機、どこの企業が市場を占めているか?
中学生は、すぐ予想がつく。
「任天堂だよ」
「ソニーだよ」
「いや、マイクロソフト?」
彼らが言うとおり、任天堂が、40%を占めている。
携帯音楽プレイヤー、これは?
「これこそソニーだ」
「いや、I’podだ」
こう情報交換。
確かに、ソニー、I'pod、の順番。
スマホOSは?・・・・私には何の事だかわからない。
でも第1位の「アンドロイド」は聞いたことがあった。
「検索エンジンの世界一は?」
みんな「グーグルだよ」
「いや、ヤフーだよ」
これは予想とは多少違う。
1位=グーグル、
2位=百度(バイドゥ?)、
3位=ヤフー
冷蔵庫一位は、ハイアール=中国
パソコンの一位は、サムスンに、LG=韓国、
まさにグローバル化時代の動きが手に取るようにわかった。
みんな驚きだった。
12・5
のんびりしていたクラスの子どもたちも、
期末テストが戻ってきて、
3年間の復習テストが返ってきて、
思ったよりも、成績が伸びていないことに気づき
緊張感と、危機感が、ほんの少し出てきた。
校長面接も、わがクラスに順番がもう少しで回ってくる。
いざ、面接となると、小心者状態で、
面接の練習では
照れて、とまどって、目を白黒させている。
私「わが校を志望した動機は何ですか?」
A君「え〜〜??」
私…小言:「一か月も前から、考えて練習しておきなさいと言ったでしょ。」
私:高校の先生のふりで「じゃあ、高校に入学したら、やりたいことは何かな?」
B君「う〜〜ん、ありません」
私「それじゃあ、来なくていいですって言われちゃうよ・・・(唖然)」
わが中学の目標は「自主・自立」なのに・・・・。
やっぱり面倒を見る必要があります。
みんなが言う。
「先生、ほんとのことを言えばいいんでしょ」
何にも考えてないということがホントのことだとしたら、
それは、ダメですね。
受験も面接も、
「なんとかなる」
と
人生をあまりに楽観的に考えている子どもたちも、いる。
そういう子どもたちのことを、学年の先生たちみな、
とても不思議に思っている。
裏付けの無い自信・・・すごいなあと。
これが彼らのたくましさなのかもしれない。
12・3
えん罪・死刑制度のまとめには、
いつも海外ドキュメンタリーから
名作を使う。
必ず3年生に見せてきたDVD。
「二十年目の再会…不良少年少女たちの更生プログラム」
私自身が最初に見た時、
口はあんぐり、唖然・・・・
最後に、深く感動した番組です。
内容は、アメリカの不良少年少女が
2時間の刑務所体験をする。
最初は、「楽しみ!!」とうそぶく彼ら、
ところが、2時間で、縮み上がる。
後半が、度肝を抜かれるどんでん返し。
20年後の彼らが出てくる。
牧師、技術者、運転手・・・・立派になっちゃって・・・
それだけではなく、おどした囚人たちが、20年後・・・・
結婚して子どもを育て、家まで持っている。
顔が穏やかになり、ほんとうにいい人になり、
社会への貢献を口にする。
全てやらせではなく事実。
人間は、心から変わろうと思えば、変われるんだという証拠。
この番組は人間の素晴らしさ、おもしろさ、人生を教えてくれる。
だから、私にとっては「死刑」で命を奪い、
「目には目を」で犯罪を減らそうとするよりも
更生する方法を考える方が、成熟した社会だと思う論拠なのである。
今回も、みな中学生たち、
場面に食いつきそうに見入り、誰も眠らない。
この番組が好きなのは、人間を信じさせてくれるからだ。
12・2
私自身も知ると授業をしたくなる。
このミニブログにも書きたくなる。
もしご存知ならお許しください。
今回冤罪の過程を調べることで、
代用監獄と言われている問題も、初めて理解できた。
逮捕されたあと、容疑者はどこに泊まるのか?
送検されたあとはどうなのか?
裁判中は世の中に出てこられるのか?
初めて分かりました。
逮捕されて警察に取り調べ、
そして、送検されたあとも、起訴されるまでは
警察の留置場らしい。
だから、検事さんに否認すると警察に夜、怒られる、
というのが理解できる。
海外では、送検されると同時に拘置所に移されるらしい。
裁判中は拘置所なようだが、
拘置所には死刑場もあり、なんだか恐ろしい。
未決囚ということになると、
際限なく(?)拘置されている人も
いるようだ。
人を拘束するということは、怖ろしいことだと思う。
証拠隠滅の恐れ、逃亡の恐れ…があれば、釈放できない。
おまわりさんの言うように、「白状すれば帰れる」のではなく、
「白状すれば、服役もしく処刑されて、罪を償うまで帰れないかもしれない」
が正しいのだと、初めて私は理解しました。
12・1
いよいよ12月.
インドへの旅も実現が近づいている。
ガンジーが設立したグジャラート大学にメールを送る。
「私たちは、日本の中学の教師です。
世界史を教えています。
今回、インドの旅を計画しました。
目的は、ガンジー、インドの鉄道、
ダージリンの茶について、学ぶためです。
アフメダバードでは、ガンジーアシュラムにも行きます。
そこで、アフメダバードでの滞在の間に、
グジャラート大学を、短時間でも見学できませんでしょうか。
先日、フランスのドキュメンタリーを見ました。
その中で、貴大学の教育原則に深く感銘を得ました。
ガンジーが設立者であること、
学生と教師が毎朝清掃を行うこと、
できれば、私たちも掃除に参加し、
糸を紡ぐ授業の見学をさせていただければ、幸いです。
私たちの学校でも、
生徒たちは、綿花を育て、糸を紡ぎました。
彼らはその経験を楽しみ、衣料の歴史を学びました。
『産業革命のイメージが湧くし、
イギリスの強制的な支配も分かる』
『ガンジーは偉大だね、イギリス製の布を、
インドの独立のために燃やしたなんて』
と、生徒たちは言います。
もし、日本に戻ったら、この見学を生かして、
さらに生徒たちと深く学びたいと思います。
ぜひ、短時間でも、見学をお許しいただけるよう
よろしくお願いします」・・・
うまく、伝わるといいけれど、
はたしてどうだろう?
ちょっと不安です。
November
11・30
今日は学年の進路会議だった。
「先生、勉強がんばるから、見てて・・・」
と言われたが、
逆に成績が下がった子も多い。
10月の中間テストで、
20点や30点を取ってしまったら、
いくら頑張っても、成績を上げるのは難しい。
担任としては、それを知るのもショックだ。
来週から、私のクラスも、校長面接が始まる。
緊張感のない受験生たちだが、
受験の準備は、その一方で、どんどん進む。
最近、教卓の周りを取り囲む子どもたちが増えている。
他のクラスもそうらしい。
勉強の質問ではなく、
いろいろな不安を、先生の周りで、冗談を言ったり
進路についての雑談をしたりして、
紛らわしている。
明日からは12月。本当の師走です。
11・29
ずっと、今月、
えん罪と死刑制度について書いてきたが、
私自身が学んだことだらけである。
新しく知ること、そして、
「わかった」と思えることは、大きな喜び。
自分が知ったことを、人に話さずにはいられない。
そうやって、授業が成立する。
えん罪の原因も初めて分かったと思える。
「なぜやってもいないのに自白してしまうか」
それには、大きな誤解があるらしい。
私だってそう思っていたが、普通は、
「たとえ、警察が、無実だを認めてくれなくても、
検察と裁判所、あと、2回チャンスがある」と思うだろう。
ところが、これは、単なる一般人の希望的観測。
そんなところに期待してはいけない。
考えてみれば、検察官の仕事は、
もともと刑事裁判で有罪にするのが仕事。
話を「聞いてあげる」ような優しい立場ではない。
被疑者を有罪にするための書類を作る。
そういう一番厳しい対立する立場に立つ役職なのだ。
それを、警察は野蛮だから、言っても無駄で、
検察は冷静に話を聞いてくれるかもしれない・・・というイメージが、
警察で、ええい、どうにでもなれと、
「一過性のつもりの自白」をさせてしまう。
もし自白をしてしまったら、
あとは、有罪のルートをたどるだけなんだと
初めて理解できた。
だから、警察でどんな誘導があろうと
「絶対に、やってもいないことをやったと言ってはならない」
それが、まず闘いの第一歩、ということが、つくづくわかる。
子どもたちにも、それを、痛感し、
わかるように授業できたと思う。
えん罪を、「僕は絶対巻き込まれないし、嘘の自白なんてしない」
そう、甘く見てはいけないと思う。
11・27
三年生の担任は、仕事がかさんで、この時期帰りは遅い。
今日も、校門を出たら、もうすでに夜、7時半。
陽は暮れてしまったが、
空気が澄みきって、
落葉した木々の間から
高い夜空に、煌々と月が照る。
今日、ちょっといいことがあった。
私の秘策を使って、
初めて数学で100点が取れた・・・と
クラスの女の子が
満面の笑みで、報告に来た。
そこで、帰りの会でみんなにひとこと。
「信じる者は救われる・・ていう聖書の言葉?知ってる?
みんなは、たいてい、私の言うこと
本気にしないけどね、
私のアドバイスで、今回、
テストの成績が上がった人がいるんだよ」
そこで、・・・予想通り、男子のひとこと。
さっと手を挙げて
「先生、それは違うんじゃないですか?
努力のたまものでしょう」
周りの男子が拍手する。
私(ちょっと大人げないが)
「いいんですよ、信じない人は・・・。」
「前から言ってるんだけど、
必ず、問題を1問やったら、見直し、そしてから次に進むの」
「そうやって、その人は数学百点取れたんだって」
100点と聞いて、思わず男子からも「オーッ!!!」の声。
そのあと私が、
「もう、いよいよ受験が近づいて来たから
英語も、国語も、苦手な人は、
秘策を教えてあげるよ、聞きに来なさい」
そう言ったら、男子が次々「明日聞きに行こう」
「おれも聞かなきゃ」
あれ〜〜〜??? 現代っ子は現金です。
11・26
冷たい雨。シンシンと冷えます。
いよいよ、冬がやってきた。
今日もテスト。
みんな寒さに鼻水をすすっている。
先週のえん罪の授業の中で、
刑事補償請求権について調べる。
これも、私が今回初めて知ったことだが、
今の刑事補償法では、
1日当たりの補償金額は1000円以上12,500円以下。
この金額には子どもたちの誰もが、安いと言う。
それだけではなく、そのあとすぐに、
誰からともなく
「でも、金額では代えられないよね、人生は?」と言う。
それだけではなく、
次の条文。
”死刑の執行による補償においては、三千万円以内で、
裁判所の相当と認める額の補償金を、交付する”
無実なのに、死刑になった場合は、命の値段が三千万円。
法律で、無実で死刑になる場合を想定している。
・・・・こういう法律があるのに、
判決が絶対無実の人を死刑にしないとは、
言えないではないだろうか・・・・究極の矛盾。
それも期限は三年以内に請求。
えん罪の人々の「二度と思いだしたくない・・・」
という自尊心を傷つけられた悲しみの顔に、
子どもたち全員、沈黙して押し黙った。
11・23
風邪をひきました。
のどが痛い。
昨日、足首がスース―するし、
肩が寒いと思ったら、
こたつでうたた寝した後、のどが痛くなった。
もう働きざかりという歳でもないのに、
いつも無理をしてしまう。
今月も3回ぐらい徹夜をしてしまったし、
3回ぐらい、ふとんではなく、こたつで寝て
一晩過ごしてしまった。
これで体調壊さないほうがおかしい。
家事をさぼっているのに、ほんとにしょうがない。
テストを作るのに、
いつもいつも徹夜になる・・・・自己嫌悪。
教材研究、ビデオ編集やプリントづくりで、
徹夜にも時々なる。・・・これも自己嫌悪。
一番の悩みは、以前にテレビで聞いたひとこと。
「睡眠不足は、肥満原因の大きな一つです」
深夜に起きていると、肥満のスイッチが入るらしい。
あまりかっこはつけないけれど、
毎年、体型が変わって、
洋服を買わなくてはならないのは、悲しい大ショック。
以前から、風邪をひくと、咳が長引き、
そのまま放置すると(教室で怒鳴り続けたりして)、
ぜんそくの前期症状だと言われているので、
風邪をひいても、咳には注意しています。
みなさんもぜひご自愛を。
今日は1日寝て暮らすことにします。
11・22
今週は、テスト週間。
社会が嫌いな子どもたちは、
1〜2年生の間は、
敵を前にして、戦意喪失した兵隊のようで、
暗記をすることを拒否しているものだから、
暗記カードを配っても、放置状態。
時には、床に捨ててある。
だいたいが、何も書いてない欄が、ほとんどの
白い答案用紙です。
でも、やっぱり2年生の後半ぐらいになると
あきらめず、点を取りたくなる。
その時、暗記カードがお助けカードになる。
まず暗記カードを暗記して、点を取りたい。
ずっと、この間の中間テストまで、暗記カードに書くぐらいの
基本的問題しか出さなかった。
例えば、第二次世界大戦の同盟国側の国名は聞いても、
ポーランド侵攻の原因となった独ソ不可侵条約は聞かないように。
最初は、暗記カードを配っても
真面目な子たちしか使わなかったが、
点が取りやすいということに気づき始めると、
みんな暗記カードを心待ちにする。
だから、そうやすやすとは配らず、
試験期間の最後の方で配ることにしている。最後の土日の前に。
暗記カードで覚えられるようになった子どもたちは
社会の平均点が、この2年半で上がってきた。
教師という立場で考えると、
点が上がるのを励みに、勉強するようになるのだから、
基本的な問題を出して、ほめて育てるでいいじゃないか・・・
と思う。
重箱の隅をつつくような問題を出したところで、
大人になったら、何にも覚えてないだろう。
現に私もその通りです。
だから、スタンスは、「世界の常識は、覚えておこう」
独ソ不可侵条約は知らなくても、同盟国側の三国は
知らないと大恥をかく。世界市民として。
パレスチナ問題を知らなければ、
イラクで殺害された大学生のような悲劇が起きる。
さて、暗記カード。
最近は、暗記カードだけを覚えておけば、
点はそこそこ取れると、そう思う子も出始めた。
そうは問屋が卸さない。
世の中を甘く見てもらっちゃあ困る。
受験前に、油断させちゃあ、悪いので、…今回は意地悪に。
油断させておいて、今回は、難問をずいぶん出した。
ひっかけ問題も出した。
みんなが頭を抱えていた。
思うようにならないのが現実だと、そう気づいてくれたかな?
11・20
数年前のNHKコンクールの課題曲、
アンジェラアキさんの「手紙」を知っていますか?
中学生たちにとっては、もう4年前も「少し古い歌」だが、
中学生の心理を、とてもよく表している。
受験勉強の矛盾やストレスを感じ始めるこの頃、
この「手紙」の歌詞を読んで、未来の自分に手紙を書こう・・・
そんな番組を見て、卒業式の自分に手紙を書く。
一番気に入っているのは、
誰も読めないように、封をしておくこと。
何が書いてあるのか、自分しかわからない。
卒業式まで大切にしまっておく。
DVDを見て、アンジェラアキさんの歌を聞いて、
歌詞はみんなの心にずしんと響いたようだ。
伸びのある声、声量もたっぷり。
「十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです」
「今、負けそうで、泣きそうで 消えてしまいそうなぼくは
誰の言葉を信じ歩けばいいの?」
「一つしかないこの胸が何度もバラバラに割れて、
苦しい中で今を生きている」
「大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど、
苦くて甘い今を生きている」
歌を聞き終わったとたん、男子も女子も
教卓の前に集まり、便箋をそれぞれが持って行った。
尾崎豊の十五の春という曲もそうだが、
十五歳には十五歳のとまどいや悩みが、身もだえするほどあるかもしれない。
11・18
明日の分も17日に書いておこう。
高校生の娘に、また自慢でしょと言われてしまったが、
子どもたちのようすで、おもしろいことがある。
以前、1回書いたかもしれないが、
20代の時に、「おばさん」と、
当時小学生の担任した子どもたちに言われ、大ショック。
30代の時に、「くそババア死ね」と、
中学校に初めて移り、中学生の敵意に大ショック。
40代では、「おばあちゃん」と、
かわいく言われるが、いくらかわいく呼ばれても、ショックはショック。
50代になると、「妖怪ババア」と
男子が調子にのって言ってきて
もう慣れた。笑ってしまった。
今年、またショックがあった。
最近は、下の名前でちゃん付けで呼ばれる。
廊下を歩いていると、他クラスの女子が
「○○ちゃん」と呼びかけ
私のことを「かわいい」と言う。
心外なので、ポーカーフェイスで、とぼける。
聞こえないふり。
(担任してるクラスの子は、絶対呼ばないのが可笑しい)
一昨年まで退職後、嘱託の身分なのに、
手のかかる子どもたちを教え、
子どもたちからは○○ちゃんとか、おじいちゃんと呼ばれる、
大変立派な先生がいた。
私も退職の先生の分野に仲間入りしたのか・・・・と
もう、悟りの境地ではあるが、ちょっと寂しい。
いじられキャラ、愛玩動物のような扱いで、
親しみをこめられ、ボディタッチされたりもするし、
近づいてくるのはうれしいが、
気を許すと、中学生の毒と甘えんぼに、
取って食われそうで怖ろしい。
そうやって、近づいてくる子どもたち、
抱きついてくる子どもたちを、
廊下で避けながら歩いているのだが、
昨日は、教室で、机の上に寝て、
お医者さんごっこのように遊んでいる中学三年生女子。
あまりに可笑しくて、からかった。
「幼稚園じゃあるまいし、やめなさい」
そうしたら、追いかけてこられて、
机の上に寝かせるんだと、二人がかりで、全力で引っ張られる。
もう一人の甘えんぼの女子は
「先生、おんぶして」と、抱きつく。
とても、三人の力には勝てそうもなく、
廊下で格闘する。
私の手を引っ張る力の強い女子の一言。
「先生、脂肪吸引手術やってあげるから・・・・」
思わず大爆笑!!。
彼女らと格闘したが、
娘たちと昔、じゃれあったり、
小学生たちと追いかけっこをしたり、
中学生とも、からかいあったりしたことを
なんとなく思い出し、心がほんわかした。懐かしかった。
11・17
先週、今年初めて教員になった先生が、
研修の一環として、私の普段の授業を見に来た。
裁判員の授業と冤罪についての授業を見てもらった。
空き時間には、いろいろ、授業について、
教師の仕事について、話をした。
彼は、中国の奥地に行って、
蚕の幼虫やさなぎを食べた・・・という先生。
彼の好奇心は、子どもたちにとって宝物だと思う。
だから、好奇心を持つことや、
おもしろいことをやりたいという気持ちを
「センスがいいから、絶対生かしたらいいと思う」
と、ほめた。
それに、授業は、
「驚きを持って知ること、ユーモア、好奇心が必要だと思う」
「だから、子どもたちをだましたり、驚かしたり・・・」
「そうすると、授業をするのが楽しみになる」
「教科書を早く終えるのが、自慢の先生が多いけど、
違うと思うんだ。子どもたちがわかるようにするには時間がかかる。
プリントの説明や視聴覚教材は時間を食うけど、
ほんとにわかるようにするには大事だと思うよ。
全体のプログラムを見て、マクロの目で見とおせば
暗記カードを使ったり、国名ビンゴをやったりすれば、
時間はいくらでも、短く楽しくできるところがある」
そんな雑談が、とてもよかったと、喜んでもらえた。
ちょっと意外だった。
ちょっと話したことが、こんなに喜んでもらえるなんて、私もうれしい。
11・16
北風が吹き始めて、
あっという間に、木の葉がさらさらと落ちていく。
学校の周りの桜の木の枝から、
今日は大量の葉っぱが夕日の中、地面をうめていた。
風邪の季節だ。
花粉症で、マスクをする人が増えるようになって、
一年中、マスクをつける子どもたちがいるようになった。
一年中つけているのは、たぶん、顔を隠したいのだ。
学年に、三人いる。
その子に、「素顔がかわいいからはずしな」と言って、
強引に外させると、
笑いながら外すけれど、あっという間に、またつけてしまう。
私のクラスにもいる。
でも、この女の子は、
目立ちたくないようでいて、目立ちたいらしい。
赤い唇の絵のついたマスクをしてきてみたり、
ショッキングピンクのマスクをしてきてみたり・・・・
前髪を伸ばして、顔が見えないようにしているが、
いつもドテッと転んで、女子の笑いを取っている。
前髪の下に隠れた、大きな二重瞼のつぶらな瞳。
つけまつげもいらないくらいの大きな目なのに、
もったいない。
彼女も高校を過ぎれば、顔を上に向けて
自信を持って、道を歩くことだろう。
マスクもいらなくなるだろう。
でも、今は、もどかしい思春期。
11・15
昨日の解散についての報道で、
学年の子どもたちの話題はもちきりだった。
政治の単元がちょうど終わったところ、
三権分立の図を書いたところだったので、
グッドタイミング。
とても盛り上がった話題だったので、ひとこと。
男子たちが騒いでいる。
「先生、今度の総理大臣誰ですか?」
「ニュースでは、阿部総裁がなりそうだって言ってるよ」
「え〜〜〜〜!!!」
「なんで?」
「病気でいっぺんやめたのに、何で、また出てくるんですか?」
「やだなあ、おれ」
「やってほしくないよ」
ついに、調子にのって、子どもたちが言い出す。
「先生、立候補してくださいよ」
「そうですよ、おれら、一票入れますから」
私「結構です。第一、ここで、7票入ったって、当選できません」
活発に私に話を向ける男子だけでなく、女子もいろいろ噂していた。
やっぱり、一度やめたのを、
中学生でも覚えているんだなあ、と思う。
それにしても、他の政治家の名前が上がらないほど、
政治不信は、中学生にも根強いのだと思う。
それともう一つ、実はこの会話、私には、また驚きだった。
立候補してくださいよ!、俺らが一票入れますよ!
そう言ったのは、
先日私にストレス発散をしかけた男子たち。
人のことを上げたり下げたり、忙しい。
まあ、私のクラスのいいところは、
言論の自由が保障されているところです。
11・13
韓国の刑務所の博物館に行ったことがありますか?
ソウル郊外のその場所は、戦前からの刑務所が、
建て直しのために博物館になった物だった。
戦前からということは、日本が建てた頑丈なレンガ造り。
建物自体は、とても立派で、
戦後もずっと、軍政時代も使われていたらしい。
植民地時代の拷問の再現や、
3・1独立運動の柳寛順(ユ・グァンスン)さん17歳が、
閉じ込められた小さな部屋の模型もある。
その、忘れられない一角に処刑場があった。
絞首刑の小屋である。
古い日本の処刑場(写真で見た日本の物)とほとんど同じ。
今でも、綱がぶら下がっているが、さすがに当時のものではない。
でも、処刑される人の真正面に、
立ち会う人々が座る長椅子が、三列ほど並び、
床の板が観音開きに開く下には、コンクリートの地下室がある。
綱の横の階段を下りると、地下室に降りられる。
地下室から裏口が刑務所の出口に通じ、遺体を隠して持ち去ったらしい。
その恐ろしさと、植民地時代に処刑されて人々と、
軍政時代に処刑された人々と・・・・・
その人たちのことを思い、今自分が立っている場が、
処刑場として使われたのだということを思うと、
鳥肌が立つような怖さで、
早々に立ち去った。いっしょに行った高校生の娘も、
嫌だと言って、走り抜けた。
やっぱり、人間が人間を、処刑するのはおかしい。
こんな残酷な場面を見たら、その事実を直視したら、できないだろう。
誰かに処刑してもらって、その事実を見ずに、隠されているから、
知らずに処刑に賛成できるのだと私は思う。
終身刑を取り入れればいいのだ。
罪を犯した者を、食べさせて国が養うのはお金の無駄だと言う人がいるが、
お金の話なのだろうか?
人の命を奪うことに賛成することは、
人が持っている他の動物との違い、理性を否定することのように思う。
私ができるかどうかわからないが、
憎しみでは人生は送れないような気がする。
むずかしいけれど、赦しがなければ、私なら、無理だろうと感じる。
そういう感性が、話は飛ぶが、一番、橋本市長に違和感を感じる。
憎しみと怒り、金銭と、敵対心、競争心では、人生はさんざんになる?
だいたい、学校では包容力と優しさと希望がなければ、やっていけません。
11・12
授業と全く関係ないようでいて、
私にとっては関係ある話を。
高校生の娘に、お弁当を作っている。
最近、お弁当箱を変えた。
プラスチックから曲げわっぱへ。
新潟の有機農法に村ぐるみで取り組む石塚さんから
手がかかった新米をいただく。
でも、家でご飯を炊いても、「最高!」とは言いにくい味。
あれだけ、手がかかる米作り。
田んぼにはトンボが飛び、クモが住む環境。
笹神に田植えにも、草取りにも、生き物調査にも、稲刈りにも行った。
そのお米をいただいたのに、最高の味で食べられないのが残念で、
おひつと曲げわっぱを購入した。
石塚さんの農業は、子どもたちと1年生の地理で、勉強した。
グローバル化の大規模農業の対極にあるものとして。
子どもたちとお米も食べた。
おひつと曲げわっぱに、毎日驚いている。
特に、曲げわっぱは、お湯で洗えば、
炒めたおかずの油も、さっと取れてしまう。
まるで防水加工がしてあるようだ。
それでいて、逆に、
お米も湯気がこもらず、べちゃべちゃしない。
華奢なように思えても、しっかりした作りだ。
それに美しい。
日本三大杉・秋田杉の木目の美しさに見とれる。
確かに高価だが、割りばしぐらいの重さしかない。軽い。
見事な日本の伝統の知恵に、びっくりしている。
ここに、日本の人々の技術の歴史が入っているように思える。
江戸のころの人々は、大したものを作ったなあと。
11・11
このところ、最近の冤罪資料を読み漁っている、
昨日は、一日中録画してあった
何本もの冤罪や死刑制度の番組を、見て終わる。
そのテーマの重さに身がすくむ。
でも、よくよく考えれば考えるほど、
子どもたちは、未来、裁判員として、向き合う可能性がある。
若い時に青地晨さんというジャーナリストの冤罪の本を読み、
それ以来、冤罪の可能性から死刑制度に反対になった。
いつ冤罪に私が巻き込まれるかもしれない・・・
それに、無実の人が死刑になることを考えると
その恐ろしさで、震えが来そうなほどだ。
死刑制度の番組や漫画「モリのアサガオ」を見ると、
人生の中で、これほど粛然となる気持ちはない。
NHKは、すごい番組をいくつも作っている。
その迫力に、圧倒され、打ちのめされる。
現在TVでよく事件についてひとこと述べている元検事・土本さんが、
初めて死刑を求刑した死刑囚との44年間。
執行後も考え続けているひとことひとこと。
これだけ、相手の人生について、考え続け、
人を裁くことの意味を問いかけて・・・
また、冤罪で、死刑を宣告され、
その後、生還した免田さんの日常生活やその思いを語る番組も、
本当に、人の一生を考えさせられた。
これをそのまま、子どもたちに問うことはできないけれど、
人を裁くことの重さを伝えたい。
11・10
子どもたちの質問で、わからなかったことがあった。
私も自信が無い。
殺人未遂罪で問われ、殺意が無いと認められたら、
殺人未遂罪では無罪となるが、
その時は傷害罪に代わるということはあるのだろうか?
それとも、無罪ということになるのだろうか?
人を刺しておいて、完全無罪はないと思うが、
求刑とは違う刑罰になるのだろうか?
DVDでは、殺意を認め、有罪となっていた。
疑問です。もしわかるかたは教えてください。
調べてみます。
11・10
昨日の授業は、裁判員制度。
使うのは裁判所が作ったPR・DVD。
ドラマ仕立てになっていてわかりやすい。
裁判長は中村雅俊、裁判員にも加藤夏希など、
子どもたちになじみがある俳優が扮している。
ただ、裁判員制度の意義をPRするDVDなので、多少子どもたちは飽きてしまう。
そこで、50分のDVDを三回に分けて、見ることにする。
1回目は、事件の再現VTRまで。
事件は、バーで飲んでいたAとBのトラブル、
Aが馬乗りになってBを殴る。
Bは、腹いせに、自宅から持ち出した包丁でAをさしてしまう。
ここで、裁判員制度について説明し、それをノートに書く。
2回目は裁判員たちの評議1日目。
しかし、ドラマでは、1日目は裁判員たちの戸惑いと、
不安とを訴えることで終わってしまう。
ここで、また一旦止めて、この事件の争点や評議する内容を板書。
争点は、殺人未遂罪を求刑しているので、
殺意があったかどうかで、有罪・無罪を決める。
有罪の場合は、その刑も決めなければならない。
前回(3年前)は、このDVDをただ見るだけだったが、
こうして、自分たちで、有罪無罪をいっしょに考え、
刑も決めるとなると、本気度が違う。
子どもたちの様子を見ていて、ああ、裁判員制度というのは、こうして
裁判への国民の関心を高めたいのだとわかる。
子どもたちから疑問が噴出する。
執行猶予って何?
それよりもまず、馬乗りになって殴ったAは、傷害罪で訴えられないの?・・・
子どもたちには、まず最初に暴力をふるったAが気になってしょうがない。
「きっとBは、ぼこぼこにされてるからけがしてるんじゃない?」
「最初に暴力ふるったのに、何にも言われないの?」
子どもたちには、学校のけんか両成敗と違うんだよと話す。
そこが不思議でたまらない。さかんに、なぜなんだ、Aはずるい・・・
犯罪を、処罰するための裁判と説明する。
子どもたちの生き生きした顔が、とても印象的だった。
けんかは学校でも起こるから、正義感と、裁判との違いで論争になるのだ。
11・8
三者面談もあと一日。
受験生と言えども、中学生は楽観的で、
100点、志望校に足りなくても、
「がんばる」という子も多い。
やはり時代が違う。
貧しい時代は、どうしても、がんばらないといけなかった。
ところが、今、満ち足りた時代は、勉強の他にやることがいくらでもある。
そして、受験なんて!!(私の大学時代は受験戦争で自殺する高校生までいた)
と、思いながら、私は教師になったのに、
勉強頑張らなくちゃ・・・と子どもたちを、追い込む。
この矛盾たるや、ひどいものだと思うが、
やっぱり高校に行きたいという子どもたちには、受かってほしい。
一番心配なのは、すべり止めの私立を受けない子どもたち。
不景気になり、公立高校の授業料が無料になって、
公立高校の受験難度が高くなった。
公立高校しか受けない子どもたちにとっては、厳しい。
それでも、塾にも行かず、会場模擬テストも受けず、
すべり止めの私立高校を受けない、
公立高校一本の子どもたちこそ、のんびりしている。
英語や数学の点数が10点台でも20点台でも、
ひとこと「これからがんばる」
ひとりで、塾にも行かずに5〜6時間勉強する子は、ほとんどいない。
でも、周りが勉強するようになると、
少し焦りが出てきて、勉強するようになります。
だから、クラスが勉強しだすように、ほめたり、ちょっぴりおどかしたり・・・・
それでも、公立高校に行ってほしいという家庭の急増には、
ニュースでよく言う 子どもたちの生活の中に、
経済格差の問題が忍び寄っているのを感じる。
本当に大変なのは、ひとり親の家庭です。
親御さんの苦労を思うと、私も涙したくなる。
11・8
国会や内閣の授業は、現実の政治が魅力に乏しくて、
内容を膨らませにくいが、
裁判所については、興味深い内容がありすぎるくらいだ。
冤罪、死刑制度、・・・・。
毎日、過去にとった番組を見直して
どの内容にしようか迷う。
冤罪についてだけでも、相当な量になる。
すっかり私たちは忘れてしまうけれど、
さまざまな冤罪事件があったのを思い出す。
二人が疑われた布川事件、足利事件
松本サリン事件、痴漢として疑われた富山氷見事件、
警察官ネコババ事件、
十人以上が拘束された選挙に関する鹿児島の志布志事件
そして、ごく最近でも
厚生省村木さん、そして、マイナリさんの東電OL殺人事件、
パソコンで犯罪予告の成りすまし事件、
跡を絶たない。
学生の時に、そのころ冤罪事件の本が出版されて、
強烈な印象を残していた。
冤罪事件がとても人ごとは思えず、
巻き込まれた人々の人生の重さに、圧倒された。
子どもたちも、やはり、無実を訴えて、
何十年も闘いつづけた、その人々の闘志に驚く。
必ず賠償金は出たのか、いくらなのかを真っ先に聞く。
それでもかけがえのない失われた人生を、彼らも想像する。
あってはならないこと・・・・それを実感する授業は重いが心に響く。
11・6
文字の方が直りました。ホッとしました。
金曜日に席替えをした。
みなさんは、どんな席替えをしていますか?
私もいろいろな席替えを、何年も試してみました。
リーダーを選び、そのメンバーに班を編成してもらう、とか
単なるくじ引き、とか・・好きなもの同士、とか・・・・
若いころから、いろいろ試してみたが、
最近は、もっぱらくじ引き。
それでも、仲良し同士が前後になって、
授業が成立しなくなるほど騒がしくなる時には、
強権発動で「私が決める」という時もある。
これが、案外、先生が決めて・・・・・となって、文句が出ない。
3年前の3年生は、もう、月が替われば、女の子たちが、
自分たちでくじを作り、自分たちで席を決めて(決してズルをしなかった)
くじ引きの席替えを楽しんでいた。
月ごとに席替えは必ずやるというのが、私流席替え民主主義。
席替えは子どもたちにとって、一大行事だからです。
ところが、今年の子たちはむずかしい。
もう、すっかり合唱祭以降、クラスみな仲良しになったかと安心していたら、
・・・・・・・・・・やっぱり一筋縄ではいかなかった。
くじ引きをしてみたら、みんなが、そっと私に耳打ちに来る。
先生、あの子とあの子はけんかしてるから、あの席は危険なんだよ。
無理無理!! 変えないとだめだよ。・・・それが、いくつも・・・
9月も10月もそういう状態だったので、くじ引きのあと、
あまりおおっぴらにはせず、気づかれないように、
私の方で操作していた。
それがクラス平和への気遣いで、暗黙の了解だった。
もうしなくていいかと思ったら、前回よりも多い危険地帯発生。
もう”おはじき”(女の子の遊びのおはじきです)状態。
おはじきは、あっちにぶつかったと思ったら、こっちにぶつかり・・・・
あの子をこっちに移動したら、そっちはよくなったけれど、
今度は移動してもらったこっちの子が、隣の子と仲が悪いからそれはダメで・・・
もう手に負えません。・・・どうしたらいいのかわからなくなっていたら、
自分たちで調整していました。
以前の子どもたちよりも、今の子どもたちの方が、
話題の共通性とか、興味の持っているものの共通性が、
狭い感じがします。
来月の席替えはどうしましょう。悩みの種です。
11・4
授業は、政治つまり、
民主主義、選挙、国会、内閣を終えたところ。
何十年やっても、この政治のところの授業は、
覚えるだけでおもしろくない。
三年前、民主党が政権を握る前の選挙だった。
マニフェストが出て、子ども手当も論議になり、
この年の一瞬だけ、これから政治の授業は面白くなるかと
期待した。私も授業のしがいがあった・・・・・・・
この後は、みなさんご存知の通り。
模擬選挙も入れてはみるが、具体的な政党名は出すのはタブーだし、
出したとしても、子どもたちでさえ、どの党にも入れる気がしないと言う。
選挙権は、民主主義の神聖なる
最も重要な権利のはずなのに・・・。
これからは裁判の授業。
こちらの方はやりがいがあるので、闘志満々です。
なぜって、冤罪事件が、こんなに続くと
例に挙げるたびに、子どもたちが知っていると言ってくれるから。
冤罪事件には、人の人生がかかっている。
子どもたちに訴えるものがあります。
死刑制度についても、私は反対。
だから、子どもたちと討論になります。
でも、冤罪の多さ、それって、実は嘆かわしいことなんですね。
11・3
もう11月。
快晴です。気持ちがいい。
毎日、朝日が出て直ぐに出勤し、暗くなって帰るので、
こんなに青空をしみじみ眺め、
冷たい空気を深呼吸して感じるのは休みの日ぐらい。
来週から三者面談が始まる。
三年生にとっては、本格的な受験への第一歩。
若い先生に向けて、面談の想定問答集を作成。
何が何だかわからない初めての進路面談だろう。
私も若いころは、お母さんたちにとってみると
頼りない担任だったろうなあと思う。
でも、最近は、偏差値などで
学校が判定することはなくなった。
すべり止めをいっしょに考え、あとは励ますのが仕事。
首都圏の学校だが私立を第一志望にする子は減った。
バブルの時代は三分の二が私立だったのに、
公立の授業料が無償になって
私立のすべり止めを受ける子もどんどん減っている。
公立だけを受ける子の合格発表は、私も祈るような気持ちになる。
クラスが一丸となって、みんなで励ましあえるようになってほしい。
October
10・31
もう一つ、違う話題を。
仕事と趣味の両立?で、ドラマをよく見ます。
韓国歴史ドラマの、特に百済や高句麗・新羅のドラマは、
目からうろこで、古代史の授業に大いに役立った。
ドラマの中に、聖徳太子、七支刀、勾玉、鉄剣、が出てくる。
日本の古墳から発掘された王冠を、百済の王がかぶっている。
ドラマの、伽耶の豪族の埋葬では、若い奴婢が殉死をする様子を描くが、
魏志倭人伝には、卑弥呼の葬儀で100人が殉死したと書いてあるし、
日本書紀には、生き埋めされた殉死の奴婢たちの泣き声がうるさくて、
聞くにたえないから、天皇が殉死を禁じたとある。
日本の古代と朝鮮が、密接に結びついていることが、よくわかる。
ドラマの中で、古代史が復元されているようで、とてもおもしろかった。
NHKの海外ドラマで、「グリー」もやっている。
これは、アメリカの高校生の青春ドラマで、音楽が楽しい。
若いころに見た、アメリカの青春ドラマ「フェーム」は、
人種差別や、アイデンティティ探しや、親子の葛藤を描いていたが、
今のアメリカの高校生活では、いじめ、暴力、ゲイ、妊娠出産、
これが当たり前に出てくる。
だから、高校の教師が、辞職したいという同僚を励ます。
「高校っていうのは、残酷な場所だ。
これだけ人間関係で傷つくところは、他には無い。
なのにバカな僕らは、高校に戻って、生徒と同じ痛みをまた体験してる。・・・だろ?」
格差が広がるアメリカの痛みが、学校を襲うが、教師はドラマの中でも孤軍奮闘!
この教師のセリフに、やたら共感する。
嘆きながらも、がんばってるな、アメリカの先生。
10・31
男の子たち、
今日の授業で意外な発言に戸惑う。とても明るい。
選挙の単元。
大選挙区の説明の時に、昔の話をする。
私が子どものころ、タレント議員が大流行だった。
「例えば、私が政治家になりたいとするでしょ。
でも、大選挙区だと、全然知名度が無い。
小選挙区なら、もしかすると、地元で当選するか〜〜〜〜〜もしれない?・・・が、
でも、全国区では無理だよね。今でなら、ビートたけしとか、タモリとか
そういうタレント議員が当選した。
だって、テレビでみんなが知ってる人だもの。私は当選できないでしょ?」
そこで、子どもたちの合いの手
「いや、全国区でも、当選するかもしれませんよ。先生!!」
「そうかも」「だいじょうぶだよ、当選かもね」
私は????
数日前の冷たい空気はどこへ行ったのか?…ノリノリで授業の合いの手を楽しんでいた。
とても不思議? 頭をひねっている。
10・30
人権の授業は、私は好きだ。
私自身の高校の授業で、資料集の違憲裁判の事例を、おもしろく読み漁った思い出がある。
基本的人権や自由の話をすると、すぐに、子どもたちは
「先生、それは憲法の平等権に違反するよ!」とか
「ぼくの作文を読むのはプライバシーの権利に違反するからやめて!」、とか
「思想の自由だ!!」と叫んだり、・・・”生意気”に使うから、楽しい。
特にみんなのお気に入りは、平等権。
中学校の公民の教科書の一番後ろには、
日本国憲法全文が載っている。
教員になる時に「公務員は日本国憲法を守る」という誓約書を出した。
だから、とても丁寧に条文を読みながら教える。
特に一番大事にしているのは第3章、基本的人権の尊重。
何しろ、教員になって、十年以上授業をしてから、初めて気づいたが、
10条から40条まで、つまり憲法103個の条文のうち30個の条文=三分の一が、
権利について書かれている。
だから、人権ごとに種類別に分けて、例を出しながら、解説する。
人権の後半の授業は、新聞記事から、
これは何の権利の侵害かを、考える応用問題。
今年は「パキスタンの15歳の少女・マララさん」の記事や
「アフガニスタンの石打刑」の記事などを読む。
「学校に通いたいマララさん」が銃撃された事件は、象徴的だった。
これは、何の権利を侵害されている?
「社会権!」
おしい!
「教育を受ける権利」
その通りです・・・というやり取り。
憲法の人権は、今の私たちには当たり前だが、
世界すべてに認められている・・・と言えない状況を知るのは、とても大切だと思う。
この事件は、子どもたちに押し付けがましく言わなくても、
学校に行って勉強したい子どもたちがいるんだよと、痛切に共感させた。
何しろ、「おないどし」の女の子が、ツィッターで世界につぶやいていたのだから。
10・29
株の授業の感想を、今日はご紹介したい。
以前の学習指導要領では、株は教えてはいけないことになっていた。
「あまり、子細な事象に深入りすることなく教えよ!」
ところが、今は証券取引所、銀行の後押しで、
株取引のゲームを授業でやるサポートに、お金が用意されている。
配当金を調べると、そのトップに銀行やら昔のサラ金の名前が出てくる。
今から中学生に、株を体験させておけば、将来株主になったり、
金融商品を購入してもらえるという下心が見え見えだ。
だから、私の授業は、
「アラブの石油王の娘と息子だから、いくら投資してもいいよ」と言う。
何億株も買って、もうけるつもりが、大損になって、
人生つぶれてしまうような、お金の動きを知るのも、大切な勉強。
「株というのは、今まで無関係だと思っていたけれど、
銀行の利子や新製品の開発などにかかわっていることを知って、
株は身近なものなんだなと感じました。
また、株は景気の動きにも関係しているから、
その動きを見ることも必要なのかもしれないと感じました。」女の子の感想。
「お金が循環しているところに驚きました。
銀行に預けたお金が株を買うために使われるのは、いやですね!
得したことが無かったので、とても残念ですね!
配当金は使える。まとめますと、株は買わないほうがよろしい」男の子の感想。
「利子が何で出てくるのかがわかった。
また、株のしくみがわかった。
経済は会社、銀行などの結びつきで決まっているんだなと思った。
株は時期や経済の状況を見て、買ったりしないと大損することがわかった」女の子・・・です。
10・28
子どもたちのことを書いていると、あっという間に一か月が過ぎていく。
合唱祭についての作文、一人の女の子。
「合唱祭本番に向けて、今回は文化祭の時とは違い、
何一つ不安はありませんでした。
文化祭が終わってから、だんだん…というか、
急にクラスの雰囲気が良くなっているのを感じました。
歌の練習の前では、しゃべっていたり、動いたりしていたのですが、
N君が指揮を構えたとたん、すぐに静まり返り、皆の顔と空気が、
とても真剣なものへと変わりました。
私は、その真剣さが、とてもうれしく、
伴奏の時も、早く歌いたいとうずうずしていました。
・・・この後、他クラスがうまくなっていくので、
不安が募ったことが書かれていて・・・・・(途中省略)
それでも、私は、私のいるこのクラスに、絶対的な自信があったので、
わずかな緊張はありながらも、肩の力を抜いて舞台に立つことができました。
でも、本番で肩の力が抜けた理由はそれだけではなくて、
N君のおかげでもありました。
N君は、舞台に上がって手を振り上げた時、
わずかに手が震えているのを見ました。
私はそれを見て、とてつもない心臓が飛び出るほどの緊張と同時に
とてつもない真剣さを感じました。
私も、その真剣さに答えようと一生懸命歌いました。
金賞をとれたのは、偶然でもなんでもなく、
まちがいなく私たちの努力の結果です。
みんなの心が一つになったことが、私は何よりもうれしいです」
読んでいて、涙が出そうになりました。
彼女もいろいろありましたが、2年生から努力して、
このクラスになじんできた一人です。
こんなに社会性と相手への気持ちを素直に表せるなんて・・・・
こんなに感激することはありません。
10・26
合唱祭は、クラス金賞。
私としては学年合唱で、学校全体にアピールできるかどうか、の方が、
関心があって、・・・・・それは大成功。
よく歌い、声が体育館に響き渡り、みんな、顔が輝いていた。
それにしても、学校というところは
ドラマが、そこらじゅうにある。
今回も、胸が揺さぶられる経験をした。
クラス合唱、確かに、うまいとは思っていたが、
金賞をとれるかどうか? 他のクラスも死にもの狂いだったから
とても安心できないし、確証は持てなかった。
当日の本番が終わった後でも、私自身はそうだった。
それに、あまりクラスの勝ち負けに、燃えすぎないようにしている。
ベテランが勝つより、ほんとは若い先生のクラスを勝たせてあげたい。
でも、クラスのメンバーには努力の結果だから、結果がぜひ出てほしい。
ちょっと熱心で、ちょっと醒めている・・・そんな風に、装っている。
結果は、クラス、金賞。
絶対勝てる確信がなかったので、担任としては、素直にうれしかったが、
その後に驚きがやってきた。
作文やら、感想を聞いたりすると、
まず、指揮者の男子が、最初のアカペラの指揮の、手を上から下におろした瞬間、
みんなの声が出て、「これで、金賞だ!」と思ったそうだ。
他のみんなも、三分の一ぐらいのメンバーが、
最初だったり、サビの部分だったり、最後の部分だったり、
・・・歌っている途中のどこかで、金賞を確信したらしい!
この自信はいったいどこから来るのか?
もしかしたら、指揮者の彼がもたらしたものか、
・・・・・すごいと思った。その自信に驚く!
ほんとに、中学生ってすごいですね。
10・25
明日は合唱祭。
文化祭ほどではなかったが、最初のころはやはりトラブルがあった。
でも、乗り越えて、クラスの歌は、とてもうまくなった。
クラスの指揮者の男の子が、リーダーになっている。
私は彼に、とても、とても、感心している。
クラスを優勝させたいらしくて、
命を懸けている・・・と言っていいくらい、一生懸命。
そして、ほめ方がうまい。
彼の熱意には、みんなも協力しなければ、という気にさせている。
「女子がうまいんだよね。だから、男子もがんばろう。」
「おれの指揮がちょっとまちがったから、失敗しちゃったから、わるい。もう一回やろう」
歌詞を書いた紙に、色マジックで、だんだん強くとか、ハーモニーに気を付けてとか、
一目でわかるように、彼が書き込んだ。
この二週間、クラスを”ほめて育ててきた”のは彼だ!!!
私も見習わなくちゃならないくらい、優しくてほめ上手、その気にさせていた。
音が取れてないからもう少し、うん、・・・でもうまくなった
もう少し出るといいな・・・・
全員を文句なく、「あれだけ彼が一生懸命やるんだから、私たちもやらなきゃ」
という気持ちにさせた。結果はどうであっても、大きくクラスが前進した。
10・24
今日はいい話。
一週間前に書いた、合唱プロジェクトの男の子が、
私の顔を見るたび、今日は歌の練習しないのかと聞くので、
今日放課後有志に、集まってもらって合唱練習に、つきあってもらった!?
そうしたら、その男子の、うれしそうに笑顔で、歌うこと歌うこと・・・・
みんな、やる気の男女ばかりなので、
声もいいし、歌っている顔もいいし、響きもいいし・・・
ちょっとほれぼれして、
「合唱団を作りたいぐらい、うまい!!」とほめた。
じゃあねと言って、帰りかけたら、
彼に呼び止められる。
「先生、合唱団つくるんですか?」満面の笑みで、真顔である。
驚きと、大笑い・・・・知りませんでした。そんなに歌が好きだったとは。
もう一つ。
ぞうきん事件のその後、
今日の授業で、その本人は、
目が悪いから、字が見えないと言って、
机を教卓のすぐ前に置き、私の目の前50cmで
かぶりつきで授業を受ける。
子どもたちが、その場所は集中治療室だと冗談を言っている。
そして、授業中の雑談。
「先生、いやにぞうきん事件後、優しくなったんじゃない?」
ちょっとしゃくだから
「集中治療室にいるあなたに言われたくないよね」・・・・
男子が爆笑していた。
それにしても、同じキレていた男子とは思えない。笑顔ならばいいです。
10・23
確かに昨日、がっくり来たが、
自分の適応能力にびっくりした。仕事で身についた技(考え方)だと思う。
朝起きると、気分は違った。
ちゃんと殊勝な気持ちになって、
ぞうきんをぶつけたイライラは、
きっと、彼のイライラの表れで、最近私が、教室にいる時間が少ないせい、
さっさと職員室に戻って仕事をしようとして、
子どもたちの話を聞いてあげてないため、
様子を観察していない為だなあと、自己反省している。
前は「先生、人間観察してるでしょ?」
と言われるくらい、子どもたちのようすを、顔を、飽きもせず眺めていたが、
最近そういう時間が少ない。
そんな私が、ほめられ好きな現代っ子たちの欲求を、
最近満足させてあげなかったかな?
進路でイライラしている彼らの悩みも、聞く余裕がなかったかなと思う。
朝、「昼休みは教室になるべくいるから、相談してもいいよ」と言うと、
早速、ああでもないこうでもないと、高校の話をし始める。
中学校に職場を変えて20年。”引きずらない”、”気分を変える”、・・・これが大事!
子どもたちの批判は、私の糧とする・・・・そういう習慣ができている。
確かに、今まで批判があったからこそ、常に新しい自分になれている気がする。
10・22
今日も事件発生。
やるせないなあ。
ぞうきん事件です。
ぞうきんをぶつけられた。
気持ちのいきちがいから他愛のないことで、
男の子からぶつけられた。
昔なら我慢して、誰にも言わず落ち込んでいたが、
クラスが荒れるきっかけになるから、
また怒鳴った。あってはいけないこと、と・・・。
その後、放課後、話をするうちに、彼も次第に気持ちが収まってきたらしい。
それはそれでよかったのだが、最後につぶやいた言葉。
他のクラスメートと話している。
「最近、男女仲良くていい雰囲気になったよね」
「うん、前まではひどかったけどね」
そして最後に「担任変わるともっとよくなると思うんだよね」
私・・・・・絶句!!!
むくわれない愛!!!、ここまでなったのは誰のおかげでしょうか?
ここまで来ると、笑うしかありませんね。
10・21
実は、冬休みのインド旅行を計画中。
長年の夢。
ガンジーのゆかりの地を訪ねること。
世界遺産のダージリン鉄道に乗ること。
ダージリン鉄道は、茶畑のプランテーションの中を走る
紅茶運搬のための小型蒸気機関車。・・・
それに、もう一つ私を引き付けたのは、
社会科でBRICSと呼ばれる新興国の一つだという経済成長と、
小説「ぼくと1ルピーの神様」だった。
この小説はとても残酷だけれど、とても希望に満ちている。
これがインドの現実だと思った。
それを多少脚色した映画「スラムドッグ$ミリオネア」もあるが、
文句なく小説の方がいいと思う。
でも、どちらか小説か映画かをぜひ、ご覧ください。
NHKの世界のドキュメンタリーで、
現在の綿花栽培と綿織物工業、
ダージリンなどの茶畑の栽培と労働、その現実を知ると、
ちょっと心が、なえる。でも、ガンジーに学びたい。
非暴力不服従の運動の始まりだから。
10・20
いろいろ考えてみました。
笑顔の教室日記、スマイル日記、スマイルの教室、・・・
激動の日々、毎日がドラマ、ドラマチック授業、ジョイフル授業・・・?
喜怒哀楽教室、楽しい教室、授業と子ども、
好奇心教室、・・・英語にしたり、
ワンダフル授業・・・・・・駄作がぞろぞろ
それに、検索してみると、いろいろ必ず出てきます。
一番最後まで残ったのが、
「笑顔の教室を変えない」・・・でも、なんだか自分の授業を
「笑顔がたくさんある教室だ」と宣伝しているブログが多い。
「授業は最高!」・・・・・若い時の私の気分、今でも同じ気分ですが、
教師だけ最高?と聞かれるかな?
「授業は私の宝物」・・・ちょっと謙虚に。一番今の私に合っている、しかし長い。
「アイ love 授業」・・・・田崎さんが付けた白井本の題ですが、いいですね。
田崎さんも、白井さんも、「アイ love 授業」でしたし・・・・・そして
私もこの「授業」に魅かれて教師になりました。
で、決定です。(少し表記を変えました)
初心は、自己顕示欲ではなく、てなぐさみでもなく、暇つぶしでなく、
今の中学校を知ってもらうこと、若い教師に勇気を持ってもらうこと、
そのために、だらしない私、できない私も出して、でも楽しく読んでもらうこと。
10・18
このページは「笑顔の教室」としてきたが、
ちょっと不覚なことに、すでに、そういう名前の
活動?があるらしい。
なので、名前を変えようと思っています。
息を長く書いていこうと思っているので、
なじみやすくわかりやすく・・・と思っていたのが、重なった原因でした。
今度の土日に熟考して、変えますが、今後もお見知りおきを。
10・18
今日の研究授業が終わった。
やはり、それなりに緊張したが、
同僚からは「マジックだ」
委員会の指導主事は「これこそプロの授業」と
おほめの言葉をもらう。・・・してやったり!
自分でも会心の出来。
何が自分で驚くと言って、
授業をしながら、自由自在に授業の構成を変え、
予定外に、
最後に資本主義経済のしくみに、たどり着いてしまったこと。
50分終わってみれば、ぴしゃりとちゃんと結論にまとまってしまった。
子どもたちの発言を全部取り入れ、
株の投機性をおさえ、・・・
企業と銀行が配当金で結びついていることを図で説明し、・・・ここまでは予定通り。
(子どもたちは株の売買で、たくさん株を買えば、
大儲けもするし、大損もすることがわかる。
株の売買ではなく配当金で儲けるのは、これも大株主であることがわかると、・・・
会社四季報を見て、大株主が銀行であることを知る。
資本を出すのが銀行、企業は利潤の一部を配当金で毎年何千万、何億と銀行に払う。
銀行の株の購入の資金は、みんなの預金から。
こうやってお金が循環していることを説明)
その後、企業と銀行の強い結びつきから
この結びつきは?・・・・「財閥」・・・私「その通り」
戦前はこの強い結びつきが、もうけを求めて、財閥が戦争の原因を作ったと説明。
戦後の財閥解体は、二度と戦争の原因を作らないためであり、
アメリカの軍産複合体が戦争を好むから、アメリカが今も戦争を続けることを話し、
最後に、景気が良くなれば、企業が利潤を出し、配当金も増えて、みんなの利子も上がる。
景気の悪い時は、逆。
それだけじゃなくて、景気の良い時は、お父さんとお母さんの給料が上がり、みんなの貯金も増える。
そうすると、銀行は資金が増え、株の投資をさらにし、企業も新商品の開発ができる。
こうやって、ぐるぐる、お金が循環し、利益が社会を支えているのが、資本主義経済!
というわけです。
今度、授業のページに紹介します。
子どもたちは、儲ける、損、に一喜一憂しながらも
夢中で勉強していた。・・・・・万歳です。
10・17
明日は研究授業。株の授業をします。
来週は合唱コンクールで、
今週の初めから合唱の練習が毎日放課後続いている。
三年生だから、そろそろ進路の面談やら、成績の資料作りやら
仕事が何重にも重なる。
いい話を一つ。
学年合唱で今井美樹のpice of wishという曲を歌う。
予餞会・卒業式の歌まで、つなげたくて
学年合唱の隊形やパート練習のリーダーが欲しくて
有志を募った。名前は合唱プロジェクト。学年で25名ぐらい集まった。
「内申書上がる?」と聞いてくる子が多いので、やる気があるのか?
と疑問に思っていたら、学年の練習のあと、
ひとりの男子が近づいてきて、「先生、プロジェクトは、歌練習しないの?」
「え〜??」「歌うたわないの?じゃ、つまんないからやめようかな」
彼は、”歌を歌いたくて、歌いたくて仕方がない”らしい。
いつも引っ込み思案で、ちょっと皮肉交じりの冗談が好きなのに・・・
あまりの意外性に、音楽専科の担任の先生と、うれしさと大笑いで一日が終わった。
10・16
こんなに間が空いてしまっていたとは気が付きませんでした。
テストと採点は、重労働。
社会科は問題数が多いので、1枚のテストで今回は90問以上。
つまり90個ぐらい丸付けするわけです。それ×180枚。
テストで、驚いたことがあった。
9条にからんで、「世界で核兵器を持っている国を5個書きなさい。」
そういう問題を出した。授業で軽く触れたので、覚えているかな?と・・・
そうしたら、圧倒的に出てきた国々が、
ロシア、アメリカと同じくらいの数で
北朝鮮、イラン、イラク、ドイツ・・・であった。
私は北朝鮮は核兵器を持っていないと考えていたが、
子どもたちは絶対持っていると言う。
みなさんはどちらだと思いますか?
インターネットで調べると、北朝鮮自身は核兵器を持っている「宣言」をしている。
でも、私は、核兵器を持つことを中国は好まないことと、
本当だろうかと思い続けているため、まだできていないと考えていたのだ。
ネットでも51%の確率で持っている…などと出ている。
う〜〜ん。だから、日本の核武装論が出てきているのだな。
核兵器廃絶というのがいかに大事か。
六ヶ所村のプルトニウムも、すぐに核兵器の材料になるので、査察対象なのだと
再度、日本に対するアメリカの危惧を、認識する。
でも、イラクが持っているというのはショックだった。
イラク戦争の始まりなど、当時6歳、今、中三の子どもたちには
わからないのが当然。
でも、大量破壊兵器の疑惑だと言って、アメリカに空爆され、
今も混乱が続くイラクへの心の痛み、
それは、伝えたいと思う。
10・11
今週は中間テスト
社会科の教員として、テストでは一工夫している。
今の学校ではないが、20年前、勉強が苦手な子どもたちの多い学校に赴任した。
私も、暗記社会科が苦手で、子どもたちの気持ちがよくわかる。
試験前の授業で、教科書の重要箇所を、いっしょに線を引くのだが、
よく考えて、教科書を読めば読むほど、
歴史教科書こそ、一番難しい教科書だなと思った。
一番困るのが、概念の言葉だらけ、
「権力をにぎった」とか、「政権は」とか、
「勢力争い」とか「農民を支配」とか・・・・
目に見えない、説明しても、わかりにくい言葉が、1ページに数十個ある。
重要箇所と言っても、重要なのが何なのか・・・・これが苦手な子にはわからない。
そこで、それ以来、ずっと、社会科暗記カードを、必ず作っている。
甘やかしだと、暗に思われているようだが、
苦手な子の点数を底上げするのだから、私に全くやましさはありません。
これが、テクニックとしては、大好評、大感謝されます。
社会科が嫌いで苦手な子の、唯一の救いになっている。
おおよそ、一回の試験でB4の画用紙2枚、74個の暗記カードにしている。
むずかしい言葉は入れない。ほんとに基礎事項だけ、
たとえば、鎌倉幕府を開いたのは?・・・・答え:源頼朝 のカードは有り、
平家を滅ぼした頼朝の弟は?・・・・源義経 無しです。
それでも、歴史カードで全部で192枚です。
10・10
授業は進んで、憲法の人権を学んでいる。
平等権で男女平等の条文を読む。
その例として婚姻届を配る。
公民で、婚姻届はとても楽しい。
それだけで、子どもたちは興奮状態になる。
「えっ」と息をのみ「なんで突然?」
私「将来書くかもしれないから、練習して書いてみよう」
その瞬間、わあわあと大騒ぎ、
私「自分の名前を書いたら、相手の名前は誰でもいいよ」
「好きなタレント、俳優、AKBでも、嵐の二宮君でも、デカプリオでも・・・」
この10分くらいのみんなの照れたような笑顔、近くの友達とこそこそ相談したり、
好きな異性の名前をささやき合ってからかいあったり・・・
「みんな、好きな人の名字の下に名前を付けてみたり、
女の子の名前を自分の名字の下につけてみたりしたことあるでしょ・・・・」
婚姻届を書いたらね、役所ではいつでも受け付けてくれるんだよ。
私も夜に市役所に行ったら、守衛さんが、おめでとうございますって言ってくれたの。
ねらいは、夫婦別姓の問題に気付くかどうか、
女性の苗字を変えることの多い婚姻届の問題は
子どもたちには縁遠いようだが、とても楽しそうに授業を終えた。
10・8
休みになるとこれまた忙しい。
日ごろの睡眠不足解消。
毎日通勤時間が片道2時間弱はきつい。
朝6時に家を出、帰り着くのはたいてい8時ごろ。
今年は空き時間が毎日1時間しかないので、
ほとんど事務仕事ができない。
教材研究は深夜にわたり、何やかややっていると2時過ぎ。
睡眠時間が、3時間半では、疲れがたまる。
それに、家事。天気のいい日…今日みたいな日は
洗濯も山ほどたまっている物を干し、気持ちがいい。
ほんとはやりたいことが山ほどあるが、
文化祭の衣装の片づけ、小さい庭の草むしりや、借りている畑の手入れ、
夏服の入れ替えや、一週間読んでない新聞の収納・・・数限りない
しかし、ほとんど手がつかぬまま、休みの日の時間は、
たいてい教材のDVDの編集に時間を取られる。
昨日もおとといも、文化祭のビデオのダビング、編集、
被爆者のかたのお話のビデオのダビング、編集で、二日間つぶれた。
でも、これがないと、口授業では子どもたちはついてこないし、
記録もとても大事。
実は、三連休にホームページをまた、新たに大幅更新、とねらっていたが、
やはり、ちょっと無理でした。すみません。また、お待ちください。
10・7
想定内の戦争についての授業、
「どうすれば、(戦争で)人殺しを平気でしてしまうか」という質問に、どう答えたか。
この質問はとても異質かもしれないが、
子どもたちはアウシュビッツの夜と霧の映像を見た後、
「どうしてあんなことができるのか。人間として最低だし、信じられない」
とどの子も書いた。
許せない心情はとてもよくわかるが、戦争を想定内にするには、
そう持っていく仕組みを想像できた方がいい。そこでこの質問である。
子どもたちの解答の例を挙げてみよう。(たった一クラス分でもこれだけ多様に出てくる)
最大の憎しみ、先のことを何も考えない、心がない、怒る、一番身近な人を殺せば非情になれる、
周りがやっていて、自分がやらなければ殺されるとなれば人を殺せる、
薬をやれば、頭がおかしくなる、
人を殺さなければ自分や自分の大切な人とかが殺されてしまうと考えさせる、
人を憎む、恨みがある、復讐など、国のためとか、人生どうでもいいと思っている、
自分が危険な状態になって、極限状態になったら、
気が狂う、洗脳する、こいつら殺していいやつだとけなす、
家族を殺される、日ごろの恨みをぶつける、
赤信号みんなで渡ればこわくない的な・・・、
自分にとって最悪な行為をされたら、
憎しみ、怒りが積もったら、
中国の事を憎むようにあおる、
どうしてもお金や欲しい物がある時に人を殺して物を奪ってしまう
脅されて人殺しをやらされる、学校で人殺しも悪くないと教える
ほうび(金や勲章)をもらえるって言ったら
精神的に病んでる人、目上の人に逆らえない、
相手を同じ人間と思わなくなる
・・・・・・・どれもがよくわかり、真実をついている。
でも、それをどういう風に具体的にやっているのかを
子どもたちは知らない。ここが盲点だろう。
この意見がすべて正しいことを、もう少し後の授業、3学期でも実証しようと思う。
いくつも映像がある。
西部戦線異状なしの学校で先生が、あおり立てる場面。
海兵隊の訓練で、おどし、追い込み、教育する場面。・・・
洗脳については、オウム真理教の取材も恐ろしかった。
どの子も罠にはまらず、平和な未来を築いてほしい。
子どもたちの考えを聞いていると、きっと伝わると信じている。
戦争は嫌だという感情と、どうすれば戦争の道になるのかを理解する知性と
両方あってこそ、戦争を防げる武器になるんではないだろうか。
10・6
文化祭後日談。
月曜日に作文を書いた。
私の知らなかった個人の努力、期待、夢破れたこと、充実感、達成感・・・
いろいろ出ていた。読んで、とてもいいなあと思った。
ひとりだけ、やっぱりこのクラスはダメなんだろうなあと書いていた。
クラス代表で頑張った子だった。
その「がっかりした」という作文は、私には衝撃的だったけれど
みんなにも知ってもらいたいと思った。
学級経営で、私が他の人と、大きく違うところがあると思う。
私は、なるべく、クラスの子どもたちのしたこと、考えていることを
クラスの前で、明らかにしてしまう。
悪いことをした時も、いいことをした時も、
作文も、・・・・
明らかにする時、みんなは「かわいそう」だと言う。
でも、クラスを仲間だと考えるのなら、違うんではないか?
昨日作文を読み始めた時も、不穏な雰囲気が漂っていた。反発かな?
でも、がっかりしたという子の作文に続いて、
「ちょっとしたきっかけがあれば、仲良くなれるかもしれない」とか
「みんなががんばっているのを見て、とてもうれしかった」という作文を読んでいくと
すうっとその雰囲気は、静まっていった。
聞いてみなければ、クラスメートの考えていることなど、絶対わからないものだ。
繰り返し、繰り返し、機会があるごとに言っている。この時も、・・・
「クラスで無理やり仲良くする必要はないけど、仲間を信頼するということは
気持ちのいいものだし、自然に、おはようと言い合ったり、相手を思いやると、
これから向かう受験でも、やる気が違ってくるんだよ。」
「ギスギスして、気を使いすぎているクラスでは、
居心地が悪いし、卒業の時には、だいたい必ず仲良くなっているもんだから大丈夫。」
こういう話を、知らんぷりしてるふりして、
男子も静かに聞いているから、大丈夫だと思う
今月末には合唱コンクールがある。
だから、攻めの一手で行かないとね。
一番担任として恐いのは、行事の時、全員が大失敗と感じると
そのやりきれなさから、誰のせいだという責任の押し付け合いになり、
大泣きしたり、クラスの中が、さらに危険になっていくこと。
だから、これだけ心血を注ぎ、人間関係作りに、時間と手間をかけています。
10・4
勝つための戦争をする準備。必要なものは何か?という質問に、
子どもたちはどう想像するかと思った。
意外に、たくさん意見が出た。
クラス全員発表するくらいの意見がたくさん出た。その一部を紹介します。
スパイ、情報を得る、お金、食料、武器、同盟国、核兵器
シェルター、防弾チョッキ、人を集める、人口を増やす、植物が育たないような薬を蒔く
兵士を増やす、戦闘訓練をして強くする、治療用のたくさんの薬、石油、資源、
レアメタル、新しい技術の開発、毒ガス、原料の取れる国を味方にする
港を閉鎖して来られないようにする、マインドコントロール、
戦争に参加しない人を差別する、絶対に守るからといい人ぶって約束(してだます)
相手の国を憎むように考えを植え付ける、優れた作戦、
陸、海、空軍、国民の理解、愛国主義、好戦的な国民にする、洗脳・・・・
1クラスだけでも、これだけの意見が出る。
みな、よく理解している。
これだけのことがわかっていれば、
どこの国と、戦争して、日本が勝つことができるか?わかるだろう
自衛隊が防衛白書で仮想敵国のレポートを出しているようだが、
冷静に考えるなら、子どもたちでさえ、
日本は、戦争をやって、短期間でも、長期間でも、勝てるはずのないことを
理解できるだろう。
さらに、戦闘では勝てたとしても、撤退をどうするか、
その国と、その後どうかかわっていくか、・・・・
イラク戦争が、皮肉なことに、教訓になっている。
若いころは戦争について、考えることさえ、私自身はアレルギーがあったが、
今は逆に、よく考えておくことで、外交努力しかないことが、
子どもたちにもわかるのではないかと確信している。
明日は、どうすれば人殺しができてしまうか・・・の子どもたちの意見を紹介します。
10・3
授業は平和主義を終えた。
この二・三日は尖閣諸島の報道が収まったが、
先週は、胸の痛む思いが、強烈にしていた。
みなさんはどうニュースを見ていただろう?
戦争にかかわることで、私が一番感動したのは、
撫順戦犯管理所でのことだ。日本兵に真心で接し、
戦争犯罪を自覚できるように、…そして、ゆくゆくは日中友好の懸け橋になってほしい
との理由で、捕虜を扱ったこと。その指示が周恩来首相から出たものであること。
政治とは未来を作る仕事だと思うが、そうして作られた日中友好が
無残にも打ち砕かれていったのが、見て、耐えられなかった。
つくづく、戦争についても、想定外は許されないと思い、
想定内になるような授業を始めた。
今の日本と中国の状況を見て
問題@どうすれば戦争になるか?(簡単に戦争になりうると言って考えてもらう)
問題Aどうすれば戦争にならないか?(私からは、経済的な結びつきを話した)
統計で見ても驚く。日中貿易は世界の4分の1を占め、それぞれ13兆円を売り上げている。
世界が、日本と中国の対立を望んでいない。
問題B戦争は得になるか?これは討論をした。
問題C戦争をする時、負けないためにどんな準備がいるか?
これには、なかなか深謀遠慮のアイディアが出た。(いわゆる戦争の作り方)
問題Dどうすれば戦争では人殺しを平気でしてしまうか。
これも卓見が出た。今度紹介したい。
日本が戦争をすることを考えれば、とても無理なことがわかる。
資源が足りなくなる、人口も高齢化が進み若者が少ない。
誰が、好戦的で、挑発しているのか、国内でも、だれがその旗を振っているのか
見ていかないと平和は作れない・・・その覚悟が必要で、
あおる発言に不安を言うだけでは前に進めないと思った。
10・2
劇について、あともう一言だけ。
一番よかったのは、孤立気味の子が主役をやったために
みんなに支えてもらって、彼は、とても明るくなった。
みんなとよく話すようになった。本当に安心している。
もう一つ。クラスの三分の二の子たちが出演したこと。
浴衣や着物だったり、甚兵衛だったり、を着付けている時の
華やかな笑顔、笑い声、うれしそうな顔、・・・
とても楽しそうだった。
だから、クラスで、明るい雰囲気が持続している。何よりだ。
社会科の授業の方は、日本国憲法の平和主義で、
TBSドラマ「さとうきび畑の唄」を見終わった。
沖縄戦のようす、戦争に巻き込まれ、自決したり、人殺しをしていく過程がよくわかる。
何より、明石家さんまの明るさがいい。家族思いがいい。
なぜ、憲法の平和主義を、戦後、人々が望んだか…理解してもらうためである。
名作だと思う。2003年製作。
10・1
文化祭の作文を読んだ。
みんなが、成功ととらえている。良かった。
他の先生からも、予想以上によかったと聞いた。
(ぐだぐだになりますと断っておいたので)
それには、私の秘策があった。
前日に、場面を三つ削った。
そして、明りを消しての場面転換が10回以上あったのを
消さないで、ずっと通してやることにし、明りを消すのは4回にする。
前日の最後に、台本を大幅に縮小したので、
当日、朝私は家を5時に出て、7時から俳優たちと練習する約束だった。
・・・・・・ところが、
みんな来ているが、様子がおかしい。
主役は、おなかが痛いと言って、トイレに行って帰ってこない。
最初に仁のテーマを楽器で演奏するはずだったのに、
朝になって、やらないと言い張る男子二人。
いいかげんにして!と怒鳴って、練習を始めるも
主役は後ろを向いたまま、つぶやき声で、セリフをずっと言っている。
相手役は、ハイな気分で、走り回って、演技しようとしない。
・・・・・堪忍袋の緒が切れて、私は、練習放棄で、職員室に戻った。
幸先の悪い当日の朝!
つまりみんな、自信が無くなって、挙動不審なのだった。
それが、本番うまくいったのは、やっぱり、テンポの良さ。
場面を減らしたことと、明りを消すのを少なくしたので、筋がわかりやすくなったこと。
それにしても、自分にご苦労様でした。
なぜか・・・それは、劇のあとも、すったもんだだったのです。
記念写真を撮るのに、みんな、並びません。
クラスのメンバーと写りたくない、私は写真が嫌い・・・それぞれぶつぶつ言って・・・
撮ってくれるカメラマンに申し訳なくて、
半分鬼の形相で、私は、「迷惑かけて良いわけ?」と脅さなくてはならなかった。
その割に、写真の笑顔が、みな、かわいい。
ほんとに苦労する商売です。・・・・・
September
9・30
一番避けたかったのは、ぐだぐだの劇を、1時間近くやってしまうこと。
リハーサルとしては2回。1回20分×2回、
体育館を使わせてもらえるのだが、
1回目は三分の一、行かずに終了。
2回目は後半をやろうとして、それでも後半全部ができなかった。
このままで行くと軽く40分は超え、1時間突入も・・・。
毎年のことだが、一番まのびしてしまうのが、
場面転換がやたら多くて時間がかかる、役者の声が聞こえない、
だから、何をやって何を言っているのかわからない
・・・その上、場面が変わるのはいいけれど、その待ち時間が長い。
こうなってしまうと、観客の中学生は、騒ぎ出す。
こういう迷惑だけはかけたくなかった。
しかし、3日前になっても、こうなってしまう要素が大だった。
みんな、私に頼るか、何もしないか・・・
泣きたくなるほど、先の見える私はパニックだった。
居直りは「失敗したかどうかは、子どもたちには見えないからいいや」
観客には見えても、やっている本人たちには、はっきりわからないから・・・
というのが私の最終的な自分への慰めだった。
9・28
やっぱり、奇跡が起きた。
本当に奇跡的。
劇としては、まあ普通。
でも、クラスにとっては、大大大成功。
木曜日も、今日の朝も、見通しとしては
暗かったのに、・・・・。
突っ伏していた(寝ていた)彼も、「まあまあじゃないですか」と言っていた。
疲れた。とにかく泥のように眠りたい。
9・26
今週の金曜が文化祭。
明日は前日。
今日はリハーサル。
ようやくチームワークが出てきて安堵する。
役者たちは、若いから、セリフも覚えてきている。
中学生の劇は、見てられないものがほとんどだから
覚悟しているが、クラスで半分以上が出演するので、
あれ、あの子って、あんなに演技派だっけ?
という子が、少しいて、意外な面があって、楽しい。
私が楽しめるようになったなんて、
とても、予想がつかなかった。先週に比べれば、天国!!
今朝は、子どもたちの衣装として、家にあった浴衣や白衣や帯や
・・・下駄をかき集め旅行かばんに詰めて学校へ…重かった。
ところが、男の子たちの足の大きさは、なんと
28p、28,5p、29p・・・で入るわけもなく、驚いた!!
実は、先生たちも出演するプログラムがある。
そのリハーサルもあって、帰りは10時を過ぎている。
でも、こちらは楽しい。私はピアノ伴奏。
好きな曲、サマータイム=サックス や
若い先生が歌う曲の伴奏をする。
あと2日。がんばるぞ。終わったら、睡眠不足解消が目標です。
9・24
毎日、浮いたり沈んだり・・・私の気分。
まるで、釣りの浮きのようである。
土日も子どもたちに合わせて出勤。
10時から6時まで。これが、大変精神的につかれた。
彼らは青春しながら作業をし(背景の色ぬり)
大雨の中なので、私のおごりのおにぎりを
おなかいっぱい食べて幸せそうだった。
しかし、この土日、私の不安は増すばかり。
台本ができあがったのは昨日。主役級は誰も来ずに、
セリフは誰も覚えていない。
仕切る人間が一人もいないで、演技の練習も、セリフの練習も
ほとんどなしの二日間。
わけのわからない劇を、20分も見せられるのは苦痛以外ではない。
ああ〜〜どうするのだろう。台本も面白いのかどうか・・・すべてが不安だらけ。
土日来たのが、10名弱だったために、
何がどうなっているのか、誰も把握していないために、
今朝は、私の方がノイローゼになり、情緒不安定で、登校拒否の心境だった。
学校について、子どもたちの顔を見て考えた。
私が不安がったら、私がドンと構えていなかったら、クラスも不安定になる。
ここは、はったりでも、何でも任せておけという態度を取ろうと決意。
そうしたら気分がよくなった。
5時間目、体育館で、練習。
確かにまだまだセリフは覚えていないが、みんな表情豊か。
それなりに、変で、愉快で、まあまあかな。
それに、とってもいいことがあった。
ちょっと孤立気味の男の子が、会話できていた。
彼の顔も明るくなった。
不安は多分当日まで消えないが、
それでも、人間関係が、少しずつ、できてくるのはうれしい。
だいぶ男子女子も仲良くなってきたかな????
朝は、落ち込んでいたのに、帰りは気分が軽い。このままいったらいいなと・・・願っている。
9・22
実は後日談がある。
そうは言っても、後日ではなく、
昨日の10分後の落ちなのだが、
司会をするはずの男子が、突っ伏していた。
「ああもうやだ」と言って、6時間目の初めに大きな声で言って突っ伏した。
見ていられなくて1時間職員室に退避し、
その後戻ってみても、まだ突っ伏したまま。
それを見て、あまりに落ち込んでいる彼が
私はかわいそうで、情けなくて、
誰も司会をしない不毛状態に、・・・・不覚にも涙したわけだが、・・・
その後、そうじをみんな始めた。
彼がやってきて私に言う。
「先生、何で、今頃掃除してるんですか? もう4時じゃないですか」
言っている意味が、私は分からない???????
よく見てみると彼の顔には何か所か、赤くなっている。圧迫のあと・・・・
思わず私は吹き出す。
「ねえ、もしかして、突っ伏していたのは寝てたの?」
「はい、そうです」
なんと・・・突っ伏してたのは、落ち込んでたのではなくて、熟睡してしまっていたのだった。
彼に言った。
「私の涙を返してくれ!」
大笑いの一幕でした。
9・22
文化祭まで1週間を切った。
危機的状況どころか、危機である。
昨日、学活の時間に、大道具や小道具、衣装などを
役割分担しなければ、どうにもならない。
台本もまだ未完成だし・・・・
毎日三分の一が残って作業しているが、クラスの半分は帰ってしまっている。
ところが・・・・誰も、司会に、立たない。
やってねと、根回ししていた男の子が、
あまりの周りのやる気のなさに、ストライキで、机に突っ伏したまま。
私の内心・・・・・どうするんだ!!。でも、私が怒っても何もならないので
素知らぬふりして、いたたまれず、私は職員室に避難した。
自分たちでやるしかないじゃないかと・・・これも言わなかったが。
さて、1時間たって、どうなったか・・・・
黒板には、一応役割が書いてあるが、もどってみれば、
やる気は、以前、皆無のようす。
他のクラスは、時間を惜しんで、作業や、練習に励んでいるのに、
雑談をして時間をつぶしている。
・・・・・・・ここまで、大胆にもチームワーク皆無で、
文化祭に劇をやろうというクラスは初めてである。
気が遠くなりそうな思いがした。
ステージで発表して、恥をかき、ひんしゅくを買うのは
彼らである。
でも、担任としてはここ一番の思い出づくりの場所で、
失敗経験など、させたくはない。
すでに分かっている失敗などさせたくはないではないか。
思い余って、今までがんばってきたメンバーには、何の仕事をしたか
何もしてこなかったメンバーには今後どうするつもりないのか、
問いただしていた。
ところが、主役をやる男子が、他の男子グループに気兼ねをして、
自分が役をやると、(みんな内心承知しているのに)言えない。
こんな人間関係で、どうして劇ができるのか。
主役の子に、ちゃんと、言いなさいと言ったとたん
逆ギレされ、うるせえなあ・・・と怒鳴られる。
・・・・・・・・・
その瞬間、私も頭に来ていたのだろう・・・・
情けないことに涙が出て、どなっていた。
何で、あなたたち、仲良くできないの?
去年は、男子のチームワークで合唱コンクールで優勝したでしょう。
単純なことでしょう。男子と女子だって、どうして仲良くできないの?
・・・・自分では情けない。しかし、クラスのみんなの顔が目に入った。
ああ、泣いてるぜ、と困惑した顔と
一方で、目が点になって、びっくりしてる顔・・・
でも、内心、私は、これでうまくいくなと直感しながら、涙を拭いていた。
自分で演技をしてるつもりは無かったが、
文字通り、雨降って地固まる。
少しは、この土日、みんなで作業できそうだ。
ほんとに変な1日の終わりだった。
疲れた。!!!
9・20
被爆者のかたに、手紙を書いた。
驚いたことに、みな自然に、敬語や丁寧語を使っている。
そして、心がこもっていることに驚く。
長くなるが、引用する。
「この間は、ありがとうございました。
僕は里見さんの話を聞いて、すごくショックを受けました。
社会の時間に勉強した時は、その年代に生まれなくてよかったと思っていて、
人ごとのように感じていました。
だけど、里見さんの話を聞いた時は、本当に泣きそうになるぐらい、悲しい話で、
特に、お父さんが、里見さんのお姉さんをさがしている時の話が、
とても、心につきささりました。
(爆心地近くをさがしまわったけれど、みな、黒焦げで、
瀕死の娘を見つけられなかったのではないかというお父さんの後悔の念を話されました)
話しかけた相手に、もしかしたらお姉さんがいたかもしれないと思うと、
心が痛むと言っていた。
自分も家族が会えない状況になったら、本当に必死に探すと思う。
里見さんのお父さんの家族愛を感じました。
この度は、本当につらい話を話していただいて、ありがとうございました。
自分も、今回話していただいたことを胸に、広島など行く機会があれば、
その時のことを思い浮かべてみようと思いました。
衝撃的な時のこと、思い出したくもないことなどもいろいろ、
話していただいて、ありがとうございました」
本当によかったと思う。私も心を込めてお礼のお手紙を書こうと思う。
9・18
もう一つ、話したいこと。
授業で、反日デモについて、取り上げた。
今、憲法で、平和主義、憲法第9条を勉強している。
今までだったら、こういう時こそニュースをよく見て・・・・ぐらいでお茶を濁していたが、
津波で学んだと言ったら、おこがましいが、
想定外で戦争を考えるのは、まるでお祈りのようだと思う。
つまり戦争が起きても、「想定外、考えていなかった」それですむのだろうか
「戦争が起こりませんように」とただ祈って生活するのでは、社会科ではなくて宗教。、
だから、戦争も想定内に考えておかないとと思う。
憲法9条をこういう時こそ、宝物だと理解できるはず。
子どもたちに、戦争を科学的に考えようと言って質問した。
@「今のような日本と中国の状況の中で、どうすれば戦争になるか」
(私は戦争にしようと思えばすぐできると話した)
A「どうしたら戦争にならないか」
根拠をもとにして、予測することが、科学だと思う。
しかし、子どもたちは、漠然としている。
「日本も挑発に乗ったら戦争になる」「中国が爆弾を落としたら戦争になる」
しかし、何人かは、
「デモで、中国人に犠牲者が出たり、日本人に犠牲者が出たりすると、感情的になって・・・」
「尖閣諸島で、中国船と日本船が、敵対して、打ち合ったりしたら戦争になる」
とも書いていた。
戦争にならないのは、「冷静にふるまうこと」「島を日中で半分に分ける」
「お金で解決する」「強い意志で戦争をしないと決める」「話し合う」
「国際的に助けてもらい仲裁に入ってもらう」 いろいろである。
子どもたちが気が付かない経済関係の強いきずなを、私は補足しようと思う。
避けずに考えること、予測して、そうなった場合、どう考えるか、どう行動するか、考えておく。
津波は、自然は、・・・人間が自分たちの行動なら考えられるだろうと
教えてくれているようだ。
みなさんはどう予測していますか? そして、どう行動しますか?
9・18
文化祭の続き。
授業で、子どもたちの悪口言い合い情報を、
実名で、私から、クラス全員に伝えた。
誰がどんな悪口を言っているか、それを、クラスの他のみんなはどう思って聞いているか。
驚きのことが起こった。
今まで、学校がつまらない、授業やる気が起きないと、
ずっと最近机に突っ伏していた子が、その話の5分後、
なんと、みんなと協力して、文化祭準備を始めたのです。
それも、笑顔満面で。
その子は、悪口を言われていた方の女の子だった。
強い子で、私は全然そんな悪口を言われても気にしないと言っていたのだが、
やっぱり、いやだったんですね。みんなが気にしてくれているとわかったとたん、
気が晴れたようで、お母さんによれば、鼻歌を歌って帰ってきたそうである。
みんなガラスのハートを持っている。それを忘れちゃいけないと痛感した。
そして、世論形成が、何より大事だと。
9・15
並行して文化祭の進展具合を報告。
いつまでたっても、野次しか言わない男子グループに
女子が、ようやくけんかを始めた。
でも、熱いけんかではなく、冷戦です。
私は「待ってました」と言いたい胸の内。
木曜日、ステージのオーディションがあった。
審査員の先生方から「大丈夫??」と心配された。
私は、心臓に悪いので、
「私は、職員室で待ってるから、・・・
見捨てたんじゃなくて、信頼してるからだよ」
ものは言い様です。
問題の根本には、いまだに、悪口を言って楽しむ人間関係がある。
今回、私はそちらの方に手を付けることにした。
全員の聞き取り、どういう悪口を言っているのか、情報を集める。
すると、やっぱりネットあり。
その一方で、心が和む話が合った。
みんなは、悪口を言い合う雰囲気が嫌で、
もう一年行ったり来たりのそういうクラスは
「もう、いいんじゃない?いいかげん」と思っていること。
いつもちょっかいを出されている子たちを、気にかけて、
「友達とふざけてるときは、目が笑ってるけど、
嫌な時は目が笑ってないよ」
本人たちに伝えると、余裕だった。
「僕は平気だけど、ちがう○○君が、心配だな」
私の内心は「おお〜〜! やっぱり成長した。ジェントルマンではないか」でした。
9・14
今日は三人目の被爆者のかたからのお話。
しかし、どのかたの話をうかがっても、
本当に、私は何もわかっていなかったと痛感させられる。
今日のかたは、ずっとニコニコ笑顔で話をされた。
だから、とても深刻で胸に突き刺さる話も、
子どもたちには、あれ〜?と思ううちに、進んでしまう。
例えば、爆心地近くで被爆され、川に逃げた時のお話。
「みんなが船に乗ろうとして、しがみつくので、前に乗っている人たちは、
竹で、船にしがみつく人を、たたき落としていたんです。」
川で泳ごうとふんどし一つでいたために、被爆した後、やけどがひどかった話。
「裸でいたために皮がむけて、黒い雨が、背中に最初に一粒、二粒と当った時、
痛かったこと、痛かったこと。でも、母がよく看病してくれて、治りました。」
前日に、違う被爆者のかたが、
「いとこの化膿した背中に、ハエが卵を産み付け、
蛆虫を毎日毎日とってあげたのに、三日目に亡くなった」
という悲しい話をされたので、よく生き残られたと驚いて、
私が「背中に蛆虫などは、大丈夫だったのですか?」と質問すると、
「私にも、蛆虫はわきましたが、私はあまりそういう話をしませんので・・・・」
とやんわりと断られた。ああ、お話したくないんだとようやく気付く。
お一人お一人、話せることも、話したくないことも、全然ちがう。
語り部といえど、みんなすべてを話せるわけではないと気付く。
昨日いらした方は、給食をご一緒に…とお誘いすると、
話をした後は、何も食べられなくなるのです、とお断りになった。
その方は、最後に娘さんを一昨年がんで亡くされた話を、涙とともに話された。
火曜日に来た方は、同じように、がんで亡くされた娘さんの話をしなかった。
どの方も、妻にも、娘にも、家族には一切細かい話はしたことがないとおっしゃる。
原爆の話を細かくするのは、頼まれて、小中学校に出向く時だけだそうだ。
話をするだけで、当時の記憶がよみがえり、大変疲れる。思い出して苦しくなる。
本当は思い出したくない。・・・・そして、原爆直後よりもその後の人生で、
何倍も苦労し、何倍も苦しみ・・・・という言外のようすだった。
職場、結婚、出産、子どもの結婚…そのたびに「被爆者」が付いて回る。
詳しくは話されず、断片だけだが、想像するに余りある重い体験だと思う。
それでも、いらした三人のかたは、年齢よりずっと若く見え、はつらつとしておいでだった。
だから、そのご様子と、話されることと、沈黙には大きなギャップがあった。
原爆のことを知った気になって、語り部のことを知っているつもりで、・・・・
でも、今回、こうやって、一歩踏み出したことで、また新しく学べたことを
本当にありがたいと思う。ありがとうございました。
9・13
今日もまた、違うクラスで、被爆者のかたのお話をうかがう。
火曜日のかたは、被災した学校から家への帰り道の話をされた。
水をくださいとすがりつく、何百人というけが人を、
「後で持って来ますと嘘八百を言って振り払った」と話される。
「すがりついた人々の、手のひらの皮がむけて、握った私の足首に張り付いた」
「黒く焼けた皮だけが、私の足首に張り付き、何百人とすがるので、その皮だけで、
足が重く感じるほどだった」・・・・子どもたちは絶句。
今日の女性の話は
「いとこの中学生のお姉さんが大やけどを負い、
化膿し、わいた蛆を小学校2年生の私が、三日間そうっと取ってあげて、
その朝、いたいよ〜、水が飲みたい〜って言って亡くなった。
いとこの小学生のお兄ちゃんは、それまで、なんともなかったのに、
ある日突然、耳から血を出し、鼻血を出し、口から内臓の血の塊が出るような
それぐらいの血を吐きだして突然亡くなった。
私もいつかそうやって死ぬんだと思い、とてもとても毎日恐ろしかった」
・・・・・一人一人違うお話。私も絶句し、黙るしかない。
9・12
すでに水曜日。
物別れになっていた文化祭についての現段階は?
月曜日、学校に行って、女子と男子がけんかになるだろうと期待していた。
・・・・ところがである。喧嘩にもならないのだ。
男子が他の劇を提案して、多数決をとろうとしている。
女子は女子で、二つに割れていた。
一方は夏休みから何回も話し合ってきて、土日で、台本を考えてきたグループ。
そしてもう一つが、心変わりしてしまったグループ。
一番の問題は、私が付けた条件を、土日に、誰もしていなかったこと。
今までずっと台本を考えてきたグループの子たちに連絡して、
説得や納得をしてもらったうえで、進めてね・・・
ところが、そこを、一番大事なところを、みなさぼってしまった。
雷を落とそうと思ったが、やめた。
静かに、話した。
自分の意見が大事にされてこそクラス。
変えるのは、こだわらないが、今までやってくれた人たちに対する礼儀が足りないだろう
あとは、話し合いなさいと言って、職員室で私は待機した。
それ以来、待ちの担任である。
担任の仲裁を希望し、担任がはっぱをかけるのを期待し、…たよろうとする女子に
今日は宣言をした。「人間関係と、内容については一切関知しない。
私は、お金と物については、援助します」・・・・さて、自立はできるかな?
9・11
今日、何十年も教師をやってきて、
始めて、広島・長崎の授業ができたと感じた。
子どもたちが被爆者のかたのお話を、
食い入るように聞いていた。
とても、今まで、ちゃんと聞くように授業できるか
実は自信がなかった。
今回できたのは、オコンネル氏の長崎の写真と、
沼田鈴子さんの証言のテープと
沼田鈴子さんの番組のビデオ(今から10年以上前のもの)
そして、被爆者のかたが描いた絵を、授業で使ったからだ。
とても私自身の話だけでは伝えられないところを、
戦中派でもない私が、こうした教材と出会うことで、
当時の人に代わって、少しは伝えられた実感がある。
驚いたことに、市内には120人被爆者のかたがいて
被爆者の会に参加していらっしゃる方は半分の60人。
そのうち、市内の語り部として話してくださる方は
最初から5人だったそうである。
それだけ、話すのは苦痛であり、被爆者の多くの方々は
今も話をしたくないと、心の傷を持っておられることに
改めて、何も知らない自分を恥じた。
9・9
授業の方は、公民に入っている。
公民って何?という質問に答える意味で、
3年間の社会科を振り返った。
3年、公民は政治経済、つまり、社会のしくみ。と言っても分からないので、
法律と民主主義、資本主義=お金の流れを勉強する。
「公民は、歴史と密接につながっていて、
みんなが感想に書いたように、昔のようすで、今と貧富の差はあるし、戦争はあるし・・・
それが、今のようになったのは、人々が、反乱、革命、デモ、ストライキ、運動・・・
過激なものもあったけれども、命をかけたり、拷問に耐えても、希望を言い続け、
いろいろな努力を積み重ねてきてその結果が、法律や社会のしくみに、なってきたんです。」
次に言いたかったのが、今の状態が絶対ではない、
将来は、もっとよく変わっていかなくちゃいけないということ。
その例に出したのが、アメリカの同性同士の結婚。
でも、意外なことに、各クラス、賛成意見が5名ぐらいいた。
最も大人っぽいクラスは三分の二が賛成。
さらに、子どもたちに、刺激を与え、考えてもらいたかったので、
最近読んだ、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」を紹介する。
みんな、とても困惑した顔をしていた。
でも、次々に、隣同士と話し始める。
あとで人権の時に、改めて取り上げたい。
この小説は、クローンの人間が、臓器移植を前提として、その生命を全うする話。
多くても四回で、本物の人間のために、臓器を提供して命を失うとは、・・・
何と言うエゴだと思うし、怖ろしい未来小説だが、
語り口は穏やかで、だからこそ、私にとっても、衝撃的、忘れられない小説になった。
クローンは人間か、心はあるのか、・・・以前の三年生の質問を思い出す。
いっしょに考えるのが楽しみだ。
9・8
金曜日、予想はなんとなくしていた。
なんと、大どんでん返し。
劇が、一からに、もどってしまいました。
あれだけアバターがやりたいと主張していた子が
「別にやりたくなかった」
伴奏や歌のものまねまで、やる気になっていた女子はどうするのだろう?
男子で、役を頼み込んで、やってくれると言ったのは3名のみ。
主役級の二人を男子がだれもやらない・・・
どうするのかと思ったら、全く違う劇にしたいと男子。
もう、ほおっておくことにしました。
私が動くことを、好まないのです。
わかっていた。男子は、元来お膳立てを嫌うことを。
でも、あれだけばらばらだった女子が、
役にも立候補したり、アドリブをやるとか、
盛り上がってきていて、
女子が、再三再四、男の子たちに頼んでいた。
ね、やってくれない?
それを蹴っ飛ばしてしまった。
これだけクラスの女子に優しくない男子は、初めて。
女子のやることにケチばかりつけて、文句は言うが案は無し、
悪口を言って楽しんでるなんて・・・。なんて、なさけない
さあ、みんなはどうするのだろう。
でも、これからが、正念場。
男子も女子も。泣いても笑っても最後の3年で、舞台発表なんだから。
本気で考えないと、本気で協力しないと崩壊します。
来週一週間は、ぐっとこらえて、もめるのを見守る。
9・5
昨日、女子4人が残って文化祭の劇のあらすじを考えていた。
そうしたら、場面転換がうまく考え付き、登場人物を、誰にやってもらおうか考え、
うまくいきそうだとひと安心。
ところが、今日。
昨日、用事で参加できなかった女の子が、
「私が考えてきたものと、違ってきちゃったから、
もう勝手にやって・・・」
と言われてしまう。
確かに、「アバター」をぜひ入れたいという男子がいて、
「仁」だけでいいという女子がたくさんいて、
その両方を盛り込んで、あらすじを考えてきてくれたのが彼女だった。
・・・・・むむむむ。
すねて、へそを曲げるというか・・・・
それ以上に、クラスで、進行具合を報告すると、
男子が、ほとんど、「俺は出ないから・・・」とか
「おれは、音響だからね」・・・・とか、後ろ向き発言があまりに多い。
嘆かず、あきらめず、あきれず・・・
行きつ戻りつ、一歩進んで二歩下がる? あるいは二歩進んで一歩下がる?
それでも、少しずつ進んでいることを伝え、励まして励まして・・・
多分成功するでしょう。
先生がリーダーシップをとるなんて、邪道だと思うけれど、
コミュニケーションを取るのが苦手で、自己表現が苦手な子どもたちが、
劇をやろうというのだから、そこは割り切ってやっています。
今年のクラスは、仕切り屋が全くいないのが、難点です。
9・3
今日は始業式。
しばらくぶりのクラスの再会。
少々の照れと、背が伸びたなあという感想と・・・。
相変わらず、私が受け持つクラスは、私のはなしはあんまり聞かない。
でも、初日だから、いつも思う。
待つこと、自覚をうながすこと、うるさく言わずに、やさしく・・・
でも、やっぱりどなっちゃった。
そうじをしないで、遊びほうけている男子3人。
「掃除もしないで推薦をもらおうなんて、おかしいよね」と大きな声で、
そうすると、ボスの男子が
「ああ、あぶねえ、あぶねえ、推薦だ、そうじしなくちゃ!」とニヤニヤ笑って雑巾を持つ。
まあ、そういうかけあいは、良しとしましょうか?
昨日は、りくつを書きすぎたので、今日は短めに。
9・2
明日から学校。
1学期の授業の感想を読んで、思ったことを少し。
170人以上の感想を読むといろいろ考えてしまう。
とてもいい子たちだし、感想は第二次世界大戦のアウシュビッツや、日中戦争、
その前は、ガンジー、モダンタイムズ、イギリスの産業革命やアヘン戦争・・・
だから、貧富の差や、残虐行為に、驚き、胸を痛めるのはみな同じなのだが、
例えばMさんのノート
「死体をブルドーザーで運んでいたのはすごかった。
ガス室には絶対入りたくない。
ヒトラー、意味わかんない。
なぜヒトラーはそこまでしたのか。
戦争は意味がない。
ヒトラー嫌い」
Mさんは、思った通りを書いている。
「なぜヒトラーはそこまでしたのか」という問いは、とても深い。
でも、ちょっと気になる。
産業革命当時のイギリスについて、T君
「人々の暮らしは便利で豊かになっていったけど、お金を増やそうとしていって、
布の市場をどくせんするために、平気でインド人を殺したり、
おどしたりしたり、中国にはアヘンをはやらせて、薬づけにして、
金もうけをするなんて、悪いやつだ。
人間をまどわせて、なんでもさせてしまうお金の力はこわいなと思いました。」
・・・・いろいろな感想を読み比べて、どこが違うのだろうと考える。
Mさんのように、自分の率直な感情を中心に、短く感想を書く子どもたちが、大半である。
T君の文章が長いからといって優劣をつけるのではない。
大半の子どもたちの感想には、好き、嫌い。ひどい、かわいそう・・・
よく考えてみると、直感の、まるで、ツィッター(つぶやき)みたいだなと思った。
私が求めているのは、たぶん、
その時代状況、社会状況に近づいて、自分にもありうることだと共感すること。
それと、一方で、一歩離れて、こういう状況がその時代の真実で、
それなりの重さを感じてほしいこと・・・でしょうか?
うまく言えないが「ルーツ」を見て、
「奴隷になったアフリカ人はかわいそう」という同情と、
「私は、その頃のアフリカに生まれなくてよかった」という感想だけだったら、
私の授業に問題があったのだなと思う。
だから極力、
捕まったら、逃げられない状況と、
奴隷であっても誇り高く生きようとしたクンタキンテの反抗とを伝えようとするし、
その時代であっても、精いっぱい生きたという人々のようすを伝えたい。
「かわいそうな人々」ではないんだし、苦しんだのは、その当時の社会のしくみの為だし、
その中で生きた人々の人生を、今生きている私たちと同じように、ある程度の重さを持って感じてほしい・・・
そういうことだろうか・・・・
中学生たちが、限りなく、満足することなく
「おもしろい授業」「わかる授業」を要求する。
だから、私も、子どもたちの感想を読んでも、もっと、…と思うのだろう。
授業は進化し続けるし、そうやってマンネリ化させてもらえない仕事が、とても刺激的だと思う。
1学期の戦争についての授業で満足できなかったところを、二学期チャレンジしたい。
どう子どもたちは答えてくれるか、そう思いながら、チャレンジの方法を考える。
9・1
とうとう9月になった。
残暑が厳しく、毎日34度というのは、体にこたえる。
4日から授業が始まる。
3年生だから、宿題のチェックと、
夏休み中に見せてもらったノートの返還と、
日本国憲法の授業で、今年は地味に始めよう。
被災地に行ってきたことも、少し話そうか。
進度の遅れを気にしている子が多いので、そこも、子どもサービスである。
毎年、休み明け、特に夏休み明けには、
珍しい物を食べさせたり、工夫している。
白井さんも言っていたし、私もそう思うが、
子どもたちは、必ず期待を持って、学校にやって来る。
1日目が楽しかった、そういうスタートを切らせたいではないか・・・ということで、
小学校の時には、星が降ってきた…とか言って、宝探し。
校庭のあちこちに、銀紙に包まれた金平糖を隠しておいた。
それに味を占めた子どもたちは、
今度は私を驚かそうと、4月の始業式に、びっくり箱を持ってきておどかした。
こんな楽しいクラスや子どもたちとの付き合いは
やめられないと思ったものである。
中学生では、エジプトのハイビスカスの冷たいお茶を
大サービスして好評だった。
August
8・29
今日はがんばった。
もう夏休みも終えるので、
1日ホームページのリンクやら、新しいページやらを作ってみた。
発想が、次々と形になるのはうれしい。
そして、若い後輩の先生たちに、役に立つようにと
アイディアをページに盛り込んでいくことが、もっと楽しい。
つくづく、おせっかいおばさんの性分なのです。
今日できなかったけれど、もう一つ、どうしてもやりたいことがある。
それは、動画を入れること。
先日、ミシンの使い方がわからなくて、
ユーチューブの映像を一回見ただけでわかってしまった。
驚いた。説明書を読んでも、操作しても、わからなかったのが、
一発で分かる。柳先生がおっしゃったとおり
「百聞は一見にしかず、百見は一体験に敷かず」です。
火起こしの動画と、糸紡ぎの動画と、生糸を取る動画とを入れたい。
今年はできなかったけれど、お蚕さまの動画も入れたいと思っている。
お楽しみに。・・・・
8・28
いろいろホームページの改良を試みている。
なかなか大変である。
たとえば、写真の挿入ができたのに、ページを転送しようとしてもできない。
ガイド本を読み、いろいろ試行錯誤して、写真の大きさを変えたり、
・・・数時間かかった挙句、写真の名前が半角英数字でないから読み取れないとわかる。
でも、わかったから、解決できてよかった。
そんな風で、ご迷惑をおかけしています。
でも、うまくいくとうれしい。
さて、文化祭の方は昨日集合したのに、
男子も5〜6人は来たようだが、夏休みの宿題に追われ、
劇は無理じゃないかと、またまた後ろ向きの発言。
ほんとに、叱咤激励が大事である。
やさしく、放っておきながら、そのままにせず、面倒見るのが大事です。
気仙沼へ言った若手の先生からメールで、
感謝の気持ちを伝えられました。
「実際に見聞きする事で、映像では感じられない、いろんな思いを感じることができ、
充実した1日となりました。いとこの方にも、慌ただしくなってしまい、
きちんとお礼できず、失礼しました。ありがとうございました。
案内だけでなく、たくさんの出会った方のお話、忘れられないものになりました。
よろしくお伝えください。奥深い研修となりました。」
奥深いという表現が、本当にぴったりだった。
さて、現役終了まで残すところ10年を切った?私には、
やり残したところがたくさんあって、
今年の冬にはインドへ行こうと思っている。
現役のうちにこそ、もっと言うなら、若いうちにこそ、
海外を見ておいて、授業に生かすべきだ。
インドは、観光ではない。ガンジーのゆかりの地を訪ねたい。
もう一つは綿花畑やダージリンの茶畑のプランテーション、
世界遺産のダージリン鉄道にも乗りたい。
一人でも行こうと思っているのだが、希望される方がいるので、たぶんご一緒すると思う。
もっと早くガンジーのことを学び、訪ねればよかったと思っている。
8・26
昨日、ホームページの達人に
アドバイスをもらいました。
たぶん、問い合わせや、感想もちゃんと届くように
なると思います。
手軽なホームページを作るシステムのせいで、
私にもできた代わりに、制約やうまくいかない点がありました。
その点を、最も簡単になるべく解決する方法なので、
ちょっと見栄えは、物足りないところですが、
一番の目的の問い合わせなどにお答えできればという出発点が、
生かせなくなるのは、全く不本意でしたので。
ぜひ、何か問い合わせのページから、送ってみていただけませんか?
8・25
被災地の話をもう少し。
昨年5月に訪れた時の印象を、まず。
気仙沼駅を降りるとれんぎょう、桜、菜の花・・・野の花が咲き乱れていた。
大船渡線気仙沼駅は湾の一番奥にあるので、とても平和だった。
ところが、海岸に近づいて、ある線を越えたところから、
建物の1〜2階部分がぐしゃぐしゃになっている。
もっと進むと、車、コンクリ、鉄骨、家財道具、
すべてが洗濯機に放り込まれたようにつぶれて
何mもの高さに積みあがっている。
唖然とした1年前だったが、
今年の被災地には、土台の上にのっていた瓦礫が、無くなっていた。
残るのはすべて建物の基礎、コンクリート
その間には、夏草が緑に生い茂っていた。
自然は何もなかったように、色を添えている。
気仙沼湾の平地、陸前高田の平地、・・・
湾という湾、車で通るたび、次から次へ
すべてが何もない平地になっていたことが
ものすごくショックだった。
人の生活の、あとかけらも無い。
足元にあるのは、土に埋まりつつある、ほんの小さな瓦のかけら、
お茶碗の小さなかけら、プラスチックのかけら。
すべて10センチの大きさにも満たないかけら。
そして、許可が出ないので、その平地には何も建っていない。
いつまでも原野で、今回津波が来た土地は
2度と人の住まない土地になるのだろうか?
福島の被災地では、がれきもそのままに、
そして、津波に合わない村落も荒れ果てて、・・・・
津波だけでも、心がこれだけ痛むのだから、
福島は、胸のつぶれるような光景だろう。
大自然の無常さを感じ、人の侵した罪を思う風景だった。
8・24
昨日、久しぶりに子どもたちと会う。
文化祭の準備。
少しエンジンがかかってきたらしい。
やっぱり男子より女子が世話係として8人
男子は義理堅い2人が集合。
わきあいあい?と相談していた。
2,3年生たちの多くのクラスは、劇に取り組む。
箸にも棒にもかからない内容なのだが、
一番の利点は、子どもたち同士、もめてもめて、
クラス中が巻き込まれること。
若い時、やりたい人間が自由にやればいいと思っていたが、
それは、浅はかだった。
一人でか、気の合う仲間としか、過ごしたくないという
今の子どもたちには、こうした人間関係は苦手だ。
そういう私も、どちらかというと人付き合いは苦手。
それなのに、教師をやってこられたのは、
子どもたちが自信を持たせてくれたから。
仲間ともめても、きっと補ってくれる仲間がいる。
助け合って、成功させて、
クラスにちょっとでも貢献できたことが、自信につながる。
公立学校のいいところは、
いろいろな家庭、いろいろな性格の子どもたちがいること。
コミュニケーションが、一番の勉強になる。
8・22
気仙沼へ行ってきた。
1年前のゴールデンウィークにも
被災した従兄弟を訪ねた。
最近になって、従兄弟が再び海産物加工場を
協力して立ち上げたとのこと、
その様子を 同じ市内の新採の先生たち4人と訪ねた。
気仙沼だけでなく、南三陸も、陸前高田も、車で回った。
有名な防災無線で、注意を呼びかけ続けた若い女性の街が、南三陸。
奇跡の一本松と呼ばれる松が残るのが陸前高田。
そして、気仙沼には、内陸奥深くに、大きな漁船が残されていた。
単なる記念碑のようではない。
漁船の下には鉄の塊に成り果てた車が、まだ下敷きになっている。
防災無線のセンターの残骸の前には、いくつもの千羽鶴やお線香がささげられ、
訪れた人々はみな手を合わせる。
一本松も、地盤沈下で周りは塩水に覆われ、とても根が水分を吸えずに枯れた。
沿岸沿いの村落、町という町が、一軒もなく無人の原野、
それは、若い先生たちにも、私にも、ショックだった。
毎日暮らす、それだけが毎日を支えている感じ。
それでも、昨年、途方にくれ、何もすることがないと言っていた従兄弟が
仕事を再開したのは、とてもうれしいことだった。
8・20
研究会で話していて分かったことですが、
まだホームページ作成が素人のため
問い合わせページが、(最初の数週間は通じていたのだと思いますが)
その後全く、問い合わせができない状態になっていたようです。
せっかく見ていただいている方や、問い合わせしてくださっていた方に
大変申し訳ないことをしました。
夏休み中に復旧できるよう、ベストを尽くしたいと思います。
ごめんなさい。
先週、子どもたちと文化祭の打ち合わせをするため、
学校に行った。
暑中見舞いのハガキに、
「仁とアバターのDVDを用意しておくから、
シナリオを書く人は取りに来てください。」と書いておいた。
しかし、予想通り、ゼロ!
来られません・・と残暑見舞いの返事で書いてあった子が3人のみ。
でも、予想していた。
「国破れて山河あり・・・」のちょっとさびしい気持ちだが、
子どもは「愛は惜しみなく奪う」なので、
中学校はほとんど与えるのみ。
もう、割り切って10人のところに、
自転車で2時間かかって届けた。
みんな塾で不在、ポストにぽとり。
さて、ちゃんとシナリオが完成するだろうか?
今日の夕方出発して、明日は気仙沼へ
被災地の従兄弟を訪ねる。
同じ市の若い先生たち4人が、いっしょに行く。
フィールドワークの勉強の楽しさが伝えられると
とてもうれしい。
8・18
続いて、六ヶ所村で、再処理に反対を続けた菊川さんを訪れた話。
とても静かに、穏やかにお話しされる。
女性としては、とてもうらやましいセンス。
チューリップ祭りを毎年開催、
お尋ねしたお家にもカフェが併設。
2階の宿泊施設は、牛小屋を改築したもの。
ただ、六ヶ所村の地形や歴史には、
お話から厳しい一面もうかがえた。
戦後、開拓して入植したご両親。
下北半島に吹く夏の「やませ」は受験用語だが、
実際に体験すると、強風であり、霧であり、
なかなか米は育たず、畑作が中心。
軌道に乗るまでが大変だっただろうと思う。
ものすごく私が若いころを思い出した。
学生の時に、会で30人位で釧路をフィールドワークした。
会の代表の白井さんに連れて行ってもらい、
北海道教育大の三宅先生に、ご案内していただいた。
泊まったのが、羊のファーム。
乾草の一夜に、みんな、ハイジだと大はしゃぎをしたが、
実際は、虫とチクチクした感触に、一晩眠れず。
夜、北海道の草原の中の 暗闇のトイレは、
まるで狐にお尻をなめられそうで、とても恐かった。
その時の思い出がやたら懐かしく、
いっしょに行った思い出を、友人と話した。
菊川さんの話と北海道の根釧台地の牧場の話が重なる。
今は、以前よりも地区としては、少し余裕が出てきたかもしれないが、
乳価は下がり、開拓民に常に国は厳しい。
三里塚も開拓地だったし、長年歴史のある地よりも、
開拓民の土地を取り上げやすいから、空港にも、自衛隊基地にも、
原子力発電所にも、なるんだろう。
そういえば、新聞の投書に、
福島の相馬村の人たちも、満蒙開拓団から引き揚げてきた人々がいたようだ。
こうやって、国と、国策と・・・・・振り回されている。
穏やかで優しい菊川さんのお話の、言外のようすを思う。
菊川さんは、チューリップ祭りは終えたそうだが、
欧州で栽培されるルバーブのジャムを、作られている。
球根も三ついただいた。秋の花がとても楽しみ。
8・17
一週間さぼってしまいました。
残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ暑いですね。
先週末から青森での研究会と
六ヶ所村のフィールドワークへ行ってきました。
一番恐ろしかったのが、PRセンターの再処理工場の模型。
模型と言っても、建物自体が、
再処理工場の8割ぐらいの大きさで、建てられている。
使用済み燃料棒を水中に格納しているようすが、
模型で自分の足元に見える。
コンクリートの壁に囲まれ、水で放射能は90%遮蔽できると
女性のガイドは述べていた。
水で遮蔽できるなら、鉛も要らないではないか、
それなら、原子炉の中にも入れることになる。
高レベル放射性廃棄物と言われ、
再処理すれば、プルトニウムやウランが取り出せるというのに、
そんなに安全だと言っていいのか・・・。
とても不思議な解説だった。
そんな燃料棒が入った深さ10m以上のプールの模型を
足元に見ながら、鳥肌が立つようなそんな寒気を感じた。
福島で、さんざんテレビで写されてきたプールを、
身近に見たように思い、怖ろしかった。
ちなみに、すでに40トン保持しているプルトニウムの保管場所は
機密事項だそうです。
8・9
なんだか夏休みになって、毎日子どもたちと顔を合わせないせいか、
りくつばっかり書いてしまっている。
でも、単純に、実は、とにかく、楽しいこと、おもしろいことを、
子どもたちとやるのが大好きである。
授業が本当に楽しい。1学期も楽しかったなあ!・・・・
アヘン戦争の時には「アヘンの種を持っている」とドキドキさせたし、
蚕のさなぎにドギマギする中学生はかわいらしい。
1学期の授業の感想に、175人中、
「授業が楽しい」と書いてくれた子が76人
「授業がわかりやすい」と書いてくれた子が59人
その中で、両方「楽しくてわかりやすい」と書いてくれた子は26人。
こんな数字は、私を有頂天にしてくれる。
最後の授業のほんの10分間に、何の注文もせずに、
書いてもらった文章の中に、そう書いてあった。
子どもたちには、楽しくてわかるということが、まず評価基準。
その当然の基準をクリアさせてくれた子どもたち、大感謝である。
しばらく家を留守にし、
教材教具博物館と六ヶ所村のフィールドワークに参加する。
来週、またお会いしましょう。
8・8
昨日の続きです。
私は、同じ古代の授業で、
中国や朝鮮と、そっくりの宝物や壁画や古墳を見せた。
キトラ古墳の四神図にそっくりな朝鮮の壁画、特に美しい朱雀。
調べるほど、共通点がたくさんあり、あれもこれも・・・・。
そして、それを自分で調べる過程が、とても楽しかった。
たとえば、韓国ドラマに出てくる殉死の場面、
実際に伽耶の塚の殉死遺跡にも、そっくりの場面がある。
殉死は、古事記や日本書紀にたびたび出てくる。
魏志倭人伝にも、卑弥呼の葬儀に1000人の奴隷が殉死したとある。
私が小学生の時読んだいざなぎ・いざなみの黄泉の国の話。
黄泉の字(黄河のみなもと)・思想は中国から、そして、殷王朝では殉死が当然だった。
他にも、古代中国には「音楽」という儀式があり、
音階を表す鐘が製作されている。朝鮮にもその鐘はあり、銅鐸にそっくりだ。
日本の多くの文化は、中国からやがて朝鮮へ、そして日本へ。
そう考えてくると、文化の流れは人やモノの流れだっただろうし、
どうやって人々がやってきたか、技術や思想を伝えたか、想像すると不思議で仕方がない。
聖徳太子も百済の国と交流し、
冠位十二階制や十七条憲法も、もとは中国の制度にならったものだと思う。
遣隋使の「日出処の天子〜」を取り上げて、日本人の誇りとするのは、奇妙だ。
阿倍仲麻呂が長安で暮らし、一生を終えた地を訪ね、
一昨年、初めてその時代の中国文化の豪華絢爛さを理解した。
その私が思う不思議さや中国文明の素晴らしさ、朝鮮との共通点を、
子どもたちは楽しんだ。
孤立した島国ではなく、アジアの中の日本だと思う。
実は、人物中心史は、私は大の苦手。
本当にそういう性格だったのかな?と思ってしまう。
人物の性格分析に、興味が持てないのは、小学生の時からだった。
だから聖徳太子の性格よりも、何をしたのか、
どういう時代だったのかを知りたい。
8・7
教育委員会主催の研修会に参加。
何年も教員をやっていながら、
いつも、こういう場で聞く言葉、内容、
正直に言うとまるで外国語のようにわからない。
今回の授業は、聖徳太子の勉強をして、
最後に、「政治家:聖徳太子に手紙を書こう」という内容である。
なぜ聖徳太子に手紙を書くのかわからない。
これは社会科なのだろうか?
中学生たちの書いた手紙には、
「聖徳太子様 あなたは、すばらしい制度を作ってえらいと思います。
豪族の争いをおさえ、人々をまとめ、日本を一つにして、すごいと思いました。」とあった。
よく、歴史の授業として、新聞を作らせたり、テーマを決めて調べて発表させたりして、
「子どもたち自身の活動がすばらしい」と評価されるが、
子どもたちは楽しいのだろうか?
子どもたちは、古代がわかるというだろうか?
8・4
もう少し長く、子どもたちの感想を紹介しよう。
感想を読んで初めて知ったある男の子の一面。
物静かで群れないけれど、ここまで自分の世界を持っているとは知らなかった
サッカー部の、ある男子、中学三年生です。
「映画西部戦線異状なしを見て
西部戦線異状なしは、レマルクの原作小説も読んで知っていたけれど、
映画は凄いリアルで、本当の戦場のような気がして、恐ろしかった。
この映画は、今まで見たことはなかったけれど、
映画史に残る傑作として知っていたので、見れたのは嬉しかった。」
「チャップリンのモダンタイムズを見て
チャップリンのことは、有名だから知っていたけれど、
その映画は一つも見たことがなかった。
そして初めて、今回見てみると、
白黒で、昔の映画なのに、逆に面白かった。
それだけでなく、笑いの中に社会の深刻さや
感動する場面もあることが凄いと思った。」
「第二次大戦の様々な映像を見て
第一次世界大戦もひどかったけれど、それから20年しかたっていないのに、
今度はもっとひどい第二次世界大戦が起きたのは、どうしてか、
不思議に思った。
もう、第一次大戦が終わった時、平和になろうとしたはずなのに、
その後起きた数々の出来事(日本の朝鮮支配、中国侵略、ナチス台頭、
世界恐慌、スペイン内戦、日中戦争など)の一つ一つが、
戦争への道を徐々に進めていったとしか思えない。
そして、戦争を始めてからの戦いなどは、
本当に”酷い”としか言いようがなく、
特に多くの市民が犠牲になったのは恐ろしすぎると思った。」
私が伝えたことと、伝えなかったこと(時間が足りなくて)
両方あります。
それでも、レマルクの小説を読んでいたり、
西部戦線異状なしの映画の存在を知っていたり、
私が一度も触れなかったスペイン内戦について触れていたり・・・・
言葉も、よく知っていて、知識欲旺盛で、
自分の興味をここまで広げている男の子なのだとは、ちっとも知らなかった。
感想を夏休みにまとめて読んで、今、びっくりしているところだ。
彼の知的好奇心を満足させるような授業になっていたか、
ちょっと怖い所もある。。
この男子だけでなく、「なぜ戦争をするのか」
戦争を勉強すればするほど、この根源的な疑問は膨らんでいく。
日清・日露戦争から始まる戦争の授業では
必ず、戦争の原因、戦争のきっかけ、戦争の特徴、戦争の結果、これを解説する。
だから、第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、原因については話しているが、
勉強をすればするほど「でも、なぜ、そこまで、」「なぜ、戦争を」・・・・
という疑問が、ノートに増えていく。
今回もそうなった。
そして、その疑問に答えるのが私の仕事だ。
2学期の授業の構成は、今までやったことと、新しいチャレンジと・・、だからとても楽しみ。
いつもそうして、子どもたちから教えられている。
8・1
本当に猛暑が続いています。
子どもは学校にはいない。
それでも毎日早朝、事務仕事だけのために通勤はつらい。
耐震工事でコンクリートの壁を壊し、鉄骨を入れる工事中。
廊下はもうもうたるほこり。
本当は石綿などないという話だったのに、
「ほんのちょっとあった石綿を取り除くとかの工事?」も・・・・
放射能と同じで、わけがわからない。
いざという時のために真実を知っておくためか
パニックを起こさないために真実を隠すのか
アリバイのための調査なのか・・・・すべて原発事故と同じ。
迷信を退けながら、科学の真実は知りたくないのか?
こんなことなら、何のために学ぶのか、その根本のことが揺らいでしまう。・・・・
1学期のノートをていねいに読み進めている。
ときどき、子どもたちの文章にハッとする。
今日の文章は二つ。
ソフト部の活発な女子が
「私は戦争を甘く見ていました。人が撃たれて死ぬ、こう思っていました。
何もしていないのに虐殺されたり、むごかった。怖ろしい。(アウシュビッツ)」
吹奏楽部の女子が
「もうけることに頭がいっぱい!」
これは、産業革命から帝国主義に代わっていく世界をひとこと。
すばらしい名言。珠玉の名言だと思った。
戦争を甘く見ないための授業を、2学期に新しくはじめたいと思っている。
一つは政治家になったとして「戦争の作り方」の授業。
もう一つは「戦争は嫌だと思っていても巻き込まれてしまうのはなぜか」の授業。
そして、これは何度もやったことがあるが「戦争は得か損か」の討論。
2学期には市内の被爆者の会の方に来ていただくつもり。
もう5〜6人しかおられないそうです。
夏休みの後半で、いとこの住む気仙沼へも、
市内の社会科の先生を連れて、再訪することになりました。
何かと忙しい毎日です。
July
7・23
夏休みに入りました。
若い先生たちは部活の総合体育大会で力が入っている。
休む暇もない。
私は部活を持っていないので、1学期のまとめを出勤しながらしたいと思う。
夏休み、研修が認められなくなったのは10年前ぐらいからだろうか
一番女性にとって、困難になったのは子育て。
今は女性教員にとって、長い夏休みを、
子ども一人で家に置いておかなくてはならないことが、悩みの種だと思う。
わが子に、夏休みぐらい付き添ってやりたいと思ってもままならない。
子育てにどんどん厳しい社会になっていくことに不安に感じる。
授業は戦後まで、駆け足で終えた。
1学期の評価を子どもたちにしてもらったが、
いつも、感想を読むと幸せになる。
一番私にとっては癒される瞬間です。
子どもたちの感想を次から紹介します。
1学期、授業の中で、たくさんのことを子どもたちと共有できたので
とても幸せだった。
最後は第二次世界大戦の授業だったけれど、
生々しい映像も、息をのみながら、子どもたちは見つめていた。
中学三年生の真剣な目は、私には直視できないほど
まっすぐだった。覗き見るのが、失礼に思えるほどで、
子どもたちの顔をまともに見られず、私もテレビの画像の方を向いているしかなかった。
7・15
先週は、とても忙しかった。
学期末はいつも忙しい。三者面談もあり、書けずにご無沙汰しました。
トラブルもいくつか。
最近のトラブルの多くはメールがらみ。
子どもたちによれば、「ネットは悪口を書くためのものでしょ」
真顔でそう言う子どもに驚く。あるいは噂話のため。
大人たちの見えない世界で、言葉が独り歩きし、
自分の撮った映像をネットに投稿したりする。
大人たちほど怖がらないから、とても危なっかしい。
大津のいじめについてひとこと。
あとからいくら悔いても亡くなった子どもの命は戻らない。
いじめの内容と学校、教育委員会のその後の対応には
あきれるが、それよりも、
もしもその学校で、教師たちのチームワークがあったなら、・・・・
子どもたちの悪さを何とかしたいという情熱と、
あきらめないしつこさと、明るさと団結があったなら、
そして、担任には、自分の力の限界を仲間に打ち明けて、助けを求めるだけの
ちょっとした勇気と自信があったなら、・・・・・
そのうちのどれかが多分欠けていたのだろう。
一人の教師だけでは、集団化したいじめをストップはできない。
子どもたちの集団に対抗するには、大人たちも団結しなければできない。
一人では、疲れて、あきらめて、無力さを感じるだけだけれども
集団ならば、明るさと、いたわりと勇気を持続できる。
それが無いことが、痛ましい。この傷を両親はもちろん
クラスメートも担任も、一生引きずっていく。
だから、何とか、大人たちが、その時に、すべきだったのだ。
7・10
修学旅行の作文を読む。
金閣寺の金箔に驚き、清水の舞台や緑に、うっとりする。
途中のお店のアイスに舌鼓を打ち、
夜は同室の友達といつまでも話すつもりでいながら、
あっという間に寝てしまう。
友達ともう一度来たい。
楽しかった。京都はいいなあ。
体験でも、伝統工芸の品物ができてうれしかった・・・・
素直で、言葉はつたないが、想い出のいっぱい詰まった作文。
どの子の文章も、心躍っていて、楽しい。
ああ、よかった。ほっと安心する。
西陣では、機屋さんのご厚意で、西陣織も12人が機で織ってきた。
とても恵まれた、旅になっていたのを、実感してくれたらしい。
準備で、毎日学校に9時ごろまで残る仕事量だったが、
こうして実り多ければ、とてもうれしい。
7・9
先週が修学旅行でした。
京都への旅。
7月なので、猛暑を恐れていたが、
まだ梅雨明け前で、少し暑く、少し雨模様で
かえって、ちょうどよかった。
季節外れのせいか、高級ホテルに泊まることができ、
ツインか最大トリプルの部屋で、とても寝心地のいいベッドで
子どもたちは1時過ぎには熟睡、6時まで全く起きずに、
とても静かな落ち着いた修学旅行になった。
それでも一晩目は、異様なほどに子どもたちはテンションが高く
ホテルの廊下で前転をやったり、ごろごろ転がったり・・・(女子)
どうなってしまうかと恐れたが、ベッドが良かったのだろうという結論??
最後の3日目の船でも保津川下りは、霧雨にけむり、深山幽谷のようす、
雨で水量が増し、雷も鳴るなど、スリル満点の船旅になった。
私は、授業を創る会でも、海で、カヤックなどやっているので、
保津川下りの和船の櫓漕ぎには、見とれてしまった。
20人もの人を乗せて、オールをぐい、ぐいと漕ぎ、
激流では声を掛け合って4人でブレーキをかける。
4人の船頭さんたち、見事でした。
わざと、パシャ、パシャ、と水をかけられるたびに、
子どもたちはキャーキャー。
明日、また、旅の思い出について、続きを。
7・2
修学旅行を前に、子どもたちが楽しそうで、浮かれていて、
ちょっと心配。
1年生の時から、浅草で、伝統工芸を体験し、
2年生の時には、鎌倉でNPOの人々から鎌倉を守る活動を学び、
3年生で、京都で、伝統工芸を体験する。
10年近く前に、体験先をすべて、個人で訪ねて回った。
夏休みの暑い時期だったが、2回に分けて15か所を回ると、
その伝統工芸の素晴らしさに、改めて驚く。
もう亡くなられましたが、大岡組みひもさんでは、
1センチ幅の着物の組みひもに、
富士山や金閣寺を組み込む技術は、国宝と言われた。
西陣織の機屋さんに、頼み込んで織らせていただき、
染め屋さんの町屋の奥のウナギの寝床のような作業場に目を見張る。
どこを訪ねても、子どもたちは、楽しむだろうと、予想できる。
今まで、三年間の間に浅草、鎌倉、
どこを訪ねても、地元の方に親切にされて、
きっと、今回も、うまく甘えてくれるだろう。
班で、いっしょに行動するのは、きっといろんなもめごと付きで、
ハプニングやトラブルも、いい思い出になるに違いない。
そんな時、京都の人々に優しく接してもらえたら、
きっと、一番の思い出になるだろう。その笑顔を今から期待している。
きっと、事件やルール違反があって、苦労するだろうけれど、
それでも、笑顔が、最後に残ったら、私は満足できるだろうな。
June
6・29
授業は、第一次世界大戦。
映像でつづっている。
NHKの「映像の20世紀」の第二集『大量殺戮の完成』を見る。
映像の素晴らしさ、NHKの仕事の素晴らしさに、毎回舌を巻く。
今回、とても驚いたことがある。
「第一次世界大戦の始まりを、ドイツ国民も、イギリス国民も、
喜んで迎え、若者たちは勇んで徴兵に応じた」
映像でも、人々は帽子を打ち振り、笑顔で、出征を喜ぶ。
その理由を映像ではこう言う。
「ヨーロッパでは、平和が50年続き、
若者たちは戦争について、何も知らなかった」
「7月に始まった戦争は、数週間で終わり、
クリスマスには帰ってくると、政治家も、国民も、誰もが信じていた」
それが、悪夢の4年間になってしまう。
これを聞いて、教室の子どもたちの顔を思い浮かべる。
戦争体験を聞く機会は減り、戦争について知らない者が増えれば、
戦争の機会は増える。
平和が続くと戦争への無知が、戦争を生むとは、なんと逆説的か。
「映像の20世紀」の実写フィルムを見て、子どもたちは驚き、
映画「西部戦線異状なし」で、第一次大戦の戦争を、追体験する。
男の子たちは、主人公ポールが、友達を次々失い、
最後に自分も、狙撃される様子に、言葉を失う。
白黒で、大変古い映像だけれど、
突撃突撃、退却、突撃、退却を繰り返す戦場に、精神を病む友達、
友情や臆病さや言葉の出ないポールの絶望感に、きっと共感している。
6・28
かっこいいことばかり書いてしまっていて、
ほんとは違うのに、恥ずかしい。
昨日書きながら、自分の昔を思い出していた。
小さいころは、母に、嘘をついても、すぐばれた。
見破る母が疎ましく、怖くて嘘がつけなかった。
しかし、学生になったら、当然、母には嘘ばかりついていた。
母に言いたくないことが山ほどあった。
私の生活すべてを知ろうとする母に、ガードを固めたかった。
だから、嘘をつく必要があるから嘘をつくんだし、
嘘をつかせるような親が悪いと思っていた部分もあった。
しかし、とても恥ずかしいことが・・・・。
一番情けないのは、私が母親になって、・・・・・
娘の嘘を見抜けないことだ。
「嘘をつかせるような親が悪い」の言葉は私に戻ってきた。
仕事なら、クラスの子どもたちの嘘を見抜けるのに、
自分の子どもの嘘を見抜けない。
本当に難しい。・・・・現在でも進行中の親修行である。
6・27
ペテン師先生の話題と矛盾するが、
子どもたちには、真実が必要だ。
今日はその話を。
修学旅行を前にして、いろいろ事件が勃発。
これも、中学校らしい。事件がない方が不思議なのだが、
授業をさぼって5人もの生徒たちがトイレに。
テストでカンニング発生。下級生とのトラブルも起きる。
授業中にガムをかんでいた子も・・・・。
これらの問題を、最初は子どもたちは、ごまかそうとする。
それはそうだろう。叱られたくないし、友達を裏切りたくない。
でも、この時、自分の行動について嘘を押し通すか、
真実を話せるように決心させるか、で、
その後の子どもたちの行動が変わってしまう。
嘘をついたまま、うやむやになってしまうと、
大人の目をごまかせたことが、彼らの勲章になってしまう。
小さな万引きからエスカレートしていくように、
大胆に、確信犯的に、先生たちを翻弄して、悪さを楽しむようになってしまう。
こういう子どもたちは、「かまってほしい症候群」と呼びたくなる。
かまってほしいというように、次々と、繰り返すからだ。
ところが、その時点では、楽しいかもしれないが、
卒業後、成長すれば、「もっと普通の中学校生活を送りたかった」と思うに違いない。
だから、先生たちは、がんばって、嘘をつかせたままにせず、
自分のやったことを認めるように、説得する。
自分が悪いことをしたと認めたら、それを叱るのが、教師の仕事だ。
驚くことだが、中学生たちは、叱られることを期待している。
悪いことをしても、叱られないのは、不満で、
叱られていても、時には、うれしそうな顔をする子までいる。
説教を受けているときは、神妙な顔をしているが
・・・どうも、自分に向けられた愛情から、言われているのだと、確認しているらしい。
今日、私が「中学生の一番大事な仕事は、何?」
「大人の仕事は働くこと、中学生の仕事は勉強でしょ!
その仕事をさぼっていいと思っているの!!」と…
授業を抜け出していた子を(また演技しながら)怒ったら、
そのあとで、他の男子が
「その怒り方、愛情を感じるね」と寸評を入れた。
他の男子も「先生は、学校のお母さんだから」とも言う。
そういう役割が必要なんだと、また教えられた。
さて、修学旅行もたぶん、多少の波乱はあるに違いない。
昔、若いころは、事件が起きるたびに、
「子どもたちを信じていたのに、裏切られた」と思い、
自分の心の傷ばかり、気にして落ち込んでいたが、
今は、「子どもたちは悪いことをしたら、叱られるのが仕事」
「大人たちはそれを叱るのが仕事」と達観できるようになった。
私も成長し続けている。これは、自分でもうれしいことだ。
6・23
ペテン師先生から言われたもう一つのことで、
よく心に残っていることがある。
「子どもたちに、自分たちが先生より上だと思わせる」
「どんな子どもたちにも優越感を持たせることが大切。自尊感情が生まれるから。」
このことは、目からうろこで、最初は全然わからなかった。
まるで禅問答だった。
先生というと、
近寄りがたく、自分たちより上の存在、そう思わせなければならない、
・・・とたいていの先生は思っている。
そういう常識とは逆行している。
だから、たいていの先生は、そう簡単に自分の非は認めないし、
威厳と距離が大事だと思っている。
逆に、親しみのある先生になれ、というのとも違う。
若い先生たちの中には、もちろん子どもたちとともにと考える先生もいる。
でも、ベテラン先生が言うのは言葉の通り、
「子どもたちに優越感を持たせる」ということだった。
それを心がけていたら、子どもたちの前で、格好つける必要が無くなった。
だから、いつの間にか、私も、隙だらけの先生になった。
よく忘れるし、よくまちがえるし、くだらない冗談を言うし、
何でもできるようになった。歌を口ずさんだり、
格好をまねたり…演技ができるようになった。
そうしたら、子どもたちは、逆に勉強するようになった。
授業が完璧でなければ、子どもたちが、自分で補うようになったせいかな?
6・22
今日は、閑話休題。
昨日の女子会でした話を。
私が若いころ、超ベテランの変わった先生がいた。
自分を「ペテン師、詐欺師」と呼ぶ。
その先生のあまりに普通じゃない言動に、周りは困惑した笑いしかできない。
放送で「○○先生、若い女性から電話です」との呼び出しに、
あわてて○○先生が職員室に駆けつけてみると、業者の勧誘電話だったり、・・・。
ところが、その先生はさびしがり屋で、通勤が私と同じ路線を使うものだから、
朝夕の通勤を「一緒に」と毎日誘われる。
人付き合いが苦手な私だったが、断れず2年間、朝夕、この先生と通勤を共にした。
困惑すること、はなはだしい、でもがまん。
さまざまな話を聞かされる。
その中で、時々、私のことも話題に出る。
「管理職が、よく君ががんばってるってほめてたぞ」
そう言われて、たいてい私は普通通り「先生、そんなの、また嘘でしょ」と受け答えをする。
一種の日本人特有の「謙遜」、「謙譲の美徳」??
この二年間は、今から考えても、一番荒れていた学年だった。
暴力騒ぎ、授業が成立しない、学年の先生たちのチームワークも皆無、
一番の問題は、先生たちがよく休むし、問題が起きても駆けつけないことだった。
9クラスの担任の中で女性は私一人。
しかも小学校から移ってきたばかりの私が女子の生徒指導担当?
2年の間には、けんかの仲裁に入って、殴られたこともあったし、
「おはよう」と言っただけで虫の居所の悪い男子に、蹴っ飛ばされたこともあった。
ベテランの先生に「がんばってるってほめてたよ」と言われると、悪い気はしない。
さて、この子たちを2年間受持ち、やっと卒業させた。中学校で初めての卒業生だった。
そのあとで、ベテラン先生がこう言った。
「君は力があるから、また頑張ってほしいって校長言ってたよ。また三年担任だって・・・」
この言葉を聞いた時、心身ともに疲れ果て、やっと卒業生出したばかりの私は、
地獄のどん底に落ちた気がした。
また、この苦労をすぐにするの?・・・ああ、神様っていないのかなあ
人と話をする気も起きず、3月暗い顔をして学校に通う。
春休み前、学年のほかの先生にそっとささやかれる。
ベテラン先生からの伝言だと言う。
「担任の話、あれ全部ウソだよって、言っといてって」
・・・・・・・・・・・・・・・・・!!! だまされた。!!!!
悔しくて、悔しくて・・・・きっと、先生はペロッと舌を出しているだろう。
でも、だまされた自分にも悔しい。
「校長からほめられてる」と聞いて、その気になり、
「力があるからまた三年だと言ってた」こともあるだろうと、思いこんでいた自分。
確かに、管理職は多少認めてくれていたかもしれないが、
半分の真実を使って、ペテン師先生は、私をひっかけた。
ベテランの先生の手のひらの上で、踊らされていた感じ、悔しい、悔しい。
きっとベテラン先生は「詐欺師を信じるなんて、まぬけだよ」というに違いない。
二年間も、耳元でささやかれ、始めは「嘘でしょ」と応じていたのに、
二年間ささやかれると信じてしまう、この情けない自分。
それよりも・・・・・このだましを達成するために、
二年間も嘘をしくみ続けたベテラン先生の技に、完敗だった。
大人もその気にさせられてしまう、
これは、私にとって、自分自身で体験した、信じられないような、
それでいて、かけがえのない教訓になった。
ペテン師というのはそういうものか。
毎日ほめられると、始めは信じていなくても、その気になってしまう。
子どもたちも、そうやって、その気にさせるんだ。
ペテン師の技は、そういうものか。
若いころは、それしかわからなかったが、
年月を経て、私もペテン師をめざすようになる。
とても、まだまだ修行が足りないが、演技は多少できるようになった。
少し成長したとほめてもらえるだろうか?、
6・20
明日から期末テスト。
社会科は得意な子どもたちは、喜んで暗記するが、
嫌いな子どもたちにとっては、何を暗記すればいいのか、
途方にくれてしまう。
私も実は、いちばん社会科が嫌いでした。
なぜ、北条一族の名前を何人も覚えなくてはいけないのか
なぜ、明治維新の四字熟語を、覚えなくてはいけないのかと
そこにまずつまづいて、興味を持つことは全くできなかった。
一番社会科を嫌いな子に照準を合わせる、・・・・
それを心がけ始めたのは30代後半です。
教科書から重要事項を拾い出すのが一苦労。
それで、暗記カードを作りだしました。
手作りの暗記カードです。はさみで切り離せば暗記カードになる。
2年から使い始めているので、みんなずっと暗記カードをまず覚える。
どこの教室に行っても、友人同士、問題を出し合っている。
どこか、教師というのは「勉強の方法は自分で考えなさい。」
「子どもたちに迎合するのはよくない」と考えてしまうところがあるが、
私にとっては、子どもたちは「授業の同志」のようなもの。
だから、能率よく覚える方法を考えた。
この暗記カードは15年以上続いている人気教材です。
6・19
子どもたちは、いい時もあれば、悪い時もある。
それは分かっているのだが、
昨日は、本気で怒った。
授業の流れで、本物の素晴らしい絹糸を見せたくなった。
きゅっきゅっと、衣擦れ=絹ずれ?かもしれないと思うくらい
やわらかで、しなやかで、強くて、ふわっとした
本物の西陣の糸を、本物だからこそのものを、触らせたかった。
他のクラスは、私の意図を全部理解してくれるから、教具は大事に扱う。
しかし、担任しているクラスは、どうも私に甘えて、いいかげん。
それが、象徴的に出て、せっかく美しく巻いてあった絹糸を、ぐじゃぐじゃにされてしまった。
今週は、こうした行為が続いている。
ぜひ見せたいという私の気持ちが、全く通じないことほど悲しいことはない。
私の怒りにも、黙るばかりで、周りに、謝れよと言われても、そ知らぬふりをする三人。
授業の意図が伝わらなければ、せっかく用意しても、今後も水の泡になる。
・・・・・・本物の怒りの感情を、そこは「演技」しながら、子どもたちにぶつける。
そして、・・・・今日の朝、引きずることは、子どもたちが嫌うので、
奥の手を使う。権力者としての脅し、
・・・・まあ、そこは経験で落としどころを考える。
朝、「今日中に三人が謝りに来なければ、修学旅行の部屋割りを全部私が決める」と宣言。
さっそく、次の時間には三人とも謝りに来た。
少し話して、すべて解決。あっという間にいつもに戻る。
大切にしてくれなければ、子どもたちに見せられない。だから正念場だったのでした。
6・15
水曜日に開けた缶詰を、学校の冷蔵庫にしまっておいた。
木曜日、全クラスの授業があるので、どうしようかと迷いながら、寝床についた。
朝、相棒にアドバイスを求めると、
「やっぱり、食べさせないほうがいいよ。
絶対度胸試しと言って食べたがる子はいるけど・・・」
私もそう決断する。
おいしい物ならごちそうすることになるけど、
あまりに私自身も食べることへの抵抗が大きすぎるから・・・・・や〜〜めた。
でも、あゝ野麦峠でも食べていたし、韓国では、食習慣があるので、
昨日冷蔵庫にしまっておいた缶詰を、見せた。
いろいろな歓声が上がり、喜怒哀楽の表情で、大騒ぎだった。
日常の常識を揺さぶられる物を子どもたちに見せるのは、とても楽しい。
好奇心とドキドキと、わくわくと、驚きの表情が、どんな子も生き生きさせる。
あゝ野麦峠もどのクラスも、見終わった。
政井みねが死んでしまう場面に静まり返る。
結核で当時死ぬ人が多かったこと、
あなたたちが結核にかからないのは、子どもたちが俗にいう「ハンコ注射」のためであること、
今でも結核にかかる若い人が多いこと、栄養が偏り働きすぎるとかかりやすいことを伝える。
ちなみに、水曜日、驚くべきことを聞きました。
若い男性の先生が、学生時代、中国の奥地を旅した時、
蚕のさなぎを旅先で、生で食べさせられたこと、
それだけでなく、蚕の幼虫まで食べたこと。
それでも、今日食べたさなぎの缶詰よりは、
蚕の幼虫の方がクリーミーで食べやすかったとの感想でした。
ゲテモノ食いの話…と思っていたが、
後から考えると、内陸の民族で、蛋白源が少なく貧しい時、肉も無く大豆もあまり取れない時には、
昆虫食も人類はしてきただろうなと思い至る。馬鹿にしてはいけない話だったようだ。
6・13
今日は、市内の社会科教員の集まり。
その仲間に、ドッキリを体験してもらった。
何かというと、蚕のさなぎの缶詰の試食です。
以前、韓国に行った人からのお土産でもらったのだが、
珍しいのと貴重なのとで、取っておくうちに賞味期限が切れ、
そのままに・・・、今もとってある。
その後、新大久保の韓国街スーパーで
一缶百円で見つけました。
それを、子どもたちに見せたら、戦々恐々・・・・
味見したいという子もいるのだが、私の方で、勇気が出ない。
まず、私が食べてみずして、子どもたちに食べさせられはしないと・・・・
その道連れに、市内の仲間の先生たちに試してもらったのです。
どうだったと思いますか?
韓国では、ソウルでも、屋台で売っていたので、もしかしたらおいしいかなと・・・
・・・・でも、一口で食べ終わりましたが、予想通りの味。
缶詰を開けた時の臭いが、やっぱりまゆを煮た時のもの、
しょうゆ味と書いてはあるが、私にはさなぎ味としか感じない。
他の人の中には、思ったほどまずくない、小豆の煮た豆かすみたいな感じ・・・
と表現する方もいたが、・・・・・口の中のがさつき感が、予想通り。
がさがさと、口の中に残る。
ウエーッとやっぱり吐き出す人もいて、これは様々でした。
どちらかというと、子どもたちには、缶詰を開けた時の迫力だけで十分です。
明日ためしてみます。どうしても食べたいという子には、・・・試してもらおう。
6・9
映画「あゝ野麦峠」をご存知ですか?
社会科の教員なら、聞いたことはあると思うが、
若い先生ならどうだろうか?
大竹しのぶが高校生の時に、
明治後期の製糸工場で働く工女を演じた、山本薩夫監督の名作である。
日露戦争の戦闘場面も挿入されているし、
明治時代の製糸工場のようすがよくわかる。
子どもたちが一番驚くのは、
今からは想像のつかないスパルタ式工女養成のようす。
工場に就職したとたんに、ビンタで喝を入れられ、
トイレに行く暇、休憩する暇、食事をとる暇もないほど
追い立てられ、12時間以上の労働をする。
労働の激しさに、自殺をする工女、結核で死亡する工女も描かれている。
同世代の少女たちが働く様子に、目が釘付けになっていた。
生徒たちは、自分たちが生糸もとったから、
工場の臭い、繭の手触り、糸が巻き取られていく様子、すべて他人事にならない。
生糸を手際よく巻き取っていく工女たちのプライドも、
理解できると思う。
こうした人々に支えられ、近代の日本は作られた、
そう、わかってくれると思う。
過去に生きた人々を、少しでも感じる、それが歴史の授業の楽しさ。
6・8
生糸取りの体験のあと、
以前にフィールドワークで手に入れた生糸の実物を見せる。
10年近く前に、会のフィールドワークで、野麦峠を歩き、
そのあと、実際にまだ生糸を取っている作業場を訪れた。
まだ、生糸を取っていることに大変驚き、感激した。
その勢いで、3万円もする数キロの生糸の束を購入した。
そのうちの一部を、子どもたちに見せる。
その白く輝く美しさに、オーッという声が上がる。
「白髪みたいに細い」
「先生、モーツァルトのかつらですか?」
この言葉には、思わず、笑顔になってしまう。
そう言われて思い出す。
白く光る生糸だけでなく、濡れたように光る
紅や緑の、西陣の絹糸も見せたい。
実際に自分で試してみて理解できたことだが、
人類が、絹糸を愛したのは、その、染色の発色の良さだ。
色に染めてこそわかる絹糸の輝きがある。
西陣の織工房でいただいた、縦糸、横糸を今度見せよう。
6・7
今週、どのクラスも、蚕のまゆから糸取りの実習を体験した。
本当に大変。
落ち着いて作業するまでに、15分以上かかる。
まず、蚕のまゆを煮た時のにおいが猛烈で、
そのにおいに、逃げ出そうとする。
でも、紅花と同じで、においは、作業上、どうしても避けられない。
そして、煮た蚕のまゆを、中学三年生が、さわれない。
だから、糸取りができない。
男の子たちでも、「先生、できない」「先生、こっちに来て」
「さわれないよ、どうするの?」
蚕のまゆが、くるくると動いたと言っては、キャーキャー、
蚕を煮た水が、手についたと言っては、キャーキャー、
ひとしきり、大騒ぎしている。
でも、ひとつのグループが、美しい糸を、糸枠に巻き付け始めると、
周りのグループも、がぜんやる気になり、少しずつ、声が静まっていく。
不思議なことに20分もすると、静かに雑談をしながら、夢中になって、糸を巻きつけている。
教室中を回る私に、どのグループも、「先生、私たち、上手でしょ!」と自慢する。
そのくらい、コツを少しつかんでしまえば、光沢のある細い糸が、
糸枠に巻きついて、見とれてしまうほどだ。
最近は、中国製の安いシルクも出回って、私たちの生活の中にも、絹製品が増えている。
そうした衣料品が、どうやって作られているのか、ぜひ、知ってほしいと思う。
中国では数千年前に、百gの蝉の羽のように薄い絹の上着を、役人の妻が着ていた。
そんな素晴らしい衣類を、蚕が創りだしていることをぜひ、知らせたい。
虫から糸をもらって、衣類にするなんて、それこそ人類の不思議ではないかと思います。
6・3
昨日は体育祭。
どうしてこうも、たいていうまくいくのだろう。
学級旗コンクールは優勝。
綱引きも同時三クラスだが、優勝。
(本番だけ本気でというのは、やっぱり作戦だったらしい)
男子学級対抗リレーは三位、女子は四分の三周遅れの五位。
クラスのみんなが、それなりに満足した。
特に、男子リレーはコーナーで競り合って転ばされてしまった男子が二人。
それでも、負けずに立ち上がり、最後まで走り切った。
実は、学級旗デザインは、県のマスコットを入れるだけのシンプルさで、
誰も、優勝を予想したメンバーはいなかった。
でも、マスコットを立体的に仕上げ、迫力十分にしたのは、文科系女子の実力。
体育祭の最後に、最近教室に入れずにいるFさん、
そして、いっしょに走ったNちゃんも呼んできて、
記念写真を撮って盛り上がった。
やっぱり、クラス担任としては、
メンバーみんながベストを尽くし、その結果がちゃんと出て、
みんな頑張ったね、と子どもたちどうし笑顔で言い合える、
そんな体育祭に、毎年したい。
だから、みんなの努力と、幸運と、その結果に感謝したい。
学年他クラスも、それぞれ何かしらの優勝を果たし、
三年生の有終の美を飾った。
今回も、「終わりよければすべてよし」となった。
そうなってしまうのが、中学生の実力とも言える。
だからこそ、中学生の魅力に引きつけられてしまうと、教師がやめられなくなってしまうのです。
やっぱり中学生と行事をやるのは、本当に楽しい。ドラマチックなのです。
6・1−続
授業は、明治の産業革命に進んだ。
そこで登場するのは、お蚕さま。
来週には、蚕のまゆを煮て、絹糸取りをする。
学校周辺は、埋め立て地で、森も林もないので、
子どもたちは、虫といっしょに育ってはいない。
そのせいで、(三年前の地理の授業でも見せたのだが、)
お蚕さまを学校に連れて行って見せたら、
悲鳴と大騒ぎと。
さわれる子は男女の別なく、クラスに10人もいない。
でも、木綿の糸と、絹糸と、化学繊維と、毛糸とを比べたら
絹糸が一番高いのは知っている。
そこで、おもしろいクイズを一つ。
木綿糸と、絹糸と、ポリエステルの糸を、
5センチくらいに切って、1本ずつ用意し、当ててもらった。
一クラスは16人が絹糸を当てた。
もう一クラスは5人しか当てられなかった。
見破った子どもたちは、やはり、光沢とさわり心地で選んだ。
来週が楽しみだ。自分たちで取った絹糸を、どう形容してくれるだろうか。
6・1
吉報が一つ。
女子は、50m=10秒台がたくさんいたのに、
一昨日測定したら、なんと!!みんな9秒台になっていた。こんなことってあるんだろうか?
女子がみんなで飛び上がって、私に教えに来た。
私も走るのが苦手だったから、学生の時に、速く走れる方法を
教えてもらっていたら、とてもうれしかっただろうな。
女子の気持ちがよくわかる。
もう一つは、体育祭前日になって、大問題発生。
調停に目の回る忙しさだった。
その上、女子のリーダーが、この晴天の練習が続いて、疲れがたまり、
早退せざるを得なくなった。
体調不良者、肉離れの負傷者も出て、暗雲が・・・・・。
それでも、男子のリーダーが「綱引き、優勝目指そうぜ」と言ってくれた。
だから、ここでは、謙虚に、みんなが一生懸命、競技をし、
楽しい笑顔を見せてくれれば良しとしよう。
学級旗は、和気あいあいと、放課後作っていた。
明日の朝、女子が集まって仕上げをするそうだ。
やっぱりそれなりに盛り上がってきている。
May
5・30
今日は体育祭の予行でした。
まぶしいほどの快晴。みな半日なのに、頬が真っ赤になるほど陽に焼けた。
クラスの雰囲気は、二日たって、何もなかったように自然にしている。
綱引きは2回戦まで実施した。
今日の結果は、2回戦とも敗退。
やる気のなさそうな様子にどうしたの?と女子に聞くと、
真面目な顔をして「フォームを盗まれないために、先生、わざと負けたんだよ」
本当かしら?・・・・
そういえば、おととい、全勝したとたんに、学年中の子どもたちから、
「どうして強くなったのか、教えて」と粘られました。
さて、本番の作戦、うまくいくのか行かないのか?
ちょっと楽しみです。
5・28
なんと、今日は最悪の日だった。
クラスの一番よくない部分が出てしまった。
直前まではうまくいきそうだった。
私が綱引きの秘策を授け、みんなが半信半疑ながら、勝てるかもと思い、
並び方の作戦を考えるはずだった。(今まで全敗、去年も全敗)
しかし、気持ちはそう傾いていたのに、女子はどうしても男子に声をかけられない。
男子は、リーダーがリーダーシップを取らずに、本気にならない。
しらけ始めた空気の中、見るに見かねて、私が順番を決めようとしていた時、
調子に乗った男子の一人が「勝手に決めてんじゃねえよ」
・・・・さっと変わる雰囲気。
こんな雰囲気では、私が何をしたところで、気持ちは一つにならないし、
いつも私が男子と女子の通訳や調停役をするのは、もうたくさん。
私だって、怒るんだぞ!と、机を一発ドンと叩いてストライキ。
私がほったらかしにしたら、
綱引きの練習で、今日の結果は全戦全勝だった。(やっぱり勝ちたい?)
でも、ひとつも結果は評価できない。
人を軽蔑する人間は、軽蔑する人間関係しか作れない。
さて、14歳の子どもたちはどうするだろう。
焦らないことにする。ドラマではないんだから、・・・。
3月の卒業まで、まだまだ行事はたくさんある。
自分たちで解決するよう、ゆっくり見守らなくちゃと思う今日であった。
5・26
授業は、体育祭の合間なので、復習もかねて、ドラマ「仁」を見る。
実は、よく考えてみると、ペリー来航後、
経済の混乱だけでなく、長州や、薩摩の欧米艦隊との戦争、幕府との内戦。
その一方で、海外からのコレラ菌の伝播で、たくさんの人々が亡くなった。
こんな混乱した時代でも、人々は日常生活を生きている。
「仁」は、魅力的なフィクションの時代劇だが、
歴史の授業として、見せたいかどうか、もう一度見直して考える。
「ルーツ」を授業で見た時も、歴史的事実とともに、
子どもたちは、その時代を生きた人々を「共感して」感じようとする。
クンタキンテといっしょに、反発し、逃げ出そうとし、苦しむ。
だから、「仁」も見せたいと思った。
何より、幕末の混乱期に、それでも毎日生きた人々、
それが、直接の私たちのご先祖様であることを、身近に感じてもらいたいと思う。
普通の時代劇では、江戸時代の人々に共感するのは難しいが、
その点は「仁」が特異だろう。
主人公”南方仁”が、解説してくれるからだと思う。
幕末から明治維新にかけては、歴史が苦手な子にとって、拷問のような難しい内容だ。
だからこそ・・・・。
見始めると、中学生の瞳の輝き、あまりのキラキラした輝きに、くらくらする。
ドラマ制作者に見せたいぐらい。
きいちちゃんという少年が、コレラと闘う場面にくぎ付けとなる。
生と死を考えるにも、とてもいい教材だと、7回見て痛感している。
5・25
もう一つ、クラスに課題がある。
障害児学級のNちゃんといっしょに学級対抗女子リレーをすること。
Nちゃんも走るのは苦手。下手をすると半周を走ってくれるかどうか?
Nちゃんが、歩いてしまうと、たぶん1周以上、もしかしたら、
2周近く他クラスと差がついてしまうかもしれない。
これは、私も本気でサポートしないと、と思う。
Nちゃんの担任の先生は、毎朝特訓をしてくれることになった。
Nちゃんが、手を引かず、後ろから押さずにも、半周走るように、
いろいろ試行錯誤を始めた。
金曜日、3日目で、うまい策が見つかった。
誰かが、Nちゃんのバトンを受け取るふりをして、そのまま走り続けると
Nちゃんは、渡そう渡そうとして、ついに半周走った!!!!
うまくいくかもしれない。女子がみんなそう思っている。
5・25
さて、体育祭。
何とか、団結して思い出づくりをしたい、でも走るのは苦手・・という女子と、
どうせクラス優勝できない、女子が遅いからビリだよ・・とあきらめる男子と
そんな両者の溝は、一見深いように見える。
そんな時に、みつけた。いい情報番組があるではないか。
「1時間で速く走れるようになる」「5日間で1秒速くなる」
これを見せた。
男子も、「どうせ無理無理」と言いながら、食い入るように見ていたから、
きっと、今日から家で始める子も出るだろう。。
団結なんてしなくていい・・と思っている男子でも、
周りが楽しそうにしていれば、入れてほしいと思うのが、人情。
「おれも速くなりたい」・・・・とは、絶対やせ我慢で言わないだろうが、
「おれも」・・・・と”内心思わせる”のに、成功させたい。
女子は早速、1000円で私がドンキホーテで買ってきた、ストップウォッチ3台を手に、
昼休み測っている。
競歩ダッシュのテクニックも、大またスキップも、役に立ってくれるといいな。
そうだその調子! みんなでやる気がみんなを楽しくさせるものだ。
5・24
今、体育祭準備が始まっている。
今年のクラスは、昨年の途中から男女の仲が悪くなって、とても困っている。
2年生の最後の時、3月、あまりの仲の悪さに、討論会をした。
もっと仲良くなりたいという女子に対して、
男子は、男子だけで十分楽しいから、今のままでいいと主張。
照れて、お互いの顔を見合わせて笑ってしまう男子。
この照れ笑いが、女子には理解不能。火がついてしまう。
「女子が泣いているのに、何で笑っているんですか?」
いつもは全くしゃべらないKさん、Hさん、Mさん、Yさん。
男子は、驚き、気まずくなって、討論会は終わった。
不毛な議論のように思えて、女子はがっかりしていた。
でも、意外なことにそれ以来、会話は増えてきた。
たぶん、本音をぶつけたせいだろう。
金八先生じゃないけれど、学校にはドラマの中より、もっとドラマチックな日常がある。
本音をぶつけるのは、ドラマの中だけではなく、
本物の学校の中でも、本音こそ人の心を動かす。
でも、体育祭、どうしよう!!! 走るのが苦手な女子を男子が疎ましく思っている。
5・19
昨日、Kさんに、相談されました。
「先生、美術部部長として、私はもっとみんなを、引っ張って行った方がいいと
思うのだけれど、それがうまくできないんですけど、どうしたらいいんでしょうか」
私には、温厚なKさんが、みんなから信頼されていると思うのだが、
部長という役割に、Kさんは悩んでいる。
例を出して説明した。
「私が担任だけれど、このクラスを引っ張っていきたいと思って、体育祭に優勝するぞと
”毎日朝1時間前に来て、秘密の特訓をするぞ”って言ったら、みんなどう思う?
嫌がるよね。いつも引っ張っていくのが、リーダーじゃないんじゃない?
みんなの意見をよく聞いて相談する方が大切なんじゃないかな?
その点、あなたは強引じゃないし、今まで友達の仲直りにもずいぶん間に立ってあげてるし、
今までやってきたように、友達のことをよく考えて、部活でも同じようにすればいいんじゃないかな?」
Kさんは、ニッコリして、「わかりました」と、教室を出て行った。
私の一言で、自信を持って、笑顔になってくれるとは、なんとうれしいことだろう。
励ました方の私が、逆に、子どもたちから自信をもらい、こうやっていつも育ててもらっている。
5・17
中学2年生、明治時代の徴兵令について学ぶ。
徴兵を免れる人の条件の話に、男子は興味津々
私が父から聞いたしょうゆを飲んで徴兵を逃れる話に驚く。
健康診断で身長が154,5p以下の者は、兵隊になれない話をすると、
いつもチビと言われているM 君、ひそかに一人でニッコリ笑顔になっている。
その笑顔を見つけた私は、とても楽しい。
視力が悪い人もダメだったと聞くと、眼鏡をかけている男子が次にまたニッコリする。
そして長男も、兵役を免除されたと聞くと、今度はため息をつくのが、二男三男の現代の少数派。
やっぱり男の子たちは、兵隊になどなりたくないと、真顔で表現している。
一番びっくりする話をする。
沖縄のおじいさんで、徴兵を逃れるために、自分の体を傷つけて戦争に行かなかった話。
ぬちどう宝を体現したかた。
どこを傷つけたのかと聞くと、しばらく考えて、子どもたちは当てる。
聞き手の方の人差し指、引き金を引く指。
結局いっしょに徴兵された人は、戦死したけれども、おじいさんは生き残った。
その写真もあるので、いつか見せてあげよう。
5・10
ガンジーの次に学んだのは、奴隷貿易のアメリカドラマ「ルーツ」。
ルーツはどの年に見せても、そして今年も大人気だった。
登場人物はアレックス・ヘイリーの先祖にあたる、「クンタキンテ」
アフリカの大地で成人式を上げ、誇り高く弟に太鼓をプレゼントしようと、
森に入って奴隷商人たちにつかまる。
船の中の反乱も失敗し、大農園での脱走にも失敗する。
今なら想像を絶する体験に、中学生たちは息をのむ。
クンタキンテが、決してへこたれず、奴隷になっても、自分を見失わない。
自分の名前をクンタキンテと言い続ける強さに、
男の子たちは、ひかれてしまうのだ。
先週、「僕はガンジーにそっくりです。」と書いたY君、みんなの???疑問顔にめげず、
今週は「僕はクンタキンテの強さにそっくりです」と、懲りずに書いて、みんなの笑いを誘っている。
ルーツは6話にわたっているので、クンタキンテが10代までの第二話までで、ドラマを見るのをやめるが、
みんなはハッピーエンドを期待し、「クンタキンテがお母さんと再会するのじゃないの?」
「クンタキンテがアフリカに戻って終わるんじゃないの?」と抗議の声。
苦労したクンタキンテに、幸せが待っていてほしい、・・・そう彼らは考えてしまう。
自分で気づかずに、自分の中の優しさを、ちょっと生意気に見える男の子たちでさえ、ポロッと出してしまう。
希望を持ちたい純粋な気持ちが見える。
そんな中学生がたまらなく好きだ。
授業をすればするほど、中学生たちと心が通じ合うように思う。
私も笑顔、子どもたちも笑顔、だから授業は最高!!
5・5
14歳の女の子Uさん、ペリーが日本に来た時、あなたならどうするかと、授業で、考えてもらったら
「日本人全員でサルのまねをして、サルの王国だと思わせ、追い返す」と、発言。
みんなをけむに巻いた。
頭をひねるクラスメートに、本気でサルのまねをするので、みな爆笑。
でも、30分後、今度は、インドのガンジーの勉強を終え、感想を求めると、同じUさん、
「イギリスは武力は強かったが、非暴力不服従をつらぬいたインドの方が、
勇気があってほんとは強い」と発言。
クラス中を、みな、うならせた。
ある子は「深いい〜〜い」とハンドルを倒すふり(テレビのまね)
私も、うなる。
ひとすじなわではいかない14歳。