Q まだまだ話はあるでしょう?
A そうですね。鉄づくりかな?
Q 私たちの会では、砂鉄から鉄を作りますよね。
トップページの写真にあるように。
A 私も仲間の先生に、やらないのかと言われて、
ようやくチャレンジできた。
まず、自分が頑張らないとだめでした。
Q そうですよね。準備もものすごく大変だし、
鉄ができるかどうかも大変だし、子どもたちにけがをさせずに、
ちゃんと一日終われるかっていうのが、
最も大変だった。
私も全部で5回やりましたけど、
他の人に勧めて、クマ先生を含めて二人やりましたね。
A そうそう、まず、あなたの鉄づくりを見に行きましたね。
九州から飛行機で飛んで行った。
Q どうでしたか?おもしろかった?
A ワンパクな男の子が、ちょろちょろしていて、
いつも注意されていて、見てて面白かった。
桜の木に登ってたでしょ。
Q あれは、炉のようすが、200人以上いたから、見えなかったからですね。
でも、前日、ケンカをしたり、
ワンパクが炉の上に乗っかって、ヒビを入れさせたりして、
当日できるかどうか心臓が飛び出るほど、心配して苦労しました。
A 子どもの自由さがおもしろかった。
それから、絶え間なく子どもたちがふいごの当番をやっていた。
何月でしたっけ?
Q 12月でした。2学期の期末テストが終わった後、
12月の頭になると、ようやく雨が降らなくなって、
乾燥し始めるんです。空気が。
それに、年を越すと、今度は寒すぎて、
外の作業がしずらくなる。だから、関東では12月初旬が最適です。
私は5回とも12月でした。
A そう、私が行ったのは2回目の時だったかな
1回目の時だったかな?
校門を入っても案内が無くて、でも、こっちかなって
行ってみたら、体育館の裏でやっていた。
当たりでした。東南の角の敷地でした。
Q 12月なのに、東南の角の敷地はあったかいんですよ。
北風も来ないし、絶好の場所でした。
クマ先生は、もちろん前日に飛行機で来て、泊まっていたんですよね。
A まず、会の中で、案内してくれたでしょう?
いついつ鉄を作りますよって・・・。
その案内を見たらすぐに飛行機の予約を取りました。
飛行機で前日に出て、前日はホテルに泊まって、
朝、早く行きました。朝一番のバスでね。
そうしたら、もう火を焚いていた。
Q 火を焚き始めたのは6時半くらいだったかな。
そのころは夜明けの薄暗い時から・・・でした。
A そうそう、そして、その日の日没後、終わりまで全部見た。
できた鉄の塊をジューッと水につけるまで見た。
Q 自分がやろうかと思って見に来てみて、どうでしたか?
A 自分でもやれそうな気になった。
Q それから?とにかく一日がかりだから、いろいろ分かったでしょう?
A いろいろ学年の先生たちが協力してくれていた。
それも、がんばってるなあって思ったし、
だからこそやれるんだなあと思った。
Q それから?
A ふいごの当番が、間を置かずに次々とやるのがすごいと思った。
間があかないのがすごいと思った。
Q 中学生は、とにかく暇になると危ないから、
いろいろ仕事を割り当てていましたからね。
ちゃんと30回ぐらいずつ、やったらチェックしておくように、
さぼる子がいないように、してましたよ。
でも、ふいごは楽しいんだよね。
上に座っている子たちが、がんばれがんばれと
声かけるから、おもしろがって、体力勝負する。
A それから、普通の炭を使っていた。
あれも、どうやって買ったのかな?
Q 最初はバーベキュー用の安いやつ。
でも、最後のころは手に入らなくなったから、
ネットで探して、炭焼きをやっている方から送ってもらいました。
炭代がすごくかかるんですよね。数万円かかってしまう。
島根のたたらの里の山は
丸裸になるのは当然だなあと思うくらい。
もののけ姫に出てましたよね。
A 僕も鉄づくりを見て、一気にダイナミックな面白さに
取りつかれましたよ。
高校に帰ってから、研修届を出して報告しました。
自分もいつかやるぞと心が決まったくらいです。
Q そして、実現したのは?
A 退職した最後の年に鉄づくりをしました。
Q 準備で苦労したでしょう?その苦労話をきかせてください。
A 学校で一番の問題が、職員の協力をもらうことだったですね。
でも、その話はあとで出てきます。
ふいごがまずどうしたらいいかと思った。
Q 送風機でいいようなもんですが、私の5回の実験では
ふいごでないと、いい鉄の塊はできませんでしたね。
A そうでしょう?だから、ふいごを何とかしようと思ったわけ。
できるだけ、ふいごなんかは身近なものとして、本当は
地元の博物館で借りたかった。
Q 貸してくれましたか?
A いやあ、貸してくれなかった。
Q ええっ? どうして?
A それはね、あとから考えると、そこの博物館自身が
どうも鉄づくりをしたかったらしい。
それをやりたかったのに、先に越されると
鼻が折れるから貸さなかったのだと思います。
Q なんと、器のちっちゃなこと!
でも、ふいごが無いとできないでしょう?
A そう、そうしたら、伊豆の細田さんから送ってくれた。
Q 私たちが、いつもヨット合宿でお世話になった細田さんだ!!。
(機関誌3巻3号掲載)
そう言えば、細田さんたち社会人グループも伊豆の砂鉄から
鉄を作る実験をしてましたっけね。
A そう、ふいごは、だから一安心。今度は砂鉄。
砂鉄は出雲から送ってもらった。
偉い人から送ってもらった。
Q 私も1回目は送ってくださったけれど、
その後、資源の問題があるからと断られましたよ。
だから、鎌倉の浜に行って担いで帰ってきたら、
死ぬほど重たくて、50肩になりました。
A それは大変だ。
私は送ってもらえてとてもうれしかった。
Q 他の準備するものは?
A うん、うん。それから、炉の内部のモルタルですが、
久津見さんからモルタルの会社の住所を聞いて、
岡山から送ってもらいました。
Q そう、鋳物用のモルタルですね。
A レンガは耐火煉瓦は地元の店。
鉄のパイプは特注で、地元の工業高校が作ってくれました。
Q いよいよ地元と、先生たちの協力の話ですね。
A 勤務していた定時制の教頭さんが工業高校の先生と知り合いで、
作ってくれたんですよ。
Q それは、高校ならではだ。さすが高校、技術者がいますね。
A パイプにつないで風を送るんだけど、ふいごだけではだめなので
送風機も買いました。定時制だから、夜しか子どもたち来ないし・・・。
そうすると、ふいごを昼間やる人がいないんですね。
だから、送風機で風を送ることにして、・・・。
Q 炉づくりはどうでしたか?校庭に作れましたか?
A それが、地面がものすごく固いんです。
スコップで掘れないくらい固い。
ところが、そこしか使えない。他は使っていますから。
Q それじゃあ、すごく困りますね。
高校生でも掘れないんじゃ、炉が作れませんよ。
A それが、違うんですよ。
定時制の子どもの働いているところの親方さんがいて
その親方がわざわざユンボを持ってきて、・・・。
その子は左官屋、コテの扱いは得意。職人です。
Q すごいですね。高校となると迫力が違う。重機までとは。
A そのユンボで深さ50センチくらいの穴を掘ってくれた。
Q そうか、機械で掘ったんだ。
A それからドラム缶も設計図通りに、カッターで切ってくれた。
Q それは誰ですか?
A その親方が、廃品回収業者のところを回ってくれて
カッターで切ってくれた。
Q みんな、プロ級ですね。あ、プロか!
A それから、職員の人たちもたくさん助けてくれた。
教頭さんが借りてくれた工業高校から借りた道具
例えば、金ばし、とか、たくさん。
それから当日の見張りの職員は9人。
子どもたちが逃げないように、入れ代わり立ち代わり。
そして、安全確保も必要だし。
Q 当日まで、やはり、一人では無理ですよね。
その前に戻りますが、炉づくりはいつからやりましたか?
私は10月からかな? 準備は9月からだけど。
A 僕は、9月からずっと炉づくり。
時間をかけて乾燥しないとだめだと思ったし、・・・。
Q それじゃあ、ずっと長期間、湿気を防ぐのが逆に大変だったでしょう?
台風の季節もあるし・・・。
A そうだった。雨がかからないようにブルーシートで保護して。
それだけじゃなくて、ヘアドライヤーを中古業者から
2〜3台買ってきて、強制的に乾かすこともしましたよ。
炉づくりは、さっき言った左官屋の生徒が、手伝ってくれて
でも、生徒が来るのは夜だから、それまでは、
私が昼から一人で作り始めた。
Q 左官屋さんの生徒は、プロだからじょうずでしょうね。
A そうですよ。コテには種類がたくさんあって、
その左官屋さんの生徒一人に、教えてもらいながら、作りました。
でも、子どもたちとやるのは、夜だから寒い。
当日もすごく寒かった。冷える、心から冷える。
Q さあ、当日ですね。
A そうですね。12月上旬、
Q 長い道のりでしたね。
A 当日までね。見物人がいろいろ来ました。
Q どんな人たちですか。
A 見物人がいろいろ、家内もね。
Q それはよかった。奥様も当日、見学ですね。
A まず、朝から、焚き始める。
でも、定時制だから5時以降に子どもたちは来る。
Q ふいご当番や送風が、生徒がいないと大変ですね。
どうやって見学計画を立てたのですか?
A まず、定時制は登校すると、給食を食べます。
Q ああ、夕飯になるんですね。
子どもたちに栄養を取ってもらっていいですね。
A 給食を食べたあとが作業になります。
Q 給食を食ベ終わるのは何時ごろ?
A 5時半以降に4クラス
Q 定時制高校って何人くらいですか?
A 4年間で卒業でしょ?
そして、1学年1クラスずつ、
だから4学年だから4クラス。
Q ふいご当番は学年ごとにやったんですね。
A そうです。4時間ね。
でも、休み時間は間が空く。
だから、5分間、見物人や職員がふいごをする。
そして、次の学年が来る…4クラス終わった後で、
Q 定時制で夜作業というのはこれは大変だ。
じゃあ、炉を壊すのは夜で、それも
それ以上遅くなれないから大変ですね。
A そうなんですよ。
まず、ふいごで送風して、
砂鉄を炉に挿入して、炭を今度は入れて…
という作業を子どもたちに
やってもらわなくちゃいけない。
Q そうか、子どもたちが学校に来るのは夕方で、
もう一度繰り返すと、5時半以降に
その砂鉄を入れて炭を入れるのを4時間するわけですね。
その後に炉を壊すから、深夜?
A それは深夜まではいかないけど、
炉を壊すのは定時制だから9時ごろ。
それ以上伸ばせないわけです。
Q そうですね。次の日に子どもたちは仕事もあるし。
A そうだし、何よりも職員の勤務が10時まで、
学校が閉まってしまう。
Q 定時制は、そういう面はやはり大変ですね。
A でも、取材でマスコミも来ていたんです。
Q 夜の炉の炎はきれいだったでしょうね。
取材には変則的だったかもしれないけど。
新聞社ですか?
A そうです。西日本新聞と熊本日日新聞。
熱心だったのは熊本日日新聞。
Q どんな風だったんですか?
A 子どもたちの写真を取ろうとしたり、
インタビューをしたり、子どもたちの写真を
クローズアップして、村下みたいに撮ってくれる。
Q ああ、炭や砂鉄を炉に入れる場面ですね。
とても格好がいいですよね。
A 私にとっては、子どもたちの写真を
撮ってもらうのがうれしかった。
格好がいい、手つきも良いし
日頃の写真を撮るのには、高校生は逃げるけど
この時は違いました。
自信たっぷりで砂鉄を入れる女の子を撮ってくれました。
Q いい写真が撮れたでしょうね。
A やっぱり私としてはとってもうれしかった。
子どもたちをスターにしてくれるからですね。
Q 他にどんな人たちが?
A 博物館の人も来ていたけれど、
道具を貸してくれなかったからちょっと嫌な気分でした。
Q でも、その後博物館に道具は全部
クマゴロ―先生が貸したんでしょう。
A う〜〜ん、でも、その道具も
全然生かしてもらえずに、放置されていて、心が痛みました。
Q それはひどい。でも、先生自身の鉄づくりは
うまくいきましたよね。
A もうちょっと火を焚きたかったけど、さっき言ったように、
終わりは10時なので、9時ごろ炉を崩し始めました。
Q どうでしたか?
A それが、炉を壊したのは、男の子たちが全部やってくれたんです。
生徒たちがほとんど成人だから、40歳の高校生もいるわけですし・・・。
Q そうか、40歳の生徒か・・・、
貫禄がありますね。
A 手際をよくやってくれる。
きちんと一段ずつ崩していって、
そうやって炉心の赤い炎が出てくる
Q いよいよ最後のところですね。
炉を崩していくと、中から真っ赤な鉄の塊!!
A そう、真っ赤な鉄の塊が出てきて
それを、地面に掘った穴に水をためてある、
水池のところに、投げ込むところもやってくれた。
Q みんなどうでしたか?歓声が上がった?
A そうそう、45歳の高校生の女性が、歓声を上げてくれる。
Q ちゃんと高校生も歓声上げてくれましたか。
A 教頭さんもちゃんと塊が出てきたと叫んでくれました。
Q おおすごい! 自然と認められた。
でも、当然ですよね。あれは迫力がすごいですもの。
Q 教頭さんは前任校で、工業高校やってるから
関心は持ってくれてたけど、
できると信じていなかったんでしょう。
でも、ちゃんとできたと言いましたよ。
認定してくれた。
Q それは何よりだ。うれしいですね。
A 僕が言うんじゃなくて周りができたできたと叫んでくれる。
Q それが醍醐味ですよね。ワクワクしちゃうな。
A でも、授業しながらだから、1〜3年生まではいない。
Q なんと、それはもったいない。他の学年はふいごだけ?
全校でやればよかったのに。
ビデオは撮ってあって、あとで見せたんですか?
A いえいえ、記録はとってなかった。
ビデオの係も作ってなかった。
Q 作ってあったら、子どもたちがじょうずに撮ったでしょうに
残念でしたね。それは。
A 僕は、とにかく安全と鉄ができるかどうかだけが気になっていた。
Q そりゃそうです。それを一番に考えないと、
危なすぎます。
A マスコミも勝手に教頭さんたちが呼んでいたんです。
Q でも結果的にはよかったですね。で、できた鉄は?
A できたやつはバケツに入れて持っていった。
そして、磁石にくっつくところを見せて、鉄ができた!
とみんなで確認その時にしたわけです。
Q 磁石につくのは感激ですよね。
A そうですよ。おじさんたちだから18歳だから
中学生のような驚き方はしないけど、顔が違う、
表情で分かるっていうか、はしゃぎはしないけど、
それに関わってきたっていうその表情しか読み取れない。
Q じゃあ、あとでどう感じたか、それはわかった?
A いやあ、感想は書いてもらわなかった。
Q もったいなかったですね。何か書いておいてもらえれば・・・。
どう感じたか、それもご褒美になるけれど。
A 一人でやってるから必死。
とにかく、最後までやけどもけがもせずに終わったと
ホッとしたし、校庭を元に戻して、きちんと無事に
終了させることが一番の目的だった。
Q それはそうです。やりっぱなしだとまずいですよね。
A それで満足した。
鉄づくりは、総合の授業の時間の中でやりました。
授業の長年の課題でした。
鉄を作って楽しみたかった。
Q 実際にやってみて、じゃあ、よかったですね。
A ただ、いろいろな制約があって難しい部分があったから、
総合の授業時間の中で試してみようとしたわけです。
Q それはどういう意味ですか?
A 社会科の時間の中では、みんなに協力してもらうのは
ちょっと難しい。
でも、総合の授業の時間の中なら
教科の枠を考えずにやれる。
職員の協力も得られる。
もしそうじゃなかったら、教頭さんも動いてくれなかった。
Q 結果的にいろいろな人のじょりょも得られたんですね。
クマゴロ―先生家としてもどうでしたか?奥様は?
A 奥さんも職場の女の人も連れてきて、
ふいごも押して楽しんでくれていました。
炉を崩すのも見てくれていましたし・・・。
Q 新聞に載った反響はどうでしたか?
A 教頭さんとしては新聞記事に載せたことが
学校の宣伝になったと喜んでいたし、
こちらも学校に貢献できたと実感した。
Q 良かったですね、ほんとに。
A いろんな人の協力で成し遂げられると思いました。
僕一人の仕事ではなかったし、
手だてなしにはできなかったことを
最後に強烈に感じました。
Q 改めて良かったことって何ですか?
何が一番?
A 子どもたちを前面に出すことができたことが最高の誇りになった。
Q すごい。カッコいいですね。
クマゴロ―先生は何気なく、カッコいいことをズバッと言いますね。
A まあ、そんなわけじゃなくて、・・・。
だから、まあ人間の歴史の授業の一環じゃなくて、
つまり、古代社会と鉄とか、
近代の大量生産して武器をたくさん作った鉄とか
直接それと結びつけて鉄づくりをしたわけではないけど、
やはり、長い間の懸案事項でした。
Q 人間の歴史では農業と、織物業と 鉄づくりが、
歴史を変えたことを勉強するわけだから、
それと結び付けたかったんですよね。
A うん、そうです。そうしたかった。
そこは、今でも課題で残っているけれど、
とにかく、鉄づくりを実現させたうれしさと
あの、子どもたちが、ものすごくすばらしい表情を
見せてくれたのが最高のプレゼントなんです。
Q また、決め言葉出ましたね。
カッコいいけど、その素晴らしい表情って
写真に写っているんですか?
A 僕は余裕ないから写してないけど、
新聞社からもらいました。
最高の表情でした。
Q いま、ご自宅にあるんですね、今度見せてくださいよ。
A ああ、残念ながら、熊本の地震で、
ちょっとどこ行ったか分からなくなって・・・・。
Q ああ、それは何とももったいない。ぜひ、探してください。
そして見せてほしいです。
A じゃあ、探してみましょうかね。
僕だけで独占しているのは、もったいないからね。 ・・・・続く。
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